Taku Sakaushi

Diary

考える時間

On January 17, 2009
by 卓 坂牛

考えてみれば、アクション映画の多くはカント的崇高の原理を多いに使って人をあっと言わせている。例えば最新007のオープニングの映像は海面すれすれのカメラで大海原のさざ波の無限の波頭を鮮明に映し出しその向こうに山の(島の)巨大な偉容を見せる。その山の岩肌だったか木々だったか忘れたがこの肌理の細かさも鮮明に映し出されている。その圧倒的な量感はまさに数学的崇高である。そしてすぐさま始まるカーチェイスは見る者に手汗握る恐怖感を抱かせる力学的崇高である。ところでこうした崇高のカント的解釈は『崇高の美学』桑島秀樹によれば、必ずしもそうした対象の力よって生ずるものではないと言う。それは発端は対象にあれども最終的にはそうした無限性を超えられないと判断する受容側の理性の内にあると説明される。しかるにジンメルはそうした理性側に根拠を求めず、あくまで対象の側に何かを見つけ出そうとする観察眼にかけていると桑島は説明する。どうもこのあたりから桑島の言わんとするところが僕には正確には分からないのだが、僕に引き寄せて勝手に解釈するなら、理性の限界でわっと驚いて手を抜くと人間の脳みそはそこで考えることをやめてしまう。そして適度な驚きに満足する。(アクション映画の爽快感はここからくる)。しかしもう少しその先をじっと観察してそれを言葉にしていく努力をするなら何かまた別の感興を発見できるかもしれない。もっと泥臭い、言葉にならないかもしれないような何かである。そこをもう少し考えていくと感性の発見へ一歩近づくのではないかと桑島はジンメルに掉さし言っているように思える。そしてその思いはとても納得がいくし僕もずっと考えていることを少し発展させてくれるように思う。では何をすれば良いのだろうか?先ずは辞書的な概念で語ることをやめるということがそのスタート地点ではなかろうか?そしてそれは比喩かもしれないし、感嘆詞かもしれないし、別のジャンルからの引用かもしれないし、ラブレターかもしれないし、味かもしれないし、手触りかもしれないし、、、、よくわからないけれどもう一度観察して努力する態度がトニモカクニモ必要である。それには多少時間がかかる。よく考える時間がいる。007的な受容側の心を巧に操作するようなプログラムに乗らされるとその場所には行けない。考える時間を生み出すプログラムが必要でありその果てに観察と言葉が生まれる。

ジンメルの山岳美学

On January 16, 2009
by 卓 坂牛

ニュージーランドに数か月滞在していた友人が帰国し午前中長電話。彼が昨今の世界情勢を見ながら「世界の進歩は止まってしまったのだろうか?」と言うので思わずフランシスフクヤマの『歴史の終わり』を思い出してしまった。対立する思想の弁証法的な展開によって進歩してきた世界は冷戦終結によってその2極構造を失い、もはや進歩の歴史が終わったという話。これからの世界は明確な目標のない時代であり個々の倫理と誠実な気概のみに誘導されるのだと思う。
夕刻のアサマで長野へ。車中桑島秀樹『崇高の美学』講談社選書メチエ2008を読む。ジンメルのアルプスをめぐる山岳美学はとても興味深い。先ずは山を「形式」と「量」、ある時は「テクスチャー」も加えて観察をする。僕の部屋では数年前から「質料」、「形式」に着目した山と建築の観察を試みており、それは独自の見方だろうなんて高をくくっていたがやはりヨーロッパにはこんな論考があるわけだ。さらに、ジンメルによれば「アルプス」は「量」の再現不可能性によって芸術対象にはならないという。そしてそれゆえにそれを崇高と呼びうるのだと。そして先日の山岳シンポジウムで紹介されていたセガンティーニ(Giovanni Segantini 1858-1899)のようなアルプス山岳画家は技術によってアルプスが本来持っている表象不可能性を回避していると言うのである。http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Giovanni_Segantini_004.jpg&imgrefurl=http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Giovanni_Segantini_004.jpg%3Fuselang%3Dja&h=1042&w=2048&sz=206&tbnid=QmdQOM9E7h4yBM::&tbnh=76&tbnw=150&prev=/images%3Fq%3DGiovanni%2BSegantini&hl=ja&usg=__RBeMcNQNufZHivXlMTLSJas6Ofs=&sa=X&oi=image_result&resnum=1&ct=image&cd=1。志賀重昂『日本風景論』における日本山岳の崇高性の困難を濱下は指摘したが、アルプスの崇高論を前にするとそれは確かに大人と子供の感がある。

