Taku Sakaushi

Diary

POPEYE

On January 28, 2009
by 卓 坂牛

25日締め切りと言われていた原稿を2日遅れてやっと送る。気分が楽になってコンペの打ち合わせ。形を出すか出さないか、戦略的なポイントではあるが、ミーシアンを超えたユニヴァーサルにしたいところ。ジャイアントファニチャーはスタッフが皆どうも乗って来ない。やめるか??技術的に困難だと言いたげである。そうかもしれないが、、、
今日はヨドバシに用事があったので、用事を済ませそのままバスで長野に向かう。久々のバスである。横川のサービスエリアでジュースを飲んでいたら森山邸をバックに爆笑問題と西沢立衛がテレビに映し出されていた。森山邸の路地は結構せまい感じである。バスの中で難波功士『創刊の社会史』ちくま新書2009を読む。この人の広告の本をかつて数冊読み面白かったのでこの本も思わず丸善で購入。自称創刊フェチの著者は僕の二つ下。そのせいで集めている創刊誌はだいたい聞いたことがある。その中でもPOPEYは兄貴が創刊から10年くらいは欠かさず買っており僕もよく読んでいた。創刊の76年僕は高校2年生。創刊号の特集はFROM CALIFORNIAでULCAのキャンパスがレポートされていた。今でも忘れないUCLAの学生ファッション。素足にニューバランスのジョギングシューズ。白地で紺色のUCLAのロゴの入ったジョギングパンツ。白襟海老茶のラグビージャージ。そして紺色のダウンベスト。来ているのは皆ハリウッドスターのようなブロンズの白人の男女である。砂漠気候のロサンゼルスは冬でも昼間は20度近いが夜は一桁なる。一日の寒暖の差が激しいくTシャツの上にダウンというのは極めてポピュラーなスタイルとなる。70年に創刊されたANANがフランスかぶれの女性ファッション誌であり、POPEYEはアメリカかぶれの男性誌であった。大衆消費社会全盛時、未だに外国コンプレックスの抜けない日本人の悲しい嵯峨をついたカタログ雑誌だった。それから約10年後、UCLAに留学した僕の目に映ったキャンパスはまさにPOPEYEそのままで映画セットのようであった。建築ではアメリカ人に負ける気はしなかったが格好良さでは勝てる気がしなかった。

つかれる

On January 26, 2009
by 卓 坂牛

午前中会議。午後また会議。重要なこともあれば取るに足らぬこともある。まあこれが会議の宿命なのだが、、、、、一体会議という制度はどうしたら効率よくそして実効性の高いものになるのだろうか??その後修論の1000字梗概のチェックをしたりコンペの打ち合わせをしたり。僕も修士の時1000字梗概を書いた。手書きの下書きに坂本先生の赤が入った現物がある。それは徹底した推敲の末書かれた。そして10字ほどの修正が加えられた。先生のチェックは後にも先にもこれ一回だし、その文章で僕の論文の概略は分かる。しかるに今日もらった梗概はもう何回目のチェックだろうか?4回目くらいのものでもまだ赤を入れる必要がある。もちろん今日が最初のチェックのものはほとんど日本語の体をなしていない。英語を読むよりはるかに苦痛である。英語はまだ考えればわかる。考えても読解できないこの文字群は何語と解釈すればよいのか?僕は思う。学生は能力がないのではなく甘えているのである。何度か出して僕が赤を入れ続けているうちにいつしかまともな文章になるだろうと考えているのである。そこで僕は決めた。来年はもうこの甘えに付き合わない、、、、、来年の4年入研希望者はかなり多いと聞く。毎年この時期になると思う。とにかく国語ができるやつが来ないことには指導は不可能であると。また、昨日のように負けたコンペの結果を見ると思う。スタッフが良くないと事務所はつぶれる、研究室も同様で設計ができないやつは要らない。研究室に誰もいないと思う。学校に来る奴だけに机を与えようと。ゼミで飛び交う程度の低い言葉を聞いていると感じる。入研希望者に知能テストをするかと。さて一体何が最も重要なのだろうか??(全部重要なのだが)!!帰りのアサマでゲルノート・ベーメ梶谷真司他訳『雰囲気の美学―新しい現象学の挑戦―』晃洋書房2006を読む。この本は残念ながらひどく読みにくい。編訳者が3人いて翻訳者が11人もいるからなのだろうか?まあ、我々もそうならぬように気をつけなければ。
今日は朝から晩までひどく疲れることばかり。帰宅して声も出ずにこの文章を打っている。

