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Sep 2008

ダヴィンチとバカボン

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by 卓 坂牛

新幹線で広島に向かいながら布施英利の『体の中の美術館を』筑摩書房2008読み帰りの新幹線では武井俊樹の『赤塚不二夫のことを書いたのだ』文芸春秋2008を読んだ。布施は芸大の先生で脳と美のことを書いている。武井は小学館の編集者。入社すぐに赤塚不二夫担当になって死ぬまで赤塚とつきあった人間だ。武井の話はもちろん漫画である。しかも赤塚漫画だからギャグである。当たり前だが、ダヴィンチの絵もすごいけれどバカボンも同じくらいすごい。最近赤塚漫画が文庫本のようなサイズで売られているが、いま読んでも本当に笑える。
午前中は例の大学院問題で学科の先生に大量のメールを発信する。少々面倒くさいが、まあ僕がやらざるをえまい。午後事務所でyさんと学会中の進捗状況を打ち合わせ。いろいろと未解決やら手付かずやらたくさんあるのだが、一つ一つ解決していくしかない。
帰宅後上杉隆『ジャーナリズム崩壊』幻冬社2008を読む。日本のジャーナリズムの無責任ぶりやら下らぬ質問には辟易しているだけに、著者の主張には賛意を表したい。

海底が露わになった厳島神社

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by 卓 坂牛

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7時の電車で広島から広大のある西条へ向かう。駅から大学に向かうバスの中で構造の佐藤さんと会う。ヴィエンナーレの話を聞いた。風速20メートルを超える台風(シロッコ)が来ると壊れるのだそうだ。
私はデザイン分野での司会を担当。発表者の中に塩尻のコンペで佳作となった福屋さんの作品もあり懐かしい。私が司会をしている間に研究室の二人の学生は歴史意匠の部屋で発表中。自分の学生の発表が聞けないプログラミングはなんとかならないものか!!!司会終了してから自分の大学の先生とお会いし、学会とは関係なく学科の懸案事項の打ち合わせ、延々1時間半。早くしないと今日の予定が狂う。急いでバスに乗り西条へ。西条から電車で宮島口まで行き厳島神社に向かう計画。ところが、、、、この電車に乗ったはいいが停電で動かなくなってしまった。定刻なら2時に着く所が着いたのは3時半である。1時間で行くところが2時間半もかかった。宮島で2時間は入れた予定が、残り時間30分である。歩いている暇はない。タクシーも見つからない。フェリーの降り場からレンタサイクルを借りて疾走する。厳島神社は引き潮で海に浮かぶ優雅な姿ではなく、海底の砂に建つ建築となっていた。荒々しい感じである。

学会広島

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by 卓 坂牛

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9月18日
朝ののぞみで広島で開かれる建築学会全国大会へ向かう。僕の司会担当、学生の発表は明日、明後日。今日は広島見物である。丹下健三の名作平和資料記念館はプロポーションが絶妙である。それだけに、増築部分とブリッジでつながれているのが残念。
市の南端にタクシーを飛ばす。谷口吉生の清掃工場を見る。ここは工場内をガラスの通路が貫通していることで有名である。アプローチの道路はまっすぐに南北軸に乗っており、そのまま海に向かって貫通ブリッジがある。ただそれだけなのだが開いた工場の設計の仕方としてはお見事。
市の中心部に戻り村野藤吾の世界平和記念聖堂を見てから電車で西条に向かう。篠原研の先輩であり、現在広大で教えられている岡河先生が、酒蔵で鯛鍋をいただきながら酒を飲むという会を催してくれた。篠原、坂本研の関係者が全部で70名くらい集った。台風が来ているのはずなのだが夕焼けが美しい。

