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Aug 2017

能率の共同体

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by 卓 坂牛

時差ぼけが治ったと思ったら夜中目が覚めてしまったので仕方なく読書。新倉貴仁『「能率」の共同体ー近代日本のミドルクラスとナショナリズム』岩波書店2017を読む。難解な書き方なので正確に理解できているか自信がないのだが、あのヴェネディクト・アンダーソンによる『想像の共同体』に対して日本近代の共同体の紐帯を「想像」以上に「能率」に見出したというわけである。建築などをやっていると近代建築の効率性を云々するのは定番なのでそれが社会の結束バンドになっているのは言ってみれば当然だろうなという気もする。しかし面白い視点は多くある。そもそも近代日本が急激に増加する人口を処理するためにそれらをマスとして効率的に把握する必然性が政治にも経済にもあったこと。つまり20世紀の単なる科学信仰が能率を重視したわけではないということ。またそこで建築における機械信仰は社会、文化にかなり浸透していたようであるということ。さらにいわゆる三種の神器である冷蔵庫、洗濯機、掃除機、は生活の能率を上げる道具でありそれを大衆とよばれるマスがこぞって購入したのはまさに社会が能率で構成される様と言えるだろう。また明治啓蒙思想への反動として文化を重んじる(能率の拘泥しない)教養が生まれ、文学、哲学が重視されるがそれもつかの間の出来事だったということ。この束の間の教養は戦後細々と生きながらえたが見事に大学からも20世紀末に消え去った。能率の共同体は21世紀に入っても健在ということである。

日本の家展

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by 卓 坂牛

近代美術館に日本の家展を見に行った。中も外も盛況である。屋台には塚本さんがいて中に入ったら石黒さん、袴田さんにお会いした。戦後日本住宅が14の系譜で語られていた。これは一つの書き方だなと感心した。だが系譜学的に記すとおそらくまだ10くらいの書き方がありそうだし、この半分だっていいのかもしれない。キュレートした人の志向でどうにでもなりそうだ。でもだからいいとか悪いとかということではない。展覧会としてはそこそこ納得できればいいのだろう。住宅の展覧会だから多くの一般の人も来て楽しんでいるのかもしれない。個人的には大辻邸の施主の奥様と息子のインタビューが面白かった。

imperialism の匂い

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by 卓 坂牛

「日本島の固有種でいることを避けて自らを拡張する場所に身を置くことが重要である」ということをFBに書いたところ、とある方からimeperialism (帝国主義)の匂いがするというようなことを指摘され驚いた。固有種であることを避けて自らを開くことは多文化理解へすすむことだと記すとその理解の後にterritory expansion(領土拡大)へとつながる可能性を指摘された。そう言われるとそうかもしれない。僕もアルゼンチンとの交流ののちにアルゼンチンに何がしかを設計して(そんなことはないだろうけれど)坂牛の建築デザインが文化的侵略を招く可能性は0ではない。実際先日のアルゼンチンのメディアインタビューの最初に「アルゼンチンに移植可能な日本の(あなたの)建築デザインはあるか」と聞かれた。その時は「建築は半分キノコのようなものなので、アルゼンチンの土壌を知らないうちは答えられない」と答えた。古来政治的、経済的な侵略ののちにその場所に建築が移植されることは多々あったがその逆はなかった。つまり文化侵略がさきにあり政治経済がその後をついてくることはなかった。しかし例えば20世紀初頭のインターナショナルスタイルは政治経済的侵略なしに、文化文化的帝国主義だけが起こった事例としては大きなものである。ではしかしそういうことが21世紀に起こる可能性があるのだろうか?面白い問いである。これをきっかけに考えてみたい。21世紀の今ならスターアーキテクツの建築のように商業主義に乗りながら世界を席巻する商業帝国主義建築の可能性は大いにありそうに思うが、、、例えばカルトラバのブエノスアイレスの橋は独特とも言えるが世界中の彼の設計ととてもよく似ているとも言える。カルトラバ帝国主義と言えるのか言えないのか?

