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May 2013

この加賀友禅いいねえ

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by 卓 坂牛

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先日ある方からたいそう立派な桐箱をいただいた。しばらく開けずに机の上に置いておいたのだが。先日開けてみて驚いた。なかなか素敵な加賀友禅の風呂敷が入っていた。加えて色が僕好みの薄いあずき色。なぜこの色が好きかと言うとその昔祖母が着ていた鮫小紋の着物の色だからである。しかしその色が好きだったのかその色の着物を着た祖母が好きだったのかは覚えていない。いずれにしてもそれ以来薄いあずき色の反物は好みになった。
さてそれからまたその桐箱にふたをしてしばらく事務所の机の上に放っておいたのだがまたふたを開けてみて驚いた。名が入っている。しかもなかなかいい字である。更に制作者の履歴を見るとこれまたたいそう立派な人(人間国宝)である。あれあれ返礼に返礼しなければ。

異化効果(のようなもの)の効能

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by 卓 坂牛

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今日のゼミで建築の自律性とそこからの違反、あるいは「ずれ」を考えたいという学生がいた。こうしたずれを建築制作の方法論に置く人は少なからずいるだろうけれど、そのことを明示する建築家はそれほど多くもない。坂本一成もその一人である。その昔東大文学部の学生15人くらいを連れてHOUSE SAを見学させていただき、全員に5000字程度のレポートを書かせて先生に優秀作を選んでいただいた。その時優秀賞に選ばれた文章が若宮和男「HOUSE SAの詩学」というタイトルで、異化効果について触れていた。
http://www.ofda.jp/lecture/main/02visit/01/02.html
およそ異化効果(のようなもの)ほど表現として効果的なものはないだろうと僕は思っている。その昔とある建築家が建築表現の最も効果的な方法はコントラストだと言っていたがコントラストと異化効果(のようなもの)には通じるところがある。つい最近読んでいた高崎卓馬『表現の技術』dentsu2013 には広告表現の効果的手法として「ズレ」をあげていた。これもコンテクストの反転であり一つの異化効果(のようなもの)だろうと僕には思える。

黒いマリアの背景は?

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by 卓 坂牛

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午後八潮ワークショップ。本年度のキックオフミーティング。今年は公園工事の監修、八潮のツカイカタ釣りバーの制作、T邸茶室デザインと施工、昨年ワークショップのまとめ、そして新たな杜の庭造りプロジェクトである。駅前の会議室で打ち合わせした後、駅の逆側の公園工事現場へ。既に高圧線鉄塔回りの蔦を這わせるワイアーの下地が出来上がっていた。八潮からの帰り北千住から上野に出てラファエロ展に立ち寄る。ラファエロはマリアを多く描いたことで有名だが、その殆どは背景が淡い色。ところがこの「大公の聖母」は背景が真っ黒である。ウフィッチで見たときに不思議だなあと思っていたらこれは後で誰かが(あるいは本人が)黒く塗ったのだそうだ。最近のX線検査で分かったこと。

理科大工学部建築学科50周年記念事業盛り上がりました

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by 卓 坂牛

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理科大工学部建築学科50周年記念事業がかつしかしんキャンパスで行われた。250名程度のOBOG学生たちで盛り上がった。キャンパス見学、OB会、安井設計事務所社長でOBである佐野さんの講演会、そして夕方祝賀会。一日大いに盛り上がった。キャンパス見学に先立つキャンパス説明会では管財課の塚田さんより理科大キャンパス史が説明された。日本中にたくさんキャンパスがあるものである。
受付責任者の私は会費の管理で一日緊張。

