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Jul 2011

生まれたところで亡くなる

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by 卓 坂牛

午後一で最後の図面チェック。部分詳細図がやっと全部そろった。足りないところは言葉で補いながら最後の詰め。明日の納図にはなんとかまにあいそうである。
実家に行きエンバーミングから戻ったオフクロを眺める。蝋人形のようである。しばらくオフクロの横に添い寝する。兄家族、親父と飯を食いながら親族の話などする。いつもはビール一缶の親父も今日は調子よく2缶目を開けていた。甥っ子とは建築の話をする。兄貴はオフクロがこういう会話の場を設けてくれたような気がすると言っていた。確かにそうかもしれない。忙しい家族がもっとも集まりやすいお茶の水に入院し、家族のコミュニケーションの場をセットしてさっと消えて行ったような気もする。親父の証言によるとオフクロは亡くなった三楽病院で生まれたそうだ。生まれた所で死ぬのと言うのも運命的である。僕は本郷、兄貴は広尾、甥っ子はアメリカ???

母逝く

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by 卓 坂牛

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7月9日朝、母逝く。敗血症から腎不全、肺の機能低下で血中酸素濃度が減り昏睡状態となり呼吸が止まる。享年80歳。
僕の人格、気性、文化的な興味の大半は母によって導かれてきたと思う。そのことに感謝したい。
入院から11日、まるで見舞いや付添の大変さを配慮するかのようにさっさと逝ってしまった。実にあっけないものであった。兄貴と相談、1週間は防腐処置(embalming)して実家に置き、通夜はせず家族葬。無宗教。戒名なし。焼香なし。香典なし。献花をしながら音楽を奏でる音楽葬そすることに決める。午後遺体をエンバーミングすべく戸田の施設に運ぶ。処置に4時間くらいかかるので実家に戻る。モノを捨てぬオフクロの膨大なごみの山をかき分けて音楽葬に陳列する思い出の品を探す。
中から若かりし頃の写真を発掘。親父の証言によれば大学を卒業した当時のものとのこと。息子、孫一同あまりの凛々しい顔つきに驚愕。「よくこんな人と結婚できたね」と孫が爺さんに質問ともため息ともつかぬ発言。さらに幼少のころの写真を見ると東京の風景が多い。親父にオフクロの生まれを聞くと東京だということが分かる。オフクロは青森県出身ではなかったのである。親の生まれ育ちを死ぬまで間違っていたなんて言うことも珍しい。さらにたんすの中を発掘するとわが中高時代の通信簿、出産手帳、オフクロの大学時代の名簿など、いろいろ出てくる。いつか時間をかけてこれらを整理せねば、、、、

丸善からあゆみbooksへ

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by 卓 坂牛

午前中早稲田の学生発表。昼食後あゆみbooks。信大時代は週一くで東京駅丸善がお決まりコースだったが、今は週一あゆみbooksである。ここは5千円以上買うと2階の喫茶店の無料コーヒー券がもらえるので、毎度コーヒー飲んで買ったばかりの本をめくる。しかしここには売れ線の面白本は並んでいるのだが、哲学、社会学系の新刊は乏しい。
午後事務所でどさっと来た設備図をチェック。意匠図の線が濃すぎて設備の線が見えない。昔は裏図と言って意匠の線を裏から書いた図面に設備の線を表から書き込んでもらったものなのだが、、、、、時間があればもう少し調整するのだが、、、
夕刻大学、雑務、製図、一時間設計、輪読、そしてワークショップの打ち合わせ。夜病院。10時ころ病院に来る面会者も少なかろう。病室には兄貴と孫3人集合状態。僕と入れ替わりで彼らは帰宅。今晩は僕が泊まりの担当。寝ながら七尾和晃『原発官僚』草思社2011を読む。

未来派の古典性

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by 卓 坂牛

1914年サンテリアの未来派建築宣言はこんな言葉で始まる「18世紀以来もはや建築は存在しない」この言葉は当時の建築を否定すると同時に17世紀以前の建築を肯定している。そして言葉はこう続く。「近代建築と称するのは・・・カーニバル風の装飾でけがされている。それらの装飾は構造上の必然性をもっているわけでもなければ。また趣味によって是認されているものでもない」。この「趣味」という言葉が最初の一節を裏付ける。趣味とは17世紀に生まれ18世紀末には既にその働きを失った古典的な美の判定概念だからである。つまり「趣味」の肯定は17世紀以前の建築の肯定につながる。20世紀のアヴァンギャルドが古典的側面を併せ持つというのはコルビュジエを始めよくあることだが、未来派にもそうした古典性が垣間見られて面白い。

恥ずかしさの共有

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by 卓 坂牛

アガンベンによれば「恥ずかしさ」とは「引き受けることのできない受動性に引き渡されること」である(菊池久一『<恥ずかしさ>のゆくえ』みすず書房2011)そうだ。言い換えれば、自分ではどうにもならない泥沼のようなところに落ちてしまうことである。
研究室で人と人との繋がりをテーマとした空間作品作りのためのブレストをしていて、「恥ずかしさを共有することが繋がりを生む」と言う意見が出た。その時このアガンベンの定義が思い出された。つまり自分ではどうにもならない泥沼を数人同時に体験するような空間作品である。ちょっと蟻地獄のようなもので不気味ではあるが。
夜病院。心拍数の振れが激しくなってきた。80台と180台を30分おきに行ったり来たりしている。血液検査の結果は相変わらず腎臓の指数が悪化している。

