「座談会 建築、設計、コムデギャルソン」
松田 達
入江 徹
森永邦彦
坂牛 卓
西谷真理子
(敬称略)
それぞれのコム・デ・ギャルソン体験
松田 今日はコム・デ・ギャルソンについて、アンリアレイジの森永邦彦さん、建築家の坂牛卓さん、建築家で琉球大学の入江徹さん、松田の4人でお話をしたいと思います。つまり建築が3人、ファッションが1人という構成です。コム・デ・ギャルソンについて、建築の人が話すという機会は、少なくないと思いますし、建築との共通性みたいなことも言われたりすることはあるんですが、改めて話をするとなると、どこから話をしたら良いのか、解らずにいる感じで、若干の戸惑いも感じています。森永さんがいらっしゃいますので、時々、ファッションの側から補足をして頂いたり、コメントを頂いたりできれば嬉しいなと思っております。
それでは、森永さんから順に、自己紹介をして頂いて、できれば一言ずつ、コム・デ・ギャルソンとの出会いのようなこと事を話して頂ければと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。
森永 アンリアレイジというブランドをやっている森永と申します。大学時代に洋服づくりを始めて、それが段々と数が増えていってブランドになっていったんですけれど、今年で9年目になります。最初はクラフト的な、非常に時間をかけて、手を使った作品を作っていたのですが、ブランドの後半期からは、「かたち」や「からだ」との関係というのを1つテーマにして、半年ごとにテーマを設けて発表を続けています。
コム・デ・ギャルソンとの出会いは、明確にこれっていうのはないんです。ファッションに興味を持った頃に、まわりがやたらにコム・デ・ギャルソンを着ていて、服づくりをしている先輩なんかも、とても変な洋服を着ていて、聞くとコム・デ・ギャルソンだと。そんなふうにして、ブランドの名前とデザイナーの名前を知りました。川久保玲という名前を聞いて、最初、男性がつくっている洋服だと思い込んでいました。興味を引かれて実際にお店にいったり、コレクションを見たりして、どんどん好きになっていきました。
松田 ちなみにその出会った時期はいつごろですか?
森永 1998年くらいからです。
松田 「こぶドレス」の直後くらいですか?
森永 そうです。ちょうど青山店がリニューアルしたときです。
松田 なるほど。ありがとうございます。では 坂牛卓先生、お願いいたします。先生は、東京理科大学で教えられていまして、ブログでファッションのことを色々と書かれていらっしゃいました 。
坂牛 建築の設計をしています。また東京理科大学で建築を教えています。コム・デ・ギャルソンとの出会いというのは、’82、3年、僕が大学3年くらいの時なんですが、渋谷パルコにお店を見に行った時ですね。たまたま、何か不思議なお店があるなと思って入ったのがコム・デ・ギャルソンでした。モルタルの床に亀裂が走っているようなお店で、ほとんど洋服を置いていないのです。そういうディスプレイの仕方も、店のインテリアも、とても衝撃的だった記憶があります。とてもストイックな空間の中に、黒い服だけがずらっとあって、白いシャツもあったかな。とにかく黒と白しかないし、インテリアもモノトーンで黒、白、グレーという、そういう色彩が極めて印象的でしたね。
当時、僕の大学では、倉俣史朗が非常勤で教えに来ていまして、倉俣さんの課題が「ショップ」だったんですね。で、僕はシャネルのお店をつくることにしました。シャネルは白と黒だから、白と黒だけで。そういうことがあったので、コム・デ・ギャルソンのお店を見たときのモノトーンの衝撃っていうのが格別でした。
また当時、僕の研究室の先輩がコム・デ・ギャルソンを多く着ていました。なんかダブダブした服を着た女性がいるなって思っていました。後から、あれはコム・デ・ギャルソンだということを聞いて、自分でも着てみようかなと思って、いくつか買った覚えがあります。
建築とファッションの関係には、非常に緊密なものがあるとずっと思っていて、大学で教えるようになってからも、輪読の授業で、半分くらいはファッション関係の本を読ませるということをやってきています。なんでファッションかっていうと、着てるものがだんだん大きくなると建築になるという他愛もない考え方なんです。でも、昔から建築家でファッションを引用して、建築論を語る人はいるんですよね。ゴットフリート・ゼンパーとか、アドルフ・ロースとか。で、そういう指導を続けていたら、卒業設計で、ファッション理論で建築を作る子が出てきてその学生は実際に洋服のデザインもして装苑賞の公開審査会まで残ったんです。
そういう中で、川久保玲という人が、やっぱり日本のファッション界の中で、巨人だなと常々思ってきました。
松田 ありがとうございます。それでは次に入江さん、お願いいたします 。
入江 琉球大学の入江徹です。僕は、皆さんほどコム・デ・ギャルソンというのに関わりがそもそもはなくて、フセイン・チャラヤンっていうデザイナーがずっと好きで、今もずっと好きなんですけれども。ギャルソンていうのは、当然知ってはいたんですけれども、全然関わることはありませんでした。一番最初に関わったのは、香港に行った時です。
