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Oct 2009

武田&内藤

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by 卓 坂牛

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午前中に湯布院から1時間程度のところにある藤森さんの設計したラムネ温泉なる炭酸のはいった温泉を見に行く。もちろん温泉にも入る。外観のディテールはほとんど焼き杉ハウスと同じだがスケールがとても小さく親近感がわく。近くのパン屋でパンを買って昼飯として、山を越えて宮崎を目指す。延岡を通過して高鍋へ向かう。ここには百年の孤独で有名な焼酎の蒸留所がある。設計は篠原研の先輩である武田光史氏。本社の焼酎工場を見学し、山の上にある蒸留所を見学する。ズントーと見まごうばかりの黒い杉でできた外観。鉄骨造の外側に木の外壁が張られ、外壁と屋根の間の隙間が屋根を浮かせて見せている。お見事である。そこから日向のJR駅に向かう。もうあたりは真っ暗である。日向駅は内藤さんの設計。駅の高架に伴い線路の両側を自由通路で接続をするとともに高架プラットフォームの木造屋根架構などがデザインされている。実に美しい。JRの駅舎設計にはいろいろな制約があるだろうがそれらをうまくかわし見事な成果を見せている。たぶん普通の条件をかなりはずすことでここまでできているのだろうから、デザイン以前の問題を解決したことがここに結晶化しているのだろうが、それにしても見事である。空腹のなかここまで来たかいがあった。

25年ぶりのゼミ旅行

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by 卓 坂牛

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朝のスカイマークで福岡へ。スチュワート研究室の25年ぶりのゼミ旅行である。学部4年の時に西洋建築史の卒論を書きたくて当時外国人教師として英語を教えていたD.B.Stewart氏に指導教官をお願いした。しかしStewart氏は建築学科所属ではないので規則上は指導教官になれない。そこで当時の学科長である篠原一男にお願いしたところ快諾を得た。とは言えわれわれ同期3人、そして下の学年2人の後、篠原先生が学科長を終えたことでこの研究室もなくなってしまった。スチュワート氏はペン大を出てロンドンのコートルードでコルビュジエ論の博士を取り、パリでアルシテクチュールドジュードウィの編集をして日本にやってきた。その後英語教師をしながら日本の雑誌に多く寄稿し、the making of Japanese modern architectureを著した人。と言うわけでわれわれ同期は全員コルビュジエ論を英語で書いた。後輩は二人ともカーン論である。5人のうち2人はアメリカ東海岸に、僕は西海岸に、一人はオランダ、一人はイタリアと皆世界中に留学したり仕事に行ったり、今は大学で教えているのが二人、鹿島に二人、竹中に一人。久しぶりに会うと世界中の話題で楽しいものである。
今日は福岡で会ってグリングリンを見てから大宰府に向かう。大宰府にある菊竹さんの設計した九州国立博物館を覗いてから湯布院に。特にどこを見ると決めて来たわけでもなく、見られるものを見ながら進もうと言う適当な旅行である。昼はラーメン。チェーン店で東京にもある一蘭という店。初めて入った店だが味に集中するため(本当か?)に隣との間に敷居板がある。

アルファベットも覚えてこない人に英語を教える必要があるのだろうか?

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by 卓 坂牛

毎年大学の健康診断を受けなければいけない。二日間しかないから講義やゼミがあると受けられない。受けられない人は松本の○○診療所に勝手に受けに行ってくださいねとメールが来る。今朝もゼミだったがゼミをちょっとさぼるしかない。友人の医者に聞くとあんなもので病気が発見できることなどない、ただの気休めだと言う。まあそうかもしれない。確かに全体がいい加減である。今年は身長が1センチ伸びたし。しかし気休めでも、いや気休めとして毎年やってくれるのはありがたいと言えばありがたい。
遅れてゼミに行く。この春からゼミの1時間を使って即日設計をしている。後期からは3年生でも出たい人はどうぞとオープンゼミとした。これは結構楽しい。3年からm2まで全員で即日設計である。先輩ものんびりしてられない。いつもは先輩風を吹かしているひとがこんなものかとバレテしまう。まあ1時間の即日設計はテクニックだから建築の本当の力が現れるとは思わない。言ってみれば受験のようなものである。でも受験勉強だってばかにはできない。僕らの(僕の)知識を形成している何パーセントかは受験時代のものである。若いころに真剣に覚えたことは忘れない。学生の頃に必死に身につけた力は一生残る。それにしても毎週やっているのに上達する意思のない人たちがいる。何も素敵なデザインをしろとは言わない。目を見張るような空間を作れとも言わない。せめて線はまっすぐ引いて、字は同じ大きさでで書くだけでいい。毎度同じ指摘をしてもそれをやらないのはもはやその人の能力の問題とは思えない。努力しないだけのことである。英語をしゃべるのにアルファベットを覚えてこないのと同じである。そんな輩にに英語を教える必要があるのだろうか?

