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Oct 2010

学生による展覧会デザイン

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by 卓 坂牛

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午前中ロスコの本を読み続ける。これは単なる彼の芸術的思想ではない。芸術家の置かれている社会的状況についての彼の不満も見えがくれしている。ロスコにしてこうなのかと思う。先日の永江による堤へのインタビューで堤は、文化は事業になるけれど芸術は成らないと言っていたがそのとおりである。
昼にアルゼンチン建築展in長野の設営写真が送られてきた。微々たる予算で学生が知恵を絞って作り上げた会場。素晴らしいものである。何度も会場模型を作っては修正し、展示物も30分の1の模型の上に貼りつけて壁のバランスを見て作ったものである。一見シンプルに見えても、唯の倉庫みたいな場所である。汚いところをうまく隠して、照明器具も手持ちの物をうまく利用して、そしてパネルにする写真材料をアルゼンチンから収集して、この状態に作り上げるのはそう簡単なことではない。明日実物を見るのが楽しみだ。見たら見たでまた文句もでるのだろうが。
夕方理科大でロベルトの講演会。なかなか興味深い作品を幾つか見せてもらった。来週の長野での講演会が楽しみである。夜は理科大の山名氏と神戸芸工大の鈴木氏、そしてロベルト夫妻を我が家に招く。

コルビュジエ・谷口・安藤・篠原・坂本

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by 卓 坂牛

こんなこともあるもんだ。金沢から東京へ来るアルゼンチン建築家ロベルト・ブスネリと東京駅で会う予定で1時20分に来てみたら、なんと上野東京間で車両故障。新幹線が東京駅に入って来られないでいるらしい。聞くとお目当てのmaxときは大宮あたりで動かないでいるようだ。世界の新幹線が外国の友達が来た時に限って事故るとは???どうしようかと思っていたらロベルトから電話。新幹線が故障なのでノーマルトレインに乗り換えたと言う。ホー気が効く。ほどなく我々は上野で会うことができた。1年ぶりの再会である。せっかく上野にいるのでコルビュジエや谷口や安藤を見ることにする。その後いったんホテルに荷物を置いてからGolden Lion Prizeの篠原を見に東工大に行きその隣の坂本のTech Frontを見る。二つの対照的な作り方に興味を持ったようだ。加えて昨日見てきた金沢21世紀美術館同様のpeople meet in architectureの発想をTech Frontにも見出していた。外人建築家の定番コース表参道も行くか?と聞いたらもう暗いのでいいと言う。今年ブエノスアイレス大学の6年生の授業で表参道の全ての建築を模型で作ったと言う。なんということでしょう。そんなに熟知しているならもはや僕の説明は要るまい。実は僕のYAMAという住宅も学生が模型で作った。地球の裏側で自分の設計に興味を持つ学生がいるというのは嬉しい限り。先日その学生が幾つかのコンセプチャルな質問事項とともに模型写真を送ってきた時はびっくりした。
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作品選奨

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by 卓 坂牛

来月の出張用の飛行機の予約。国際線で安いチケットをネット上で探すのにいつもHISのページを使うのだが、最後の最後まで行かないと残っているかどうか分からないし、値段も分からない。安い順に並べてもらっても結局30回くらいクリックしないと最終判断に行きつかない。もっとオンタイムの一覧情報が見られるようなサイトはないのだろうか?
午後学会に行って作品選集の中から選奨候補を選び出す作業。既に何度も見たファイルを再度全部見る。100見るのだから結構かかる。これは文句なくいいなあと思えるものは15くらいある。それならこれで決まりなのだが(最終的には12選ぶ)、先ずは24選ぶと言うのがルール。15から先の10を選ぶのに悪戦苦闘する。
選ぶ側に回るといつも勉強させられる。100に残っているものは既にかなりの質を持っているのだから、そこから頭半分飛び出るのは大変である。しかしその頭の差が無いと選奨にはならない。15にはそれがあるということである。
学会からの行き帰りマーク・ロスコ著/クリストファー・ロスコ編/中村和雄訳『ロスコ芸術家のリアリティ―美術論集―』みすず書房2009を読む。ロスコの死後30年くらいたって息子のクリストファーが編纂し世に登場した本である。息子の序文しか読んでいないが、最も好きな芸術家のひとりなのでその言葉は興味深い。
夜ジムへ行って1時間汗を流す。流した汗の分だけ四ッ谷の玄(と言う名のろばた焼き屋)で焼酎飲む。