香港に行った時に、アイ・ウェイウェイの展覧会というか、アート作品がギャルソンのお店に展示してあるので観に行ったらと言われて、ギャルソンのお店に行ったんですね。アイ・ウェイウェイの作品があるって聞いて来たんだけど、って店員さんに言うと、「もう終わったよ」って話で、残念ながらそれを見ることができなかったんですけど、その時初めて、ギャルソンのお店に入りました。デパートとかでもギャルソンのお店は見てはいたんですけど、ブースの中に入った事はなかったんですね。遠目に見る程度だったんですけど、はじめてお店に入ったのが香港で、しかも本当に最近で、1、2年前なんです。その時に、店員さんの着るギャルソンの服や、展示してある服を見ておもしろいなって思ったんですね。それで、プレイのTシャツだけ買って帰ったんです。それが始まりですね。
その後は、うちの研究室にも、もう卒業してしまいましたけれど、すごくコム・デ・ギャルソンが好きで、常に着ているという学生がいまして、彼からちょくちょく話は聞いていました。服のことやデザインのこととか。これまで、僕はスタンスとしてはチャラヤンが好きという感じではあったんですけれども、今回松田さんから、このお話しを頂いて、実際にいろいろギャルソンのものを見たことで、かなり興味を持ち始めたというのが、正直なところですね。
松田 ありがとうございました。僕自身は、このなかで一番距離が遠いというか。 コム・デ・ギャルソンについて、実際に何か自分自身にとって大きな関わりがあったかというと、なかなか思い浮かばないんですね。その 意味では、今日はニュートラルに徹したいなと、半ばそう思っています。
年代で言うと、僕は1975年生まれですので、大学に入って建築を勉強し始めて、ある程度物心がついた頃には、コム・デ・ギャルソンと言えば既にもう、ファッション界の大御所中の大御所という認識でしたね。改めて自分がコム・デ・ギャルソンに衝撃を受けたというよりは、いろいろな人の話を通して、コム・デ・ギャルソンのことを知ってきました。建築家の中でコム・デ・ギャルソンのことを話す人が非常に多いことにも気づきました。そして実際に、建築界ではコム・デ・ギャルソンを好きな人が多いと分かって来ました。特に僕の中だと、妹島和世さんという建築家とコム・デ・ギャルソンというのが深く結びついていて—−妹島さんがよくコム・デ・ギャルソンを着られるというのは有名な話ですけれども−−そのイメージが第一にくるんですね。逆に言うと、自分は何となくその中にどっぷりとは浸かっていけないなぁという印象を持っていました。ファッションにはもちろん興味はあったんですけれども、自分の興味は世代的にももうちょっとストリートの方、裏原とかアンダーカバーとか、そのあたりで起こる出来事でした。
でも、せっかくこういう話を頂いたので、自分なりにコム・デ・ギャルソンのことを、どういう風に見て来たのかな と、知らない時代のことは本を読んだりして、知識を補いながら見ていくと、建築的な思考と通じるところと通じないところ、重なるところと重ならないところが、それぞれあることがわかって、それについて考える事はすごく面白いなと思えるようになりました。
その観点から、コム・デ・ギャルソンを考えるという事が、特に建築に関わる者にとって、どういう意味を持っているのかということについて、この後話していきたいと考えています。
さて、この中では坂牛先生が、コム・デ・ギャルソンの80年代あたりのことをリアルタイムで一番よくご存知ではないかなと思うのですが、先ほどのパルコでの出会い以降、特に建築家としてどういう風に見られてきたのか、よければ話して頂けますでしょうか。
建築家はファッションをどう見るか
坂牛 先ほどちょっと言いましたように、僕の研究室の学生が装苑賞に出すために、研究室で一生懸命服をつくっていました。マネキン持って来て。なんで製図室にマネキンがあるんだなんてことを、他の先生に言われたりして。これも研究の一部ですから、とか言いながらつくっているわけですね。全然服づくりなんかしたこともない素人が、一生懸命、ミシンで縫ったり、切ったりして。こんなんで出来んのかなって思って見ていたら、その装苑賞の最後の10人だかに残った。でも、やっぱり駄目なんですよ。駄目っていうのは、技術がないというのが如実に解る。僕らでも解る。やっぱ素人だなぁという気がしました。で、そういう素人が、僕のことですが、コム・デ・ギャルソンの服を一生懸命見ても、解んない事がいっぱい、あるんですね。逆に僕らは建築を見た時に、建築の技術的なところに気付いてしまいますよね。おそらく、それはファッションの方には解らないわけです。それと同じです。僕らが洋服を見た時に、どこが良いのか解らないみたいなことってかなりあるはずなんですよね。なので、その洋服のリアルなものについて、ここが良いとか、素敵だとかって話をし始めると、森永さんなんかは、ちゃんちゃらおかしいと思うでしょうから、その話はしないことにします。
そこで、川久保玲という人の、ものづくりのスタンスみたいなところに焦点を当ててみたいと思います。、そこにはクリエイターとして非常に共感する部分があったり、するわけです。その共感する部分として、彼女がものをつくる時に、パタンナーに、絵を描いて、これでつくりなさいということを、あまりしないというのを読んだ事があるんですね。どっちかっていうと、言葉で伝えて、パタンナーに考えさせるという作り方をしていると。そうだとすると、川久保玲という非常に強い個性を持った人が、自分の個性に徹するのではなくて、ある他者を介して自己を実現化しているのではないかということを感じるわけですね。もう一つ、川久保玲のブランドというのが、十幾つもあると聞いて、とてもびっくりしているのです。もしも、川久保玲がある一つの個性でものを作ろうとしているのであれば、ブランドは一個のはずだろうと。それが十何個もあって、どう統制しているのか良くわかりませんが、そのどれもに、強いアイデンティティーがあるように見える。これは色いろんな他者性を入れながら自らを拡散しているということなのかとも思います。
