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May 2011

本の買い方

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by 卓 坂牛

午前中早稲田の講義。今日は男女性の発表。なかなか質の高いプレゼンが多い。三朝庵で昼。今日は暑いのでおろしそば。高いけれどなかなかうまい。となりのあゆみbooksで面白い本発見「括弧の意味論」。さまざまな本で使用される「」を数えてその多寡の意味するところを探るというもの。そんなこと考えたことも無かった。
最近研究室でまとめて本買うので本屋で面白い本があると記憶して助手に伝える。書評が面白いものは切り取って助手に渡す。ネットで見つけた本はそのページをコピーして助手にメールする。本に出てくる本はメモって助手に渡す。しかし買ってすぐしたい、着たい、履きたいという子供じみた性格の僕にとって買ってすぐ読めないのは辛い。
夕方大学で製図、研究室の1時間設計は藤木忠善さんの自邸が題材。都市の中で自然に開かれた家をさらにもっと自然に開くようトランスフォームせよというのが課題。輪読は佐々木健一の『美学への招待』ヤマにこもり10日くらいで書いた本。勢いあるし読みやすい。結論は、美は自然に回帰するというもの。そうそう、自然は偉大。所詮建築なんていうもので対抗することなどできない。建築は自然を切り取るフレームに過ぎない。

音楽と建築におけるフォルマリズムの差

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by 卓 坂牛

朝早く起きて白石美雪『ジョン・ケージ―混沌ではなくアナーキー』武蔵野美術大学出版会2009を読み始める。構造、形式、方法、素材という四つのカテゴリーがケージ作曲論の重要なタームだった。建築とそっくりで驚く。そして聴こえる音自体よりも形式の操作に力点が置かれていることがいかにもモダニズム。ヴィットゲンシュタインの建築のようである。しかし形式の操作は僕らには聞こえにくく見えにくい。人々が受け取るのはあくまで視覚と聴覚の快楽に過ぎない。そして視覚と聴覚ではそのレンジ幅が異なるように僕には思えるのである。聴覚のそれはかなり狭いというのが僕の実感。つまり音楽では下手に形式をいじるとすぐに不快な領域にはみ出ていくように思えるのである。音楽のフォルマリズムはそう簡単に人を気持ちよくさせない。一方建築のフォルマリズムは簡単に人を快楽に導く。なんて考えているのは僕が建築をやっているからに過ぎないのだろうか?耳が古典的にできているだけなのだろうか?
午後コンペを進めるために研究室へ。なんだか閑散としている。コンペやっているのに学生は1人、助手と僕がしこしこと作業している。この研究室大丈夫だろうか?四年しかいないとこんなもんだろうか?前の大学でも四年はコンペじゃお味噌だし、ゼミやってもピントはずれでイライラした。だからここで怒ってはいけない。じっと耐えねば。でもそうやって鍛えた彼らが大学院に来られるかと言うとこれがまたそうでもない。ここは簡単に院には入れないようである。八方ふさがりである。

北欧の建築

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by 卓 坂牛

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事務所で仕事。午後研究室でコンペの打ち合わせ。徹夜組も結構いるようだ。大方の方向性を決める。6時からヨーロッパを旅行してきたO君のスライド会。バルセロナからフランス、イタリア、イギリス、デンマーク。行ったことのないデンマークには驚きが多い。ヘニング・ラーセンの建築は余り知らなかった。デンマーク王立アカデミーの施設の豊かさにもびっくり。日本はプアだよなあ。こんな状態だと何時まで経ってもヨーロッパに追いつけない。日本は国立の施設もひどいけれど私立は一段とひどい。そもそも教育に対する国の出費が少ないのだが私立大学に対する国の交付金は国立に比べて格段に少ない。先日読んだ『消える大学生き残る大学』の著者も、日本の学部大学生の6~7割が私立大学生である現実を踏まえれば私立大学への交付金は少なすぎると言っている。まったくそうである。そもそも教育は国がやることのはずである。

