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Mar 2008

金沢

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by 卓 坂牛

3月10日
学会の役員会で金沢に行く。長野金沢というのは電車の便が悪い。直江津まで各駅停車に2時間揺られ、そこで北陸本線の特急に乗り換えまた2時間。乗り換えが悪いと4時間から4時間半はかかる。年度末の役員会なので各支所の予算の収支が報告される。昨今どこもお金がなくて大変である。
帰りは6時50分に金沢を出て長野に着いたのは11時半である。行き帰りで8時間。こんなに電車に乗っていたら日本中どこへでも行けそうである。
幸いパソコンでいろいろ仕事ができたので電車も悪くないのだが北陸本線というのは実に揺れる。もう少し使いやすいポインターを開発できないものだろうか?電源が切れ、『抱擁家族』を読み終える。小説なるものを久しぶりに読むし、だいたい読むとなると最近の芥川賞だったりする。こんな古典を読んだのは本当に何年ぶりだが、今でもとっても新鮮である。またこんな小説に出会いたいものである。

女性性

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by 卓 坂牛

23月9日
朝の特急しなので松本へ。山岳科学総合研究所での研究発表会。2日目ということもあって会場は人もまばら。「質料を顕在化させる設計手法」という昨年の中尾君の論文を紹介した。なかなかいい質問があった。建物表面の質料性と山の質料性をフラクタル次元を揃えることで調和させようというのが中尾君のオリジナリティなのだが、それはあくまでパターンの次元で終わっていた。質問は色もランダム配置させて周囲の色と建物のそれのフラクタル次元を考察できないか?というものだった。なるほどそこまで考えていなかった。思わず「とてもいいご意見ですね」と口をついた。今後の課題としよう。
午後大学に戻りジェンダーと建築のパワポを作る。先日ブログにジェンダーのことをかいたら竹内氏から新建築に真壁さんがカワイイ論を展開しているという貴重な情報を貰った。さっそく読んでみた。なるほど。四方田犬彦の『かわいい論』ひいては松岡正剛の『フラジャイル』から脈々と連なる「強い」へのアンチテーゼは世を席巻していることがよく分かる。更に真壁氏のカワイイ論は昨今の使う学生の言葉に注目している。曰く、もはやそこには理路を導く道具としての言葉ではなく、感覚を吐露する言葉が溢れているという。さらにそうした言葉が新たな建築に繋がる可能性を示唆している。これは僕がこの間の10+1で書いた「モダニズム言語は死滅したのか」と全く同じ主張である。思わず我が意を得たりと嬉しくなった。再度『言葉と建築』のジェンダーの項を読み直し、西洋の男性優位、日本の父権の崩壊、ハイパージェンダーの登場、そして現代の女性性の反逆へとつなぐストーリでまとめることにした。夜レイトショーで「エリザベスゴールデンエイジ」を見た。フォーティー(『言葉と建築』)によれば西洋ではギリシア以来男性性が圧倒的に優位であり、その例外はライトまで登場しないのだが(ライトはラーキンビルを男性的ジョンソンワックスをその娘と呼び女性的建築と位置づけた)果たしてエリザベスの時代においても建築は男性性優位だったのだろうか?Virgin Queenと呼ばれた彼女が統治した国においても?

山岳研究

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by 卓 坂牛

信大には山岳科学総合研究所というものがある。その中の山岳景観研究部門の教員を兼任している関係で明日松本で研究発表しなければならない、その準備のため去年の中尾君の修士論文を引っ張り出して読んでみた。「質料を顕在化させる設計手法の研究」というタイトルである。これは去年の東京コレクションで「塚本賞」を受賞したもの。1年たって自分が発表する立場で読み返すと気になるところやら、分からないところが結構ある。まあ仕方ない。先日再読した江藤淳の『成熟と喪失』のメインの主題であった小島信夫の『抱擁家族』1965を読んだ。この頃の小説のスタイルなのか小島信夫のスタイルなのか分からないが、会話の言葉がひどく不自然で、ぎこちなく感じられる。人間ってこんなふうにしゃべるだろうか?というような違和感がある。早稲田の酒井先生から携帯に電話。ゲストスピーカーの希望日を出すように依頼されていたのを失念していた。うーん。木曜日の夜。どこがとれるだろうか??

