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Dec 2009

今後の方針

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by 卓 坂牛

朝一のゼミ、1時間設計をやらせている間、輪読本『ハイデッガー入門』を読み返す。ハイデッガーが建築に与えた影響の大きさを痛感する。2コマ目の講義。相変わらず堂々と寝ている人間が多いのには閉口。必修ではないのだから帰って寝ればよいのに。昼食をとりながら某委員会。順番で座長が回ってきた。それなりに責任がありそうな役割だけれど僕で勤まるのだろうか?午後製図のエスキス。途中で某先生から電話。大学内の某施設の基本構想をお願いしたいとのこと。最近別の人からも某施設のマスタープランを作って欲しいと言われた。またとある人からは駅周辺の某施設の絵を描いてほしいと頼まれる。しかし色々聞くとそれらはとても出来そうもなく、とりあえず相手との交渉材料に欲しいものである場合が多い。そもそもいまどき公にお金などないわけだから。ダメもと交渉に使われた絵はゴミと化す。そのゴミに報酬が支払われるのであればまだしも、プレサービスと言われて終る。まだ謝意があるならいい方で無報酬でかなりのことをやらされた挙句、もうあなたは結構ですと言わんばかりに大学と親しい設計事務所の図面が出てきた時もあった。そこまで我々の職能を愚弄されて黙っていていいのだろうか?いろいろ依頼がありお願いされるのは嬉しいのだが、どうも設計者にものを頼むと言うことの意味が分かっていない方が多い。頼めば2~3日で手品のように絵が出来ると思っているのだろうか?外注するより安く上がると思うから頼むのだろうか?ある程度設計というものの常識を踏まえたうえで、その仕事には多大な労力が必要であり、多くのエンジニアの協力がいるものであり、そして時間がかかるということを理解して人にものを頼んで欲しい。今後そこへの理解とリスペクトのない依頼には応じない。

読書と日記

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by 卓 坂牛

午前中原稿の足りないところを補って彰国社へメール。レイアウト後最終調整する。午後事務所で仕事。記録のチェック、クライアントへメール、昨日のクライアントリクエストの反芻、建築の条件の昔のカードの読み返し。などなど。夕方のアサマで長野へ。車中読みかけの外山慈比古『自分の頭で考える』を読み終える。この本後半はあまりに日常的過ぎて飽きるのだが、面白い指摘が二つあった。それは読書の否定と日記の否定。本来どちらもこの世代の知識人の義務であろうものだが、前者はやり過ぎるとものを考える時間を減らすことになるし、後者はやったところで気休めでしかない。ということに80過ぎて考え至ったようである。しかし50の僕も最近似たようなことを思う。10年前会社を辞めた頃、やっと暇になったから人文の古典でも読むかと読み始めた。それから早10年。まあ予定通り大方の古典にあたることは出来たように思う。もちろんまだまだ細かいことを言えば至らぬところはあるのだが、しょせん建築屋の人文読書である。さてそうなると最近手に取る本はどれもこれもそうした大きなストーリの重箱の隅をつっつくか、さもなければ何を書いているのか意味不明な独創的過ぎるものが多い。こうなると確かに今後の読書は余生の生産性を落としはしても上げることはないのではと心配になる。新たな本を手にするよりはかつて読んだ古典の中から感銘を受けたものを再読する方が意味のあることではないかと思ったりもする。多分答えは、良質な本を読みつつ、良質な本を再読すると言うことなのだろうと思うのだが、悪書に手を付けないというのは結構難しいものである。さてお次の日記であるが、これはまだ否定の境地には至らない。確かに一体何のためにこんなものを書いているのかと言えばよくわからないが、まあ寝る前の頭の体操程度のことなのかもしれない。読むだけでは頭は働かない。書くことも並行して行えとは外山氏の教えでもある。