それから、コム・デ・ギャルソンのファッションショーを、ユーチューブでパラパラと観ていると、モデルを使わないで、一般人、あるいは有名人に着せて歩かせるショーがあったんです。そこでは、川久保玲のアイデンティティーが消えている感じがしたんですね。すごく個性的な顔がいっぱい出て来て、先に顔に眼がいくんです。そんなことは、彼女は計算済みなんだろうなあと思いましたが。一方で、頭にストッキングをかぶせて、顔を消したフェイスレスの状態で歩くショーをみると、圧倒的に、僕の注意は洋服にいくわけです。顔ってすごい個性だなと思うんですけども。つまり、彼女は意図的に、洋服に注意を向かわせていたり、一方では、洋服からわざと注意を飛ばしてしまったりするんですね。それは、さっきの強いアイデンティティーというのを、わざと消すみたいな操作とよく似ています。ものづくりだけではなくて、全体の見せ方を含めて、川久保玲という主体っていうのは、すごく他者性を入れながら、他者性と摩擦をおこしながら自分の主体をぐっと鮮明にしている。そういう操作を戦略的に、あるいは感覚的にやっているんだなと感じます。
それって、建築をつくる時にも起こることで、他者性をどういう風に取り込むのか、取り込まないのか。エクスクルーシブに主体性だけでものを作るのかということと、共通したところがあります。そこが、同じクリエーターとしては、非常に興味深い。
80年代は、とんでもなく強い個性だと思ってましたね。でも、どうもそうではないのではないか、と考えるようになってきました。強い個性なのは当然なんですけれども、その作り上げ方がどうもエクスクルーシブに自分の個性だけで、作っているわけではないということがだんだんわかって来たのです。
松田 その他者性の話でいうと、スタッフにコンセプトだけを伝えて服を作っていくというので思い出したのですが、ル・コルビュジエも似たような事をやっていますね。有名な話ですが、ブリュッセル万国博覧会におけるフィリップス館の設計の際、インドに行く前、所員のイアン・クセナキスに対し、クシャクシャっと紙を丸めて渡し、それをクセナキスが解釈していったことから、ブリュッセルのパビリオンが出来上がっていきました。そういう過程がかなり似ていると思います。実はさっき、ディヤン・スジックによる コム・デ・ギャルソンについての本の最初のところで、川久保玲が会話の中で、ル・コルビュジエを賞賛するようなことを言っていたという記述を見つけて、僕は結構びっくりしたんですね。要するに、モダニズムを体現した人の ことを、川久保玲がある意味、フォローしていたということにびっくりした。もしかしたら、さっきの話も知っていたのかもしれない、いずれにせよやっていることがすごく似ているような気がしてきたんです。
で、話しはちょっと戻るんですが、坂牛先生が先ほど、具体的にファッションのディテールについて、今日は話をしないとおっしゃっていて、僕も確かに全然分からないことなのですが、今日は森永さんもいらっしゃることだし、デザインにも触れてみたいと思います。
南谷えり子さんという、元ELLEの編集長の方が書かれた『ザ・スタディ・オブ・コム・デ・ギャルソン』という本のなかで、服の作り方をパターンを使いながら、かなり紹介しているんですね。線を入れるとそこにダーツができるとか。これを見た時に、建築的に理解できる部分が結構あるなという気がしたんです。要するに、川久保玲のアシンメトリー性みたいなものがどうやって出来ているかということが説明されていたのです。布を無駄に使わないとか、布のかたちなどの前提条件から多くのことは決まっていて、単に意匠的にアシンメトリカルになっているわけではなくて、布の使い方を順番に考えると出てくる 合理的な形であると。つまり、見た目の印象でつくるのではなく、布の形状にあわせて生まれた合理的なアシンメトリー性を良しとしている。これはすごく建築的な感じがしました。建築的な 部材の使い方にも似ているなあと思ったんです。
坂牛 先程の、装苑賞に出した女の子は、建築学科を卒業するときに行う卒業設計を、服飾理論でつくりました。一枚の布から建築をつくる。布って言っても、それを硬化させたりしなくてはいけないのだけれども、一枚の長い部材を切り刻んでいって、つまり無駄にしないで、それを全部使う提案をしました。日本の反物のような考え方でね。で、そうやってグジュグジュグジュってやると、当然の事ながら、アシンメトリーになるんです。めちゃくちゃになるんですけども、今話を聞いていると、コム・デ・ギャルソンの服と、その学生がつくっている建築は結構考え方の上で似ているのかなと思いましたね。
脱構築とコム・デ・ギャルソン
松田 その関連で、今度は入江さんにお聞きしたいと思います。コム・デ・ギャルソンの服で、特に、82年から90年代の初めくらいに、アシンメトリカルだったり、ぼろルックと言われたような形状が出て来るんですが、建築でもある意味似たような造形がはやった時期がありますね。ポストモダニズムといわれる建築の後に、デコンストラクションや 脱構築と表現される建築をつくる建築家が何人か出て来ました。見た目に崩れたような印象のデコンストラクションの建築と、思想で言う脱構築との関係が話題に上がったりもしました。ファッションの世界で、80年代後半あたりに、川久保玲と 脱構築を結びつける人がいたのか気になります。入江さんは、デコンストラクションの建築に興味を持たれて、その研究もされていたわけですが、入江さんから見て、川久保玲によるコム・デ・ギャルソンの服と、脱構築「的」な建築とのあいだに、何か結びつきや似たところは見られるのでしょうか。時期的には、重なるんですよね。80年代の後半ですから。