浅草の結果

On January 25, 2009
by 卓 坂牛

昼からA0勉強会。少しずつ前進。まだ数か月かかりそうである。春の出版は厳しいか?夜浅草コンペの第二次審査通過者の展示を見に行く。2次に残るだけのことはある。皆それなりに力作だ。プレゼンのレベルも高い。隈案の造形力は見事。馬鹿にできない。乾案はヴィジュアルなプレゼンで押し通しているわけでもなく徹底的に内部から外部まで考え尽くされている。揺らいだ構造は佐藤さんだがこれも説得力がある。三浦案も構造は佐藤さん。pcをレンガのように積み上げてロッドで緊結。一見外観だけのように見えて動線から外部までやはり考え抜かれていた。伊藤案は曲線のルーバーが重層されている魅力的な造形。中井案はスパイラルで模型写真にインパクトあり。下吹越案はスラブがずれながら重層されていて造形的インパクトはあるし構造的リアリティも高い。木下案は行燈を模した外観。美しいパースである。
これらの中から選ばれた二つ(隈、乾)は極めてレベルが高く異存はない。しかし最優秀の選定理由にはやや疑問を感じなくもない。審査評にはこの不思議な造形に抗しがたかったというようなことが書かれていた。分からないでもない。しかしトータルな建築の豊かさということで言えば乾案に軍配があがるのではないだろうか?ポピュリズムに堕した感がある。
さて我々の案は一体どのレベルなのだろうか?これらの一角を担ってもおかしくないような気もした。考え方としては対抗できる。ただやはり一枚の絵の訴求力では負けていた。やはり最後の詰めが甘いのかもしれない。次への反省材料である。

原稿

On January 24, 2009
by 卓 坂牛

ここ数日喉が痛く心配なので朝一で近くの内科に行き薬を処方してもらう。インフルエンザではないようである。風邪薬を飲むと眠くなるのだが、原稿を書くためのメモを作る。昼はかみさんと荒木町のイタリアン「エドキアーノ」にスパゲッティを食べに行く。ついでに事務所に寄って原稿に必要な本をとってくる。スタッフによるコンペのスケッチが置かれていたが、今日は原稿に集中するのでこれは見ずに帰宅。文章の組み立てを3つ作りどれで行くか考える。気に入った一つをベースに一気に打つ。ディテールは後から検証するつもりでとにかく最後まで打つ。6枚程度と言われていたが8枚程度の量となった。多い分にはお好きなだけと言われたのでまあいいか。薬のせいかぼーっとするので今日はもう終わりにしよう。明日の勉強会の予習は明日。

柳澤氏来校

On January 24, 2009
by 卓 坂牛

午前中デザイン論の最後の講義。レポートの書き方の説明後時間があったのでリーテム東京工場の芦原賞受賞講演のパワポをつかって自作紹介。学生にはこの自作紹介がとても楽しいようだ。午後は製図第二の講評会。今日は柳澤潤氏にゲストで来ていただいた。先ずは彼に1時間のショートレクチャーをしてもらう。東京建築士会の住宅賞を受賞した「みちの家」から昨年末着工した塩尻の図書館などなど紹介してもらう。小さいものから大きいものまで徹底して道と壁柱を一貫したコンセプトとして貫いているのはお見事。講評会は僕が昨日選んでおいた28作品を発表してもらう。年々力がついてきているような気がする。柳澤氏からも「他大学に比べて一歩先を行っている」というような嬉しい言葉をいただく。しかし僕から言わせればまだまだ井の中の蛙。ビギナーズラック。この春休みにオープンデスクなどで勉強しないと、あっという間に低空飛行することになろう。講評会後セントラルスクエア(オリンピックの表彰式場)そばで懇親会。こうした懇親会で美味しいものに出会ったことはなかったのだが、今日はうまい。みそ仕立ての白子鍋と刺身がいけている。覚えておこう。最終で柳澤氏と東京へ戻る。塩尻のコンペ後から着工までの悪戦苦闘の話を聞く。技術的問題、市への説明の問題、構造評定の問題など。この建物の特徴は何と言っても構造である。厚さ20センチ長さ12.5メートル幅約1メートル程度の鉄板付きPC壁柱100枚近くで建物を支持するのである。スタッド付きの鉄板加工は松本で行い。それを埼玉のPC工場に運び12.5メートルのPCをつくり一枚ずつトレーラーで塩尻に運ぶと言う。建て方終了時は壮大な光景だろう。その時は是非見学したいものだ。長野にも久しぶりにいい建築ができる。

