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Jun 2012

篠原一男に九間はない

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by 卓 坂牛

僕は茶室らしきものを一つだけ設計したことがある。それから配偶者が茶をやるので茶会で茶をのむこともある。とは言えぞっこん茶に興味があるわけではない。長野にいたから藤森さんの高過庵も学生にくっついていけば見られただろうが行ったことはない。まあ茶に対しての興味などその程度である。
なのだが藤森照信『茶室学』六曜社2012は書店で見つけてすぐ買った。藤森ワールドは僕の経験では創ったものより文章の方が面白い。なぜならば彼の建築は彼の歴史的知性の上に構築されているからである。彼の歴史的知性はやはり図抜けて楽しい。その楽しさが建築に変換されているのだから建築もいいのだが変換される前はもっといいというのが僕の考えである。
それを読んでいると茶の起源として寝殿造りの神殿の北側に親しい仲間が集まって遊ぶ会所という場所ができ、そこで利き酒ならぬ利き茶のようなことが行われたそうだ。その会所は三間×三間の九坪の広さで九間(ここのま)と呼ばれたそうだ。ここで茶の話から飛ぶが、この三間四方というのは吉村順三お気に入りの大きさだそうで、彼は古今東西の気持ちいい部屋の大きさを調べたら三間四方が多かったそうだ。
さてそう聞くと恩師のプランを見てみたくなる。きっと違うだろうなあという予測のものとに。案の定、そんな大きさの部屋は殆どない。倍の50㎡くらいか、もっと小さいかである。篠原一男は古今東西の気持ち良ささそうな部屋を集めてそうならないように慎重に設計したのかもしれない。

<モナ・リザ>が世界一有名なのは何故か?

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by 卓 坂牛

なんで<モナ・リザ>は世界一有名な絵なのか?
<モナ・リザ>には他のどんな絵にもない微笑みと光の使い方と幻想的な背景があるからだと説明されたとしよう。さてそれに反論するのはなかなか難しい。なぜなら確かに<モナ・リザ>には他のどんな絵画よりもこの点について秀でているからである。
しかしよく考えて見よう。それは<モナ・リザ>が世界一有名なことの理由となるのだろうか?これは<モナ・リザ>世界一の理由をXとかYとかZとか言い張っているように見えて実は<モナ・リザ>は最も<モナ・リザ>的だと言っているに過ぎない。こういうのを論理学では循環論法というわけである。
ダンカン・ワッツ青木創訳『偶然の科学』早川書房(2011)2012は常識に寄る説明は殆ど何も言っていないこんな説明が多いと指摘する。
僕は(いや僕以外の多くの人が)そんなこと、とっくの昔に気がついていた。だからある時からそういうことを語ることは止めようと思った、余りにナンセンスではないか。しかし最近は循環論法であろうとそういうことを語ってもいい(語らねばなるまい)と思っている。なぜなら循環論法を欠いたら建築なんて語ることが無くなってしまうからである.
今日は東現美でトーマス・デマンドを見た。コラムにその良さを書いたが、これもまったくもって循環論法である。http://ofda.jp/column/

言葉の体力維持

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by 卓 坂牛

もう10年くらい前から翻訳の勉強会を続けている。東大の文学部で教えた時の聴講生勉強会がいつしか翻訳チームに変身した。そのチームによる最初の翻訳本がエイドリアン・フォーティー『言葉と建築』である。2006年に鹿島から出版していただいた。去年はジェフリー・スコットの『人間主義の建築』をやはり鹿島からSD選書として出していただいた。
村上春樹は毎日ジョギングをしている。同じように翻訳も欠かさない。肉体と言葉の体力を維持する日課である。僕らも建築の設計をしながら(あるいは他の専門の仕事をしながら)翻訳を続けて言葉の基礎体力を維持しているわけだ(と我々の活動を位置付けている)。
『人間主義の建築』を出して1年したので数ヶ月前から次の本を探り1か月前にちょっと気になる本を出版社に提示した。「それはいいですね出しましょう」と企画が成立したのだが、こちらもまだその本への確信が生まれず、様々な関係本の渉猟をしていた。そこに今日「この本はどうですか」というイギリスでできたての本のテキストがメールされてきた。
これは行ける。出版されたら訳したかった本の一つである。そしてこれは確実に内容が濃いしヴィジュアルも悪くない。そう思って少し検討しようと思っていたらエージェントから他からの引き合いもあるので決断はお早めにとのこと。まあ迷うこともないかな?

I am busy!