ダーヴィニズムエレメント

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by 卓 坂牛

朝起きたら雨は降っていないし風もたいしたことはない。台風はそれたのだろうかと思ったがニュースをつけるとほうぼうで電車が止まっている。加えて明け方近くにはとんでもない雨が降っていたようだ。そのせいもあって午前中に予定していた金箱さんの打ち合わせは夕方に。空いた時間に塚本さんから送られてきた『空間の響き、響きの空間』INAX出版2009をぺらぺらめくる。コスタリカでの壁のない外部とつうつうの吹きさらしの小屋のようなホテルの体験を描いている。ここではもののあり方(ホテルの物理的環境)がやり方(ホテルの運営の精神)によって支えられており、こうした関係性は近代的思考からは抜け落ちていた部分であると指摘する。そしてそこにこそ空間の響きがあるはずだというのが彼らの主張である。なるほどわからなくもない。いやよく分かる。しかし問題はそこからである。なんて考えていたら金箱さんが来られた。RC3階建の壁構造の壁位置を合わせる作業はパズルのようである。そもそも壁構造の経験は角窓しかない。あのときはほとんど平屋だから壁の位置は自由だったが今回は千㎡を超える3階だてだから上下階の壁の微妙な調整がデザイン以前に必要となる。
打ち合わせを終えて夜のアサマに乗る。ローティの参考書を読み終えたので再び『連帯と自由の哲学』を読む。その中にプラグマティストを自称するローティなりのプラグマテイズムの定義がある。曰く「プラグマティズムの核心は真なる信念を『事物の本性』の表象と見なすのではなく、うまくことをなさしめる行為規則とみなそうとするところにある」。つまり物事の正しさはその物事の本質にあるのではなくその物事がうまく進むためのふるまい方のうちにあると言っている。これは昼間読んでいた塚本さんたちの考え方にラップする。つまり「あり方」と「本質」、「やり方」と「行為規則」という概念がかぶると言うことなのだが、しかし問題は行為規則にしても、やり方にしてもそれらは常に試行錯誤の上でダーヴィニズム的に発展していくエレメントである。そうした変動要素を建築はどう捕まえられるかというところがポイントだ。僕にとっても建築において最も興味ある部分である。

台風縦断

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by 卓 坂牛

科研費応募の季節である。大学というところに来てからこれを出すことを促されて、まあ一生懸命書いているつもりなのだが未だに採択されたことはない。建築意匠系というのはどうにも社会のためになるように見られない、加えて研究と言う概念に当てはまりにくいせいか採択されない。さらに僕がやっているような建築でありながら社会学のようなこと(メディア論)や建築でありながら美学のようなこと(装飾論)はどうも相手にされない。残るは一昨年から始めたリノヴェーション論。これなら明確に建築の中に保存再生というジャンルがあるからひっかかりそうな気もする。とは言え、なかなか大きなお金をもらって行うほどの独創的な視点が見つからない。いやお金があればそれなりにやれそうなことはあるのだが、そうした研究は最終地点がずれる。研究は設計のためにやっているのであってそれ以外の何物でもない。研究のための研究を無理矢理作り出す気にはなれない。
恐怖の台風が速度を上げて予定より一日早く今晩本州を縦断予定。一日早まったのは総雨量も少なくて済むだろうから結構なことだが、加えて進路がやや西寄りに変わったのは不安である。信大に来てから初めて台風で休校のメールが送られてきた。そもそも長野は台風が来ない県であり、だからガラスの耐風圧計算も基準が低いくらいの場所なのだ。そのおかげで長野に設計した建物はかなりガラス代が安かった。にもかかわらず大学が休校になるほど確度が高い台風接近とはちょっと不気味である。