入江 僕は言葉を使うときは慎重でないといけないと思っているんです。確かによく言われますね。コム・デ・ギャルソンというと、脱構築だね、みたいなことは。僕は、わからないので、ひとまず言わないことにします(笑)。
ただ、僕がここで、コム・デ・ギャルソンに興味を持てるというのは、おそらく僕が建築物をみるときも、つくる時も、一番重要視する「形式」とか「構成」とかという部分なんです。僕はよく学生に、お笑いの、M-1グランプリ、あれをよく観察するようにって言ってるんですが、漫才のなかで、どうやって形式を崩すかってところに、笑い飯が出てきたわけですね。典型的な古典では、ボケとツッコミってことで、技術的にそこに挑戦しようという人はいるんですが、笑い飯が出て来た時は、お互いボケとツッコミをくるくる反転しながらやるということで、典型を崩しにかかったと。そこが評価されたんです。その場的に面白いことを言う芸人はいるんですけれども、やっぱり形式とか構成とかの部分でで、新しいものを出していくことで歴史にも残りますし、僕もそこを重要視しています。
ギャルソンに関しては、カッティングの仕方とかは、分からないですけれど。やっぱりそういうところがおもしろいですね。脱構築とは言いませんが、非常に挑戦している部分があると思うので、そこにものすごく興味がありますね。ただ単にかたちをゴチャゴチャにすればいいわけではなくて。根本に何かがあるんですね。
ギャルソンを語るのに、自由とか解放とか身体性とか精神性とかいろいろあると思うんですが、そういうところに持っていくために、形式を崩していくことがあると思うんです。例えば、ちょっと前に、「草食男子」という言葉が出てきましたが、おそらく、これについても、はるか以前に川久保さんは、中性化という問題を取り扱ってたと思うんです。.一般的にみて、男性だからこういう風に見えないといけないとか、女性だからこういう風にみえないといけないというような型枠、一つの古典的な形式ですけれども、それを崩すというか。ニュートラルにしただけなのか、そこはちょっと分かりませんが、その中性化にいく方向性というのは、前から持っていたんじゃないかなと、そういう見方をしてます。
さっきのマネキンの話なんですけど、実は僕も買おうと思ってまして。それで、色々かぎ回っていて、キイヤっていうメーカーのものがいいらしい。
坂牛 マネキン買ってどうするの?(笑)
入江 いやいや。色々ありますよ。建築の図面描くときってどうしても、二次元が前提になりやすいでしょう。平立断にしても。それをどうにかしようと思って、スタディ段階で、CG使ったりするようにしているんですけれども。生地というのは面だから二次元だとすると、でき上がった服は三次元になるけど、収納の仕方とか生産の仕方を考えると、二次元にならざるを得ない。その辺、マネキンっていうものは、ボリュームのある立体なので、これを使って、二次元的なものと三次元的なものとの間を行ったり来たりしながら作っていくというところが、ファッション系の面白さだなあと。建築でも、何かスタディ段階での方法を、考えて見ているところなのです。
松田 まさに建築でも、図面と模型とを交互に見るという意味で、ファッションの二次元と三次元を往復する動きと同じよう なことをやっているなぁと思います。
坂牛 ファッション画には、後ろと前しかなくて、横がないって、森永さんどこかで書いてませんでしたか。
森永 はい。洋服で一番最初に習う事は、人の身体をいかに包むかということと、マネキンなんです。原型とされるものをもとに展開していくことを習うんですけれど。最初、パターンは、左身頃半分のものしかもらわないんです。それを、対称に、反転して作っていきましょうっていうのが基本で、つまり、アシンメトリーはありえないという教育を受けるんです。やっぱり、人の身体の上で洋服を作る以上、人の身体をベースにしなくてはいけないので、なかなか新しい造形へのチャレンジや、人の身体と布との間の空間づくりということなどには限界があるということがわかってくる。その人の身体が変わらない限り、新しい洋服は生まれないと、鷲田清一さんも言っていますが、その、人の身体自体を問い直すことというのを、まずしなくてはいけないのではないかと思いましたね。そこから、マネキン自体を変形させたり、まったく人の身体とは違うものにしてみたり、そういうことを追求して、ここ最近やってきているんですけれども。
たとえば、この、球体にしても、いま、僕が着ているものが、まさに球体のボディで作った服なんですが。もちろん、球体の形をした人間っていうのはいなくて、結局誰の身体にも合わないという、SMLのサイズで人の身体に合わすという概念を超えたところで、誰にも合わない洋服を作ることで、逆に誰でもが着れる可能性が探れないかと考えました。これにもサイズはありますが、従来の性差であったり、人種の違いや体型の差、そういうものを少し越境するために、今後も、色々とマネキンの問い直しというのが必要になっていくのではないかという考えです。