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by 卓 坂牛

アルゼンチンワークショップのレコードブックを作ろうと企画して帰国後すぐに指示をした。すでに1カ月がたち初めて学生の案を見せてもらったのだが、今一つこちらの言わんとしていることが伝わってない。これはコンペみたいに集中してやって欲しいと言ったのだが、出てきたものがあまりに希薄。なんだかなあ。難しいものだこういう作業は。信大の時は放っておいたらさっさとできたのだが、今回は読ませるものにしたく作り方の注文を加えたのが原因か?素敵なキャッチコピーを入れて欲しいと頼んだのだが、、、、、そんなものは一つもなかった。
やっぱり放っておけば出来るなんて考えている僕が甘いのかも。夜大学のちょっと偉い人と食事をしたら似たようなことをおっしゃっていた。曰く「僕はやりたいことが沢山あってそういうきっかけをいろいろ作るのだけれど、それにレスポンスしてくれない。一から十まで言わないと分からないのだろうか?最後まで言わない自分がいけないとも思うのだが僕も忙しいのだよ」
僕も忙しいんだよと思いつつ、まあそれじゃあだめなのかなとも思う。

別荘はフォルム?

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by 卓 坂牛


昼から野木の現場。4棟のうち1棟は外壁のモルタルも塗られ、サッシュもはまり、屋根も8割葺けてきた。工期の厳しさを除けばある程度先が見えてきたとも思えたのだが、地元消防から今日厳しい要求が提示されて現場一同大慌てである。どうして消防は最初に図面を見ているにもかかわらず、この時期にこういう無茶な要求を提示することが許されるのだろうか?クライアントはある予算を持って工事契約しているわけである。契約社会の根底を揺るがすような問題だと思う。
夕刻大慌てで大学に戻る。2年生の製図の合評会。課題は別荘。去年より模型や模型写真が上手になった。いまひとつ形が凡庸だがまあそれは良しとしよう。ゲストは元新建築カメラマン小川重雄さん。
別荘と言えば住宅と異なりプランニングの生活臭を一気に消せるものである。僕はそんな別荘らしい平面形の面白さを今日のプレゼンに期待した。一方ゲストの小川さんはちょっと違うことを言う。「別荘とは街中の住宅と違い、引きがあり、他の建物がないのだからフォルムが見えるというのが特徴的なビルディングタイプ」と言う。なるほど余りそんなことを考えたことが無かったが確かにそうである。やはり写真家の見る目はちょっと違う。でもそう言われるとそういう条件下でフォルムの見えない建築を作れればと思わなくもない(もちろんそんなことを考えて作っている学生などいないのだが)。

日本人は働き過ぎ

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by 卓 坂牛


昼飯のあと荒木町のカルミネさんのギャラリーを訪ねる。カルミネさんは東京に4つくらいイタリア料理屋を持つオーナーさん。その昔はこの荒木町にも古住宅を改造した素敵なイタリアンレストランを経営していたのだが、住宅に改築した。
改築した自宅の1階は道路にオープンに開く空間で料理教室をしようと思っていたそうだ。我々はアルゼンチンで「住宅+α」という課題を出したがαスペースを料理教室にしたグループもいた。それってまさにこのカルミネさんのお家である。でも荒木町を素敵な街にしようと考え料理教室をやめてアートギャラリーにするそうだ。なかなか粋な考えである。
彼としばし話していると面白い。日本人は働き過ぎ。イタリア人は40年働いたら後は遊ぶ。遊ぶために働いているのであり、遊び方を知っている。日本人は働くために働いていて遊び方を知らない。そうだろうねえ。僕もそうだきっと。
彼は数十年日本にいるけれど結局日本人にはなれないそうだ。荒木町をこよなく愛するのも日本人の感覚ではないのかもしれない。

四ツ谷の谷で設計課題

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by 卓 坂牛


●このあたりのアップダウンは10メートル。ジョギングには結構きつい。
アルゼンチンで毎朝ジョギングを日課にしていたせいか東京に戻って来てもこれをしないと目が覚めない。散歩かジョギングか分からない程度のスピードでダラダラと走る。それでも最近は暑いから20分も走ると汗だくで朝食が美味い。
場所は三栄町から新宿通りを越えて須賀神社の辺りを通り若葉町を走る。あのチェーンスーパー丸正の本社があり学習院初等科があり、もう少し行くと創価学会の建物が沢山ある。いまも大礼拝堂が工事中である。
先日頂いた皆川典久『東京「スリバチ」地形散歩』洋泉社2012によれば四谷のスリバチは東京に15あるスリバチの一つである。スリバチとは要は谷である。しかも四谷は単なる谷ではなく複数の谷が複雑に入り組んでいるから、上がったり下がったりの繰り返しとなる。その上この辺りは東京の防災ハザードマップでは常に登場する崖あり、消防車の入れない路地あり、倒壊危険の木造密集地帯。何度来ても迷子である。
こんな四谷の谷を敷地にアルゼンチンでワークショップをやったのだが、その連続で理科大の3年生にもこの辺りを敷地これから設計課題を行う。高橋堅さん、若松さん、塩田さん、木島さん、川辺さんそれぞれに自由な課題を考えてもらう。荒木町の某ギャラリーで優秀作の展覧会を企画中。TAには頑張ってもらおう。