OB

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by 卓 坂牛

3月7日
茶室の施主定例。初めて現場を見る。解体が終り、小上がりの木下地を大工が作っている。ビルの6階にたかだか10坪の空間を作る仕事だが、実に贅沢である。様々の条件で天井をかなり低くすることとなった。小上がりのところでは2000を切る。クライアントはそれをとても歓迎してくれたのが嬉しい。身体的なストレスを感ずる空間であるべきだというコンセンサスが作れた。
事務所に戻りプロポーザルのプレゼン資料を作る。最後は手描きのパーススケッチをレターヘッドつき良質紙便箋にコピーしマーカーと色鉛筆で色付けした。それにcgのヴォリュームスタディと詳細図スケッチをクリアービニールで閉じた。クライアントのオフィスはなかなか素敵である。1時間ほどプレゼンしたり、ディスカッションしたり。結果は来週半ば頃通知されるそうだ。
6時の44分のアサマに研究室ob2名と乗るべく東京駅で待ち合わせ。車中近況を聞く。一人はJR一人は医療系の設計事務所に勤務している。それぞれプロっぽくなってきているのが嬉しい。1年前の学生さんではない。

新宿~銀座~四ツ谷

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by 卓 坂牛

3月6日
8時半に事務所に行ったら早朝帰ったと思った竹内君がまだ居るし起きていてぐったりしている。どうしたのかと思ったら図面を2部打ち出して最後の一枚というところでwindowsが立ち上がらなくなり、リカバリーしているのだと言う。なんという悲惨な。凹む気持ちが想像できる。あまり慰めの言葉もかけられず、事務所を出て9時に新宿のスタバで金箱さんと会う。サザンテラスのスタバは混んでいる。1時間ほど打合せをして別れ、僕は銀座の敷地を見に行く。朝の銀座は殺風景である。建物は余程大きな通りに出ないとどれも影になって暗い。銀座はやはり午後から夜の街である。事務所に戻り撮ってきた写真の上にトレペをかぶせてイメージスケッチ。この手のスケッチはucla時代朝から晩までやっていた。リカバリーが終わった竹内君と明日の資料作りの相談。彼はフォームGでパースを、僕は手描きで詳細スケッチを描く。夕刻山本さんが現場から帰ってきた。茶室の模型を改良中。出来上がったのを覗く。既存天井を剥がしててでてきた冷媒管のために計画より天井を下げざるを得ないのだがかえってタイトな空間を作り上げていていいのかもしれない。明日は初めて現場でクライアントに会う。この低さを主張しよう。
夜中一度家に帰り娘と約束していた理科の勉強。電流と電圧と抵抗。かろうじてまだ覚えている。終わってまた事務所に。手描きスケッチの続きを終わらせメールを見ると中国からナカジがいろいろ報告。「銀座はやろう!」というやる気の言葉が書いてあるので、こちらもだんだんテンションが上がって来た。加藤さんの作ってくれた事務所のプロファイルも素敵なデザインに仕上がった。さあ、、、、でもデザインがまだこれならというものじゃないんだよなあ。どうしよう。???帰宅後大学ではできなかった本の校正。引用文献中の数字の書き方のチェック。10冊くらいあり見つけるのに時間がかかる。ああまた3時。最近連日3~4時間睡眠である。よく耐えている。

