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Jan 2008

年度末の忙しさ

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by 卓 坂牛

12月くらいから長野にいるときの方が帰宅時間が明らかに遅い。それは帰宅するモーティベーションが全く無いということにも起因するのだが、やはり大学というのは年度で動いているもので3月に向かってなんでもかんでも締め切りが来るわけである。今日は、大学内の某施設の設計会議。学生も皆必死の形相であり、誰にも頼めなく朝からスケッチ描いて模型作ってそしてカラーコピーして、それで4時の会議で説明である。まあたまに自分でスケッチかいて模型作るのは楽しくていいのだが、その時間分は他の仕事ができないわけで当然皺寄せは夜に来る。そして今日できなかったことは明日に回すことになる。事務所の動向も心配。送られてくるチェック用の巨大図面ファイルを今晩はもう開ける気になれない。
先日読んでいたある新書本に仕事は時間を決めてやれ、部下にも仕事には期限をつけろ。できないのは集中力が足りないだけの話である。no残業デーを作れなどと書いてある。そうかもしれない。と思う一方この言葉には限界も感じる。

校正チェック

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by 卓 坂牛

大学の試験二日目もやっと終わった。とにかく何事もなく安堵する。
「建築の規則」出版校正原稿が昨日家に届いたとかみさんから電話があった。校正への回答を入れて返却しなければならない。何とか年度内に出したいのである。「どのくらい校正入っている?」と聞くと「1ページ2割くらいに、赤ペン、クロ鉛筆、ラインマーカーが入っていて大変そうよ」と言う。「嘘だろう??」と思うが確かめるすべも無い。来週は東京にそう長く入れないし結局こっちで作業することになりそうなので、すぐ宅急便してと頼む。ところが、日曜日は大学は郵便物を受け取らないとのこと。それを聞いて本日の受領は諦めていたのだが、昼頃クロネコヤマトから携帯に電話。大学を通さず私のところまで持ってきてくれた。ありがたい臨機応変な措置。そして中身を確認。どうもかみさんの表現はやや大袈裟。多くは引用文中の言葉遣いの確認。しかしそれでもチェック事項の仕分けをするだけで3時間くらいはかかったかな?それにしても本がないので確かめられないことばかり。やはり家に帰らないとこの作業は完結しない。時間が惜しい。

哲学と建築

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by 卓 坂牛

昨晩帰るときに雪がちらついていたので心配だったが幸い今日は晴天。一日大学試験の手伝いであった。事故もなく無事終了し、一安心である。空いた時間に木田元の『反哲学』新潮社2007を読む。木田元の哲学入門書は本当に分かりやすいのだが、この本も実にいい本だ。哲学ってこんなに面白いし、楽しいし、分かりやすいということを教えてくれる。こういう本を高校の教科書にでもすればいいと思うのだが。木田によれば哲学とは何の役にも立たないもので、できることなら一生かかわらずに終われるものならそのほうが余程いいそうだ。「子供のための哲学入門」なんてとんでもないとのこと。確かにそうなのかもしれない。そういえば谷川渥さんも美学なんて何の役にも立たない学問だと言っていた。ただ好きだからやっているだけだとか。そうねええ。そうかもしれない。客観的にみて文学は工学やら、法学、経済学などに比べたら人のためにある学問ではない。しかし工学といえども建築なんてものもこと意匠に関して言えば、人の役に立つとか立たないとかいう問題とはちょっと違う。下手をすればとてつもなく個人的であり、また全人間的でもある。そんな両極を彷徨っている。そう思えば木田元の言っていることはよく分かる。できることなら子供にはなって欲しくない職業#1である。

