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Oct 2007

理系と文系の狭間

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by 卓 坂牛

早稲田大学の酒井先生から電話があった。前から言われていたのだが、新しい学部を創設するので力を貸して欲しいと。言われたのは一昨年だっただろうか、何時になるとも知らず、快諾していた。今日詳しく話しを聞くと、文学部が二つに分かれて今までの文学部と文化構想学部というものができたとのこと。この文化構想学部とは6つの系に分かれており、それぞれ多元文化論、複合文化論、表象・メディア論、文芸・ジャーナリズム論、現代人間論、社会構築論である。酒井先生は複合文化論系でありそこにいろいろな講座が作られていくようである。衣食住というのも一つのテーマであるようでなかなか面白そうである。さて何を手伝えるのだろうか?しかし短い時間だが話しをしているといろいろと楽しそうである。文系で建築を考える楽しさはいつもの理系頭では考え付かない発想を得られるからだろうか?
一方、11月に行なう講演のテーマjは「技術と美の統合」という硬いテーマである。技術史教育学会というところでやるから技術を入れざるを得ないのだが。そこで昨日から日本近代建築技術史というのを読んでいる。読み終わって分かったことがある。建築技術史なんていう文献はこの本以外殆ど無いのだが、唯一あるこの本には設備環境系の話がこれっぽっちも書かれていない。ここにあるのは構造、材料、施工のことのみである。一体設備技術の歴史はどこに記録されているのだろうか?技術史をまとめているのが建築史(意匠系)か工法史(構造)の先生であるところに問題があるのだろうが。

建築家

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by 卓 坂牛

11月の講演会の準備で村松貞次郎の日本近代建築技術史なる本を読む。三井の本館(石積みの洋式建築)が鉄骨造であることを知る。それだけでも新鮮なのだが、その鉄骨は床と屋根を支えるだけで壁は壁で持っていると書いてある。そう言われればさもありなんだが、結構目の前にある建物のことを知らないものである。夕刻クリスチャン・ケレツの講演会を東工大に聞きに行く。クリスチャンの建物は最近のA+Uにいろいろ紹介されている。スイスの建築はロケーションがひときわすばらしい。彼の建築は構造がとてつもなくアクロバティックでそのことを質問したが構造はあくまで空間を作る道具であるというのが彼の答えであった。レクチャー終了後食事会がありクリスチャンの娘や奥さんと話をした。娘は14歳で我が子と同じ。「将来パパのような建築家になるつもりはありますか?」と聞くと「いいえ」との答え「何故?」と聞くと、「建築家はストレスがたまる仕事だから」。それを横で聞いていたクリスチャンは「I‘m always relaxed」と強がりを言っていた。しかしストレスのたまらない仕事など世の中には殆ど無い。

うまい

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by 卓 坂牛

今日は昨日手をつけられなかった計画書を朝から作り始める。学会のホームぺージにアクセスして既往研究の分析。そして少しずつ書き始める。午後5時終わってないが作業は終了。夕方ジョギングを兼ねて伊勢丹に食材を買いに行こうと決めていた。我が家から2km弱である。片道約15分くらい?ジョギングのかっこうでデパートに入るのは少し恥かしいが混んでいるので余り見えない。ローマで食べたステーキが忘れられず牛肉を買う。と言っても松坂牛を買う金は無い。四国の牛。セロリとミカンを買ってバックパックに詰めて帰宅。風呂に入り早速肉を焼く準備。娘は図書館。夫婦で食べようと焼きはじめる。これがかなり美味い。自分の分を食べ終わった頃娘も帰宅。娘の肉を焼いてやる。この値段でこの味ならお買い得である。近所のスーパーよりはるかに美味しいとはかみさん。

計画書作成失敗

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by 卓 坂牛

月末締め切りの科研費の申込書と計画書の作成をこの連休中にやろうと思いたつ。意匠系の科研費は取得がかなり困難なようだが研究テーマをじっくり考えるのにはいい機会である。
ここ数年のテーマはメディアか風景か装飾と決めてある。なんとなくそれぞれのテーマはそれなりに研究室で誰かが取り組んでいる。それをもう少しつっこむためにここ1ヶ月くらい関係書籍を読んではきっかけを探している。そろそろそのきっかけをもとに方向を出したいところだがつい書籍渉猟にはしり、写真系の本をぺらぺらとめくる。photo graphicaの最新号が届いている。蜷川特集である。相変わらず鮮烈な色の組み合わせである。ヴィレム・フルッサー『写真の哲学のために』勁草書房1999を読む。フルッサーの文化コード論によれば、我々は世界や経験を理解可能な記号に変換する。この変換システムへの組織化への規則をフルッサーはコードと呼ぶ。そして人間社会のコードは紀元前1500年までが画像コードでそこから文字コートとなりその後写真以降テクノコードが位置づけられる。そして後から出てきたコードはそれまでのコードの説明に使われる。つまりメタ言語になる。例えばあるときまではテキストは絵を説明するキャプションだったが、現在写真はテキストを説明する何かになっているのだという。それってどういうこと?まだよく分からないが、、、なかなか疲れる本だったので少しリラックスして『森山大道とその時代』青弓社2007を読む。60年代から現在まで森山について語られた言説集である。鈴木了二の「都市の質感」という論考が面白い。写真は絵画と同様二次元芸術だが写真と異なり同じ二次元芸術でも完全に質感の表現を原理的に放棄しているという。そしてそれにもかかわらず、森山の写真は質感があるという。物質試行の建築家ならでなの論考である。写真の本ばかりで飽きてしまった。風呂でドナルド・キーン『私と20世紀クロニクル』角地幸男訳、中央公論新社2007を読む。読売新聞の土日版に去年連載されたもののまとめである。簡単な言葉で驚くほどの事実が並べられている。読み応えがある。
というあたりで世もふけ計画書はできなかった。明日また頑張ろう。