悶々

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by 卓 坂牛

朝松本へ。車中、昨日送られてきた図面のチェック。駅で朝食。バスで本部キャンパスへ。9時、10時と会議。学食で昼食をとりバスで長野へ戻る。夕刻会議。終わって東京へ。銀座のプロポを考えるがちっとも考えがまとまらない。短期決戦を最近したことがないのと、高級感とか清潔感とかどうも俗っぽいキーワードを並べられると弱い。こうした言葉の持つ社会的なイメージをそのまま作る気はないのでどうにかわそうかと頭をひねるのだが上手くいかない。独立してからクライアントからは機能的なリクエストはあってもデザインはこちらで考えていたわけで、相手からデザインキーワードを与えられることに慣れていない。さらにあまりやりなれないビルディングタイプなのでひねるそばから法的な問題やらなにやらデザインと関係ないことばかり気になり考えがまとまらない。うー。ナカジは明日から上海だし、その図面を竹内君はまだ作っているし、山本さんも茶室の施工図描いていて終電で帰ったし、久しぶりに一人悶々である。でもとりあえず帰ろう。

なんだか急にいろんなことが動き出す

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by 卓 坂牛

午前中会議。午後も会議、僕が設計した全建物を他の偉い先生に説明。業績検査のようなもの。その後、銀座の商業ビルの設計プロポについて考える。場所もいいし、せっかくのお誘い。一つ奮起するかと思う反面、余りのタイトスケジュールに少し気持ちが萎える。でもやろう。金曜日にクライアントと会うことにする。諸条件から構造の工夫が必要。金箱さんに電話。木曜のアポをとる。お互いピンポイントでしか時間がとれず。早朝新宿の談話室滝沢で会うことにする。しかしネットで場所を確認すると滝沢はもはや無くなってしまっている。場所を変えないと。
夕刻、明後日ナカジが上海に持っていく見積り追加図面が大量にメールされてくる。A2、36枚。A3でプリントアウトして背張りする。大体よく描けているがまだ未完のものが数枚ある。また、これはそうせざるを得ないのだが、仕上げやらディテールがこれから金の調整があることで余り厳密に描けない。更に中国流がわからないので曖昧に終わっている部分もある。そのあたりがなんとももどかしい。やはり現場はちょっと大変かなあ。
その後青山のヴォリュームスタディのコンセプト図がメールされてくる。分かりやすい図である。このレベルで相手に渡すか、もう少し手を入れるか???少し考える。
更にに茶室の現場記録が届く。まだ解体後現場に足を踏み入れていないのがじれったい。記録を読む限り、大きなトラブルはなさそうだが。
一偏に来るときは来る。それらに返信などしながら、銀座のスケッチを描く。クライアントの欲するネット面積をとると見事にただの箱になる。どうしたってファサード建築になるのだろうが、何かできるだろうか?スケッチを事務所にファックス、ファサードアイデアを事務所でも搾り出してもらう。
見事に今日やろうとしていたことは何もできずに終わった。明日は6時台の電車で松本に向かうので今日は帰ろう。

建築と法学の類比

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by 卓 坂牛

今日は会議漬け。本当に漬物のようにつぶされてエキスがしみ出て脳みそが動かない。こんな時に何か大事なことをするといいことがない。夕食後明日の会議(又)資料を作った後は休憩。今日届いた『建築雑誌』をぺらぺらめくる。南さんが編集したコールハース特集である。僕も一編書かせてもらった。1月から編集長が五十嵐さんに変わり、『建築雑誌』も結構楽しい雑誌に変身した。そういえば今日昼ごろ庶務から電話があり、僕に荷物が届いていると言う。「何ですか?」と聞くと「ダンボール箱が5つ」と言う。まったく身に覚えが無い。「どこからですか?」と聞くと「外国語研究所」と言う。ますます身に覚えが無い。そうは言っても要らないとも言えず。学生と取りに行く。行って分かった差出人は東工大のスチュワー先生だった。3月で退官なので研究室の本の整理で僕に一部を送ってきたのであった。とりあえず学生に僕の部屋の本棚に並べてもらった。その本を夕食後見渡す。洋書古本屋を渉猟するような楽しさである。PalladioもSelrioもある。スチュワート先生の部屋はとにかく図書館のようだった。その中の本当にごく一部を送ってくれたわけである。ありがたいことだ。なかでもちょっと気になったのはPeter CollinsのArchitectural Judgementなる本。コリンズと言えばChanging Ideals in Modern Architecture(1965)が有名だが、このjudgemntはその6年後71年に書かれたものである。judgementとは彼が建築学を法学のアナロジーで読み解き、建築の判断と法の判断の類似性を指摘したもののようである。前著Changingでも彼は1章を異分野との類比に使っているが、そこでは法学は無かった。彼の新たな興味のようである。今読んでいるスコット(1917)は近代における類比の誤謬を解いたのだが、それでも類比はモダニズムに延々と語り継がれたというわけである。しかし法学との類比とは意外!時間があったら読んでみたい。