最初のクライアント

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by 卓 坂牛

昨日の取りこぼし案件の会議が8時半から。というつもりで目覚ましもセットしてあったのだが起きたら8時半だった。昨晩ちょっと遅くまで研究室にいたせいか?着のみ着のままで会議室に直行。そうしたら僕が最後ではなかったのでほっとした。終わって研究室で数か所メールして、さあ出ようと思うと、やるべきことを思い出す。そしてまた出ようとすると、また思い出す。そして駅に着いてさあ電車に乗ろうと思ってそう言えば昨晩深夜に洗った洗濯物が洗濯機の中に入ったままであることを思い出す。一度マンションに戻り干してから駅へ。結局乗った電車は昼。2時に来る来客にお詫びして時間を遅らせてもらう。
車中引き続き『リチャード・ローティ』を読み続ける。なかなかヴォリュームある本である。昨日書いたとおり極めて馴染みやすい話が続く、しかしローティにしばしば向けられる批判がそうであるように、こんなにいい加減ではあなたの主張って意味あるの?って言いたくなりそうである。でもやはり強い思想性を感じるのは①「残酷さ」と「苦痛」の減少②私的自由の保護というこの2点を除いて思想の一貫性と呼ぶべき様なものを徹底して排除するその姿勢。この排除への執着に彼の強靭さを感ずる。弱さを強く表すことは魅力的である。
事務所に戻り僕の最初のクライアントと打ち合わせ。建物は別荘。日建時代に夜中設計し、20年前にSD REVIEWに入選した懐かしい作品。メンテナンスをはしょったところ雨漏りがひどくなってきたとのこと。20年たち当時の施工者は倒産し、地元の工務店を数社探し見積もりをとって持って来た。不思議なもので全く同じおさまりの屋根でもダメになったり調子が良かったりである。太陽の方向や、木の有無で変わるのだろうか?クライアントは僕の中高の同級生。同じクラブで運動していた仲である。飛行機の仕事がしたく航空学科に行ったのだが、中退して家業の河豚屋を継いで約30年。店を賃貸にしてさっさと隠居生活を始めた。3人の子供はみな就職。確かに残りは夫婦水入らずの時間だろうが少々早くないか?

鏡の否定

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by 卓 坂牛

午前中学科会議。大した議題はない割には結構時間がかかる。もう少しさっさと議論できればと思うのだが。午後は修士2年のゼミ。後期になれば少しは、こう、ギアが高速にはいるかなと思っているのだが、のんびりしている。まあ自分の子供を見ていても思うのだが、とにかくのんびりしている。これは現代っ子のいいところでもあるのだろうか?神経質になって病的になるよりいいだろうと思って放っているのだが、、、、夕方M1と面接。就職や論文について方針を聞く。時間がたつのはあっという間。気がつくとM2になっているだろうからさっさと修論をスタートするようにアドバイス。
夕食後読みかけのローティを読むための参考書として読み始めた大賀祐樹『リチャード・ローティ――リベラル・アイロニストの思想1931-2007』藤原書店2009を読む。その中でローティの哲学史観における3つの転回が興味深い。一つはデカルトにおける存在論から、認識論への「認識論的転回」。二つ目は20世紀前半英米圏での言語哲学登場における「言論的転回」。3つ目は知識が相対化する中での「解釈学的転回」である。そしてその3つの転回を通してローティが到着するところは哲学が本来目指していた普遍、真理、存在といったものを映し出す人間の内面の鏡のようなものの否定である。そこにローティなりのプラグマティズムがある。そして重要なのはそうした一見ポストモダニスト的でありながらポストモダニストと異なる彼の特徴である。それは彼が厭世的なシニシズムに陥ることなくそこから建設的な参加、合意、希望へと向かう筋道を示している点である。そしてそこに示されるのは自文化中心主義という概念。ちょっと聞くと排他的に響くこの言葉だが、これは様々な価値観の並置を外側から傍観者的に眺めるのではなく、リアルに試行していく上で避けられない解釈の立脚点としての意味を持っている。現代の思想家のなかで彼の考えには比較的頷くところが多い。自分がおぼろげに思っていること:知識は相対的だとか、議論のスタートは現実にしかないとか、それでいて世の中を良くすることは可能だとか、こんな気持ちをローティは代弁してくれいているような気がする。

