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Mar 2012

右翼対策

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by 卓 坂牛

最近我が家周辺での右翼街宣車騒音が激しくなっている。新宿通りに韓国大使館が引っ越してきたのが発端。竹島問題で右翼が抗議しにくるのだが、最近4丁目の大使館に行った後3丁目も回って帰るようだ。
先日大使館傍のハンバーガー屋で食事していたら数十台の街宣車がやって来てとんでもない言葉づかいで大騒ぎしていた。警察の機動隊がやって来てボス同士の話し合いで右翼は撤退した。
今日同じハンバーガー屋に行ったら店の前に標識が立っていた。それには騒音防止(規制?)条例によって違法な拡声器で騒音を発すると罰せられますと書いてあった。こんな法律で取り締まれるのかとちょっと驚いた。違法な拡声器とは一体どういうものだろうか?選挙演説と街宣車はどう区別できるものだろうか?表現内容で捕まえることは難しいだろうから。
ストリートビューでみるとその標識は無いのでやはり最近の街宣車のエスカレートに対抗する措置なのだろう。

顔合わせ

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by 卓 坂牛

昨日卒業式やったばかりだが、今日は研究室新4年とm1の顔合わせ。新4年は一部生4人、二部生13人、院生7人。そしてPD研究者、研究生、助手、私をいれると総勢28人の大所帯である。
一部は論文と設計両方やらないといけない。二部は設計と論文が選択で論文組が2人、設計が11人である。
前も書いたが働いている者がいれば、働いていない者もいる。他大の院試を受ける者がいれば僕の研究室の院に残る者もいる。論文ゼミ、輪読ゼミ、1時間設計、「建築の規則」講義、新しく開講した「建築の条件」講義、ワークショップ、トークイン、コンペ、アートフェスタなどやることは盛りだくさんだがそれぞれの忙しさに合わせて作業を選択していけば良いと思う。

卒業式

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by 卓 坂牛

武道館で卒業式を終えた学生たちが大学に戻り学科毎に学位を授与された。2部建築学科は約80名。1人ずつ名前を読みあげて学科長から卒業証書が手渡された。
自分の時を振り返ると学部卒業式の記憶が全くない。修士の時はアフリカ旅行から式の前日帰国した記憶があるけれど式の記憶は無い。それに比べるとUCLAでの卒業式は友達とはしゃいだ記憶が鮮明にあるし、写真も残っている。やっぱり異国の地で必死にもがいて修了できた喜びがあったのかもしれない。
大学の勉強は専門学校と違って明日から即役立つようなことではないかもしれない。僕もそうだった。コンセプチャルなことばかり学びプラクティカルなことを学ばなかった当時の建築学徒は事務所行っても「使えない」輩が多かった。僕もそんな一人だったと思う。でも今でも大学で学んだ内容がずしんと腹の底の方に溜まっていて、それが全ての原動力になっているように思う。
これから巣立つ80名にとっても大学で学んだことがどう生かされるかは分からない。卒業証書なんてただの紙切れだと思うこともあるかもしれない。でも4年かけて学んだこと、特に卒業論文、設計を完遂したことはきっと体に染みついた力になっているはずである。そんな力を発揮する姿を見ることを楽しみにしたい。
good luck!

うんざり

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by 卓 坂牛


早朝の新幹線で新潟へ向かう。長野新幹線も上越新幹線も、高崎までは関東平野を走るがそこから長いトンネルをくぐりぬけると銀世界である。トンネルは抜けた時のワープ感覚が好きだけれど中にいる間は真っ暗で単調でつまらない。そのせいか車中本を読もうと思ったが、すっかり眠ってしまった。新潟も冷たい雨である。こんな日に限って雨は降るものだ。うんざり。

思考のオフが感情をオンにする

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by 卓 坂牛

人はものを認識する仕組みを皆同じように持っていると言ったのはカントである。人は心の中に空間、時間と言う枠組みを持ち、その中に見たものを放りこみ、次に量、質、関係、様相という観点から理解しようとするのである。
しかし場合によってはそんな仕組みに放りこまれてもこいつらがうまく機能しなくて、あるいは機能する必要が無い状態ってある。
ピラミッドを僕は見たことないけれど、もし見たらあまりの大きさにきっと思考が停止するような気がする。バラガンの黄色い教会見た時も思考が停止した。近いところではシーザを見た時もややそれに似た状態になった。
思考が停止するとはどういうことか?例えば大友良英は高橋悠治のワークショップで目をつぶって音を聞き、それが何の音かを判断しないでひたすら音だけを聞くという訓練をさせられたと言う。
五感を通じて何かを感じた人間はそれを理解しようとする。そういう行動を分節化するとも言うのだが、聴覚なら「何の音?つまり音の発信源」味覚なら「何の味?つまりその味を醸す料理の名であったり、その味を表現する形容詞だったり」触覚や嗅覚なら「そのさわり心地や匂いを表現する形容詞」、そして視覚はというとここには他と比べ物にならないほどの情報量があるため様々な分節化がおこる。「見えているものは何かに始まり、それらを要素に分解して、それぞれの名詞を見つけ、色、風合い、形を見極め、、、、、ときりがない」
話を戻すと思考が停止すると言うのはどの感覚器官においても上のような分節化が止まるということである。もちろんそれは意識的に止めるといういよりかは、外界、あるいは主体の様々条件がそろった時に起こるスイッチオフなのである。
一般に外界の刺激によってそれを理解する主体が経ち現われ、それによって外界は客体となる。思考停止状態では外界の刺激は入り続けながら、それを理解する主体というものが経ち現われないのである。よってそこには主体と客体の分離が現れない。こんな経験を「主客未分離の純粋経験」と名付けその経験にこそ実在があると言ったのは西田幾多郎であった。
おそらくほとんどの人がこんな純粋経験をしたことはあるだろう。そしてそんな停止状態の次には往々にして大きな感動、悲しみ、喜び、驚きという感情の変化が現れる。そんな感情変化のスイッチとなるのがこの思考のスイッチオフなのである。
これから撮影するリーテム東京工場の5分の映像を作るにあたって撮影クルーにお願いしたのはこんな思考停止を生む映像を作ることだった。