ポストモダニズムを体現した堤清二という人間

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by 卓 坂牛

8時半からゼミ。輪読本の説明をしてから身体検査に行く。一番かと思ったが既に列。視力は両目1.0まで落ちたし、身長は1センチ縮まる。人間って年とると本当に縮まるの?2コマ目デザイン論の講義をやりながら年々話すことが上手になるようにも思うのだが、年々難しいパワポページをはしょって話していることに気づく。いいのかなあ?と少し反省する。午後製図のエスキス。今の2年生は建築学科となってから2年目。進振りがなくなったせいか勉強しなくなったと言われるのだが、製図で目を輝かせている子は結構いる。夜コンペの打ち合わせ、ワークショップの準備と並行しているせいか眠そう。終電のあさまに乗る。ボーっとしながら昨晩読み終えた永江さんのセゾン文化レポートを思い起こす。
西武が文化事業に心酔したがために崩壊の道を歩んだ、とはよく言われることである。しかしさまざまな取材の末に堤清二にインタビューした永江朗の結論は否である。では一体西武とは何だったのかと自問自答する。その結論は壮大なる同床異夢。つまり社長である堤の目論んだこととそこに集まる会社人、社外人のそれぞれが目指したものが少しずつずれていたということである。そして何より恐ろしいのは皆が自分の考えていることを正解だと思っていたという点である。永江の分析が正しいかどうかは僕には分からないがもしそうであるならばそれは偶然おこったものではなく、堤自身が生み出したことのように思える。わざわざ自分の目指すもの曖昧にし、そして部下の目指すものを否定しない。そのうちに自ら目指すものが分からなくなる。そういう状態を堤自身は楽しんでいたのではないかと僕には思えてくる。80年代ポストモダニズム期に全盛を迎えるセゾン文化総帥がまさにポストモダニズムを人間的に体現していたように映るのである。

セゾン文化は僕の血であり骨である

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by 卓 坂牛

午前中甲府の現場。外装のモルタルは塗り終わり乾燥中。内装の縁甲板が張り始められた。午後は塩山の現場。基礎梁のコンクリートが打ちあがる。それにしてもこの場所でこの窮屈感。こんなブドウ畑の真ん中で建蔽率一杯の建物なんて信じられない。
夕方のアズサでスタッフのT君は新宿へ。僕は松本へ向かう。車中永江朗の『セゾン文化は何を夢みた』朝日新聞出版2010を読む。数ヶ月前田口久美子の『書店風雲録』ちくま文庫を読んだ。セゾン文化の一角である本屋リブロを内側から克明に描いた本だった。リブロができたのは85年だがその前身の西武ブックセンターは75年。そのころ僕は高校から大学、院という時期で池袋は高校大学と通学路であり、リブロの話は青春そのものだった。一方この永江の本はリブロも含むセゾンが行った文化事業を総括的に振り返る。永江はもともとリブロの上にあった西武美術館(のちにセゾン美術館)に併設された美術洋書売り場アール・ヴィヴァンで働いていた人間であり、お隣の美術館の話からアール・ヴィヴァン、無印、そして辻井喬へのインタビューまで総合的にリポートしている。リブロ以上に僕はこの美術館にお世話になった。大学に入りバイトで金を作り美術館の会員になり、数年間くまなくここのメインの展覧会には行ったと思う。未だに当時の入場券とフライヤーはスクラップブックに貼って保存されている。会員になると無料でアール・ヴィヴァンという雑誌ももらえた。ここの展覧会はそのころ少しずつ美術に憧れを持つようになったキッチュな日本人好みの後期印象派やピカソ、マチスといったものはほとんど相手にしなかったと記憶する。デパート美術館が流行り始めた頃だったと思うが、伊勢丹や三越ではまさにそういう展覧会で客を集め収益に貢献していたと思う。今でも覚えているが、荒川修作展が80年代の西武では行われていたのである。そんなものを見たいと思う人は今だってデパートに買い物に来るおばさんの中にいるとは思えない。加えて建築をテーマにしたもの、音楽、ファッションとにかく当時の今を感じるものはなんだって対象になった。そんなことは、公の美術館はもとより、民間美術館でもあり得ないことだったと思う。このときの西武美術館の文化のくくり方の幅の広さは知らず知らずに僕の青春時代に血肉化したのだと思う。建築を建築だけで考えることはどうしてもできない。文化はごった煮である。ゼミで音楽もファッションも社会学も哲学も読むのはきっとセゾン文化で培われてしまったことなのかもしれない。