風土

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by 卓 坂牛

朝一で現場。窓回りを枠とボードのちりを取らず紗を貼ってパテしてペンキを塗りこむディテールにしているのだが、ひびが入ると指摘される。コーナービードを入れたり、紗を貼ったり、シールしたりいろいろ対処してもらう。工期は残り一ヶ月である。
夜、この間読んでいた『風景の哲学』に何度か引用されていた和辻哲郎の『風土』の最初を読み返してみた。この本は大学1年くらいに読んだ記憶がある。読み返してみて感ずる。ああ、この本は景観論なんていうものではなく、現象学の本なんだということ。大学一年の頃はこの本の実例部分を読んでいたのだが、やはり重要なのは風土の基礎理論という最初の20ページである。その部分は僕の大学1年の頃の知識でとても理解できるようなものではなかったことが今分かるのだが、その頃はそもそも見向きもしていなかったのかもしれない。

須坂

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by 卓 坂牛

10月5日
後期最初の講義と製図。2年生のデザイン論と2年生の製図第2。今年の2年生はどんな学生だろうか興味津々である。製図の敷地は長野から電車で30分の須坂。市といっしょになって蔵のまちキャンパス計画という市の活性化を行なっている。それにあわせて課題もここで行なうことにした。敷地見学は去年はどしゃぶりの雨だったが今年はいい天気である。敷地を見る前にせっかくだから市の有名な蔵や屋敷を見学した。なかなか見ごたえのある屋敷があるものである。天高二間、障子は一間という部屋が続く。つまり垂れ壁一間の部屋の連続である。先日見た若松の別荘のようである。
敷地見学後アサマで東京に、転職した友人と夕食。新しい会社は国際的ヘッドハンティング会社。一人探すと基本料金800万。加えてその人の年収の15%だそうだ。800万ならなかなか発注者のokが出ないだろうと聞くと出ないそうで、連日ひたする人に会うのが仕事。リサーチャーが彼のスケジュラーに人をはめ込んでいくそうである。会社の人材データーベースは膨大でちょっと検索する友人の殆どが出てくるそうだ。オー怖い。どこからデーターが流出しているのだろうか?

倫理としてのモード

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by 卓 坂牛

倫理とは平たく言えば「人間のあり方」「世間のありさま」であり、倫理の構造を考える契機は、習俗と道徳と法律だと佐藤俊夫の『倫理学』に記されている。更にこの習俗とは習慣と風俗から構成され、これらは礼儀(marnner)と流行(mode)という対極的概念を両極に持つ型によって生み出されるという。modeなるもの社会倫理を形成する極めて重要な要素であることがよく分かる。こうしたmode研究ではもちろんバルトが有名(『モードの体系』)であるが、もう少し社会学的視点から語られたものがないものか探していたらなかなかよい本を見つけた。ジョアン・フィンケルシュタインというオーストラリアの社会学者が書いた『ファッションの文化社会学』成実弘至訳、せりか書房2007である。ここでは数々のmode研究が紹介されている。その一つ、ソースティン・ヴエブレンの『有閑階級の理論』(1899)はなかなか示唆に富む。「流行とは上流階級の人々が自分たちを下層階級と区別するためにつくったトリックなのだ。・・・流行が下層階級へと『滴り落ちていく』とき、上流階級はまた新しい美学を作らねばならない」。
100年前の階級社会のこうした理論が現代日本に直接当てはまるわけではないのだが、流行の本質は殆ど変わらない。つまり、経済的な格差が小さい日本でも感覚的格差と呼ばれるものが構造化されている。そして流行とはこうした感覚上流階級(として位置づけられている)が生み出し下層階級(と位置づけられている)へ滴り落ちていくのである。そしてある普及をした時点で感覚上流階級は差異化を図る(ことで自らの地位を確保する)ために、新たな美学を創らねばならなくなるのである。結局アートもモードも建築もこの滴り落ちる時間に若干の差があるだけでその基本構造は同じと思われる。

