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Nov 2017

和朗フラット

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by 卓 坂牛

bikearch30 学生の頃リンチの都市のイメージのイメージのしやすさという概念や都市で迷子になることは不幸だという意見に、そんなことはない都市は迷路みたいに迷い込む方が楽しいあるいは場所によってイメージャブルだったりそうでなかったりしてもいいと思った。そして毎週末東京の迷路探しにでかけていた。六本木キャンティの脇の道を下りていくと真っ白な白亜の低層集住があり異国に来たような感動を覚えた。さてまだあるのかなと今朝ジョギングがてらキャンティの脇の道を下りていくとあった。嬉しい。調べると名前は和朗フラット1937年にできている。もう80歳である。

吉田五十八

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by 卓 坂牛

bikearch 29 六本木から飯倉に向かい高速をくぐった左側に吉田五十八が1972年に設計竣工した外務省飯倉公館と外交史料館がある。同じリズムの連続性の徹底は吉田五十八を敬愛する大谷の作風を思い出させる。大きな軒の出は大谷が担当した赤坂センタービルを思い出させる。

東京の自然史

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by 卓 坂牛

貝塚爽平『東京の自然史』講談社学術文庫2011(1979)によると関東大震災での被害は下町(沖積層)で多く台地(洪積層)で少ない。台地の上下で被害の差が出たようだがその差が大きいのが赤坂。この辺り溜池(溜池山王)がありかなり地盤が悪いのだろう。隣近所でマンション工事しているが、杭工事の機械がとんでもなくでかい。

SFC

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by 卓 坂牛

ミッドタウン大屋根の下で慶応SFCの小林博人さんと助教の米田カズさん理科大の常山未央さん私で来年のEU. 日本建築会議の場所、時期。テーマについて議論。その後地下に行き大ホールで行われている慶応SFC Open Research Forum を覗く。全教員が3メートル角くらいのスペースをもらい大プレゼン大会。すごい人。小林さんのブースではベニヤハウスキットのお土産付き。

3mails from Latin America this morning

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by 卓 坂牛

朝南米から3つメール。サンチアゴのディエゴからインタビューが編集終わったとのこと。来夏来日してCasacasaを撮りたいと(Welcome)。

https://vimeo.com/0300tv/review/241495018/77df6e7760
グアテマラのルイスから来夏のホルヘ記念国際会議でワークショップに招待したいとのお知らせ(I will go)。WSは写真のシビックセンターと貧困エリアをつなぎ階層差を減少させようという社会問題解決型アーバンデザインである。ブエノス・アイレスのフェデリコからJF日本建築研究助成金に応募するので日本側の引き受け人になって欲しいとのことOK.

議長公邸あ

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by 卓 坂牛

bikearch28 青山通りを赤坂見附の交差点を越えて少し坂を上がると左手に赤坂見附門の遺構が残っている。市ヶ谷や四ツ谷は濠のすぐ脇にあるのだがここは少し遠い。その門の道路を隔てて逆側に衆議院議長公邸が見える。三権の長だから立派なものである。設計は内井昭三2001年竣工。隣接して参議員議長公邸がある、そちらは岸田日出刀設計で1961年にできている。

スラムのボキャブラリー

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by 卓 坂牛

卒計中間発表会。夏にアルゼンチンスラムリサーチにいっしょに行ったNさんが卒計は、別のスラムをリサーチして(なんとストリートビューが入れるそうだ)そこに見出す必要に迫られて生まれた建築要素を集めて再構成すると考えている。contextから引っ張り出す(decontxt)ことである要素が全く異なる見え方になると面白い。

紀尾井町

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by 卓 坂牛

bikearch27 上智大学の裏手に紀尾井町ダイビルという貸しビルがある。1923年創業の名門デベロッパーダイビルの持ち物。設計は村野藤吾で1976年竣工である。丸く削り込んだ石のディテールは村野らしいし。貸しビルとは思えぬ風格がある。ちなみにダイビルはわたしの最初のクライアントだった。
そこから少し半蔵門の方に行くと文藝春秋ビルがある(竹中工務店、1987)ガラスと鉄がフラットにおさまった重厚でシャープなファサードはいかにも竹中。日建時代この納まりを勉強したのを 思い出す。

 

 

サンクチュアリーの考え方

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by 卓 坂牛

年末のワークショップ講師はアメリカ人だけれどマドリードで仕事をするジェフ・ブロック。彼の提案してきたテーマはサンクチュアリーである。その場所に入る(来る)と皆が平等になり落ち着いて平和な気持ちになれる場所である。政治的に考えれば難民の受け入れ場所にもなるだろうし、日本の現状なら数少ないけれど異国の人々が平和で平等な気持ちになれる場所かもしれない、あるいは性的な差別を感じられない場所、子供老人が平等で語れる場所、などなどである。それは教会みたいな場所かもしれない、日本にはなかなかそういう場所がないが寺をそういう場所にしようとしている住職さんがいるという話を聞いたこともある。

では東京のどこでそんなことを考えるかという問いに助教の常山さんがかつては水の都であった東京において水際にそういうものを考えてみたらどうかと提案。例えば東京湾のどこかで穏やかな波の生まれる装置を作り、その音で心を洗い平和な気持ちを生み出す。あるいは暗渠となった水路を切り開き出てきた水に透明な屋根を被せ神秘性を感じさせる。あるいは水上に水を楽しむガラスの玉が浮いていて非日常的な場で心を洗う。あるいは周囲の環境とはなんの脈絡もなく水の反射が建物内にキラキラと入り込む聖なる空間を作り心を和ませる。などなど、、、、、サンクチュアリーという言葉の響きからすると人々に開かれたものであり、それゆえ建築も物理的に開かれたものであるかのように感じるが例えば教会がいい例だが、建物は決して開かれている必要な無い。精神的に開かれていれば十分である。だから重要なのはそのスピリットから導かれるストーリーであり、それが建築として実現されているかどうかんなのであろう。

自律性

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by 卓 坂牛

午前中、石原さん、今村さん、に呼ばれ、千葉工大の院生に意匠のレクチャーをする。タイトルは『建築の制作』ポイントは二つ。

1)建築は社会性と自閉性の比率で決まる。 2)建築は寝た子を起こす覚醒作用をもたなければいけない。さらに社会性を持つと他律的になり、自閉的になると自律的になる。

今村さん、石原さんとランチしながら、今自律性を語ることの意味と可能性を考える。アウレリがなんて言っているのか天内君に聞いてみよう。