ダンスによる異文化交流

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by 卓 坂牛


午前中久しぶりにリーテム東京工場に行く。映像作家二瓶さんの提案で数か所にビデオカメラを置いて工場の定点撮影をすることになった。そのカメラの設置場所を打ち合わせる。年度末は搬入物が多く。ヤードは解体待ちの製品であふれていた。
午後大学に行き会議。夜は森下で北村さんのダンスを見る。去年の1月に鎌倉近代美術館中庭で踊ったのを見た時以来である。あの時コラボしていたマルチナス・ミロトに加え若いダンサー2人(三東瑠璃 ・リアント)が加わった。
講演のタイトルであるto belongとは異文化の混在状態における帰属の曖昧性への認識である。ジャワの民族的な踊りをコンテンポラリーダンスの動きで脱構築しているように見える。そこにおける彼らのぶつかり合いが面白い。それを見せるために最初の1時間くらいは練習風景の公開という形をとる、ぶっつけでいろいろな動きを練習し言葉で説明した。後半の1時間は谷川渥さんが加わってその踊りに対するトークである。今日から四日行うステージの中で踊りを進化させ完成形は4月末にインドネシア9月に世田谷で行う予定である。
終わって美学者谷川渥さん(あい変わらず若い)舞踏家和栗由紀夫さん(なんとこんな巨匠が)ダンサーミロトさん(英語が上手だと思ったらUCLAでダンスの修士を取得していた)企画をやられた土屋さん(東工大の桑子研卒。東工大出身の文系の人と初めて会った)光岡君(A0仲間。久しぶりにリアル光岡に会った)たちと夕食。

ゼミのやり方

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by 卓 坂牛


●地下が打ち上がった。まるでボックスカルバートだなこりゃ
現場の行き帰りに来年度のゼミスケジュールを考えた。信大に居た時これは難儀だった。大学に居られる日数が少ないというのがその理由。だが理科大では難儀の質が違う。学生の状況がばらばらというのがその理由。働いている人、働いていない人。他(自)大学院を受験する人、推薦で上がれる人など人によって研究室活動にコミットできる時間が異なるのである。
信大の時は学生それぞれの個性がどうであれそんなの一旦クリアして俺の価値観にドップリつかってみろと言えた。それは彼らが高校卒業とともにこの大学に来てまだ無垢な頭脳を持ち、潤沢な時間を有し、受験勉強をせずに大学院に行けたから(6年教育を標榜し、面接だけで決定するから)。
しかし理科大ではそうは行かない。人生経験豊富な輩を前に価値観改造しようなんて野暮というもの。仕事に追われなかなか大学に来られない輩を相手に自分にドップリ浸かれなど無理な相談。受験勉強に明け暮れる輩にゼミをやっても暖簾に腕押し。
そこで一年の経験を経て来年はやり方を変えることに決めた。多様性を尊重することにした。メニューは作る。でも一部(中間部)の無受験組以外は基本的に輪読、ワークショップ、コンペ等の参加を強制しない。自分の生活と興味に合わせてやりたいものをやれるようにしたい。もちろんこれは単なる状況に対するイージーな解決法ではない、個の尊重である。いろいろな人間がいることを認めることで面白い場にできるだろうと思うからだ。前にも書いたけれど欧米諸国(アジアもそうかもしれないが)に研究室なんてないのである。これは日本独特の大家族主義のようなものである。こんなシステムが果たしていいものなのか自分でもよく分からない。大家族の親父よろしく「俺の背中を見て育て」なんてここでは無理だ。学生が僕から欲しいものを得て自ら育つしかあるまい。
もちろん背中を見たい人はついてくればいい。それはそれ。