イタリア友好

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by 卓 坂牛

イタリアのレッチェという市が日本との交流を深めたいという。面白いことにその話を受けたのが日本のとあるイタリアンレストランのマスター。そのマスターの輪で人が集まることになった。私も航空関係の親しい先輩からレッチェと交流を深めるためにはバロック建築をわかる人間が必要だと言われ参加することになった。集まった人たちはビジネスとは関係なく皆で楽しもうという魂胆である。jtb,jal 国土交通省、イタリア語通訳、集まった場所は新宿御苑裏のイタリアレストラン。このレストランが前代未聞。こんなイタリア料理屋は初めてある。普通のイタリア料理は(まあフランス料理もそうだろうが)料理に合わせてワインが出るのだが、ここはワインに合わせて料理が出る。と言えば少し大袈裟だが、料理ごとにワインが全部入れ換わる。料理が出ると次のワイングラスがサーブされ、そこに次のワインが注がれるのである。もちろんその量はそれほど多くない。しかし、だからこそ飲み過ぎずワインの味がよくわかる。そして極めつけはデザートワイン。赤の冷えたスィートワインなのである。これがドイツワインとは全然違う深みのある甘味であった。料理もレアである。フォワグラのパテに一年に10キロしか取れない蜂蜜をつけたりする。日本のイタリア料理は洗練されている。去年イタリアに行って、イタリアのイタリア料理より日本のイタリア料理の方がはるかに美味しいのはなぜ?と疑問に思った。それは日本のイタリア料理の方がイタリア料理の本質に近いのか?それとも日本のイタリア料理は単に日本人の口に合うように開発されたのか?どちらですかとマスターに聞いたら後者ですと言われた。まあそんなことなのだろうとは思ったが。
レッチェ交流第一弾はどうするか?国交省には10月から観光庁ができるわけで彼も多いに乗り気である。坂牛が企画するレッチェバロックの町並みめぐりはどうか?と彼が提案。jtbの先輩が「それ売れないでしょう」と冷たく却下。国交省の先輩は「いやそんなことはない。是非やろう」と酔った勢い。まあレッチェの大学と提携するなんていうのが僕としてはありがたい。世界の田舎と手を結ぼうというのが今のところ信大における僕のコンセプトである。
国交省の先輩は高校の四つ上級生ということもあり、昨今の一級建築士問題で大学が右往左往していることの文句を言ったら、「本当に役人はダメなんだよ」と自戒の念をこめつつおっしゃていた。「役人はとにかくクレームに対して、何かをしたという事実を残したい人間が多い」とか。どうしたらいいんですかと聞いたら「新聞に書かせるのが一番効くよ」といい知恵をいただいた。「大学の先生はまじめだからねえ。正論を吐いても、役人は動かないんだよ」だそうだ。そういうもんだろうか?

常識はずれ

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by 卓 坂牛

今日から信州大学3年生の桑島さんがオープンデスクで来所。初日から1/30の模型制作である。
突如決まった来週の九州打ち合わせと上海主張がバッティング。うまくずらし、九州に飛び1時間打ち合わせをして福岡から上海へ飛ぶという飛行機の調整におおわらわである。こちらの予定も聞かずに打ち合わせセットしてくれるなというところだが、この日を逃すと延々遅れそうなので文句も言えない。
来年度から始まる大学院における実務経験の審査基準の暫定案がメールで送られてくる。これは一級建築士の制度改正に伴うもの。一級建築士の受験資格は指定の建築学科を卒業すると実務経験2年で獲得できた。そして大学院の修士2年間は実務経験相当だったのだが、これからは授業内容によることになりそれを審査するというのである。来年度からこの制度が行われるにもかかわらず、その審査基準が今日まで不透明であった。
しかし、審査組織(国交省の外郭団体だと思うが)は一体何を考えているのだろうか??こんな基準を今日送っておいて、それに見合う授業内容を作って来週出せというのである。あんた、牛丼じゃないんだから授業カリキュラムが一週間でできるわけないでしょう!!そのうえ明後日からは建築学会が広島で開かれるのですよ!日本全国の建築学科の先生も学生も現在列島縦断中である。これでは学科の会議も開けない。そんな状態でカリキュラムも何もあったものではない。役所はまったく常識が欠如している。
先週末中国から戻ってきたナカジは明日からまた中国。今日まとめて報告と今週の見通しを打ち合わせ。明日はテーテンスのsさんもいっしょ。いよいよ設備工事も始まる。

八潮ワークショップ

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by 卓 坂牛

八潮市でのワークショップ2日目。とりあえず今日で今年度の発表のまとめ。最初に昨日のキッズワークショップの発表。これがなかなか傑作ぞろい。小学生、中学生と大学生のグループ全部で7組が発表。いやー下手をすると大学2年生くらいの案と思しきものも見受けられる。もちろん大学生の応援の力があるからなのだが、発想が痛快。
その後、5大学の発表が始まる。僕も含めて先生方は自分の大学が何を発表するか戦々恐々である。どの先生も他人の芝生がきれいに見えるようである。僕もそうだが、もうじたばたしてもしょうがない。これが信大の力であり先生の指導力。まあこれを最終形に昇華させるしかない。しかしこの後の味付けが重要かもしれない。頑張ろう。
各大学の先生方と浅草で夕食。とりあえずここまで来れたことに対してお互いの労をねぎらう。学生にもご苦労さんと言いたいところだが、彼らは大学まで戻るという一仕事が待っている。無事事故なく帰っただろうか?少し心配である。先生方と浅草コンペの敷地周辺を回り地下鉄で帰宅。

