川端や村上やボルヘスと貧困
ワークショップの敷地であるサンマルチンのスラムにあるゴミの山に行き、そこのスラムに住む有志たちが作った改革拠点を見た。彼らの中の数名はスラムに住みながらサンマルチン大学で社会学などを学ぶ貧困層のエリートである。コンクリート造りの今にも壊れそうな建物の中でこの場所の説明を聞く。2haくらいあるその場所は、改革拠点と道路を挟んで逆側にあり山のように盛り上がっている。20年前まで建築産業廃棄物の廃棄場所だったという。なんとも前回見たvilla 20とは異なる水平的に広がる荒涼たる場所である。
さて何ができるのだろうかと疲れた頭を回転させながら大学に戻ると、ネットメディアの取材を受けることになる。「あなたは川端康成、村上春樹、ボルヘスを引用しながら建築を説明しているが、こうした小説家と貧困は果たしてどう関係するのか興味がある」という。こんな質問を受けたのは初めてで驚いた。そもそもそうした小説による自作の説明は文字にしたことはない。今度の「軽井沢トンネル」で初めて『住宅特集』では村上を引用しているくらいでそれも未だ出版されていない。しかしここ数年レクチャーではいろいろなところでそう説明している。昨今レクチャーはビデオを化されてネットに載っているのでそんなメディアを通して知っているのかもしれない。情報は世界を駆け巡っている。
僕が興味あるのは彼ら自身ではなく彼らの小説に登場する舞台セットに対してである。それらは川端の「トンネル」、村上の「井戸」、ボルヘスの「アレフ」である。これらは皆現在の場所から別の世界に行く、あるいは覗く、小道具なのである。僕の建築はこうした道具さながら常に違う世界へ行く、あるいは覗く道具であってほしいと思っているのである。つまり貧困の場所に作る何かとは別の世界へ人々を誘う何かだろうと思っている。そんな建築の彼岸とここでも格闘できないかと思っているというのが質問への答えである。
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