不自由な自分を自覚するのが建築なのだと思う

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by 卓 坂牛

午後『住宅特集』の近作訪問で京都の建築家魚谷繁礼さんが編集部の藤田さんといっしょに「内の家」に来られた。この家には竣工後数回来ているのでその使われ方は分かっており、何のてらいもなくお二人を案内はできるのだが、やはり少々気恥ずかしい。
中を一通り見ていただいた後の魚谷さんの感想が面白かった。「結構施工が粗いですね、でもその粗さがこの建物にはあっているような、、、、」その後彼は僕にいくつかの質問をした。主として窓周りのディテールと、インテリアの随所に出てくるアールの処理について。
それに対して僕は少し考えた。一体僕はどこまでディテールのルールを考えているのだろうか?そしてこう答えた。ディテールのルールはある程度決めているけれど、その場その場で「いい加減」に変えていますと。彼はそれに対してこう言った、「よく言えば、施工も設計も適当なところがいいですね。そしてそれはとても予想外でした」と。
なるほどそう見えるんだ。それはとても新鮮だった。そして彼に言われて自分の設計スタンスも分かった。かなり厳格にいろいろなことを考えながらそんな自分を自分で裏切っている。自分の思い通りできない自分を自覚するのが建築だと言いたげな自分がここにいるようである。

藤原、小西の大学院製図の中間発表

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by 卓 坂牛

大学院の製図の中間発表。藤原鉄平さんと構造の小西泰孝さんによるスタジオである。課題は藤原さんが横国の学部でも出しているという「アーキ・ファニチャー」。家具のような建築である。大学院生20名強が参加している。
動くもの、線材、棚、テンション材、面、曲面、建築と家具の定義を問うもの、等など、とりあえず分類してグループごとに発表してもらった。
僕の中では家具は触ることを誘発するものであり、建築とは誘発しないものととりあえず定義してみる。さて問題は、触ることを誘発する(アフォーダンス)とは何かということになる。
そのアフォーダンスはいろいろあるのだろうが例えば人を誘う家具とはどんなものがあるだろうかと思いを巡らしてみた。ビーズ玉が無数に入っていて座ると座った人の形状に変わるサッコという家具がある。これは廉価版が無印良品でも売られている。またパントーンチェアのようにプラスティック一体成型で座るとグニャグニャ動く家具もある。探せばこういう家具はいろいろある。これらに共通するのは座る前からこれはなんとなくグニャグニャしているというのが視覚的に感じられるということである。つまり構造的な不安定感を視覚情報として発しているのである。もちろんその情報は裏切られることもあるし想定内であることもある。
このあやふやな情報が人を誘っていると思われる。つまり構造的な不安定性情報を多く発するものが人を誘うのではないかと思うのである。この不安定性を持ちながら建築的な安定性が融合するところにアーキ・ファニチャのヒントがあるように思われる。
さてこうした一瞬のうちにアフォーダンス情報を発する物に対して、人が動く中でアフォーダンス情報が変化するような物というのもありそうである。一つのシステムが使う人のポジションで変化するというもの。今日はそんな面白いものがいくつかあった。もちろんまだまだあるのだろう、、、、、、、さあ後半頑張ってみよう。

ベンヤミンの翻訳論に学ぶ

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by 卓 坂牛

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仲正昌樹『ヴァルター・ベンヤミン』作品社2011の中に「翻訳者の課題」というテキストが解題されている。昨今翻訳をすることが多いので読んでみた。そもそも文学とはどんなものかというところから始まるのだが、それは人々の生活の連関(時間的な生活習慣の継承など)の表出なのである。そしてその表出の目的地は個々の作家の意図を超え、超越的に規定された「生の本質」あるいは「生の意義」に向いていると言う。
さてでは翻訳とはどんな作業か?それはある生活連関から異国の生活連関への移動なのである。翻訳は、よって、単なる単語の置き換えにとどまる作業ではなく、新たな場における「生の本質・意義」へ向けた創造なのである。さらに、後にベンヤミンは生活連関の表出は様々な場所で起こることを認めている。もちろんそこには建築も含まれる。上記翻訳を建築で考えるなら、さしずめ竣工時の生活連関がもはや薄れた後年におけるリニューアルのようなものである。それをベンヤミンに引き寄せて考えるなら、リニューアルすべき既存の建築にはその昔の「生の本質・意義」があってしかるべきであり、そして新たな操作にはこの時代の「生の本質・意義」を刻んだ創造でなければならず、このせめぎ合いこそが創造的翻訳(リニューアル)の成立条件なのであろう。