エモーショナル・ドローイング

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by 卓 坂牛

午後からの八潮市のワークショップに行く途中国立近代美術館に立ち寄り「現代美術の視点6:エモーショナル・ドローイング」展を見る。芸術の基本であるエモーション(情動)を再度見直そうとする展覧会であったhttp://ofda.jp/column/。見終わってミュージアムショップでカタログを購入するとその横に先日テレビで放映されていた石内都の『ひろしま』2008が並んでいた。集英社から出ていて1890円と写真集にしては安い。一冊購入しカフェで眺めた。しかし残念ながらテレビで(NHK特集だったと思うが)紹介されていた制作の難しさは一枚の写真からは知る由もない。さらに廉価版で売り出したがために写真が小さい。その上印刷の解像度が低いような気がした(これは単に気のせいかも知れないが)。石内と言えば人間の肉体を標本写真のようにリアルで解像度高く撮影するところに魅力があると思い込んでいる。そのせいか僕の中では勝手に期待外れなものであった。
竹橋からタクシーで秋葉原。TXで八潮市。今日は八潮の小中学生20人が集まって学生が一人ずつサポートしながら彼らの住みたい家を作るワークショップを行った。子供たちが絵を描きそれを学生が手伝いながら模型にするというものである。午前中からスタートして5時までみっちり。それでも終わらず、残りは学生が作り上げ明日子供とともに発表する予定である。子供のドローイングは未熟で未完なカオスであるがエモーショナルである。まさに今朝、国立近代美術館で見てきたドローイングと同じである。むしろ子供のそれの方がはるかに訴求力があるかもしれない。それはほんの僅かさえも秩序化されていないからである。

エネルギー

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by 卓 坂牛

昼をとってから事務所へ。九州でもらってきた宿題、「樋をやめて軒を出す」。その形状、大きさとディテールを検討する。来週、オープンデスクで来る学生にこの模型を作ってもらう予定。そのためのスタディである。模型写真の上にいくつかのサイズを」書き込み。それなりのディテールスケッチを並べる。最終的に軒の出は1300とかなり大きなものとすることにした。都心の狭小地では軒をとるのは難しい場合が多いが、広大の土地の中で軒が無いのはむしろ不自然である。
鈴新で家族と夕食。帰宅して読みかけだった平松剛『光の教会安藤忠雄の現場』建築資料研究社」2000を手に取り風呂につかる。この本の著者はあの『磯崎新の都庁』の著者である。磯崎の本の取材は大したものだと思ったが、それに勝るとも劣らずこちらも読みごたえがある。安藤建築の是非はともかくとして、安藤さんの建築設計のプロセスや、クライアントの処し方には一つの真理があると思っている。もちろん人間として素敵であろうことは様々な人から聞く安藤像に現われている。
最近。と言ってもこの数カ月という意味ではなく、この数年、やや肉体的、精神的エネルギーが減少して来たように感ずる。昨日のポール・アーデンの言葉にこういうものがあった。「エネルギー  仕事の75%はエネルギーがものを言う。きみにエネルギーがなければ、ただのいい人でいよう」。はて?エネルギーを蓄えるためにはどうしたらよいのやら?

