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Aug 2012

神田明神脇オフィスリノベ オープンハウスのお知らせ

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by 卓 坂牛

ベニヤというと無垢材に比べてちょっとチープなイメージがある。実際同じ容積ならベニヤの方が安い場合が多い。でもベニヤの歴史って古いらしく古代エジプトにまでさかのぼり正倉院の御物にも合わせ板によるものがあるという。最近のベニヤ表面の突き板がコンマ何ミリなんて薄いからそんなイメージがつきまとうのかもしれない。永江朗さんの『いい家は「細部」で決まる』新潮新書2012を読むと、改めて知る建築知識にへーっと思う。
神田明神の脇で工事していたリノヴェーションがやっと今日最後の施主検査。天井をはがす計画だったので多少は覚悟していたが、結構型枠のバリがあった。かなりとったつもりだったが未だついているとの指摘。1時間近く施主と上を見ながら現場を歩く。この建物ス―パゼネコン設計施工による数10年前の素敵なビル。しかしコンクリートはお世辞にもきれいとは言えない。型枠のバリだけではなく鉄の破片や、煙草の吸殻まで化石のように埋まっていた。それにしても最近の型枠は普通型枠だってここまでひどくはあるまい。この当時は積層したベニヤの接着がかなり悪かったと言うことなのではあるまいか?
●リノベーション後

●リノベーション前

8月12日10時~17時までオープンハウスを行います。場所はお茶の水から歩いて5分。
興味のある方は案内をダウンロードしてお出で下さい。
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論理が生まれる条件

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by 卓 坂牛


稲垣栄三『日本の近代建築』(上)(下)鹿島出版会(1959)1979を通読。日本の建築論の萌芽は何処なのだろうか?この本が正しければ、、この本で扱っている明治から終戦までの日本において建築を創作する強力な論理があったようには見えない。
そもそも明治に入って西洋から「建築」を輸入した日本はその輸入した様式を破壊するモーチベーションを持ち得ない。しかるにコルビュジエやミースにとって様式は乗り越えるハードルとして存在していた。その差は大きい。
分離派においても、分離する何かが明確ではないし、分離して目指す場所がよく見えない。だから分離派の遺産が日本の30年代、40年代、そして終戦へと繋がらないように見える(いや、事実繋がらないのかもしれない)。
繰り返しになるが、日本では近代の成立に強い哲学が生まれ得ない。生まれるとするなら、近代以降、あるいは近代がやっと日本のデフォルトになった時(つまりは戦後くらい)である。仮想日本のデフォルトができてやっと戦う相手が見えてくる。、、

検査終了一安心

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by 卓 坂牛


野木の現場に朝一で行って事務所検査。1000㎡程度の現場だけれど、4棟の分棟なので4軒分の検査である。3時間かかって大急ぎの検査。昼のお弁当を食べて午後の施主検査まで現場小屋で昼寝。2時から施主検査。1時間で終わりましょうと施主は言うけれど終ったのは5時半。4棟あったらそうなるのは当然。やっと電気も入ったので夜景も見たいと思い、7時ころまで現場をぶらぶら。残工事は10日にスタッフにチェックしてもらうとして、11日のオープニングまでには全部終わってもらいたい。オープニングには県知事も含め、100人以上来る盛大な竣工式。夕方ぼーっと建物を見る。一体ここでなにができたのかと考えても分からない。これはいつものことなのだが、設計して俊越してもその時はいつも何かは分からない。
お腹が減って古河駅でスタッフと食事。現場所長に電話して食事に呼ぶ。短工期、低予算でここまでやってくれたことに御礼。ありがとうございます。

八潮に感応する

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by 卓 坂牛


午前中現場でダメ工事の指示をして午後八潮へ向かう。今年の八潮は街の中に何かを作ると言う「ヤシオノツカイカタ」第二弾と家づくりスクールを行う。ミーティング第一部は「ヤシオノツカイカタ」担当学生による八潮調査の中間報告。数年前先生が先頭にたってチャリを走らせていた時に比べるとなんだかちょっと冴えない。ややマンネリ気味なのだろうか?先輩の蓄積を学んだうえで更に上を行く観察眼を持たないと振り出しに戻ってしまう。それでは継続調査をしている意味がない。
ミーティング第二部は教員陣の家づくりの座談階。東京ではなく八潮で家を計画する意味を皆で分析する。そこには同じ予算と、同じ家族構成でも違う解答があるはずなのである。それが何かを考えることが僕らの目標。というのが教員陣の共通理解のようだ。
つまり町で何かを作るにしても家を作るにしても結局一番大事なことは最初は観察眼である。常に何かに感応する心をもっていないと何も作れないのである。
ミーティングが終わって先生陣は久しぶりの納涼会。根津に移動。谷中の寺の中にぽつりとある和食屋で素敵な夕食をいただいた。いつもながら寺内先生の店の選択は最高である。