坂牛 その話は衝撃的でした。それを聞いたときに、建築ってなんて堅苦しいんだろうって思ったんですよね。やっぱり建築もクライアントという「着る人」がいる。その「着る人」が変らないと建築も変わらない。それだったら、もっと新しい人間を勝手に想定して作る建築があってもいいんじゃないのっていう風に思いました。
こぶドレスと森永邦彦
松田 いまの森永さんのお話で、球体の服の話が出ましたけれども、その森永さんのコレクションをいくつか拝見していくと、肩に羽のようなこぶっぽいのが付いていたりするのがありますよね。コム・デ・ギャルソンのこぶドレスとの関連性をいろんなところでインタビューで聞かれていて、その度ごとに森永さんは違うと答えられていましたが(笑)、でもすごく気になりました。若い頃に、こぶのドレスを見られたという話をされていたので、きっとまったく関わりのないものではないのだろうなぁと思うのです。そういう意味で言うと、南谷さんも書かれていましたが、コム・デ・ギャルソンは幾何学的なものは、むしろ、やらなかったと。幾何学的なものを作るよりも、裁断していくうちに出てくる非幾何学的なものをそのまま使ったという印象があるんです。でも森永さんは、どちらかというと幾何学的な形状を、つまりコム・デ・ギャルソンが使わなかったものを、使われようとしている気がするんです。そういう意味で、こぶドレスも含めて実際に服を作る段階では、どのようにコム・デ・ギャルソンのことを考えられていたりするのでしょうか。
森永 こぶドレスは、96年の秋に発表されて、僕が知ったのはそれより後なんですけれども。見たときの衝撃っていうのがすごくありましたね。まず、あれが美しいのかどうなのかということから判断ができなかったのです。コム・デ・ギャルソン自体はそのあと、どんどん好きになって、川久保さんの作るものも思想も、もうすべてを受け入れられるくらい陶酔してしまったんですが、でも、やっぱり、こぶドレスが、消化できないわだかまりみたいな形で残っていました。
で、あの時、川久保さんは、身体が服になり、服が身体になるといったことをおっしゃっていたんです。で、確かマックイーンが、異なる性や変わった体型を受け入れたり、認めたり、それを美しいと思えることが知性であるといったことを言っていたのです。にもかかわらず、僕の中では、それを美しいと言ってしまっていいのだろうかという疑問があって。要は、あの服には造形的な美しさはあると思うんですけど、日常の中での洋服としての機能を考えた場合、どうなんだろうということなんです。僕の中でのひっかかりはそこで、妹島和世さんなんかは着用されていますが、美術館や、アートギャラリーで飾られたり、手の届かないところで見る分にはいいんですけれども、やっぱり着用するという時点で、難しいところがあるとずっと思っていたんです。
松田 西洋的な身体を信じない、という意味では、川久保さんと森永さんは共通しているのだと思いますが、森永さんにとって、おそらくコム・デ・ギャルソンの中で唯一フィットしないのがこぶドレスで、だけどそこに、森永さん自身は別のオルタナティブな可能性を、ファッションを通して見つけていかれようとしているのかなと感じました。こぶドレスをみて、逆に何か突破口にされている感じがあるのかなという風に僕は思ってしまったんです。
森永 やはりネガティヴな印象が、どうしてもあったんですね。こぶドレスに対しては。それをポジティヴに転換していこうとしました。こぶドレス自体は今でもすごい挑戦だったと思いますし。ファッションのサイクルって半年ごとに切り替わっていくので、あれだけの素晴らしいコレクションでも半年間でクローズして、それ以降、川久保さんは語らず、誰もそこに触れてはいけないという扱いになっているように見えました。でも、自分も服づくりの道を歩き出してみると、今自分がやっている事によって、どう価値を追加できるかと考え始めていました。あの偉大なコレクションに挑戦するというか。あのこぶというのは、取れない身体のこぶっていう形でしたが、人の身体っていうのは、例えば妊娠で膨らんだり、体重の増減でも変わったりしますから、こぶというものも固定化されるものではなくて、もう少し変化をして相対的になる可能性があるということを空気を使って表現してみたんです。コレクションではこぶに見えるんですが、空気が抜けた状態では、その異質な塊が重力によって落ちて、ドレープになって日常まとうことができるという、その二面性を見せたかったんです。
松田 空気を抜くとまた別のかたちにフィットするとか、必ずしも形態的な意図だけではないところもあるわけですね。そこはある意味、先ほどの球体の服と共通するところでもあるわけですね。
森永 物体を流動化させることっていうのは、こぶドレスを知った当時から、もしあれが日常着れるとすればこうだろうっていう想像をふくらませてきましたから。
坂牛 先程の、僕の先輩は、こぶドレスのこぶを取って来ているそうです(笑)。そうすると取ったところがホニャホニャになるんですが、それがすごくいいって言うんです。機能的に必要なところがルースになっているわけではなくて、全然関係ないところがルースになるんだけど、その感覚がすごくいいっていうことを言っていて、ちょっとびっくりしました。この話を聞くとさっき松田さんが言ったみたいに、服というのが、西洋的な美しい身体にフィットして美しいという概念は、そうじゃないんじゃないのという気になります。ある場所が少しゆるいっていう。その感じというのは、なにか、新しい服と身体の関係が生まれてきているのかなと感じます。
コム・デ・ギャルソン的な建築って?