長野生活

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by 卓 坂牛

9月12日
長野のマンションには冷蔵庫も電子レンジもあるが電気はつながってない。家電製品で使っているものは洗濯機とエアコンだけ。掃除機は使うが月に一度くらいである。椅子はあるが机はない。使っている家具はベッドだけである。これらは皆信大にくることになった時に無印良品でまとめて買ったものだ。普通、買ったものは元をとるまで使うほうなのだが、(使い切らないだろうと思うものは買わない)冷蔵庫と電子レンジは判断を誤った。洗濯機と一緒に三点セットにすると安くなるという甘い宣伝文句にに引っかかった。部屋の広さは、ベッドルームは6畳で畳部屋。襖を隔て中途半端に広めのキッチン。そこに連続した更衣室なしの3点セットユニットバス。
という訳で部屋は恐ろしく殺風景であり、朝起きて歯を磨き顔を洗うともはやこの部屋にいる必然性は全くない。それは夜も同じであり、この部屋には寝る時まで帰る意味がない。そのうえ行きも帰りもあまり寄り道したくなる場所がない。よってこれもほぼ必然的に残った時間いる場所は大学となる。
という訳で研究室の学生は朝早くから、夜遅くまで先生につきあわされる。今日も8時からコンペの打ち合わせ。参加者が乏しく今のところ3名である。まあ少ない方がこっちも真剣になる。
10時からゼミ。今日は参加者10人。とてもよく考えているし、論理性も高いし、僕が読みたくても読んでないような本までよく調べているようなレジメは聞いていて気分がいい。スーッと脳に流れ込む。しかしそういうものは残念ながら少ない。毎日何してるの?と聞きたくなるようなものが多い。事情はあろうから問わないが最後は自分に跳ね返る。昨晩ベッドで読んでいたポール・アーデン(広告界の天才)の本を読ませたくなる。
この本のタイトルは長い。『大事なのは今のあなたじゃない。この先、どのくらい上を目指そうと思っているかだ』なんとここまでがタイトル(ファイドン2005)。そしてページをめくるとそのタイトルのボディコピーが続く「金持ちや権力者の大部分は特に才能に恵まれていたり、高等教育を受けていいたり、人間的魅力があったり、格好がよいわけではない。彼らが金持ちや権力者になれたのは、そうなりたいと願ったからだ。どこを目指すか、どういう人になりたいかという目標がきみの最大の財産だ。目指すゴールがなければ得点を挙げるのはむずかしい」 まあ半分誇張だが、基本的にはそのとおりだと思う。
午後の会議を終えて、雑用をこなし帰ろうと思ったら八潮ワークショップのパネルを見てほしいと言われる。メールで送られてきたのを見たつもりだったが、A3で見ていたせいか、A1のプリントアウトを見ると、いろいろと荒が見えてきた。修正を指示。これは僕のミスといえばミスなのだが、指摘したことはフォントの不揃いである。怠け心ではなく本気でこれに気づいていなかったのなら進路を変えた方がいい。
東京駅で丸善に寄ったら竹中のHさんとばったり会う。しかも会ったのがハイデガー書架の前である。お互い苦笑。事務所に戻り一仕事して帰宅。

南へ行って北へ行く

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by 卓 坂牛

7時50分のANAで大分へ向かう。スタッフのyさんと1/30の模型箱2つを機内に持ち込む。地上係員は箱が大きくて最初はためらっていたがなんとか持ち込みを許可してくれた。機中、竹内久美子の『そんなバカな』文春文庫1994を読む。著者は大学では分子生物学を学び博士課程で動物行動学に転向し、文筆家になった方。知る人ぞ知るなのか、知らない僕が無知なのか分からぬが、スタッフのyさんも読んだことがあるという有名な本(のようだ)。内容は遺伝子や動物行動などなど。いや面白いのなんのって生き帰りの飛行機の中で読み終わってしまった。こんな本を高校時代に読んでいたら生物の試験が20点台なんてこともなかったろうにと妄想をいだいた。
大分は晴れ。迎えの車に乗り40分。10時半から昼食をはさんで4時ころまで、今後のスケジュールを踏まえクライアントの用心棒のようなエンジニアの方と、実のある打ち合わせができた。この先の検討事項は山積み、そのうえ時間はないのだが、クライアントも用心棒も我々事務所に最大限のリスペクトを示そうとしてくれており、これならなんとか最後まで行けるような気になってきた。
帰りの機材は行きのエアバスより小さいせいか模型箱が荷物棚に載らず、空いている席にくくりつけてもらった。スチュワーデスに規定外のものを持ち込むなと3回説教された上に着陸前のアナウンスでも手荷物の注意が放送された。そんなに怒らなくてもいいのに。浜松町でyさんと荷物をタクシーに乗せ、僕は東京駅から長野へ向かう。車中『自由の条件』を読み続ける。因果関係に縛られた世界に自由はないのかという問いは、因果関係とは自由の上に成り立つという形に問い方が反転された。反転好きの大澤節炸裂である。そして大澤はこう言う。現在の結果を規定する過去の原因とはその当事者が原因だと認定することで初めて原因になるのであると。つまり乱暴にまとめれば現在の結果に対する原因を特定するのはその当事者の自由であるということだ。なるほどそう言えば世の中に多くの歴史(観)が存在するのは、歴史家の自由裁量があるからに他ならないわけだ。歴史家を持ち出すまでもなくわれわれは身の回りの事象を身勝手に理由づけているわけである。