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May 2016

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by 卓 坂牛

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3年生の製図を指導していたらまるで数学のノートのようなスケッチを発見。なんだかダ・ビンチみたいである。最近の学生は僕らのころほど図学をきちんと学んでないようなので結構混乱するようである。

牛柄研究

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by 卓 坂牛

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とある人に言われた。あなたのブログはセルフブランディングとして機能していると。その後、話はちがう展開をしたので彼が何を言おうとしているのかはよくわからなかったのだが、まあブログが僕の人となりをよく示しているということなのであろう。日記を公開しているようなものだから僕の性格がにじみ出ているのは確かである。そうしたら先日またとある人に似たようなことを言われてついでに自分のアイコンを作ったらどうかと言われた。自分のアイコンなど作る気はさらさらないのだが、牛の柄(ホルスタイン)は昔から好きでマウスパッドもそれを察知した学生が寄贈してくれた。ということでこの柄を図案化して何かに使ってみようと考え始めスケッチを開始した。さてどこで使えるか?

金と人か一刀両断か

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by 卓 坂牛

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千葉雅也と蘆田裕歴の対談「ファッション批評の可能性と条件をめぐって」の中で千葉はファッションの公理系は金と作家以外のオルタナティブは無いのかと問うている。これって建築でもいえるのだけれど最も多いのは建築の言説も金と作家だと思う。しかしこれって実はゴシップ週刊誌のネタとしても最も多いものではなかろうか?金と人ほど俗に面白いテーマはないということである。このネタ外すとつまり売れない。売れない批評はいらないというそういう構図が日本にはあるのだと思う。そうなると、千葉さんが次にいうのは批評の一回性である。つまりアカデミックな客観性は回避して、一刀両断に言い切ってしまう批評である。おお怖い。でも怖いもの見たさというのがあってそういう批評はそれはそれで受けるわけである。

東工大建築学科記念誌

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by 卓 坂牛

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東工大建築学科記念誌が送られてきた。別に何周年ということでもないのにこんな立派なブックレットを作られたことに敬意を表したい。ついでに拙策もob作品として載せていただきうれしい限り。紙面はキャンパスの建物ということで教授陣が設計した建物が紹介されており、最初に谷口吉郎先生の70周年記念講堂が紹介されていた。この建物は大岡山のキャンパスの顔であり、とてもいいスケールの素敵な建物。おそらく僕の記憶が正しければ、入学式や卒業式をやっていたように思う。谷口先生の水力実験棟は無残にも壊されたが、この建物は間違っても壊さないで生き続けられるように、教授陣が守っていただきたい。宜しくお願いします。

ファッションにしないファッション

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by 卓 坂牛

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皆川明『ミナを着て旅にでよう』文春文庫2014の中で皆川はファッションをシーズン一過性のものとはしたくない。だからコレクションをやらないし、だから短いサイクルでモデルチェンジしないと言う。僕は昔ファッションでとの鼎談で、ファッションって最も現代的じゃないと言ったが、やっぱりこういう人はいたわけだ。昨今エコをテーマにする若いデザイナーは増えているけれどミナは昔からそうなのである。ファッションにしないファッションを目指しているのである。

絨毯洗濯

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by 卓 坂牛

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天気が良かったのでボロボロになって捨てそうになっていた絨毯をテラスで洗濯した。床に敷いて毛糸用の洗剤を振りまいて高圧洗浄機でひたすら水をかけた。圧力が強い上に空気がだいぶ入るので洗剤の泡立ちがすごくテラスが泡で真っ白になった。パキスタン絨毯とトルコの絨毯と、ついでにタオルや、ブランケットまで。高圧洗浄機を使うと繊維がほぐれてゴミはとれそうだが、圧力が強すぎて生地は痛む。風もあってほぼ乾いているが一晩干すことにする。