ikea

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by 卓 坂牛

昨日、曽我部が港北のイケアでの買い物の話をしたら三郷にもできたとイケア話題は尽きなかった。そしたら今日家族がイケアに行くと言うのでくっついて行くことにした。東京駅から30分。ちょっと遠いが行ってみれば確かにここは結構楽しい。巨大倉庫に並べられた家具、雑貨、食糧などなど。安いし、なんでもあるし、とにかく広くて順路に沿って歩いていくとディズニーランドのアトラクションのようでもある(最初だからだろうが)。アウトレットコーナーに並べられたステンレスの机や巨大書架などキズものだがとんでもなく安い。事務所にはまれば最高と思うようなものも多い。レストランでは種類は少ないが安く、ソフトクリーム50円、コーヒー80円。夜に行ったから2時間で閉まったが、時間があればもっといただろう。東京駅にもどり僕はそのまま長野へ。車中アレッサンドロ・バリッコ(Baricco, A)鈴木昭裕訳 『絹』白水社(1996)2007を読み終える。アルゼンチンでの日本建築展のタイトル「antipodas」はこの小説の中からとられたと聞いたので読んでみた。イタリアのベストセラー小説である。南フランスの養蚕農家のために良質の蚕の卵を求めて日本に行った男に刻まれる官能の記憶。帰国後受け取る日本語の手紙が妻エレーヌからのものであることを彼女の没後に知る。メロドラマだが美しい。高校生のころ一時凝った立原正秋のようである。それはいいとして絹を求めて向かった「世界の反対側にある国」は謎に満ちた美と官能の国であった。そのエキゾチシズムは典型的なオリエンタリズムのように思える。アルゼンチンの建築家にとってもやはり日本はそういう姿で捉えるのが分りやすいのだろうか?まあ展覧会のタイトルなんてものはどうやったって一面的にならざるを得ないのだろうが。

八潮

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by 卓 坂牛

八潮のワークショップに朝から出かける。アルゼンチンに行っていたので会合を一回さぼった。槻橋さんは10月1日より神戸大学に移られたとのこと。ついにこの5大学合同街づくり運動も北は仙台から南は神戸まで。オールジャパン的な様相を呈してきた。天気予報は晴れだったのだが八潮は雨がひどい。午前中の家づくりスクールも残り一回。実際に作る可能性はいかほどか?昼食後市長が合流。明日各地で開かれる運動会の天気が心配なようだ。八潮は土地が低く水はけが悪いので前日雨だと次の日は土がぬかるとのこと。しばし市長と雑談。その中で市長曰く「日本の大学の建物は味もそっけもないマッチ箱、もっと勉強する意欲がわく建物でなければ」と。多くの大学の校舎は戦後新制大学が生まれた時に作られた安普請。そしてそのころできたであろう設計基準が改善されないので相変わらずマッチ箱が再生産されているのである。午後はモデル住宅の各大学のプレゼン。このモデルには八潮のエキスがたまってきたように感じられる。1年もやるとそれなりに諦めと、覚悟ができるということか?夕方解散して帰宅。帰って昨日のローティーの続きを読む。

マジな建築

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by 卓 坂牛

後期の講義が始まった。前期に比べ、後期は非常勤がないのと講義時間が少ないので楽なのだが、時間割が悪い。金曜2コマ目は2年生のデザイン論。長野にやって来た新らしい建築学科生と初めて会う講義である。さて今年はいい学生がいるだろうか?楽しみである。今日は一回目でもありアルゼンチンのスライドを披露する。まあ寝ている学生も相変わらず多い。こういう輩は頼むから来ないで欲しい。選択授業だから取らないでほしいのだが、それでもとるのは授業のチョイスが少ないからだろうか?ああ先生が少ない。やれやれ。外国の大学の建築の先生が聞いたら、日本の大半の大学の建築学科なんて建築教育の体を成してないと思うだろうなあ。文科省の役人よ海外視察しておいで。あほみたいな電子黒板買う予算があったらもう少しマジな教育のこと考えてみたら?
この間面白い話がネットに転がっていた。スペインの事務所に就職しようとやってきた日本人が事務所のセクレタリーに大学の卒業証書を見せたところ、セクレタリーはその卒業証書にfaculty of engineering と書いてあるのを見て、「うちは建築の卒業生であることが条件だよ」と言って相手にされなかったという話。
午後は2年の製図「住宅」。学生とともに敷地見学。今年も場所は須坂。この敷地見学のころになると雨が多い。今日もかなりの雨である。
長野駅でたらふく夕飯を食べてからアサマに。車中、先日ブログで勝也君にサジェストされたローティ(Rorty, R.)富田恭彦訳『連帯と自由の哲学』(1988)1999を読み始める。前のブログで科学と宗教はどちらも人間社会の似たような現象だと書いたら、そういうことをローティーも言ってますよと勝也君に指摘された。それでこれを読んでみるとなんだか難しいのだが、確かになんとなくそんなことを言いたげである。プラグマティズムというものは宗教を科学のようにして、科学を宗教のように考えるのだと。はたまた自然科学に比べると人文科学なんてものは真理に到達しないぶんだけいい加減なものかと言えばまあどっちもどっちだというようなことも書いてある。へーまあ適当。こういうものの言い方はきっと戸田山さんのような科学実在論を信望する方からするとちょっと困るという感じなんだろうなあ。日和見な僕はどちらもいいような気がするのだが、というかそのどちらも許容するような考え方はないかと思ってしまうのだが。つまり時と場合によってということなのだが、そりゃあまりにいい加減か??