建築論

On January 15, 2009
by 卓 坂牛

朝一で現場。内装家具の工事がどんどん進む。家具がはいると空間のスケール感がぐっと変わる。来週からは塗装の下地に入る。四谷までもどり昼をとって南洋堂に。昨今の建築論について原稿を頼まれたのだが、一体日本に建築論があるのだろうか?目についたのは建築論と言うよりは藤本、石上、乾さんたちのコンテンポラリーアーキテクツコンセプトシリーズ。乾さんのは既に読んでおり大いに刺激的だったので残りの2冊を書架から取る。加えて、ライザー+ウメモトの『新しい建築の見取り図』他10冊ほど購入。打ち合わせに行く電車の中でぺらぺら、帰って事務所で続きを読んでみた。面白い。その面白さは原稿の一部に組み込みたい。彼らの建築は建築外の何かを参照しようとなどとせず、徹底して建築のど真ん中から考えているところが特徴だ。そこがとっても清々しい。素直にこちらの府に落ちる。夜コンペの打ち合わせ。なかなか簡単には進まない。

武見太郎

On January 15, 2009
by 卓 坂牛

研究室でコンペの打ち合わせ。そし4年、m2の梗概を集め読もうと思ったが、会議、会議。その間に一つだけ読む。夕刻は今週末のセンター試験監督者説明会。受験者数は変わらず、教員は毎年減るから今年は教員総出である。夕方終わってアサマに乗る。車中水野肇『誰も描かなかった日本医師会』ちくま文庫2008を読む。日本医師会には27年会長を務めた武見太朗という人物がいる。僕が生まれる2年前、昭和32年から僕が大学3年になった昭和57年まで会長を務めた。けんか武見といわれ常に厚生省と大喧嘩をしながら医師の立場を守った人間である。業界の利益や働きやすさを求めて国とけんかをした。当時はよく分からんオヤジと思ったものだが、この本を読むと彼のおかげで医師はだいぶ救われたのではないかと思った(もちろん27年も殆ど専任でこうした会長職を務めれば裏で何が起こっているのか定かではないが)。因みに武見の義理の叔父さんは吉田茂だとか、若いころから政治家とはなじみがあったようだ。加えて役人負けない勉強を怠ら無かった。だから役人と渡り合えたのだろう。建築界にも武見がいれば、、、とつくづく思う。数年ごとに名誉職のように入れ替わる学会会長や家協会会長なんて不要である。武見は医療業界の利益のために厚生省にさまざまな要求をねじこんだという。国交省の役人に一歩も引かぬ知識と知恵を蓄える努力を怠らず、政治的腕力をもち、そして四半世紀戦い続けられる男は現れないものか?彼はほとんど専任で会長をやっていたように見えるが、生涯銀座にクリニックを持っていたそうだ。保健医療はやらず、「好きなだけ置いてけ」というクリニックだったとか。それも戦う武見の頑固なポリシーなのだろう。
帰宅すると谷川渥先生より『シュールレアリスムのアメリカ』みすず書房2009が届いていた。ありがとうございます。久々の書き下ろし。10年越しのテーマの渾身の一冊である。ちょっと襟をただして時間のある時に一気に読みたい。

the sublime

On January 14, 2009
by 卓 坂牛

リノヴェーション特集のTOTO通信が届きぺらぺらめくってみるとなかなか痛快な建物が載っていた。ぼろぼろになったコンクリートの豚小屋を改装して住宅にしている。その方法がいかしている。朽ちた屋根を取り外し、コンクリートの殻にはまる木の家を工場で作ってきてそれをクレーンで釣って中にはめ込み、薄い屋根をかけるというもの。朽ちたコンクリートの外皮と中の新しい木造の小屋の間の隙間数㎝が旧と新の明確な対比を生む。さらに旧と新の異なる機能が生み出す(たとえば豚に必要な窓の位置と人間に必要なそれは異なる)使い勝手のひずみが新たな発見を生む。これは始めたばかりの大多喜町コンペのヒントになりそうな。事務所で打ち合わせを終えて壊れたプリンターを修理に新宿ヨドバシへ。修理のついでに冷蔵庫のような長野の家用パネルヒーターも買う。
9時半のアサマに乗り車中読みかけの濱下昌宏『主体の学としての美学』の続きを読む。今日は志賀重昂『日本風景論』。本書の中で志賀は「跌宕」という言葉を使ってthe sublimeに相当する概念を示そうとする。現在の言葉なら崇高であろう。著者濱下はここで日本に本当に崇高なる風景があったかを検証するために中国人留学生の『日本論』を引用する。そして中国人の目から見ると日本趣味は崇高、偉大、幽雅、精緻という観点からすると前二者に対し後二者が豊かであるとしていることに注目。そして志賀が日本風景に崇高を見ようとするその姿をナショナリズムの発揚と捉えるのである。なるほど確かに、世界的に見て日本の風景に崇高を見ようとするのには無理があるという著者の見解には賛成である。日本には山がないとこの間来たスイスの建築家は言っていたが、水平に伸びる日本の山はヨーロッパアルプスと比べてその垂直性にかなわず、水平性においては大陸的なオーストラリアやアメリカの岩山にかなうはずもない。別に大きさを競うわけではないが、崇高はある意味で相対的な概念であろうから、一度それ以上大きな(水平的にも垂直的にも)ものを見た目にはもはやそうした表象は生み出さないものである。

