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Oct 2015

インタビュー

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by 卓 坂牛

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朝事務所に行ったら『建築系で生きよう』という本が届いていた。これは建築系ラジオというインターネット配信のラジオ番組の中からいくつかを活字化した本である。主としてインタビューや鼎談がラジオでは流れていたので、この本も対談集という様相である。そのインタビュー集の最後が松田達さんと僕の対話である。2010年今から5年前まだ僕が信州大学にいた時に長野の駅前の居酒屋で飲みながらの対談。そんな場所なのに松田さんの質問は超まじでどうしようかと焦ったのを覚えている。興味があったら本屋で立ち読みどうぞ。この対談集の中では圧倒的に梅林克さんの話が面白く高松事務所での武勇伝が読める。前田則貞さんの強烈な建築論(?)しつけ論も必見。

ゲーリーとバンガローの出会い

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by 卓 坂牛

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ゲーリーがロサンゼルスに事務所を開いたのが1962年。最初の仕事はサンタモニカのアパートメント。この写真はゲーリーの最初のモノグラフ(Rizzoli 1985)に掲載されている。
敷地周辺にはメイベックやグリーン兄弟が産み出したカリフォルニアバンガロースタイルの建物が多く建っている。ゲーリーはそのスタイルを踏襲し多層にした。ゲーリーはその後15年比較的おとなしくカリフォルニアモダンスタイルで設計を行う。しかし彼を世界的に有名にする自邸で再度カリフォルニアバンガローに邂逅した。そこではバルーンフレームを一部露出させ今日的なカリファオルニアヴァナキュラーマテリアルであるチェーンやコルゲートをそのバンガローに着せた。彼がヴァナキュラーに対して持っている本能的な愛情はキャリアのスタート時点から既にあったということのようである。

建築論

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by 卓 坂牛

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東工大で早稲田、東大、東工大、の若手、おじさんが建築論を議論する。一つの切り口として、存在論的に見るか、現象論的に見るかという視点が浮かび上がる。

都市の土が無くなる

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by 卓 坂牛

朝八潮市に行きマスターアーキテクトの仕事。ある規模以上の開発案件があるとその敷地に行って開発計画に助言する。緑化、騒音、景観、臭気、交通などの観点でコメントする。もう7回目くらいだろうか?この手の開発で毎回思うが都市の土の面がどんどん無くなる。駐車場を芝生にするなどして土の面を残して欲しいものである。可能な限り駐車場を取りたい気持ちはわかるのだが、、、、
午後大学で輪読ゼミ。今日は批評理論。夕方大成建設の方が来校。この前学生が作ったビールのオブジェを大成建設と共同して「スマートイルミネーション横浜2015」に出店することになりそのご挨拶。わざわざ恐縮です。夜から製図。」さああと少し頑張って。

事務所検査

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by 卓 坂牛

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千葉の家の事務所検査。とはいえまだ完全に完成していないのだが、、、大工仕事は抜群。塗装が最後のスピード工事だったせいかやや飛び跳ねはみ出しがあり少々修正を依頼した。今回の計画の特徴はクライアントが陶芸を趣味とするということもあり、エントランスホールがギャラリーとして建物の中心にありそこから様々な部屋へつながっている。その中心ギャラリーがワインレッドの特殊な塗装で仕上げられ、その他の部屋がダークグレー。そして各部屋にワインレッドの織り上げ天井がある。開口部は比較的少なめで僕の仕事の中ではダークな建築となった。ディテールはスタッフS君の粘りと施工者の大量の原寸図によって今までにない素晴らしいものとなっている。外構がまだ2ヶ月くらいかかるので撮影はその後である。

四谷の風景

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by 卓 坂牛

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ひょんなことから今住んでいるマンションの理事長にさせられて早2ヶ月。今の所、月ごとにやってくる二つの書類に捺印している。未だかつてこういう捺印するような職についたことがなかったので、長がつく仕事は本当にやりたくないと改めて思うわけである。
その捺印する書類のひとつに資源ごみを区に買い取ってもらう書類があるのだが、それを見てびっくりした、ダンボール雑誌、新聞紙などの資源ごみは月1トン近い。一世帯20キロである。我が家からそんなに出しているかな?
ところでこの理事長をしていて何だが、このマンションからいずれ出て中古のオンボロ屋を買って改造して住みたいと思っている。しかし四谷にはずっと住みたい。便利だし、こんな駅からの風景も好きである。緑の向こうに見えるビル群。