過剰の表現とは

On January 23, 2009
by 卓 坂牛

午前中修士の2次試験。午後コンペの打ち合わせ。その後4年、M2の様子を見る。夜学生たちとスパゲッティを食べに行く。食後昨日読みかけた岡真理『記憶/物語』岩波書店2000の続きを読む。再現不可能な出来事の過剰を我々はどう扱うのか?岡さんはホロコーストや従軍慰安婦の問題などについてその出来事の過剰さに言及し、それを我々は再現しなければならないし、分有しなければならないと言う。そうだと思う。しかしその方法は表現者の主体が出来事を「まとめる」という方向性ではなく、出来事が主体を「まとめる」という方向性でなくてはならないと言う。さてその場合どういうことが起こるか?出来事の過剰が主体の正常な抽象化を妨げる、あるいは狂わせる。その結果その主体の精神の疵としてほとんど無意識のようにその疵が表出される。そうした状態の中に受容する方は出来事の過剰を感得するのであろう。というのが岡さんの主張である。美しい情景を話して聞かせようと躍起になっている人間がいくら言葉を尽くしても伝えられないのに、例えば、ふっとした言葉の間に見せた遠くを見つめる透明な眼が多くを語ったりする。ちょっと次元は異なれど、表現と言う意味では建築にも似たようなことが起こり得る。建築も一つの出来事である。それは建築家と敷地との出会いであり、クライアントとの出会いであり、あるいは要求との葛藤からひらめいた自らの思考との出会いでもある。それらは一つのあるいは複数の出来事であり、その出来事の翻訳化された再現なのだと思う。そしてこうした出来事もホロコーストと比べるべくもないとしても、それでも過剰であり再現不可能性を持っている。しかし表現者はそうした過剰を表現するしかないのである。そしてその過剰を表現するためには主体が出来事を「まとめる」のではなく出来事が主体を「まとめる」のでなければなるまい。そのためには出来事に自らを晒し、こちらから「まとめ」にはいるベクトルを捨てなければならない。自分をして出来事を語らせる。そうした姿勢の結果として絞り出す何かが今アクチュアルな表現なのだと思う。

出来事

On January 21, 2009
by 卓 坂牛

朝一でk-project施主定例。色やら位置やら、クライアントの意向も気になる部分を説明して了解していただいた。今日は2階のトップライト下のFRPハニカムパネルの床が搬入設置された。光は無事このFRPを透過して1階の床まで届く。期待通りのいい光である。午後の打ち合わせで神田へ行く途中、品川で下車して原美術館に寄る。ジム・ランビーの縞縞を見る。http://ofda.jp/column/手作り的でクールに見えて泥臭い。ミュージアムショップに寄るとその昔見た、オラファーのカタログが売られていた。展覧会中はまだできてなかったそうだ。分厚く重いが充実しているので買ってきた。午後中国プロジェクトの現場報告。久しぶりに社長と会う。サステイナブルシティの仕事の可能性をいくつか聞かされるがまだどうなることやら。夜のアサマで長野に。車中、岡真理『記憶/物語』岩波書店2000を読む。この本を読むきっかけは誰かの本に引用されていた以下の文章が気になったから。
「<出来事>が言葉で再現されるなら必ずや再現された『現実』の外部に<出来事>の余剰があること。<出来事>とはつねにそのようなある過剰さをはらみもっており、その過剰さこそが<出来事>を<出来事>たらしめている」
この本を読んでみると、再現不可能な過剰を、しかし、われわれは再現して分有しなければいけないというのが著者の言わんとするところ。表現者とは常に表現すべきことの過剰性と戦うのであろう。しかし過剰性が再現不可能性を内在させているのであればこの矛盾と僕らはどう向き合えば良いのだろうか???続きは明日。

場所

On January 20, 2009
by 卓 坂牛

事務所でコンペの打ち合わせ。空いた時間に丸田一『「場所」論』NTT出版2008を読む。副題である「ウェッブのリアリズム、地域のロマンチシズム」というのがなかなか興味深い。参照している書物が既読のものが多く読みやすいかと思いきや、なかなか面倒くさい本である。副題が示す通り、没場所性の現代社会において、ウェッブ空間の中に生まれた記憶の故郷がむしろ場所性を持ってリアリティを持っているというのが著者の主張。しかし現実の場所が現実性を失い、非現実の場所が現実性を持つという著者の示すねじれ現象は理解はできるが、それほど確かなものとは思わない。地域のロマンチシズムは夢物語というわけでもなく、そこにはリアルで生き生きとした生活もあるものだ。でも我々がそうした二重の世界の中に棲息ているのは紛れもない事実であり、それを無視してローカリズムを能天気に表現するわけにもいかない。しかし、でも、僕らの職能は現実の中に再度場所性のリアリティを求めているのである。そしてその志向はどちらか一方しか受け入れないというものではなく、その二重性を許容しながらそのリアリティを模索するのである。もちろんその場所性は相互に影響されながら変容していくのであろうが。