力の系を見る感性とは

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by 卓 坂牛

研究室のメンバーとコンペの打ち合わせで金箱事務所へ。引っ越した後始めて訪れたが、広くて気持ちのいいオフィスである。約束の時間よりだいぶ伸びてしまったがだいぶ先が見えた。帰りがけ『建築画報』の3月号「挑戦する構造」という特集号をいただいた。新谷さん、和田さん、金箱さんで監修している。その巻頭に内田、菊竹、高橋、林、槇、川口という超巨匠たちへのインタビューが載っている。インタビューと言っても聞く方は4人がかりである。まあこんな面々に一対一で話を聞くと飲まれてしまいそうだ。久しぶりに林さんを公の場で見たけれど(読んだけれど)相変わらず。いや林さんだけではなく皆さま変わらない。三つ子の魂百までというのは褒め言葉なのかけなし言葉なのか?林さんは自らがやってきたことは力の系が見え、使う人が安心感を持つ構造だという。確かに日建の構造はよくそんなことを言っていたように思う。そんな言葉が腑に落ちなくてよく構造とけんかした記憶がある。そして昨今の建築はこの系が見えないと少々不満気である。しかし何が安定感を持ち、力がどう伝わっているかを感ずる感性は先天的なものではなく、かなりの部分は後天的に習うものだと思っている。林さんと僕の感じ方はだいぶ違うはずである。
その昔とある著名建築家が「力の流れが見えない構造にしたい」と言っていたのに僕はとても共感した。というのも建築は常に構造が前面にくるべきものとは思わないから。建築が安全であり、不安を抱かせないことは言うに及ばない。しかしそれは必要条件であれど十分条件だとは思わない。
この歳になっても林主義に共感できない部分はあるものだ。

ああ疲れた

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by 卓 坂牛

土日が地方回りで終わると疲れが残る。事務所行って大学来てゼミして講義して。飯食って少しほっとして机の上の新書をめくる。木村誠『消える大学生き残る大学』朝日新書2011。後半の就職データーを見ると本当かよ?と疑わしくなる部分もある。去年まで就職委員をやっていた僕の実感にそぐわない。よく見るとデーターにいろいろと条件がついている。なので軽く流してみていると理科大の就職率が全国でベストテンに入っているのを発見。東京でベストテンは東工大と芝工と理科大だけである。上場企業への就職率となると私立では理科大3位。早稲田は5位なのに。健闘している。なんてどうでもいいようなことを眺めていたら少し疲れが取れてきた.。帰宅後来年受験の娘と志望大学の就職先のデーターを見ていたら一部上場企業が名を連ねている。「結構つまらないねえ」と僕が言うと「そう、大企業と、役所と、銀行なら行くのやめようかな?」と娘。だいたい昨今の大学生は大企業志望と言うが、本気で彼らはそういう所に行きたいのだろうか?僕の見るところ彼らの選択には大きく親の意思が絡んでいる。仕方なく大企業を選択しているようにも見える。半々だろうか?世の中にはもっと小さくて、チャレンジングで、世のためになる企業は沢山ある。大企業も役所もどんどん硬直化して身動きとれず結局人のためどころか人の害になっていることはこの震災がよく示している。学生諸君よく考えたまえ。

一双六曲屏風

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by 卓 坂牛

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昼のスーパーひたちで水戸へ。某社の創業の地に建つ小さな昭和初期の木造事務所をリノベする。その後ろに小さな集いの場を作る。90メートル近い奥行きの敷地のランドスケープを整備する。そんな全体を考えてほしいと言われた。中に展示する会社所蔵の美術品なども見せてもらう。金銀の下地に描かれた水墨画が屏風に表装されてあった。一双六曲屏風が二つ。全部延ばせば14メートルくらいになる。なかなか壮観である。
水戸も少なからず震災の影響を受けている。敷地の中に建つある一つの建物の瓦がかなり落ちていた。ブルーシートがかけられているがかなりの面積である。
帰りの電車で社長が中国の可能性を話してくれた。役所の対応が早い。優秀な人材が余っている。富裕人口が膨大な数に及ぶ。日本は新しいことをしようとすると役所も企業も動きが遅すぎて何もできない。常に周りとの共同歩調を考える。中国やアメリカではそんなことはない。いいと思うことは単独でもすぐに行う文化であると言う。そうかもしれない。