母の日

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by 卓 坂牛

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ウィキペディアによると母の日はアメリカから輸入されたものである。1907年アンナ・ジャーヴィスは亡き母を偲び母が日曜学校の教師をしていた教会にカーネーションを送った。彼女は1913年に青山学院に母への感謝を示す活動のメッセージを送り宣教師たちが日本でその活動を始めたのが日本で普及するきっかけである。母校青学で始まったのも何かの縁。今日再びあちらにいる母と、そして配偶者の母の生前の労に感謝しよう。ぶっ飛んだ二人が今生きていればどれだけ楽しかっただろうか?返す返すも残念である。

オートクチュールは放っておけば無くなるだろう

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by 卓 坂牛

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ファッションの起源は宮廷貴族の服飾デザイナーが独立してオートクチュールを作り始めた所にある。その最初がシャルル・フレデリック・ウォルトである。オートクチュールの顧客は20世紀半ば約2万人いたが、現在は100人代と言われている。オートクチュールの顧客は高級プレタポルテで欲求を満たせることを知ってしまったのである。加えて現在では昔ならオートクチュールを着ていた階層の人々がギャップやユニクロなどの製造小売業の衣類を着る時代になった。
建築も状況はかなり近く、昔ながらのオートクチュールで顧客によりそうアトリエ建築家がいる一方で、世界中で半ばマニュアル化した設計手法を駆使してグローバルに仕事をする製造小売業のような設計事務所、設計施工の会社がまさにプレタポルテのごとく大量大規模な生産をしているのである。
果たしてオートクチュールは無くなるのであろうか?ファッション界の予言は難しいが建築界では残る。高級高価なものは減少するかもしれないが、普通廉価なオートクチュールは残るだろう。なぜなら今世界で求められている小さなローカリティーへの対応は製造小売業型の設計事務所ではできないからである。アルゼンチンのエスニック民族の現在住居群を製造小売業設計事務所は設計しないからである。
野生の建築家はその意味では日本にいるだけでは今に絶滅するだろう。製造小売業が世界のマネーに食らいつくように野生の建築家も世界のローカリティーに食らいつくしか生き延びる道はない。そう思って僕は世界を嗅ぎ回っている。

人生訓とは、エスキスチェックとは

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by 卓 坂牛

人生訓みたいな話を聞いたとき、それを受け入れるかどうかは、その話の内容の真実さによるのではなく、その話をしている人の生き様に納得がいくかどうかにかかっている。というのもその人はその言葉によって成長してきたのだからその言葉を受け入れればその人のようになっていくからである。
人生訓とまでいかなくても建築のエスキスチェックの言葉の半分はそれに近いようなところがある(半分は技術的に真偽がはっきりしている問題である)。だからそのエスキスチェックを受け入れるかどうかはそのエスキスチェックの真実さによるのではなくそのエスキスチェックを語る人が作ってきたものに納得がいくかどうかにかかっている。
その意味では現在僕らがやっているように教員が自分たちの作ってきたものを示し学生が教員を選べるシステムは妥当だと僕は考える。もちろんどこでもそんなことができるわけではない。私立大学で学生も先生もたくさんいるからそういうことが可能で、国立大学ではそれは不可能である。僕が非常勤で行っていた国立大の3年生は否応なく全員が僕のエスキスを受けねばならなく彼らに選択権はなかった。
話を人生訓に戻すと、大学の教員はあるところでは専門領域を離れて人生訓的な話をする機会もあるのだが上記のとおり、そこで重要なのは自らが依拠した人生訓を晒すことではなく、彼らが依拠すべき人生訓を想像することなのである。そんなことはほとんど不可能に近いのだが、唯一やれて、やるべきことは自分が依拠した人生訓とそれによって自分が培った価値観を相対化することである。そしてその上でそれを前提にした上で、自らを晒すなり、殺すなり、そこからは自由である。

孤独な野生児

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by 卓 坂牛

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常山さんからヴェネチアビエンナーレ日本館カタログをいただいた。迫力ある作品のオンパーレードに心動かされる。昨日のマトリックスでいけば彼らは野生の建築家である。「遠く」に「孤独」で進む人たちである。決して「早く」「群れ」をなす人々ではない。そしてこの野生の建築家たちの知恵が連携して新しい建築が生まれてくるのかもしれない。