日本の80年代

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by 卓 坂牛

朝から学部生の梗概を読む。装飾論である。途中大学の行事の手伝いをして、また梗概を読み今日の一人分は終り。学生に修正を指示する。その後建築学科発足へ向けた書類作り。なんとか夕方までにとりあえず作れた。ほっとする。それから別の書類に手をつける。書類と言っても、これはなんだかしょっちゅう作っている個人の業績申告書のようなもの。あて先部局の違いで同じような内容のものを年に3回くらい作っているような気がする。会社ならこういうものは一本化できるのに大学と言うところは組織が複雑過ぎるよ本当に。昨日今日でなんとか90%終了。一休みしてから、中国図面の仕様書の日本語訳が出来上がってメールされてきたのでチェック。うーん、当たり前だが日本の仕様とは違うし、知らない材料がいろいろ出てくる。それからやたらと標準図参照指示が記されている。中国の標準図とは分冊になっており、日本のように、国土交通省の標準詳細図集一冊なんてものではない。数十冊に分かれているだろうか?どこに行ったら全部揃えられるのやら?契約している中国の設計院も全部持ってないのだから話にならない。とりあえずチェックして事務所に返送。
終わって植田さんの本を読み始める。この本は2巻本で今読んでいる1巻は1966~1986までの20年間。60年代から70年代の途中くらいまではなんとなく読む気を起こさせるものが並んでいる。そもそもよく知らない建物ではあるが設計者とか一枚の写真の雰囲気が読む気持ちにさせる。然るに70年代の後半から最後まではどうもげんなりする。先日建築雑誌に掲載する原稿で80年代の建築論というものを書いたときに僕は世界の建築論を少し調べた。ニール・リーチ、マイケル・ヘイズ、ジェンクスの建築論アンソロジーを見てみた。その結果、確かにこの時代はポストモダン全盛だが、しっかりとデコンの論文や複雑系の論文の準備がなされていることを確認できたのである。しかるに日本では五十嵐さんのブックガイドを見るならば、この時期見るべき建築論は無いのである。ジェンクス的なポストモダンには本気で組することは日本人には到底無理、この当時上梓された秀逸な本はもっぱら都市論である。もちろん建築自体はポストモダンという表層の流れにのっかる、あるいは後押しされたようなものが多発していた。それがこの植田さんの本を見ると一目瞭然であり、そうした建築のオンパレードなのである。しかしまあ欧米でも80年代にデコンも複雑系も殆ど実現には至っていないのだから同じかもしれないが。
疲れた脳みそはこてこてのPM建築などとても受け付けないというところである。

寒い

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by 卓 坂牛

午前中かけてまた一つ修士の梗概を読む。内容を精査するためにシュマルゾー、リーグル、ハーバート・リードを読み返す。午後から松本でキャンパス計画の会議だが移動の車中でも読む。会議は1時半から5時頃まで。しゃべり疲れた。合計3キャンパスの説明をする。最後の詰めなので多くの意見続出。結構なことだ。松本のスタバで協力設計者の春原さんと院生の山田君とで一服。車中植田実の『都市住宅クロニクル』を読む。白沢さんの住宅を発見してうなる。かっこいい。昔懐かしい建築家オンパレード。毛綱、渡辺豊和、黒川哲郎、原自邸、磯崎群馬、室伏自邸、、、、、なんだか学生時代に戻ったようだ。長野駅からマンションに寄り、自転車をとって研究室に戻る。さあこれから月末にかけて、書類、書類、書類。それも内容は同じような物ばかり。非生産的な行為。
それにしても今日は朝から雪。1日零下だろうか?松本はまた一段と寒かった。

最後の追い込み

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by 卓 坂牛

中国図面の追い込み。設計院の描いた構造図とにらめっこしながら、ナカジと意匠図を煮詰める。徐々にだけれど内部空間が見えてくる。茶室の図面を見ながら最終の仕上げ材を決めていく。山本さんがずらり並べたサンプルマテリアルを確認。畳の色がちょっとつまらない。と思っていたら白い畳があるようだ。発注のスケジュール、見積もる施工者を確認。打ち合わせを昼で終わらせ家に寄り、これから山篭りするための分厚い本を数冊鞄に放り込む。東京駅でおにぎりを買い昼のアサマに飛び乗る。植田実の集大成『都市住宅クロニクルⅠ』みすず書房2007を読む。建築案内的なこの手の書物は普通、リラックスして、楽にすらすら読めるものだがそうでもない。その理由は、ヴィジュアルなページが余り無く言葉で建築が組みあがっているから。そして1966年から始まるこの本の対象の中には知らない建築が結構あるから。言葉主体で説明されたまだ見ぬ建築は読者に多大な想像力を要求する。寝不足で満腹の頭にはやや過酷である。そのうち深い眠りに入る。(植田さんすみません)。軽井沢で目が覚め読書再開。夕方大学の会議。終わって梗概のチェック。今日から一日一人分を読んで直すことにする。どれもこれも多分、大鉈を振るわないと見られるものにはなるまい。時間をかけざるを得ない。ここで放棄するわけにもいかないし。フー。最後の追い込み。

松井さんの巨大抽象画

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by 卓 坂牛

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シャネルのギャラリーで松井守男の個展が開催されている。オープニングに招かれ顔を出す。あたかも着物の柄のような油である。巨大なキャンバス地に描かれたその抽象画は、そのまま壁にホチキスで打ち付けてある。お金があったらいつか壁画を描いて欲しい。ポロックともサム・フランシスとも少し違う。彼独自の境地である。こういうパーティ常連の芸能人、医者、美術館の人。いろいろ紹介していただく。夕食に誘われるがこれから一週間東京を空けなければならないのでまた事務所にもどり打ち合わせ。お腹空いた。