公益法人を見直してほしい

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by 卓 坂牛

2か月ぶりに塩山で打ち合わせ。補助金事業の設計ということもあって、スケジュールが不安定。この手の仕事のこのあまりに理不尽な工程の在り方は一体どうしたものだろうか?午後甲府に移動し新たな住宅の設計の候補地を視察する。計画道路上の現状の土地を収用されるのが新築の理由。候補地は130坪もあり東京で言えばあり得ないような広い土地なのだが、地方に来てこの大きさは決して大きくは見えないから不思議である。土地を見てから甲府の養護施設のクライアントとお茶を飲む。最近の仕訳で明るみに出始めた公益法人の話題となる。厚労省の公益法人に子供に関するものが10近くある。どれもこれも金をかけ過ぎだし役所の天下り理事長は仕事もせずに2千万を超える給与をもらっている。大学の運営交付金が削られるのは甘んじて受けよう。しかしそれなら万とある公益法人のとんでも理事長職を廃止できないものだろうか?それをやらずして大学の給与・ボーナスカット、研究費カットは頷けない。加えてそれに文句しない大学執行部は怠慢ではないだろうか?創立60周年パーティーにお上が来ると喜んでいるようじゃいつまでたっても駅弁大学の地位は向上しない。
帰りの電車の車中綾部恒雄編『文化人類学の15の理論』中公新書1984を読む。15の最初が文化進化論。文化は進化すると言う話は『文化人類学の歴史』でも再三語られる。「進化」という言葉はダーウィンの『種の起源』からの影響と思われがちだが、それは間違いで「進化」を広く伝えたのも「適者生存」という言葉を最初に使ったのも社会学者のハーバート・スペンサーであると言う。建築では進化という言葉はめったに使われないが、よくつかわれる機能も建築より先に人類学で使われたのではないだろうか?結構この学問はいろいろな言葉の宝庫なのかも?

文化人類学

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by 卓 坂牛

午前中のアサマで東京へ。車中M.S.ガーバリーノ(Garbarino, M.S.)米山英明・大平裕司訳『文化人類学の歴史』新泉社1987(1977)を読む。文化人類学とは生物人類学と考古学と社会文化人類学に分類され、さらに一般的に人類学と呼ばれる最後の社会文化人類学は民俗学(ethnology)と民族誌学(ethnography)に分類される。大航海時代に始まるこの歴史の話を何故読んでいるかと言うと「認識人類学」という人類学の一つの方法論について知りたいからなのだが、それはこの本の最後の方、197ページから3ページくらい書かれているだけである。まだそこまでたどり着かない。午後事務所に戻り、打ち合わせしたり、portfolioの内容を見たり。

よく考えて修正せよ

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by 卓 坂牛

午前中今年最後の学科会議。いろいろあったが今年も終る。午後は修論ゼミ。後2カ月。終るだろうか?去年まではこの時期になると危うい状況にイライラしていたのだが、今年はもうこちらがイライラするのは意味が無いと達観するようになった。先日の早明戦で前半負けていた早稲田の若竹監督はハーフタイムに何も指示をしなかったという。「よく考えて修正しろ」とだけ言ったそうだ。そして逆転して優勝した。「よく考えて修正しろ」これで行こう。夕方学科の忘年会。早速「僕の部屋では今後こういう方針で行く」と言うと、ある先生に「それは早稲田だからでしょう」と当たり前のことを言われた。いやうちも一年かけて底力を付けてきたのだから大丈夫と答えると????の顔をされた。ちゃんと「指導せよ」ということなのだろうが、、、、

早明戦

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by 卓 坂牛

午前中原稿を概ね書き上げたのだが、調べがつかないことがいくつかある、四谷図書館の蔵書を検索したが、ここには無い。紀伊国屋に聞くとありそうなので午後行くことにする。出かけようとしたのだがそう言えば今日はラグビー早明戦であることを思い出す。昨日慶応が負けたので優勝の行方は今日の試合にかかっている。今年の明治は既に5位なので早稲田楽勝と思いきやスイッチを入れると14対3で早稲田が負けている。おっとこれは見ないわけにはいかない。早稲田は主力を怪我で欠いている。しかし後半じりじりと追い上げる。体力差があるのだろうか?ブレークダウンをものにしてトライを重ねた。逆転優勝である。いい気分で紀伊国屋へ行ってお目当ての本を購入し、無印でファイル用品をしこたま買って帰宅。昨日読んだ知的生産の方法の中で一つだけ採用しようと思った方法がある。それは一望監視システム。メモやノートを常によく見えるように晒すという方法である。今まで行っていたカードはボックスに入れてしまうと見えなくなる。そこでなるべくクリアファイルに入れてそれを透明なファイルボックスに立て掛けることにした。さて上手く機能するだろうか?夕食をとってバスで長野に向かう。先ほど買った本を読む。これはアメリカの大学の教科書だけあって実に読みやすいし丁寧に書かれている。