ブックデザインの力

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by 卓 坂牛

夕方ブックデザイナーと編集者を相手に製作中の本の会議を研究室で行う。今まで学生達が作っていたドラフトの数ページをデザイナーがベースデザインとしてリバイスしてきてくれた。
いや不思議なもので今まで文化祭のパンフレットみたいだったものが一気に「売り物」になって現れる。必ずしも「本らしい」デザインが「いい」ことかどうかは別として、「本らしい」というデザインのタッチがあるということが納得される。
もちろんその「らしさ」を作っているのは「レイアウト」なのだがそのルールはさほど厳格なものではない。ただそのルールには二つの原則がある。
一つは僕らが思っているよりはるかに大きく行間をとること。
二つ目はページの上下、あるいは左右にかなりしっかりとスペースをとること。
総じて「余白」である。そんなことはレイアウトの基本と分かっていながら、ついなんでもかんでも入れ込もうとするので読みにくくなる。
それにしても行間をしっかりとれば8ポイントの字がしっかり見えるのにはちょっと驚く。一方SD選書などはあんなに小さな字が実は12ポイントもある。視覚の不思議。

ゴシックって並木か?

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by 卓 坂牛


ジェフリー・スコットの『人間主義の建築』を翻訳した時に何故これほどまでにゴシックが否定されるのだろうか?と疑問に思った。もちろん否定の理由が書かれている書なのだが。そのポイントは建築を建築外の理屈で説明づけようとすることへ向けられる。ゴシック建築はルネサンス建築に比べて倫理的で、進化的で、物理学的であるから素晴らしいというがそれは大間違いだというわけである。
さてゴシックって本当にそういうものだろうか不思議に思い酒井健『ゴシックとは何か――大聖堂の精神史』ちくま学芸文庫2006を読んでみた。酒井氏の説明はゴシックを上記のようには説明しない。読んで最もびっくりしたのはゴシック最大の特徴であるその高さが神への志向からのみ説明されるのではなく、北フランスの農耕が切り開いた森、ブナ、ナラ、カシワなどの高木の形象化として説明されるのである。そう言われると確かにゴシックチャーチに林立する柱とリブボールとは並木のように見えなくもない。そういう風にゴシックを見ると、物理的だったり倫理的だったりと言うよりは自然なものなのかなと思ったりもする。
話は違うが、古典主義以外の芸術様式の名前は全てが否定的な意味を持っている。
ロマネスク  堕落し粗野になったローマ風
ゴシック  北方のゴート人風のというイタリア人から見た侮蔑の念がこもった言葉
バロック  いびつな形を指すポルトガル語のバロッコより
結局新し様式はなんでもかんでも最初は否定される。しかし時がたてば存在する限り評価される運命なのである。

牛研前期の打ち上げお疲れ!! 

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by 卓 坂牛


大学院試験二日目。今日は面接。そして会議。6時ころやっと解放されて研究室の前期打ち上げに向かう。場所は荒木町。炙屋の二階を貸し切る。30人くらい集まった。OBも6人くらいやってきた。皆就職が確定したようでよかった。内藤廣事務所、武田光史事務所、など設計事務所から、グラフィックデザイン事務所まで。さらなる飛躍を!!OBの一人は仕事の関係で秋からワシントンDCに移り住む。院1年生の一人はデンマークに留学する。私立大学は留学で休学しても学費を払い続けなければならない(そうじゃない私立もあるとは思うが)。協定校であれば日本で払った学費で相手校の学費を払わなくて済むことになるのだが、理科大の建築協定校はとても少ない。
学費の二重払いも無意味だから退学して留学する。教師としては留学経験を下級生に繋げたいので休学・留学・復学であればと思うのだが、、、、大学に少し働きかけたいところである。この間芸大の話しを聞いたら、ある研究室では院2年生になると皆居なくなってしまうとのこと(留学する)。僕の部屋もそうなるように筋道をいろいろ作りたいところである。