家と墓

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by 卓 坂牛

夜久しぶりに兄貴と2人で食事をしながら話をした。2人きりで飯なんて数十年ぶり。というかそんなことは初めてかもしれない。両親ともにもう80を超えて話さなければいけないことが山とある。ということに気づいて2人で呆然とする。そういうのは兄貴の役割ということで放っておくわけにもいかない。必要なのは親を面倒みるための家。そして我々もいずれははいるところの墓。家と墓(生きることと死ぬこと)をいっぺんに考えると言うのも妙な取り合わせであるが仕方ない。

環境科学という分野

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by 卓 坂牛

大学でいろいろ打ち合わせ。夜講義。その後病院。オーストラリア、クイーンズランド大学を卒業した甥っ子が日本に戻って来てその足で病院に。数年ぶりに会う。懐かしい。何の学士をとったのかを聞いたらbachelor of environmental science(環境科学士)。日本だと東北大学や筑波大学に大学院の専攻としてあるようだが学部の学科ではあまり聞かない。オーストラリアはこのあたりの意識がかなり高いようである。実際に何を学んだか聞くとリモートセンシングだそうだ。それなら信州大学では、情報、機械、そして建築の先生でも専門にしている方がいた。人工衛星を使い地表面の温度や緑被率を調べたりするわけである。甥っ子の調べたのは放牧されている牛がどれだけ緑を食べ尽くすかをしらべたそうである。あまり食べると生態系が崩れるので、放牧エリアのバランスを考える資料を作ることだとか。なるほどいかにもオーストラリアらしい。

ホワイトスペース

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by 卓 坂牛

家で図面のチェック、四谷ヨガ経由竹橋。クレーhttp://ofda.jp/column/を走り抜け月島。伊藤君のオープンハウスで川辺さんや高橋堅さんとすれ違いお茶の水三楽病院。
血液検査の指標を見ると白血球が減り体全体の炎症も減。肝臓も良好だが、腎臓、特にカリウムの量が減らないのが心配である。一昨日のモルヒネ(だと思うが)で幻覚症状が激しい。
ベッドに横たわりマーク・ジョンソン池村千秋訳『ホワイトスペース戦略―ビジネスモデルの<空白>をねらえ』阪急コミュニケーションズ2011を読む。ビジネス書は読まないと書いたのだが、これも帯にマッキンゼー賞受賞とあったので思わず購入。ホワイトスペースとは副題にあるようにビジネスモデルの空白のこと。企業には以下のようにコアスペース、隣接スペース、そしてホワイトスペースがあると言う。
1)既存の組織に適合し既存の顧客ニーズを従来の方法で満たすのがコアスペース。
2)既存の組織に適合し既存の顧客ニーズを従来と異なる方法で満たすのが隣接スペース
3)既存の組織に適合せず新しい顧客ニーズを従来と異なる方法で満たすのがホワイトスペース
イノベーションとはこのホワイトスペースへの参入によって可能性が高くなる。
僕に照らし合わせてみるならが、例えば事務所では不向きな研究的なプロジェクトを事務所とは全く違う方法で作り上げるというのがホワイトスペース的かもしれない。研究室で事務所と同じようなことをしても確かに仕方ない。

天井に丼が見える

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by 卓 坂牛

明け方、痛み止めの点滴でオフクロは眠りにはいった。10時ころ甥っ子と入れ替わりで帰宅してシャワーを浴び大学へ。昼から修士の推薦入試。僕の研究室は他大学から2名、学内から4名の受験者。8月に一般入試があり年明に社会人入試があり来年の院生が決まる。夕方病院へ。オフクロがうなされて「船ドンブリ」と連呼している。目はパッチリ見開いているのだが天井にあるカーテンレールがそう見えているようだ。
この連呼を聞きながら昨晩読んでいた古賀一男『知覚の正体―どこまでが知覚でどこからが創造か』河出ブックス2011を思い出す。知覚とは二つの部分で構成される。感覚と呼ばれる神経系が外界の刺激を取り入れる前半部分。それがどのように感じられたかという後半部分。前半は物理的客観的事実であり、後半は「環境、経験、学習を加味して適切に、あるいは不適切に修飾される」。さらにその後の段階は認知と呼ばれ知覚現象の主観的評価が行われる。そうした一連の脳の作業の中で我々は一体何処までが事実で何処からが創造なのかを見誤る可能性があるわけである。そんなことはどうでもいいではないかと思いつつも、建築の知覚をある程度客観的にとり出そうとするとどうしてもこういう問題にぶつかってしまう。下手するとオフクロのように記憶がオーバーラップしてあるものが違うものに見えてくることもあり得るわけである。

民に来て分かる官の甘え

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by 卓 坂牛

大学でミノルタ製の色測計の話をミノルタの方から聞く。数種類置いていってもらい1週間使ってみてどれかを購入するつもりである。
理科大は研究費が比較的よい。加えてその購入のシステムが分かりやすい。毎月買ったものの領収書と集計表を紙で提出して月ごとに清算していく。これが以前いた国立大学ではコンピューターで買ったものを一品一品(消しゴム一個まで)入力していく。一見スマートだが、入力の最中コンピューターはのらりくらり動き、時たまフリーズし、数万円の買い物を1時間くらいかけて入力し、、、それが会計係で止まりどこまで清算されているのかが分からない状態になる。にもかかわらず、これが問題なのだが、このシステムではコンピューター上に残金が出ているのである。しかしこの数字は何時の時点のものかは誰も分からないのである。この大学での最後の年は赤も黒も出せないので、予算と執行額を合致させようとこのシステムをもはや見捨てて、幾度となく会計に直接残金をヒアリングしていたのに、蓋を開けたら(つまりが4月になってみたら)結構な赤字だった。機械もダメなら人も頼れない。実はこのシステムは以前の入力システムを改善して数年前にできたものだった。何かを改善したモノがこれほど使えないのも珍しい。民に来て分かる官の甘えである。