100メートル角

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by 卓 坂牛

コンピューターが立ちあがらない。朝から不幸。壊れそうなデスクトップで仕事。マドリッドでの建築展覧会パネル3枚きれいに出来上がった。Emsで送る。送料8000円弱。鈴新で昼食。マスターが店のそばに古伊万里専門の骨董屋ができたと教えてくれた。早速散歩がてら行ってみた。おお!!なかなかの品揃え。見たことないような柄もある。人気柄の蛸唐草と呼ばれるタコの足がからまったような唐草模様の口の細い徳利があった。江戸後期と思われる(というのは色がかなり渋い)。形が優美で何ともいい。欲しいなあ!!と思ったが後日かみさんに値踏みしてもらうことにする(その間に売れたら悔しい)。
午後打合せの合間に日端康雄『都市計画の世界史』講談社現代新書2010を読む。都市計画と言うとつい近代的概念だと思いがちだが、この本ではその嚆矢を紀元前3000年のモヘンジョダロに見いだす。最初の都市計画家はBC5世紀ギリシアのヒッポダモスだそうだ。確かに自然発生的にアメーバ―のようにできた町以外は、多かれ少なかれ計画と言う概念があったのであろう。これを読んで二つのことになるほどと思った。ギリシアのポリスもそれ以降の中世の城郭都市もある大きさ以上にスプロールはしなかった。歩いて移動できる範囲で一つの町は終わる。車のない時代だから当たり前と言えば当たり前だが、、であるから人口が増えればその範囲で高層化したのだそうだ。だから古代の都市には7~8層の住居もあったようだ。車を減らし歩く都市を作らねばならぬ現代においてこの時代の都市は参考になる。加えて我々の時代人口は減るのだから、むしろキュッと絞って密度を上げて後は増築ならぬ減築していけばいいと言うことになる。もうひとつお勉強したことがある。グリッド型の都市は古来存在するのだが、そのグリッドのスケールは古来約100メートルだという事実。もちろんニューヨークのように南北は60メートル・グリッドだったり、平安京のように121メートル角と言うのもあるのだが、だいたい100内外だったようだ。因みに幕張のロの字型集合住宅街区は80メートル角。去年行ったブエノスアイレスはまさに100メートルだった。

付属小中学校

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by 卓 坂牛

朝携帯に電話。表示は「香川」えっ??留学中の学生の名。??あいにく長野市民をバスに載せて建築ツアー中で出られず。アルゼンチンからかけてるの??説明が終わって留守電を聞いたら、ワークショップに呼んだアルゼンチン建築家ロベルトの声。香川君がロベルトに携帯を貸したようだ。新宿のホテルに到着したというメッセージ。おーーやっと来たか。ほっとした。建築ツアーは市内を回り、オリンピックの選手村へ。ここはオリンピック後は一部分譲、残りは市営住宅や教職員住宅となっている。やや老朽化した感はあるが、富永、長谷川、新井、内藤、などなど7棟に7人の建築家の個性が現れていて楽しい。しかし全部打ち放しになっているのは全体コードなのだろうか?ちょっと寒い感じもした。ここでビックリしたのはバス停である。バスの時刻表を見たらなんと1日に4本しかバスが来ない。これじゃあ車に頼らざるを得ないよな。この選手村は市内からかなり遠い。どうしてもっと市街地に作らなかったのだろうか??市民の方に聞くと、一家に2台は当たり前と言っていた。そういう街づくりは変えて行かないと。
午後は教育学部の付属小学校、中学校、特別支援学校の調査。マスタープランづくりである。各校の副校長先生からヒアリングを2時間くらい。3つの学校が一敷地にかたまっているのだが敷地は潤沢である。小学校には運動場以外に動物が放し飼いになっていてビオトープもある広い野原のような場所がある。副校長先生の自慢。これは子供の天国だ。その上、その場所で遊ぶ専用の長靴昇降口がある。これもまた凄い。泥んこになって遊ぶことを奨励しているのだそうだ。素晴らしいね。なかなか勉強させられる。全国の付属の頂点に東京教育大付属があるのだろうが、東京のそれよりはるかに環境がいいし校舎もよく出来ている。