安田幸一さんの東工大図書館

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by 卓 坂牛

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昼のアサマで久しぶりの長野。信大で建築学会の北陸支部総会が行われる。そこで安田幸一さんの記念講演会が行われるということでご一緒した。というのも信大在職中に僕が安田さんにお願いしていたから。加えて久しぶりに教え子たちに会いたいと言うのもあった。演題はボーダレスキャンパス。東工大の大岡山キャンパスの話しである。安田さんのやった桜並木のウッドデッキ、建築学科棟、そして最近完成した図書館である。安田さんらしいシャープな三角形。なんでこんなチーズケーキみたいな形?と思うがキャンパス計画のサイトプランから説明してもらうとここにしか建たないということがよく分かった。
短い期間によくここまで設計したものだと感心する。しかしそれ以上にここまでの整備費が出てくるというのは驚きである。

一般教養不足だよな

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by 卓 坂牛

午前中早稲田の講義。コンピューターの画像が映らなくてあせった。電話して技術員の方に直してもらっている間ひたすらしゃべる。画像が無いので皆が知っているような名前を挙げて話をしたつもりだが、先週丹下健三を知っている人が40人中2人。今週コルビュジエを聞いたら知っている人が4人、妹島和世は3人、伊東豊雄も3人。これにはちょっと参った。まあ建築の認知度ってこんなもんなんだなと再認識。でもコルビュジエは一般教養だと思うのだが。
今日は天気も良くて気持ちがいい。三朝庵で親子丼食べてあゆみbooksで新書を5冊買って事務所に戻る。仕上げ表のチェックを続け、写真の整理をしていたら夕方。大学にあわてて来て製図。そして研究室の即日設計と勉強会の説明。今日はフェイッシャ―邸のトランスフォーム。箱建築を袋建築に換骨奪胎せよという課題。輪読は『動物化するポストモダン』。早稲田同様、東浩紀知っている人はと聞いたら14人中2人くらいしかいなかった。これも一般教養だろうと思い愕然とした。驚くと言うより悲しい。

理科大の新しい同窓会館

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by 卓 坂牛

午前中日建の音響のプロSさんのところに行って音の相談をする。急に電話をして嫌な顔一つせず会ってくれる彼の優しさが嬉しい。昼神楽坂に新しくできた理科大同窓会のレストランでY、G先生と会う。神楽坂を登る途中の左側。黒いスチールファサード。低層部はお店で未だ工事中。七階の同窓会レストランは神楽坂の喧騒から切り離された明るくて気持ちのよい空間。まだ知られていないせいか我々しかいない。そこでランチをとる。まあ美味というわけでもないが値段も安いから満足である。夜は10時まで安いお金でちょっと飲めるそうだ。インテリアは普通だが建物全体の構成は悪くない。設計施工は鹿島。理科大OBがやればいいのにと少々残念。その足で交際交流課に行って理科大の国際関係の補助制度などを聞く。有効に活用したいものである。
午後事務所で先ほど聞いたことをまとめて施主と電話で話す。いろいろと問題が多くて頭が痛い。まあ一つずつ解決していくしかない。仕上げ表のチェックをしながら知らないことがまだまだあるものだと改めて思う。建築は難しい。そしてそう思いながら一生終わるのだろうなあと奥の深さに溜息。

つるつるな関係

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by 卓 坂牛

栃木の打ち合わせの行き帰りで長島有里枝『背中の記憶』講談社2009を読む。武蔵美在学中に家族のヌード写真で荒木に認められパルコ賞受賞でデビュー。カリフォルニアに留学後スイスのアーティストインレジデンス中に撮った写真を『swiss』という写真集にまとめ個展も開いたのが去年である。
この本もテーマは家族。うらやましいくらいに素敵な家族の中で育ったのだなあというのが最初の印象。ここに書かれていることが正確かどうかは著者自身言うように定かではない。記憶の中に忍び込んだ長島が無意識にねつ造しているかもしれない。でもそれは既にその人の歴史として血肉化しているのである。ディテールの描写は実にきめ細やかであり、その一つ一つが感情の機微を過不足なく表している。この表現力には嫉妬さえ覚える。この人は写真を撮りながらファインダーの中の光景を無意識のうちにことばに置き換えているのかもしれない。
彼女の観察力、そしてそこから抱く細やかな感情の揺れ動きを見ていると自らの粗雑な人を見る目にあきれる。そして50年間に接した人(特に家族)との関係がつるつるの皿のように無味乾燥なものに見えてくる。人生大事にしないと。