成人の日

On January 12, 2009
by 卓 坂牛

朝から学内で使うパワポを作っていた。20分話すから20sheets。午前中に終わるかと思ったが2時ころまでかかった。その後、今日はどこにも行かず家にいた。家族は皆どこかに出かけたおかげで僕はのんびり静かな一日である。犬飼隆『漢字を飼い慣らす』人文書館2008を読んだ。年初から古典づいている。特に松岡正剛の「仮名の発明は日本の最大の発明」という言葉の影響が大きい。この本も日本人が日本の字を持たず、漢字を使って日本の発音を表記してきた歴史を綴っている。改めて複数の字体と、多様な発音(音読み訓読み)を駆使してきた日本語に恐れ入る。そしてわれわれはその昔から外来語(漢字)を変化させて自国のものとしてきた国民であることを再認識。カタカナ語が氾濫する現在の日本語は伝統なのかもしれないと妙に納得してしまう。夕食後、濱下昌宏『主体としての美学―近代日本美学史研究-』晃洋書房2007を読む。「美学」という翻訳語を作ったのは「哲学」という翻訳語を作った西周。因みに慶応や芸大で美学の講義をしていた森鴎外の訳語は「審美学」だったとか。
夕刻、高校サッカー決勝戦最後の10分をテレビで見た。鹿児島の高校にジャパン級のストライカーがいたが広島の高校が初優勝した。1点リード後、相手陣奥でのボールキープが巧である。高校生は上手くなった。
そう言えば今日は成人の日。夜、「爆問学問」に糸井重里や立花隆が登場し、自分たちが大人になったと感じたのは40過ぎだったと言っていた。さてそう言われると自分はと考えてしまう。うーんそんなことは考えたことも無かった。もちろん成人式など出る気もなかった。これは難問だ。就職して最初の給料をもらった時か?結婚した時か?子供が生まれた時か?事務所を作って給料を払った時か?と考えてみたが、どこかの時点で自分が大きく変わったという意識がまるでない。いいことか悪いことか分からないけれど、その意味ではまだ子供。モラトリアムと言って学生を責めることも当分できないかも?

目黒美術館

On January 11, 2009
by 卓 坂牛

朝一で目黒美術館の石内都展を見に行った。「ひろしま」はだいぶ前にテレビで見ていたし、カタログも買って眺めていた。あらかじめかなり内容を知っている展覧会を見るのも珍しい。写真の展覧会はあたりはずれが多く(それは展示されているものがいい悪いではなく、僕の写真を見る感性の許容範囲が狭いということなのだと思うのだが)今日は妙に緊張して会場に出向いた。もちろん当たりだといいなあという期待をこめて行ったということだ。結果はとても考えさせられる僕にとっては良い展覧会だったhttp://ofda.jp/column/。最終日ということもあり石内さん本人がいて僕のすぐ脇でお客さんとずっと話し込んでいた。
午後は大学の書類作りと読書。小穴晶子『なぜ人は美を求めるのか』ナカニシヤ出版2008を読む。美学入門書ということで洋の東西を問わず基本的なことが書いてある。のだが、天内君も言っていたが、近代美学(カント)に触れられていないのは理由あることなのだろうか?この本もナカニシヤの津久井さんが担当されたようである。懐かしい。