松田 先ほどの入江さんのお話の「形式」の話で言えば、コム・デ・ギャルソンはやはり形式を毎回崩して、つねに新しい何かを打ち立てようとしてきたのかなという風に思うんです。で、そういう意味で言うと、建築で毎回形式をゼロまで崩す事はすごく難しいという思います。建築はそもそも何らかの構成か、ロジックがないと最後まで組み立てていけない。だから、ひとつの建築を毎回ゼロから組み立てていくのは大変だと思うのです。それで言うと、毎回その形式を崩すような建築をやっている人っていますでしょうか。入江さんから見て、つまりは、建築でもっとも川久保玲さんに近い建築家を探すとしたら、どういう人がいるでしょう 。
入江 僕は、全然思い当たらないですよ、正直なところ。それくらい衝撃を受けましたね。今回、いろいろとコム・デ・ギャルソンを見ていく中で、川久保さんの姿勢も含めて見ていると、自分が知識として経験したことのないデザイナーなので、ちょっとびっくりした余韻が続いてる、っていう状態ですね。
坂牛 そうやって毎回形式を変えていく変え方が川久保玲さんはもちろんすごいんですけど、モードというものは、基本的に、そういうメカニズムの中にくり込まれているんじゃないですか。ロラン・バルトが「シャネルとクレージュ」という文章を書いていますが、そこで面白いのは、シャネルは、バルトに言わせると、モードに意義申し立てをした人間だっていうわけですね。なぜかと言うと、一年毎にデザインを変えないというわけです。ちょっとずつ変えて、それを一つのトラディションにして、富裕層がそれを定着させていくことによって、ある種の階級制を作っていく。それをバルトはディスタンクシ(=差異、洗練)という言葉で呼んでいます。クレージュは違う。クレージュは、モードだ。毎年毎年、若い女の子にバーンと新しい服を着せて変えていく。そこからモードというものが確立されていくと。
それが、消費者社会の原動力にもなって行くわけです。で、僕はポスト消費社会になった時に、モードっていつまでこう言うことが続くのだろうかと言う風に思うところもあります。毎年毎年変えるなんてもったいないと思うわけです。まあ、だからといって、そんなに簡単にモードが変わるとは思えませんけれども。建築でも、ポスト消費社会の中で、しょっちゅう変えるなんていうこと自体が、ある種、テーゼとして成り立たなくなってきてるところがあるじゃないですか。建築ってモードだなって80年代は思ってたんです。伊東さんが「消費の海に溺れよ」って言ったりしてわれわれはだいぶそれに鼓舞されました。でも今、だいぶ変わってきていますよね。モード化しない建築の方が正しいみたいなポリティカル・コレクトネスが現れています。ですから今の建築界にそういうモード的な人がいるかといったら、いても、実行しづらい状況でしょうね。
松田 確かに、建築のファッション性みたいなものが、80年代ぐらいにはありましたね。建築がどんどん、数年ごとに変わるような印象があったんですけども、今はそれが是として認められるような空気はほとんどないという感じはします。
もう一つお聞きしてみたいのは、コム・デ・ギャルソンが、全部で16のブランドを同時並行で運営していて、それが全部、それぞれの方向性が、リンクはあっても違っていると。ファッションの中で、これはどれくらい特殊なことなのかを、まずは 知りたいなと思ったんです。で、おそらくそれは、毎年変える、毎年形式を壊すということも含めて、川久保さんが何かを作るときに、クリエーションと同時に、ビジネスもそこに繰り込んで考えられていたから、ということが大きいと思うんです。南谷さんの本の なかでも、川久保さんにとっては ビジネスも一種のクリエーションだと書かれていました。ビジネスは、クリエーションをするための環境をつくることで、非常に重要だと。つまり、アヴァンギャルド性みたいなものと、ビジネス性という ことを、同時並行で考えている。建築においても、そういう ことは必要なんですけれども、それをちゃんと実践されているのはすごい と思うんです。ファッション業界の なかだと、やはり、年に2回のコレクションで出していくもの と、実際にビジネスとして運営しながら出していくものは、多分違うんだろうな と素人ながらに思うんですけれども。そこから見ると、川久保さんがされている事は、ファッション界だとどういうポジションなんでしょうか?すごく特異なポジションなんでしょうか?それとも誰もがやっているような事なんでしょうか?例えば、16のブランドといっても多いのか、少ないのかという、基本的なところからの質問なのですが。
西谷 では、私が答えます。16ブランドあるといっても、川久保さんがデザイナーとして担当しているものばかりではありません。渡辺淳弥さんがやっているジュンヤ ワタナベとか、丸龍文人さんがやってるガンリュウとか、あとは、トリコという栗原たおさんがやっているものとか。そういう風にデザイナーも、今3人擁立しているんですね。この中で、川久保玲が直接手がけているコレクションラインのコム・デ・ギャルソンと、メンズの、コム・デ・ギャルソンオムプリュスというのは、これはもうかなりシーズン毎にガラっと変わります。ショーの見せ方も含めて、これとジュンヤ ワタナベのメンズとレディス、それからコム・デ・ギャルソン・シャツの5ブランドが、パリコレに参加する、最もクリエイティブなブランドですが、あとは、コム・デ・ギャルソン・コム・デ・ギャルソンという、かつてのコム・デ・ギャルソンのいろんなアイテムをもう一回作ったりするラインがあったり、ブラックという少し値段も押さえて普通の人が買いやすい様なラインがあったり、プレイのTシャツのラインとか、香水のラインとか。いわゆる、コレクションブランドというものはシーズンごとに大きく変わりますが、あとは、変化はあっても、そんなに大幅に変わるわけではなく、定番のラインだったり。トレンドに寄り添ってというよりは、コム・デ・ギャルソンらしい感じをキープしつつマイナーチェンジをしている感じですね。その分、コム・デ・ギャルソン自体は、リスキーなチャレンジをしています。