富田玲子さん

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by 卓 坂牛

ロンドン大学バートレット校から来たクリスチーヌ・ホーレイとその学生10人。千葉大の岡田さんとその学生20人につきあって東京巡りをした。クリスチーヌはバートレットのディーンでありエイドリアン・フォーティの同僚。もちろん岐阜で妹島さんや高橋さんといっしょに一棟集合住宅を設計した建築家である。何故か篠原一男のことをよく知っていて、その話しでもりあがり、またフォーティの翻訳をした件で話がはずんだ。フォーティーの本は英文でもなかなかエレガントなできで、バートレットでも教科書のような本らしく、学生は皆よく知っていた。クリスチーヌはさかんに僕がこの本を翻訳したのだと、学生に説明していた。原宿、青山、秋葉原で解散。一日歩いたら疲れた。帰宅後少し仮眠。読みかけの富田玲子さんの『小さな建築』を読み終わる。僕が高校時代、建築勉強しようと思って担任の先生に紹介してもらった先輩が富田さん。今でも鮮明に覚えているが、高校2年の時に行ったのが早稲田の寺の境内に建っていた2階建てのプレファブ小屋。富田さんは上品で静かでやさしい先輩だった。そこへ行くと大竹さんはスゴイ迫力。事務所にあるもので脳裏に焼き付いているのはサッカーボールとスパイクと一升瓶。建築家のいる大学に行けと進められた。その時あがった名前が篠原一男。でも大竹さんは篠原の建築を建築とは認めないと言っていたのもよく覚えている。その時富田さんはどう思っていただろうか?『小さな建築』には富田さんの実家の傍にあった篠原先生設計の谷川俊太郎邸を見せてもらった話しが出ていたが感想は記されていなかった。
富田さんは想像していたとおり、パワフルである。女性で建築家になるということは乗りこえるハードルがいろいろあるのだろうが、富田さんは事も無げに楽々とこなすようなひとなのだろう。プロにならないのにピアノを一日5時間弾いていたというのを読むとそうした資質を感じる。つまり努力を努力だと思わず出来る人である。建築家ってそういうバカみたいな力がいる。高校時代にお会いしたときに既に子供もいながら沖縄の仕事をしていたのだと思うが淡々と建築をされていたような雰囲気が漂っていた。5000ccくらいの車が静かに100キロで走っているという感じである。女性が建築家になるのは今だって大変だと思うが、富田さんのような資質と才能がいるのだと思う。一度信大にもお呼びしてレクチャーしてもらおうかしらん。

ソフィ・カル

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by 卓 坂牛

のんびり朝飯を食ってから、クライアントに頂いた美味しい中国茶を飲んで、昨日の続きで原稿の校正。出版社に最終原稿を送った時に横書きを縦書きにしたせいか、変な間違いが散見される。しかしこうした間違いは編集校正で見つけられるのだろうからまあいいとして、注の間違いと図版を減らしたために起きた本文と図版の対応のずれが幾つか見られた。図版を抜いたのに、文章はあるものとなっているという間違いである。これはこちらで見落とすとちょっとまずい。
先日注文していたとエルンスト・ネトの新しい作品が掲載された雑誌とソフィ・カルのダブル・ゲーム(日本のギャラリー小柳で行われた展覧会)の記録集が届いた。ネトのあの鐘乳石のようなオブジェがところせましとパリのパンテオンにぶら下げられた作品はスケールが壮大である。こうしたインスタレーションをする場所があるというのがうらやましい。日本には思いうかばない。ソフィ・カルの記録集ははポール・オースティア(アメリカの小説家)との共作で小説にソフィカルが主人公として描かれ、描かれた自分を演じ、それを記録したものらしい。本を演じて本にするという、入れこ状の仕組み。フィクションのようなノンフィクションを作り出そうという試みである。この記録集は装丁が布張でとても可愛らしい。中の写真やレイアウトも素敵である。

建築写真

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by 卓 坂牛

朝から本の原稿初稿の校正。何度読んでも間違いは見つかるものである。校正の合間に去年TNProbe主催で行われた「建築と写真の現在」記録集を読む。多木浩二「建築と写真」、畠山直哉「写真家と建築」、清水穣「現代写真作家による建築の表現:ルフ、ティルマンス、大島成己」。多木さんはこう言う「建築はジャーナリズムあるいはメディアに媒介されることによって普及されています。その時に、メディア独特のマナーに従って、写真家は建築写真を撮り、また建築家はそれに影響されながら何とかうまい具合に写真に撮られるように、あるいはそうは思わなくても、そういったものをつくってしまうことが多かったといえます。しかしそれももう終わりではないでしょうか・・・・」
そうだろうか終わるだろうか?格好いい建築写真の時代は終わったかもしれないが、違う建築写真の撮り方が生まれ、そしてその撮られ方を欲する建築家が現れる。あるいは新しい建築写真を啓発するような建築が登場し、そしてその写真がまたジャーナリズムを席巻し、そう撮られたいと欲する建築家が後を絶たない、、、、といういたちごっこのような状態は終わらない、、、、と僕には思えるのだが。スチルの力はいくら動画が普及しても減少することはない。