antipodas (地球の裏側) 建築イベント

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by 卓 坂牛

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ポスター詳細hhttp://www.ofda.jp/lab/practice/2010workshop/images/argentina.w.s.pdf
午前中学科会議。午後後期最初のゼミ。夕方コンペ、ワークショップなどなど打ち合わせ。やっとアルゼンチンワークショップも全体像が見えてきた。そもそもこのワークショップは去年ブエノスアイレスで日本建築展が開かれ、そこに招待されたことに始まる。その時僕の講演会の企画、英語通訳などをしてくれた建築家でブエノスアイレス大学の常勤講師であるロベルト・ブスネリ氏(今年のヴェネチア・ビエンナーレアルゼンチン出品作のデザイナーでもある)と親しくなり、先ずは彼のところで僕の研究室の院生2名を受け入れてもらった。ヨーロッパ的な建築文化を持ちながら物価はヨーロッパの半分くらいで大学は無料という条件はそうはない。そして次に彼といっしょに何かしようということになり、学内で何とか資金調達して彼を日本に呼ぶことになり、このワークショップが可能となった。そして留学している学生とこちらの学生でスカイプをやりながら企画案を練りあげ以下の4つのイベントをすることになった。
① 10月10日~19日アルゼンチン建築展覧会@善光寺そばの蔵
② 10月13日1時半からロベルトの講演会@信大
③ 10月13日出題15日講評会の短期課題@信大
④ 10月14日の夕方6時から町並みについてのシンポジウム@善光寺そばの蔵
長野在住の建築関係者の方はまたとない異文化交流のチャンスだと思う。また県外の建築を学ぶ学生にとっても貴重な経験の一週間。すべては無料なので是非信大そしてボンクラに足を運んでいただければと思う。質問などあれば遠慮なく、下記にお問い合わせください。よろしくお願いいたします。
お問い合わせ先|信州大学工学部建築学科 坂牛研究室
 TEL : 026-269-5343 MAIL : 10ta302c@shinshu-u.ac.jp (担当: M1 加藤伸康)

影響力

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by 卓 坂牛

午後A0勉強会。事務所でやる予定だったが今日は事務所が通勤ラッシュで急遽自宅でやることに。1時半から4時間くらい。予定通りやっとすべての読み合わせが終了。残るは翻訳語の統一。ある単語の訳語を全体で統一するか、ケースバイケースにするかを議論する。年内にはやっと最終原稿へと到達できそうである。さてA0の次の活動は何にするか?考えるのが楽しみでもある。
夜のアサマで長野へ。車中『つながり』を読み続ける。その中に「3次の影響のルール」というのがある。それは、人は直接の知人の知人の知人までは影響を与え得るというもの。そんなことは検証をしたことも無ければしようもないのでその真偽はよく分からない。しかし仮にそれが正しければ自分の影響力と言うものは馬鹿にならない。大学で一クラス50人の学生に自分の建築論を語るとして彼らが学外の5人僕の建築論を語るとする。その彼ららが同様に5人の学生に同じことをしたと考える。そうすると結果的に1クラスの講義は50×5×5=1250人に影響を与えることになる。というのはメッセージの伝えやすさによるところが大きいわけでこんな単純な計算で出るものではない。覚えやすく、インパクトがあり、楽しいメッセージならば50人が50人に言う可能性もある。となれば影響力は50×50×50=125000という数字に上昇する。宣教師のような建築家の特徴は実はこうしたメッセージの作り方にもよるのである。昨日会った東京ガスの人間が、ガスの有効性が○○キュートというようなキャッチフレーズに勝てない現状を嘆いていた。現代は情報戦の時代であることを象徴している。

つながり

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by 卓 坂牛

午前中ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムス・H・ファウラー著鬼沢忍訳『つながり―社会的ネットワークの驚くべき力』講談社2010を読み始める。肥満も性感染症もすべてうつるという帯のキャッチフレーズに魅かれて買ってしまった。今日は建築新人戦。3年生が3名残っているようだ。どこまで勝ち残れるか楽しみである。夕方ジムへ。終わって夜かみさんと外食しようと思っていたら、高校のゴルフの会の2次会が今日であるとメール。ちょうどよい。かみさんを誘い恵比寿へ。30人くらい集まっている。まあ皆ゴルフが好きだ。僕はゴルフは60からでいいや。しこたま食べて飲んで今日はこの一軒でおさらば。