祝JIA新人賞

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by 卓 坂牛


午前中留学生の院試があり、午後はその事務処理など。その後PD天内君とミーティング。日本における「近代建築」のスタートを形にしたのはどうも浜口隆一の『ヒューマニズムの建築』1947のようだという結論。それに加えて蔵田周忠『近代建築思潮』1924と稲垣栄三『日本の近代建築』1959を読むことにする。この辺の知識は倉方俊輔「日本近代建築の生成」から教えられること大。
引き続き4年のゼミをやって急いで横浜へ。乾さん宮さん西田さんらのJIA新人賞受章パーティーに顔を出す。BANKArt に沢山の人がいて大盛況。おめでとうございます。
キドサキさんに誘われ事務所に伺う。石田さんや元スタッフ石黒さんなどと向かう道すがらやはり元スタッフの川辺さんの話に。昔から優秀な人だったようだ。石田さんは前橋に通いながら中心市街地活性化などに取り組んでいらっしゃる。地方に行くと役所への協力は義務となる。キドサキ事務所は広くて気持ちいい。着席すると横に佐藤淳さん。先日の理科大修士の作品が学会のイベントで最優秀賞だったようだ。別の審査員の小西さんが、最優秀だけでは無く、優秀賞2つも理科大だったと教えてくれた。半期の授業の成果だし佐藤さんヨコミゾさんが指導していたのだからそうじゃ無ければ申し訳ない。
理科大OBの森さんも来られ、日経アーキでやっていらっしゃることをお聞きする。プロデューサー的なお仕事をされているというのでびっくり。出版という世界はもはや本作るだけでは無いらしい。久しぶりに吉松氏とお話する。既に150人くらいのOBを排出しているとのこと。その一人が理科大の稲坂さん。彼は学生時代からとても優秀だったとか。今日はそういう話が多い。倉方さんに昼の知見の御礼をしようと思ったのだが失念。横浜の夜。海風が気持ちよかった。

大衆消費政治はもう止めよう

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by 卓 坂牛

『夢の消費革命―パリ万博と大衆消費の興隆』を先日読んだ時に大衆というのは19世紀にもあったのだろうかとふと疑問に感じた。少し調べて見るとやはり社会学上「大衆社会」が重要な概念になってきたのは1930年代とのこと。ナベツネこと渡邉恒雄『反ポピュリズム論』新潮新書2012では政治における「人気」に警鐘をならしながら「人気」の原理を究明する中でこの「大衆社会」という概念を説明する。
1930年代の大衆社会とは資本主義の発達と原因がある。産業組織の大規模な合理化が人間の絆を切断し無定形な集団の中に放り込む。その結果人間は衝動的激情的性格を濃くし、暗示にかかりやすく制御を欠くとカール・マンハイムは指摘した。全体主義に踊らされた国民の精神状態を説明する言葉としてこの概念があるようだ。一方で、消費における大衆の意味もそれに近い。すなわち皆が一斉に同じ商品を欲するその姿はまさに消費の全体主義と言えなくもない。殆ど暗示にかけられたように国民一斉に白物家電を買い、3cと呼ばれるクーラー、カ―、カラーテレビに熱狂した日本国民の精神状態はこれに近いと言えないか?ヴィトンのバックを世界中で買い漁った女子大生の心理も同様である。
ナベツネという人物に賛同することは滅多にないのだがこの「反ポピュリズム論」に関しては、同意することもある。彼の小泉、橋本批判には全面的に賛成する。ワンフレーズポリティクスやテレポリティクスは極めて危険である。それに夢中になる国民はまさにヴィトンを買い漁る女子大生心理と変わらない。大衆消費社会は成熟した日本にとって既に過去のものである。しかるに政治が未だに大衆消費政治であってはならないと僕も思う。

理系単科大学の悲哀

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by 卓 坂牛

アメリカの大学で学生たちが最初に履修するのは「English101」。母国語の読み書きだそうだ。日本では「国語101」なんて必修でやる大学はない。日本という国は単民族でお互いが分かりあいやすく、しかも言葉が比較的曖昧さを許容するからなのだろうか?論理でお互いを分かり合おうとしない。しかるにアメリカではすべてその逆であるから言葉を鍛えざるを得ない。
そうやって読み書きを徹底するから専門科目においても大量の本をシャワーのように読ませる。倉部史記『看板学部と看板倒れ学部―大学教育は玉石混交』中公新書クラレ2012によれば日本の大学は4年で100冊。アメリカの大学は400冊と書かれている。しかしこれは信じられない。文系はまだしも理系の学生はそんなに読まない。僕の研究室が4年生に必死で読ませても半期12~15冊である。休みに彼らが自主的に読んだとしてもまあせいぜい30~40冊である。しかもこれは4年になって半ば強制的にやらせた数字。1年から3年までは年間10冊がいい所ではないだろうか???だから僕の部屋でも100冊は追いつかない。
そんな状態の学生の書いた文章に赤入れをしなければならなくてうんざりしている。先日坂本一成先生にそんなことを愚痴った。「ある本を作るのにそれに載せる学生の文章が読めたものではない」と言うようなことを言ったら、そんなの当然と言うような顔してそれを直すのが教師の仕事といさめられた。先生も東工大の学科誌『華』を作り上げるのにとんでもない労力を強いられたそうである。理系単科大学の悲哀である。