建築論いろいろ

On January 19, 2009
by 卓 坂牛

大学で打ち合わせ、会議。センター入試の時は教員も携帯電話を試験室に持ち込むなと言われどこかに置きっぱなしにして見つからない。忘れっぽくなった。夕方のアサマで東京へ。車中ライザー+ウメモト著、隈研吾監訳、橋本憲一郎訳『アトラス新しい建築の見取り図』を読む。邦題は新しい建築だが、原題はAtlas of Novel Techtonicsである。Tectonicsだけあって内容はモノに即した構築原理である。フランプトンのそれを彷彿とさせる。隈研吾の解説によれば86年にチュミがコロンビアにやってきてペーパーレスアーキテクチャと称してコンピューターの中で完結する建築を模索した時にその周辺にいた人間が感じ取った新たな建築潮流の理論的結実だそうだ。モダニズムもポストモダニズムも単一のパラメーターの上に乗っており、結局は排除の思想。一方このアトラスは一つと言わず様々なパラメーターを認めようとするところが新しいということのようである。多くのパラメーターの大分類項目は幾何学とモノと操作である。難解な言葉の羅列で正直言うと。あまり細かい主張はつかめないのだが文章に付随するドローイングや写真が示唆に富んでいる。邦訳は最近出たが原著も2006年。しかしその思想的端緒は隈さんの証言では80年代。20年前である。僕が建築雑誌に記したとおり、80年代はポストモダン旋風であったが、その陰で複雑系やデコンの理論構築がなされていたのである。
東京駅丸善でラスキンの『近代絵画論』を買って帰宅。少しcontemplationと現代建築の言葉を考えたい。帰宅すると頼んでおいたヴィドラーの新刊Histories of Immediate Present が届いていた。カウフマン、ロー、バンハム、タフーリの論を分析したものである。そのポイントは、彼らのモダニズム史がモダニズムそのものを明らかにしようとしたのではなく、彼らの時代のデザイン(理論と実践)に向けて作られたプログラムであることを明らかにしようとしている点である。カウフマンはネオクラシカル・モダニズム。ローはマンネリスト・モダニズム。バンハムはフューチャーリスト・モダニズム。タフーりはルネッサンス・モダニズム。という具合である。こういうモダニズム史観を分析する本が早く欲しいと思っていたところである。遅きに失した感はあるが、とにかくやっと出た。それほどの大著ではないし、翻訳するには手頃でかつ意味がありそうな本かもしれない。

チェ・ゲバラ

On January 19, 2009
by 卓 坂牛

やっとセンター入試終了。これと言ったトラブルもなくほっとする。夕方から雨が降り出した。この時期長野で雨と言うのも季節はずれ。終わって近くのスーパーで夕食を買って歩きながら頬張る。家路を急ぐ受験生たちはほっとした表情である。数十年前に東京商船大学で共通一次を受けて友達と遊びに行ったのを思い出す。研究室で雑務。原稿を書こうかと思ったが、丸ニ日の試験監督の疲労。雨だが自転車でシネコンへ。レートショーで「チェ・ゲバラ28歳の革命」を見る。アルゼンチンで生まれたゲバラはブエノスアイレス大学で医学を学ぶも、南米を放浪し、メキシコでカストロに会い革命のためにキューバーに行く。マルクスもレーニンもカストロも裕福だったようだがゲバラも例外ではない。更にマルクスは哲学博士、レーニンは大学主席、カストロは弁護士、ゲバラは医者。革命家になれる人間とは経済的にも知性的にも、もはや自らに不足するものがないということが必要条件なのかもしれない。だからこそ他人の幸福に手が回る。
それにしても革命に参加するのが28歳、そしてハバナを制圧したのは31歳1959年。僕の生まれた年である。彼は自ら先頭を進み、負傷兵を助け、学を授けながら戦った。その語り口は(映画では)決して激しくはないが自信に満ちている。それは自らのコミットメントの深さに起因している。とても手が届かぬカリスマだが見習うこと多し。

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