 On your mark

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by 卓 坂牛

海外の建築家とワークショップをやると彼らと長い間一緒にいる。最初は建築の話、ワークショップのやり方の話、そして最後は(というか最初かもしれないが)学生の話になる。お互いに自分の学生の特徴とか力とか今までこんなことをしたとかを話すが、ほぼ1日目でお互いの学生の力(先生も含めて)を90%把握しているのに驚く。会社でも大学でも10分くらいの面接で人をみるのだから況んや1日いればをや。

 

そこで話題になるのは実はコミュニケーション力ではなく設計の力である。確かにこれが設計事務所だったらいい図面をかける人、いいアイデアを出してくれる人が欲しいのだからそうなる。でもやはりそんな力があってもコミュニケーションできないとチームプレーである建築では自分のアイデアの実現は覚束ない。だから最低限の英語は頑張って勉強しないと海外に行ってもただ友達作って帰るだけである。これからの人はよく考えたほうがいい。

 

しかし、でもそれでも、自分を拡張して自分を広げていくためにはそういう場所に自分を置くかどうかが大事である。100メートル走のスタート地点にたって初めて100メートルが見える。90メートルジャンプ台にたって初めてその恐怖感を味わう。ワークショプやってみて自分の不甲斐なさが分かる。わかってはじめてやるべきことも見えるのかもしれない。

malbec, beef stake, leather products, football, hasta luego

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by 卓 坂牛

モンテビデオからフェリーでブエノスアイレスに昼過ぎに戻る。飛行機は夜なのでパレルモを散策。白い皮の小さなカバンを一つ買う。エセイサについてマルベックを飲みながらサッカーを見る。これでステーキがあったら最高だが,,,,

malbec, beef stake, leather products, football, hasta luego

建築は世界中にあるけれど美味しいワインや肉はどこにでもあるわけではない。ましてやそれに精巧なクラフツマンシップや世界最強のフットボールが加わると選択肢は極度に狭まる。来年また会いましょう。Adios!

次はアフリカ?

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by 卓 坂牛

2009年にブエノスアイレスの展覧会に招かれ、アングロサクソン化している日本人としての自分に気づき、10年間はアングロサクソンの垢を洗い流しラテンの国との付き合いに時間を多く使うことを決めた。そしてはや8年経つ。その間マドリド、リスボン、ポルト、コインブラ、サンパウロ、リオデジャネイロ、ブラジリア、グアテマラシティ、アンティグア、アスンシオン、モンテビデオ、サンチアゴ2回、リマ2回、バルセロナ3回、そしてブエノスアイレスには5回来た。ワークショップをリマ、ブエノスアイレスで3回行い、サンパウロ、グアテマラシティ、サンチアゴ、リマ、バルセロナ、ブエノスアイレスでは10回くらい講演を行い、ブエノスアイレスで2回展覧会を行った。10年でひと段落なのであと2年したら少し違う国にも行ってみたいなと思っている。ということを昨晩ペドロに言ったら次はアフリカだろうと言われた。なぜと聞いたら篠原もそこで得たものが大きいからだと言っていた。彼は篠原、坂本のことをよく知っている。僕への興味はこの二人をボスに持つ日本の建築家というところにある。ボスたちに敬礼である。そして自分もボスに近づけるように精進せねば。

Chao

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by 卓 坂牛

At last night of this tour in Latin America in Montevideo we had very good night in the famous bar with professor Pedro.  Thanks a lots Pedro we are looking forward to seeing you and having a fruitful times with you in either in Tokyo or somewhere in Latin America.  chao chao!

大学のバンでモンテビデオ建築を堪能

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by 卓 坂牛

ペドロ教授の案内で共和国大学建築学部を訪れる40年代の作られた建物の中にある巨大な木製机は全て開学当時のもの。とてもメンテナスがいい。学生数は7000人システムはアルゼンチン同様。巨大なマシンルームが鉄骨のインスタレーションで4層吹き抜けのリサーチルーム担っているのは圧巻。その後大学のバンに乗ってディエステの自邸、ペドロがコンヴァージョンしたベーカリー、ラファエロビニョーリの巨大コンクリートアーチの空港、ディエステの教会、ペドロの両親の自邸、ディエステのショッピングセンター、素敵な本屋さんを回る。ディエステ自邸は6000万で売りに出されていた。誰か買いませんか???文化財です。

モンテビデオ

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by 卓 坂牛

アルゼンチンに5回も来ていて目と鼻の先のウルグアイには来たことがなかった。先日学生20人余りと理科大を訪れたウルグアイ共和国大学のペドロ先生を訪ねてフェリーとバスを乗り継ぎモンテビデオに到着。ウルグアイはラプラタ川を挟みブエノスアイレスの対岸やや東。ここまでくるとすでに川の河口ではなく大西洋である。ホテルが12階なので大西洋の夕景が眼前に広がる。久しぶりに眺めのいい部屋である。