circulationという言葉

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by 卓 坂牛


万年筆はしばらく使わないとインクが蒸発してインクタンクが空になる。そして滓がインク経路に詰まる。このモンブランもよく詰まる。このペンは軸をくるくる回すとペン先が引っ込み全体の長さが短くなるというもの。とある理由から短いペンが欲しくて買ったのだが手で握るフィット感が今一つなので最近たまにしか使わない。というわけでよく詰まる。万年筆も人間も同じである。どこかに何かが詰まるというのは病である。循環circulationは生き物でも生き物じゃなくても同等に重要、建築でも都市でも同じである。何かが動線に詰まると機能しなくなる。
ところでこcirculationという言葉、建築で使うと動線と訳されるが本来循環という意味の医学用語を借用したもの。建築に使われるようになったのは近代に入ってからである。

コムデギャルソン座談会

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by 卓 坂牛


午後松田達さん入江徹さんと恵比寿のフィルムアート社に行く。西谷真理子さんのアレンジでファッションデザイナー森永邦彦さん(アンリアレイジ)と座談会である。テーマはコムデギャルソン。ファッションは好きだが、コムデギャルソンに特に詳しいわけでもない。皆と会う前に高橋晶子さんに電話をして何故コムデギャルソンを着るようになったのかを聞いてみた。すると「着られると思った。エキセントリシティと日常性がコムデには共存している」とのこと。なるほどそうなんだ。座談会では川久保玲のモノづくりにおける他者性の介入、その介入の必然としてのイクスクルーシブからインクルーシブへの移行、加えてモードの必然など思っていた話題に触れることができた。西谷さんはアンリアレイジのシャツを着てこれていたがなかなか素敵である。森永さんのDVDにサインを頂き満足。昔は人にサインなど請わなかったが、最近はなるべくもらう。会ったことの記録である。
夕方恵比寿駅で信大坂牛研最後の修士学生達に会う。修士論文の構想を聞く。空間の記憶、村野藤吾の本歌取り設計手法、ヒートアイランドを減少させる県庁舎の設計など。結構面白い。彼らは皆設計事務所に就職が決まった。石本、松田平田、NSD、三輪設計、日立設計おめでとう頑張って。

村野さんの平行四辺形階段

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by 卓 坂牛


早稲田の文学部はその昔、一文二文と別れていた。二文とはつまり夜学である。二部というのは理工にもあって二部理工は建築家のメッカでもあった。なのだが、そうした需要はなくなったのだろうか?夜間は絶滅した。二文は文化構想学部と言う名でリノベ―トされ、第二理工はとっくの昔に消滅した。いまだに夜間部なんてものが残っている大学は数少ない。僕の勤めている理科大にそれが残っているのはとても珍しい。でも社会人大学はこれからの成熟した日本社会には欠かせない教育の場だと思う。
僕はそんな文化構想学部で建築を教えてほしいと頼まれた。建築を文系の素養を持った人間に教えるのは素晴らしいことである。東京工業大学で建築を学んだ自分がそんなことを言うのもなんだが、建築はエンジニアリングだなんて酷く歪曲された認識である。
昨日某大学建築学科が朝日新聞に広告を出していた。高校時代文系を志望している学生もウエルカムだと。先を越された。建築なんて言うものはエンジニアでもないし、リテレチャーでもないそれはアーキテクチャーでしかないのである。世界のほとんどの場所で建築は建築学科ではなく建築学部なのである。一つの独立したファカルティなのだ。
工学部の教員をしているのにこんなことを言うのも何だが、毎週金曜日早稲田の文キャンに行くのは楽しい。そしてそこには村野藤吾のいろいろなデザインが残されている。そんなデザインに出会ってハッとする。今日も不思議な斜めの階段に遭遇した。こんな村野がまだ残っているこのキャンパスを壊さないで使ってほしいものである。