テルマエロマエ的感性はいつまで続く

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by 卓 坂牛

谷川渥『肉体の迷宮』東京書籍2009は高村光太郎、谷崎潤一郎、黒田清輝の肉体観を「日本人離れ」というキーワードで描く。乱暴にまとめれば彼らの彫刻、文学、絵画に現れる肉体像は日本人のそれではなく、理想化された西洋の肉塊への羨望に基礎づけられたものだったということである。
これを100年くらい前に生まれた人たちの話といってあっさり片付けることはできない。今から30年くらい前に大学院一年で初めて行った外国バーゼルの設計事務所で僕は夏休み働いた。事務所のボスはイタリア系スイス人。カラフルなシャツの前をはだけでぶ厚い胸板に金のネックレスがとてもよく似合っていた。背丈は同じくらいだったけれど映画スターのようなオーラが漂っていた。次のボスはドイツ系スイス人190センチくらいの八頭身。プロポーションがもはや異星人である。漱石はロンドンのショーウィンドウに映る自分の姿を「妙な顔色をした一寸法師」と言ったわけだが自分も同じだった。
そして最近売れている漫画『テルマエロマエ』では現代の日本にワープしてくるローマ人が日本人を見て「平たい顔」の民族と言って驚いている。そんなシーンに日本人は自虐的に腹を抱えて笑う。
1世紀経っても日本人離れに打ち勝てない日本人のコンプレックスとはなんだろうか?日本人は生まれた瞬間に西洋のプロポーションや肉体形状や顔の作りを至高の美と思っているわけではない。黄金比と言うものも作られたものに過ぎない。我々はただただ後天的にそれらが美しいことになっている世界に巻き込まれているのに過ぎない。そしてそれが1世紀以上続いているというもの面白い。
ギリシア美術が作り上げた肉体美が崩壊し日本的肉体がそれを凌駕する時代はいつか来るだろう。それは浅田真央がすらりとスリムで欧米のグラマラスな選手より美しく見えるようになったからではない。2000年以上かけて作り上げられたユーロセントリシズム美学がもはや一方的に世界を支配できなくなるであろうと思うからである。世界の感性はフラット化しつつある。そんな時代になれば建築のいかがわしいプロポーションという言葉の内実もそれに合わせて変るはずである。八頭身建築が美しいなんて昔の話となる時代が来る。

1985年に日建は画期的な建築を作るチャンスを逸した

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by 卓 坂牛

その昔西武の社長だった堤清二は「つかしん」という名前の商業施設を作った。できたものはさておき、その建物のコンセプトはデパートやスーパーではなく新宿の小便横丁のような、あるいはアメ横のような、そんな物販飲食の入り乱れたカオス的場の創造である。
僕が日建に入社する1年前、シルバーハットができた頃に竣工した建物である。僕は日建入社後そのコンセプト聞いてこりゃすごいと思った。入社前に北アフリカ旅行をしてイスラムのメディナの迷路のような町を見た後だっただけにこのコンセプトに興味しんしんだった。しかし竣工写真を雑誌で見て愕然とした。全然面白くない。アルジェのカスバのような姿を想像してたのに、ただの箱型スーパーの脇にちょろっと路地がくっついているだけじゃないかと落胆した。
堤清二と三浦展が書いた『無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉』中公新書2009を読むとその失敗の理由が二つ書いてあった。一つはデパートやっていた人をトップにつけたから。もう一つは設計者の問題。設計者は巨大スタジアムのような案を最初に持って来たらしい。しかし堤はその反対のものを作りたいと抵抗。ところが設計者は巨大構造物に固執したそうだ。そこで堤は「今度頼む時は一流の設計事務所にする」と言ったそうだ。すると設計者は「私のところは一流です」と怒ったとのこと。
設計は日建設計。この経過がどれだけ正しい話か分からない。デパートやってた人がトップにいてデパートみたいな建物しか頭になく日建にそういう指示を出していたのかもしれない。そこに急に最高統括のような人がふらりやってきて好き勝手言った一幕かもしれない。しかしそんなことはどうでもよく、1985年に、堤のコンセプトを本当に形に出来ていればそれは画期的な商業空間を創れたはずである。そう思うととても残念である。
この仕事したかったなああ。

やしおのツカイカタ

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by 卓 坂牛


八潮市での一年間のワーク総集編として、市民フォーラムが行われた。今年は住宅、公園の設計など実際のものに繋がり、それとは別に水が枯れた用水路の上に小さな休憩小屋を作った。会場には半分出来た小屋を展示した。
我々五大学(神戸大、神奈川大、理科大、茨城大、日工大)とは別に筑波大の渡先生チーム、東京農大チームもそれぞれユニークな一年間の活動報告があり、市民からの質疑も積極的に行われた。理科大チームは今年度は寂しく1人だったが、4月からは少し人数を増やしたい。八潮のツカイカタ第二弾と昨年度行われた家づくりスクールのホンキ版が行われる予定なので学生もやりがいがあるだろう。
フォーラムが終わると東洋大の藤村研の院生とその友達の東工大の建築の2年生が挨拶に来た。勉強熱心と思いきや、市民なのだそうだ。なるほど考えて見れば市民の中にも沢山の建築学徒がいるはずで、市民として我々の活動に参加したらそれも面白いのではと思った。あの時名刺などをお渡しできなかったので、もしこのブログを見ていたらメールください。sakaushi@ofda.jpです。