大多喜町

On January 11, 2009
by 卓 坂牛

ootakimachiyakuba.jpg
コンペの敷地である千葉県の大多喜町に行く。電車で行くものと思っていたが、調べると高速バスが早い。電車よりバスが早いとは???なぜかよくわからぬまま東京駅からバスに乗る。アナウンスが流れこのバスがアクアラインを通り、東京湾を横断することを知る。であれば早いはずである。そしてこの自らデザイン監修したアクアラインに開通後初めて通ることを知りちょっと興味深い旅となった。東京駅を出発して川崎まで湾岸の高速道路を地上と地下を交互に進む。そのためかどこからアクアラインに入ったのかが分からぬまま10キロのトンネル。光が見えたところはすでに海ほたるを過ぎた橋脚の上。後方に過ぎ去った海ほたるはどこだろうなんて目を凝らしているうちに木更津であった。ここから1時間房総半島の中央めがけて進む。このあたりはその昔数回ゴルフに来た場所であり、そしてそこはとんでもない山奥だった記憶がある。記憶通り大多喜町はひなびた集落。町の中央まで歩き、そこで昼飯、スタッフに美味しいものを探しておいてと頼んでおいたら、ソバかとんかつだとか。別に名物と言うわけではなく、それしかレストランがないということのようだ。ソバを選ぶ。結構うまい。満足。駅前で鯛焼きを食べそしていざ町役場、土曜日だが職員が数名。お願いして屋上をみせてもらう。今井兼次独特のガウディに影響されたと自ら語るタイル細工の壁面を見る。この役場ができた1959年に僕も生まれた。僕と同じだけ生きてきた建物だと思うと感慨深いし、その年に今井がモダニズムに対抗してガウディの影響を明示しながらこの建物を設計したその反骨精神に頭が下がる。役場が見下ろせる丘の上にある大多喜城の復元まで登り町を一望。低い山並と林の連続。長野でもない、武蔵野でもない、房総のランドスケープを感じた。

分かること

On January 9, 2009
by 卓 坂牛

午前中デザイン論の講義、午後製図。昼休みはm2や4年の梗概を読む。あまりに分からないので帰りがけ丸善に行って、(いつもならアートや哲学に行くのだが)、今日はハウツー本のコーナーに行く。先ずは短時間で梗概を読む力がないのだろうか?と自分を疑い、川辺秀美『カリスマ編集者の「読む技術」』洋泉社2009を。更に自分はいつも「分からない分からない」と言うのだが、ではいったい「分かる」とはどういうことなのか?ということを知るために畑村洋太郎『「わかる」技術』講談社新書2005を買った。書店の喫茶に行って斜め読み。えてしてハウツー本と言うやつは欲しい知識が得られないものだが、ひとつ分かったことは、(これはアメリカのreading授業で教わったことでもあるが)本を読むときはanticipationが不可欠ということ。つまり何が書いてあるかをあらかじめ予想してかからないと理解不能になり得るということである。川辺の本にはそう言う実例がいろいろ載っていた。クリーニング屋さんの会話とか、出版業界での会話など。言葉は簡単だが、ある種のジャーゴンが含まれているので状況を知っていないとそれらのジャーゴンの内容を推測できないのである。梗概も数が多くなると僕の知らない言葉も出てくる。それは僕にとっては一種のジャーゴンでありそれを推測するには予想が不可欠ということだ。もちろん予想したからなんでも理解できるというようなことなら苦労しないのだが。さらに分かるということはどういうことか?一つの教えは身近なところに話が敷衍出来る場合分かりやすいということ。つまり観念的な言葉が羅列されているものでもそれが具体性を帯びる場合は読者のイマジネーションに接続しやすいということだ。つまり思惟的な文章の分かりやすさはそうした言葉を選ぶセンスにかかっている。まあ現状は言葉の選択以前でもあるのだが。

背中

On January 9, 2009
by 卓 坂牛

昨番の背中の痛みは半端じゃなかった。とっさに「が〇」の2文字が頭をよぎり、精密検査の4文字が浮かび上がり、放射線科の先生となった才女Wに電話。お医者さんは早い。8時ちょっと過ぎに病院にいらっしゃる。「寝ると背中が痛い。MRIを撮ると解明できるのでは???が〇の可能性は???」「が〇なら一日中痛い。MRIは意味なし」と言われ可能性ある病気の病名を告げられ、これなら薬を飲めば治ると言われ、先ず内科。さすが才女W淀みなく理路整然と電話問診での指示であった。最悪の可能性を否定されたので気分が良くなり現場に。少し遅刻。徐々に内装の細かいつめとなってきた。昼事務所に戻り忘れかけていた背中、、、を思い出す。てっとり早く薬をもらう方法はないか?そこで内科ではないが、(小児科だが)やはり級友に電話。というわけで朝W氏に言われたことを告げ、、、「薬処方してよ」と言いたかったが見ていただいてもいないのにそんなこと頼むのはさすがに失礼。と思い返し、どう思う?と聞くと、「筋肉痛じゃないの???」と言われた。「でも筋肉自体は痛くないんだよ」と言うと、「君が背筋と思っていない背筋が痛いという可能性もあるでしょ?」と鋭いことを言われ、連休明けまで様子見たら?とさびしく突き放された。それならそれが一番助かるが。

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