松田 要するに、一番アヴァンギャルドなものをちゃんと成立させるための環境そのものを、やはり全体として 設計しているということなのですね。
西谷 それも含めたものがデザインだと、川久保玲はインタビューでも繰り返し答えていますよね。さらに、今は、ブランドだけではなくて、「ドーバーストリート・マーケット」というセレクトショップも展開して、売るという形でもクリエイティブでありえることを見せてはいます。
松田 要するに 他にもいろいろなブランド やショップがあり、その中にコム・デ・ギャルソン自体も入っているような、環境そのものを、実は設計しているわけですね。それもすごいことですね。
西谷 ですから、1ブランドに閉じこもってはいないのです。
坂牛 そういうデザイナーっていないんじゃないかな。これだけの展開をして、自分独自のブランドを2つくらい持ちながら。 でも、いろんな事をフラットに並べるなんて。
SHOP/浅子佳英の『コム・デ・ギャルソンのショップ空間』から。エクスクルーシブからインクルーシブへの変容
入江 5月の半ばに、大阪のギャルソンのほぼ全店舗を見て来て、昨日は東京の路面店と、いくつか百貨店とを合わせて見て来たんですけれども、それぞれに色があり、売り方の戦略がありますね。普通のインテリアではやらないようなことをやっていて、その辺、浅子佳英さんが文章で書かれていて、すごくうまくまとめられていると思いますね。それからドーバーストリート・マーケット。これは、ある種すごいなと思った。浅子さんの話ともつながると思うんですけれども、実際に行ってみて思ったのが、浅子さんの分析は、コム・デ・ギャルソンの店舗の分析であると同時に、日本の百貨店というものが、なぜ衰退していったのかの分析になっている。言ってみれば、他のブランドのために門構えを作ってやっていると。それが一階のファサードにまで現れているから、本来、その差異で売っていくべき百貨店が、差異自体がなくなって来てしまっていると。例えば、プラダとかヴィトンっていうのが、同じ様なかたちで、どの百貨店にもあるわけですね。そういう中で、ギャルソンというのは、そういう百貨店と比べて、セレクトも内装もちょっと違う作り方をしているわけですよね。で、そのブランドも川久保さんがチョイスしているって聞いたんですけれども。色々チョイスして、新しい百貨店の形式っていうのを、あの銀座で作っているのかなという風に思えて。行ってみて初めてこういう事かと納得できておもしろかったですね。
松田 浅子さんの論文は、僕もとても面白く読みました。コム・デ・ギャルソンのショップの形態を4つに大きく分けていて。第一期はコンテンツ型、第二期はプラットフォーム型、第三期はマーケット型、第四期はグラミンフォン型という名前を付ける。例えばコンテンツ型だと、百貨店の中で、その条件において店を作る。第二のプラットフォーム型だと、それが外に出て、路面店という形式をつくる。第三のマーケット型だと、コム・デ・ギャルソンが店のなかの1つの要素として、店が置かれる環境そのものも全部作っているという状況だと。で、最後のグラミンフォン型だと、ゲリラショップみたいなかたちで、ヨーロッパの様々な都市に一年限定というかたちで店をつくっていくというわけですね。そういう状況を、四段階に分けているんですね。それだけ変化がある事もすごいと思いますが、浅子さんの論文の最後に、この次の 第五期というものを、もし付け加えるとすれば、今度はコラボレーション型かなと思いました。数年前にH&Mとコラボレーションをしたり、要するにファストファッションみたいなところとも、複雑なかたちで共存していくことも試みています。そんなに簡単にはできないことだと思うんですけれども、すごく身軽に、だけれども、決してそこに完全に移ってしまうわけではない、というポジションを、しっかりと確立しながら展開されている。どうしてこんなに的確に動いているんだろうとすごく不思議に思ったりもするんですが、ファッションの方からみると、例えばコム・デ・ギャルソンがH&Mと組んだり するということは、どのように映っているんでしょう。
森永 驚きですね。
松田 やっぱり驚きなんですね(笑)。率直に「驚き」だとお聞きすると、やはり先読みしてると思うんですよ。色んなことを考えて、決断があったと思うんです。で、そう決断する立場に自分をおいてるってこと自体が大事なのだと思います。経営者となった理由は、まさにそういう重大な決断をするためになんでしょうね。1991年でしたか、ヴーヴ・クリコのビジネスウーマン賞みたいのも取られていたりするんですよね。こういう手腕にも、すごく感心します。建築でも、こんなに経営がうまい建築家って、なかなかいないでしょうね。隈研吾さんとかは、そうかもしれないですが。経営とコンセプチュアルなハードコアの部分を同時にやれる人って、どの分野でもなかなかいないと思うので、その意味でもすごいなぁと。