さあがんばろう

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by 卓 坂牛

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今日の会議は長かった。2時半から6時半まで。終わって食事。やることはだいぶ残っているのだが、さあみんなでなんとか終わらそう。そして年内に出そう、出せるか?出したいな、、、『建築プレゼンのグラフィックデザイン』

80年代のゲーリー

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by 卓 坂牛

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ゲーリーの展覧会が2121でもうすぐ始まる。ゲーリーの現代的な魅力について原稿を頼まれた。とは言っても僕がよく知っていて、魅力を感じるゲーリーは80年代のあるいはもっと前のゲーリーのようである。そんな彼とビルバオ以降の彼を繋ぎとめるものは何かというあたりで目下ああでもないこうでもないと試行錯誤中である。とりあえず昔のスライドを引っ張り出して自分がこの目で見たロサンゼルスを思い出している。その中でも僕の最も好きな建物の一つはこのハリウッドの図書館である。見つかってよかった。

本当にいい人

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by 卓 坂牛

FullSizeRender-2%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%94.jpg毎年のことだが、トークイン上越は行く前は面倒臭いと思う。一泊して話して帰るなんてちょっと勘弁と逃げたくなるのだが、帰る頃にはいつも来て良かったと思う。諸先生方(トム、真里さん、木下さん、宮さん、川口さん、山城さん、真さん、西澤さん、今村さん、安原さん、千葉さん)と飲んで話すのも楽しいが今回もゲストが素晴らしかった。小名浜でまちづくりをしている小松利虔(こまつりけん)さんである。今年のトークインのテーマは直江津の町づくり。そこで小松さんに来ていただいたのである。小松さんの町づくりの様々な手法はそれはそれで素晴らしいが、それよりも何よりもやはり100%使う側に立っているところが僕ら建築家とはちょっとちがう。常に相手の気持ちに立つスタンスは人格として立ち上がるのである。つまり職業が人格をいい方向へ変えていくのである。彼はとてもいい人である。
これに対して建築家というものは100%使う人の立場には立てない。立とうとしても、法律だ、技術だ、お金だ、クリエーションだといろいろなことが立ちはだかる。いい建物作るためにはクライアントのいいなりではダメだというハビトゥスは普通にまかり通っている。職業の限界である。町つくりする人に比べれば建築家はバッドマンである。
もうバッドマンやめていい人になりたいと思いつつもバッドマンのスリルというのも一度やるとやめられないところもあっていい人にはなれない。
しかし、、、、建築家にも本当にいい人は数人いる。僕の知る限りではチャールズ・ムーアと坂本一成は本当にいい人である。

親父殺し

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by 卓 坂牛

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小林敏明の『柄谷行人論』を直江津へ行く車中で読み始めながらふと親父の姿が浮かぶ。退院後元気にしているだろうか?何時だったか年に一度の暮れの家族での飲み会の時に、若い経済学者がまるでマルクスを理解していないと憤っていた。よく聞けば柄谷行人のことだったのを思い出した。
どこにでもある話だが、親父たるもの若者は何を考えているのだろうか?と不信を抱くものである。そしてこれもおそらく掃いて捨てるほどこにでもある話だが我家でも、そういう若者否定と、将来の日本論を親父が始めれば、長男は黙っちゃいない「親父は古いんだよ、何もわかっちゃいない、そんな事言っても誰もついては行かない」。
こう言う話の構図は家族を飛び越えて様ざまな社会の枠組の中でも発生する。先日もとある会議で親父格の長老が組織の行く末を案じて語りはじめると兄貴格が「親父は古いんだよ」と一喝。弟はこう言う場合、家族においても組織においても兄貴ほど急進的にはならず、まあたまには親父もいい事言うから聞いてやろうよというスタンスであるが会議の時間は限られており聞くまでも無く終了。
さて家族の飲み会はどう展開するかといえば、親父、長男、次男の次に登場するのは孫たちである。彼らは祖父を素直に尊敬している。そもそも長男が親父を煙たがるように、孫たちも親父が煙たいのは本能である。であるから祖父と長男の議論では祖父に軍配をあげるのである。そうやって家族のパワーバランスが保たれる。恐らく社会も普通はこういうどこにでもありそうな循環するパワーバランスが生まれ組織は安定する。しかし親父がよほど間抜けだとこのバランスが崩れ親父殺しがおきる。孫はもはや祖父にはつかないことになる。
さて日本社会はどうなるだろうか?