建築とジェンダー

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by 卓 坂牛

3月2日
書類を取りに午前中事務所に。渡辺さんが一人仕事をしていた。午後早稲田のパワポ作り。夕飯を食べて長野に向かう。新幹線で移動中、ロンドンの友人から電話。来週飲もうとの誘いだがあいにく両方の都合がつかず、また今度。車中、熊倉敬聡、千野香織『新たなジェンダー批評に向けて、女、日本、美』慶応義塾大学出版会1999を読む。早稲田の授業で建築とジェンダーをとりあげたいのだが、一体そんな問いは可能なのか?アートはジェンダーとの関係が強いが建築はそもそも社会構築的とは言えジェンダーとは少々かけ離れている。そう思ってこのテーマを諦めかけていたのだが、少しヒントを発見。例えば、「モダニズムとは異性愛、白人男性こそが『主体』である」というような指摘。確かにそうかもしれない。アメリカのゲイアーキテクトが大量にカミングアウトしたのは70年代だったように思う。ムーア設計の恋人と住む家には一階の真ん中にジャクジーがあった。ジェンダーが住宅プランを自由にしたか?また目を日本に転じれば、家父長制が崩壊していく過程はそのまま戦前戦後の住宅プランの変遷に対応している。父の接客スペースが南、母の厨房は北という平面は、家族のldkが接客スペースにとって代わり、そして父の居る場所はもはや無いのが現代の住宅である。またもう少し観念的に考えれば、フォーティーが言うように有史以来、建築は男性性に支えられてきた。女性的で良い建築など少数の例外を除いて存在しなかった。しかし堅固で頑強という建築本来の男性的属性はフラジャイルな女性的「美」に追い抜かれた感がある。例えば「透明建築」が世を席巻したのはガラス技術の進化のみならず、女性性の優位あるいは男性性の後退と関係しているのではなかろうか?
などなどやはり建築もジェンダーに構築されている部分は多々ありそうである。

差異の根源

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by 卓 坂牛

3月1日
家でお手紙を書いたり、早稲田のパワポを作ったりしていた。夕刻、烏賀陽弘道『Jポップとは何か』岩波新書2005を風呂で読む。jポップという言葉の由来は洋楽しか流さなかったJwaveで始めて和楽を流すときにJwabeで流していい和楽を呼ぶ呼称として考え出されたものだそうだ。時1988年。バブルの真っ只中だった。それから音楽業界は様々な変身をとげるようだが、その一つに音楽製作技術がある。それはアナログからデジタルへの変身である。そしてその変身の最大の効果は音楽製作がコンピューターで行なえるようになったことだ。一枚のアルバムを作るのにスタジオを800時間、4千万かけるオフコースのようなアーティストはいなくなった。しかし、それによって音質がどんどん画一化していったという。というのも、音楽がコピーペーストできるようになってしまったからである。
はてさて88年とは僕がアメリカでcadを学び帰国して日建に入った頃である。日建には一台数千万するcadの機械が置かれてはいがた、誰も本気でこれが製図の主流になるなど思っていなかった。ところがいまやどうだろう、製図はもちろん、三次元ドローイングも殆どがデジタル化されている。ここでも音楽同様、コンピューター能力がデザインを決定するような画一化が進行している。かろうじて建築界が救われるのは、最後の制作の現場が建築家に委ねられていないこと。まだまだローテクな職人芸に任せられていることである。そして逆に言うと、建築の差異をかろうじて保てるのはこの部分でしかなくなっていく可能性があるという点である。ちょっとお寒い話である。