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by 卓 坂牛

10月3日
ゼミに会議で夕刻。後期の始まりで会議が多く今週はずっと長野である。会議後、研究室で『倫理学』を読む。やっとカントに到着。近代倫理学を完成させたと言われるだけのことはある。「およそこの世のなかで、いなあえてこの世とかぎらず、いかなる限定もなしに善といわれ得るものは、ただひとり善き意思のみである」。善きものはいろいろあれども、善きことを行おうとする意思は一つであるというような意味である。善きことが限定されていたそれまでの倫理思想(プラトン、アウグスティヌス、トマスアクィナス、などなど)からは大きな飛躍である。
8時ごろ研究室を出て今年長野にもできたシネコンに行ってみる。1200円のレイトショー。夕食を売店で買いシアターへ。客は10人くらいしかいないので貸切のようで快適である。

下手な考え、、、、

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by 卓 坂牛

夕刻研究室で学生と話す。就職などの進路についてである。設計者になるかどうかの悩み時である。自分の能力との相談をしているようだが果たして建築家の能力など生まれつきかどうか疑わしい。そこで少し自分の話をした。一体自分はどうして設計者になることを決意したのだろうか?都合の悪いことは忘れてしまったから思い出すことは美談にしかならないのかもしれないが、そんな決意をした覚えはない。ということはよほど自分に自信があったのかというとそんな自覚は無い。コンペ荒らしだったわけではないし、製図の成績がいつでもトップだったわけでもない。ただ自分は設計者になると決めただけでそこに判断材料はない。そうただそう決めたに過ぎない。もとより設計がうまいか下手なのかというようなことは時代と適合するかどうかだけの問題などと大それたことをその時代から考えていたのかもしれない。つまりは誰かに上手い下手を判断される言われは無いとおぼろげに思っていたのかもしれない。だから後はやるかどうかだけの問題だったように記憶する。
もちろん最低限の能力は必要だが設計力はむしろ努力である。生まれ持った才能は20%くらいだと思う。それは天才的建築家の生き様を見ているとそう思う。サーリネンは朝食のバター壺の中でバーターをこねくり回して建築の形を作っていて離婚されたとある人が言っていた。これを努力といわずなんと言おうか。むしろ設計者になるための才能がいるとするなら、その努力をする能力である。さらに言えば努力でカバーできる設計力ではなく設計者としての人間力のほうである。それらはコミュニケーション能力とマネージメント能力。これは残念ながら生まれつきであることが多いように思われる。能力との相談をするなら自分のこれらの力と相談するべきだ。しかしこれも誰かのもとで一生やるなら不要である。となると生まれつき持った何かと相談する必要は無い。やるかやらないかを決めるだけの話である。ということは建築と一生付き合う気があるかどうかだけの問題である。ここでまた一生なんていうとやたら気が重くなるだろうが、それもたいしたことは無い。まあ結婚するようなものである。別にいやになったら離婚するだけのことである。そんなしかめっ面して考えるほどのことでもない。離婚が怖い人はやめたらいい。しかしそういう人は結婚だってできないということになる。

古谷さんおめでとう

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by 卓 坂牛

10月1日
午前中ナカジから先週の中国滞在中の報告を聞く。相変わらずレベルの低い設計院の無責任な仕事の仕方に腹が立つ。かと言ってレベルが高いというものがどの程度のものかもよく分からない現状では無責任ぶりが改善できるものとして文句を言えるものなのか、それは単に文化の違いだと言うことなのか判断できない。それにしてもこんなことを続けていると単に建物を作って終わってしまう。作るではなく創るムードを全体に築いていかないとまずいのだが。模型材料も売ってない場所だから全部買って持っていくようにナカジに指示したのだが、成田でスチノリと55は没収されたそうだ。やれやれ。
長岡のコンペの落選通知が来た。今回はそれなりに全力投球したのだが5人のヒアリングには選出されなかった。ちょっと悔しい。しかしそれなりに納得する部分もある。お勉強で終わらないコンペにするにはどうしたらよいのだろうか?私の課題である。
夕刻審査員の一人の古谷さんの学会賞受賞パーティーに顔を出す。本当はここで5人に選んでいただいた御礼を言うはずだったが夢叶わず祝辞を述べる。都庁の展望台とうい突拍子もないところで行なわれたパーティーには何百人来ているのだろうか?さすが早稲田人脈である。滅多に会わないみかん組の曽我部や加茂さんなどにも会った(これは早稲田人脈ならぬ青山高校人脈らしいが)。この建築家コミュニティというのは政治家のパーティみたいなものでありなかなか会えない人に会いたいときには出席する価値がある。帰りがけ2次会を誘われるが私は最終で長野に。明日から後期が始まる。