自らを相対化して欲しい

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by 卓 坂牛

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4月からゼミが始まり、学生の発表を聞いていると何を言っているのか理解できないことが多い。特に論文付き設計を行う学生にはこちらも杓子定規にやると面白いものにならないだろうと気を使い論理性を欠いても注意をしない傾向がある。しかしそうして放っておくと手が付けられない。どんどん意味不明度が加速する。
論文を書く学生にはそれなりに厳しく接しているのでまだたががはまっているのだが、これも注意をしないととんでもないことになる。
そもそも彼らが最も分かってないことは、彼らは自分の興味を文章にすれば論文になると誤解している点である。「私はこういうことに興味があります」というだけのプレゼンを聞いてこちらは何と答えればいいのだろうか?「どうぞご自由に」としか言いようがない。
論文書くなら論文とは何かくらい自分で先ず勉強してきてほしいのだが、そういうことをしているようには見えない。仕方ない。推薦ハウツー本くらい探して読ませないと駄目なのかと思い佐藤望編著『アカデミック・スキルズ―大学生のための知的技法入門』慶応大学出版会2012を買ってきた。
そこにも書いてあるとおり、論文書くには少なからず情報収集が必要である。現代は多くの方法があるけれどそれでも本の数十冊くらい読むのは当たり前である。そしてそれを整理するために文献カードを作るのもいろはのいである。自分のカードを引っ張り出してみると、学部時代70冊、院時代は100冊くらいである。もちろんそのすべての本を精読などしていないがその程度は目を通さないといくらフィールド調査ものでも考察の厚みや客観性を持ちえないのである。
自分のお気に入り情報にとり憑かれて、硬直した思考をするのではなく、多くの意見を吸収して自らを相対化してほしいものだ!!!

伝え方は技術(練習)である

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by 卓 坂牛

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友達が佐々木圭一というコピーライターの書いた『伝え方が9割』ダイヤモンド社2013という本を貸してくれた。最近売れているらしい。この本にはちょっと驚くことがある。一番最初に全体の要約がA4一枚程度にまとめられていてこれを切り離して手帳にはさんで持ち歩けと書いてあるのだ。そしてこの要約が見事である。これを読むと中身を読む必要が全然ない。いやあ本ってこんなものだよ200ページの本の重要なことなど2ページにまとめられるものなのだと痛感した。
いや待てよ?しかしそれではちょっとまずかろう。僕がいつも思うことはある本の内容の自分にとって重要と思うことは確かに1ページ程度にまとめられる。しかし全文の内容が1ページでは少々内容が薄っぺらだよなとも思う。1400円の内容がA4一枚というのだとさて?買う価値があるのだろうか?と少々疑問でもある。
でもまあそれを差し引いても売れているのにはそれなりの理由がある。そう思ってもう一度さらっと読み返すと、良いコピーが生まれるのは才能では無なくテクニックであるという著者の実体験に基づく確信が吐露されているのである。およそ才能が無ければできないという職能の半分以上は才能の問題ではないと僕には思える。だから著者の確信には共感する。じゃあだれでもA4一枚の指南書を携えていれば名コピーが書けるのかと言えばそれは無理である。問題はその指南書をもとに努力(練習)できるかどうかである。
建築版『伝え方が9割』を今書こうとしている。でもその本を携えていれば誰でも優秀な設計者に成れるのかというとそれは無理である。それをもとに才能に頼らず努力(練習)できるかどうかの問題である。

宮里藍のすごいところは努力できる心があることだそうだ

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by 卓 坂牛

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本田亮『僕が電通を辞める日に絶対伝えたかった79の仕事の話』大和書房2013の中に宮里藍の話が載っていた。彼女はとても忙しく2本のCMを撮るのにツアー中のオーストラリアのゴルフ場で午前中3時間しかもらえなかったそうだ。移動移動の連続で大変なのだろうと思って「午後はどんな予定ですか」と聞いたら「練習です」との答え、要は練習時間を作るためにそれ以外の時間を最大限削っているとのことである。
著者曰く「藍ちゃんの凄いところは努力できる心」である。同感だ。