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Jun 2017

いとこ

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by 卓 坂牛

叔母の葬儀に親族が集まる。叔母は長男である親父にとって8人兄弟の最後の妹。若き日の叔母の写真を見て美人なのに驚く。親父の弔辞によるとミス青森だったそうだ。

久々に集まったいとこたちで一枚。

観光客の哲学

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by 卓 坂牛

中学校の地理の授業で覚えているのはトマス・クックの時刻表を渡されてヨーロッパ1ヶ月間旅行計画を作れというものである。この計画を練りながら自然とヨーロッパの都市の位置関係や名所旧跡自然の特徴を習得した。ついでに様々な都市へ行ってみたいという興味と好奇心が湧いてきた。もちろんその後留学することになった原因がこの授業だとは思わないけれど、目が国外に向くきっかけを作ってくれたことは確かである。

突如トマス・クックの数十年前の話を思い出したのは昨今読んでいた東浩紀の『観光客の哲学』株式会社ゲンロン2017の冒頭にトマス・クックが登場したからである。本書はこれからのグローバリズムとナショナリズムが併存し、ナショナルな政治とグローバルな経済が併存する時代にそれらをまたいで世界市民たらんとするためにはネーションに引きこもる国民となってはだめで世界中をノマドのごとく彷徨う旅人でもだめで、ネーションと世界を往来する観光客の哲学を保持せよと主張する本である。二項対立の片方に触れることなく、中庸に理があると考える点でこの話は原理的に賛成である。加えて年に数回海外でワークショップなど行い観光客を実践している身としては見事に自分を援護してくれる理論でもある。既述の通り本書でトマス・クックは冒頭ツーリズムの創始者として登場する。中学の時そんな説明も受けていたのだろうがすっかり忘れていた。当時の地理の教師中川先生が東浩紀の如き哲学的洞察のもとツーリズムを教材にしたとは思えぬが、中学生の目を世界に向かせた功績は大きい。同級生の多くが世界に羽ばたいたのにこんな授業も少しは影響していたのだろうと思う。

手嶋さんの小さな御本

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by 卓 坂牛

手嶋保さんから可愛らしい御本を頂いた。三秋ホールの風景と建築というタイトルである。中を開くとそのタイトルどおりの写真と文章。なんのてらいも力みもない。そして設計がうまい。

矛盾

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by 卓 坂牛

間違い探しのようなケーススタディーを延々としている。地下と1階で好き勝手やったつけが2階に回って来ている。階下で作られた構造の線に誘導されてできた場所になっている。2階の論理と整合していない。

反知性主義再考

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by 卓 坂牛

小田嶋隆『超・反知性主義入門』日経bp社2015で小田嶋は中高生の同級生である森本あんりICU副学長と対談している。森本は『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』を記した人である。この本では反知性主義はポジティブに捉えてられている。それはニューイングランドでのアメリカの始まりにさかのぼる。アメリカ宗教の始まりであったピューリタンが高学歴のエリート牧師に支えられていたのに対して、大衆的なリバイバリズムがそれを凌駕し、信仰上の平等を導いた。時として知性ではなく大衆性と平等感が国を導くことを確認しそれを良しとする伝統がアメリカにはある。そうした認識のもと本書で反知性主義は改めてこう定義される。「知性をまるごと否定するんじゃなくて「既存の知性」に対する反逆」である。そうであるステレオタイプの知性の横っ面を引っ叩く態度なのである。僕などは基本的にそういうスタンスである。しかるに日本では単なる無教養なアホな政治家を反知性主義と呼んだりするのでなかなか自称反知性主義とは言えないで困っている。そこに行くと小田嶋は勇気ある。さすがである。

見えるように描く

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by 卓 坂牛

ジャコメッティの顔をじっくり見たことはなかった。その細い輪郭に目を奪われ、あるいはその前のめりな姿勢が、魅力的で。顔を見ていたらなみだがでて来た。モデルを穴のあくほど見つめていたジャコメッティにこちらが見つめられているような気持ちになったからか?あるいは京大教授矢内原が感じた、ジャコメッティの自由が滲みでていたからなのか?

孔に気づく、輪郭線が滲む、中庸

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by 卓 坂牛

昨日自著を読み返してみてどの辺りに今自らの創作において気になることがあるのかを考えてみた。

一つは主体性をどうやって相対化できるのかという辺りが気になった。岡真里が言うのようなもの。他者が自らを領有するような状況。自作でいうと。様々な「」が目に飛び込んでくること。そして孔の向こう側が予想外、想定外な状態であること。そんな状況に満たされることが可能か?

二つ目は様々なものの輪郭線を消すこと。昨日も書をみながら輪郭線が気になった。書の場合輪郭線はかなり偶然に委ねているようにも見える。紙と墨の滲みである。建築も空気に滲んでいけばとても良いと思うのだがそうもいかないところが建築である。

三つ目は建築の条件全体に通ずるテーマである中庸である。様々な設計の決め方が過激な中庸であってほしいと思う。そのいい味では1階のレベルがGLプラス1.4メートルという半端な数字はとてもいいと思う。目線少し下である。

柳の花も白し夜中の天の川

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by 卓 坂牛

国立新美術館で行われている書象展に展示されている配偶者の作品を見る。あれ結構あっさりしている。市沢先生がそばにいらっしゃって先生の作品の話を聞く。先生の作品は画数の少ない字が連なる。画数の少ない字は作品にしづらいとおっしゃる。ということは配偶者のそれも同様なのだろう。

1時間設計

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by 卓 坂牛

1時間設計を始めたのは信大で教え始めた時である。なので始めた理由に経験的根拠はなく直感だった。英語を話すのにボキャブラリーの暗記が必須なのだから建築設計も同じで基礎的ボキャブラリーは暗記しておく必要がある。と考え、主要住宅の平面を暗記するのが1時間設計の第一段階である。十年以上疑問を持たずやって来たが、今年坂牛研の設計力はさほど高いわけでもなく1時間設計に意味が無いのではと思うにいたりやめようかと考えた。しかし一方的に止めるのもどうかと思い、学生に聞いてみた。するとやった方がいいのではという意見が多かった。また先日OB会で、あるOBが今の自分があるのは1時間設計と、輪読のおかげだと言っていた。この言葉にも勇気を得て今年度も続けることにした。

今日の院生の1時間設計を見ながら、まあ確かに去年の今頃に比べたら大人と子供の差だし、各自が自分のスケッチのスタイルを身につけているのには驚く。やはり効果は0ではないようである。