how to 本

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by 卓 坂牛

「建築の条件」なる講義を早稲田で前期にやっている。来年は3回目なので本格的に改訂したい。そしてなんとかもう少し深いものにしてpublishしたいと思っている。こんな時(ちょっと長い文章を書かねばならない時といか、、)いつも僕は先人の知的生産本に目を通す。自分の技がしっかりないのでそうなるのか?人のhow toに興味があるのかよくわからないが。鎌田浩毅『ラクして成果が上がる理系的仕事術』php新書2009、と外山慈比古『自分の頭で考える』中央公論新社2009を買ってきて飛ばし読んだ。前者の著者は京大の理系の先生。内容は実に合理的、無駄をそぎ落とした生産の技術について書かれている。まるで脳ミソをコンピューターのように使う方法を伝授してくれているようだ。徹底したその生産性へのこだわりが参考になる。例えば本にラインを引いてメモを取るときも著者の主張を書き出すのではなく、自分にとって何が使えるかをメモれと言う。一方外山さんの方はなんとも穏やかである。人間はコンピューターと異なり、忘却が特技であると始まり。必要なのは知識ではなく思考だと言う。外山さんは1923年生まれだから既に86歳だがその何気ない言葉が伝える内容は実に奥が深い。
来週締め切りの原稿を今日仕上げようと思っていたのだが、ついもっと先のことに頭がとんでいってしまった。明日は原稿を仕上げなければ。

しんどい

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by 卓 坂牛

朝起きると雪だった。これは参った。乗ってきた車はすべてノーマルタイヤ。飯綱から長野へ下る道は結構ワインディングロードである。しかし朝食をとる頃には雪も止み晴れ間も出てきた。出発できそうである。山を少し下ると既に雨。10時前には大学へ戻れた。昨晩は部屋が暑かったせいか眠れず睡眠不足。2コマ目講義、昼に清水建設のリクルーターが来社して昼食をともにする。午後製図。夜大林設計部のリクルーター(研究室OB)来社。へろへろである。

ゼミ合宿

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by 卓 坂牛

午前中研究室に就職関係の来客。就職氷河期を乗り切れるか?昼をとってから研究室のゼミ合宿に出かける。と言っても裏山に行くようなもの。車で20分。日建設計の飯綱山荘に向かう。そもそもこの建物は保養所という役割に加えてコンペなどで缶詰に出来るように20人くらいは入れるゼミ室が設けられている。しかし遠すぎてここで研修は多分ほとんどしていない。これはまるで我々のためにあるようなもの。1時から6時半まで3つのテーマでゼミ。夕食後は前回の私の家の即日設計を皆で採点。そこから新建築住宅賞の結果についてディスカッション。夜12時終了。

google

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by 卓 坂牛

一日事務所。12月に入ったので賀状、作品アルバムなどの作成を考え始める。今年は加えて少しキチンとしたcorporate profileそれとは別にportfolioもアップデートすることにしてT君に作成を指示。午後届いた新建築を見ると住宅設計競技に研究室の香川、新宮の共同作品が佳作に選ばれていた。めでたい。しかしなんだか白の家のような住宅である。よくよく見るとやはり白の家だった。明確なコンセプトがあればコピーすることも是とした篠原一男である。天から微笑んでいるに違いない。終バスで長野に向かう。NHKスペシャル取材班編『グーグル革命の衝撃』新潮文庫2009を読む。グーグルに関する本は数多いがNHKの取材本なので買った。NHK取材本は今まではずれたことがない。半分読んでみての驚きは人材確保の方法とその綿密さ。グーグルがここまで成長したのは二人の創業者の眼のつけどころ(検索の新たな方法の探索)によるところが大きいが、それは出発点。その後の急激な成長は人材の確保とその育て方にあるような気がした。とんでもない優秀な人間集団から厳選された人間のみがここで働き、しかし過度な競争が起こる訳でもなく自由にそして自らの研究課題に没頭できる環境が作られている。よく企業は2割の働きで維持されるというが、どうもその常識はこの会社では通用しないように思われる。2割が働き8割がやる気をなくす大きな原因の一つは2割の人間しか偉くなれない会社の階層構成にある。つまり同期入社で課長になれるのは2割だったのである。現在社会はフラット化することで半分くらいは課長(なんていう名前はもう死語かもしれないが)になれる時代ではなかろうか?きっとグーグルというところは更に徹底してフラットな組織であり、加えてとんでもない利益率はもはや職階ごとの給与格差をつける必要もなくその意味でも皆健全に働けているのかもしれない。しかしこういう企業は一発で転げ落ちるような危うさも持っているようにも感じる。もっと効率のよい広告方法を発見した会社が出た瞬間にこの地位は崩壊するのだろうから。