入江 内装と絡んでるんでしょうけど、いろいろな店舗に行って思ったのが、僕なんか、学生時代には、コム・デ・ギャルソンっていうのは、学生にとっては出しにくい金額の高級なブランドというイメージでしたので、中に入ることはなかったんですね。そういう意味で、未知の世界だったのが、今回、まずは大阪の方から回ってみると、店員さんがよく喋ってくれるんですね。で、いろいろ説明してくれる。浅子さんも書いてたと思うんですけれども、商品は全部は並んでないんですよね。だから、話していく中で、実はこういうのもあるんですと言って、奥から出してくれるんですね。そうすると、自然とコミュニケーションが発生するわけですね。今まで、そういうブランドショップっていうと、煌煌とライトに照らされて、店員さんにずっと見られていて、すごく緊張するような印象があったんですが、ちょっと雰囲気が違うなぁと思いました。これはやっぱり大阪だからかなぁと思っていましたが、東京に来てみると、東京の店員さんもよくしゃべってくれるんですね。で、いろいろ説明してくれる。売り手側と買い手側の関係っていうのも、変わってきているという印象を持ちましたね。服のこともいろいろ教えてもらって、すごく時間を楽しめましたね。
松田 もしかしたら、他のブランドショップに比べて、ギャルソンは圧倒的に1つの店舗に置いてるアイテムの数が少ないんじゃないかなって、直感的には思うんですけど。
入江 裏にあるんですよ(笑)。
坂牛 アクシスにつくった店は置いてなかった、一着も。で、喋ると出してくる。
松田 それはすごいですね。
坂牛 さっきの、よく話すっていうのは、80年代当初は、おそらく絶対喋らせなかったんじゃないかっていう気がするんですね。冷徹にクールに、客を客と思わないみたいな感じ。そういう視線を感じてましたよ、僕は。その後意図的に変えてきたんでしょうね。
入江 変わって来たんですかね。
西谷 ここ10年くらいじゃないでしょうか。
坂牛 そうですよね。
西谷 やっぱりプレイとかが変わったきっかけではないですか。今は、あの屋台みたいな感じで売ったりしていますし。きっとその辺で何か戦略上の何かがあったんでしょうね。
坂牛 それはおそらく、建築なんかでも非常にエクスクルーシブにデザインをして、人を寄せ付けないような、人間味のない感じの方がいいっていう時代が、モダニズムの頃にはあるんだけど、それが徐々にインクルーシブに色んなものを受け入れるようになっていく。家具でも、人でも何でも。いいよ、この空間にどうぞっていう。それは建築専門誌なんかでも、何もないところを撮ってきたのが、ある時に、新建築のJTっていう住宅特集では、人が使って、家具が入ったのを撮り出した。社会がイクスクルーシブネス(排他性)を認めなくなってきているのだと思います。人間が使ってなんぼみたいなところが出て来て、そういうことが売り方にも現れているんじゃないかなと。
発想の豊かさ
松田 森永さんの目から見て、やはりコム・デ・ギャルソンには、クリエーションだけでなく、ショップから見える経営の仕方など、他のブランドと一線を超えたような違いがあるんでしょうか。
森永 独特過ぎますね。(笑)
松田 簡単には真似できないという感じでしょうか。
森永 発想がないんですね、普通にビジネスをやろうとした時に。
松田 ビジネス的な観点からいって、一番発想がすごいと思うのはどういう部分ですか。
森永 全てすごいですけれども。ゲリラショップっていうのがありましたよね。あれ、確か、ファッションでない人がやってるんですよね。建築家とか、飲食の人とか、文房具の人とか。そんなリスクのあることっていうのを、やろうと思う発想自体が違いますね。
松田 やはり「手法」が本当に豊富なんですね。たとえば、1988年から1991年の間は、「Six」って雑誌をつくっていますね。いま手元に第1号があります。こういう雑誌の存在は、もしかしたら一時期はブランドのなかでは当たり前だったかもしれませんが、実に自由につくられていると思うんです。いろいろな人が関わっていることが感じられて、あまりコム・デ・ギャルソンの服を全面に紹介されているわけではない。コム・デ・ギャルソンが出している雑誌だとは、ほとんどわかりませんよね。ここに関わっているクリエイターたちが、それぞれ自分の好きなことをやれる場を提供しているような、そんなことを感じられる雑誌なんです。
入江 だから、現代の、ネットで知らないうちに流通することに対しての、違和感があるのかなと僕はは思いましたね。さっき店員さんの話をしましたが、店員さんとか、空間を通して、はじめてその服に出会えるというか、そういう場所性というのか、機会っていうのか。そういうことなのかなと思いますね。今や、どのブランドもネットですぐ買えたり、簡単に流通しているじゃないですか。ギャルソンは、その辺をすごく慎重にとらえているのかなという気がしましたね。それはある種、好意的に受け取ったという意味ですが。
松田 いろいろなことに手を出しながらも、超えちゃいけない一線っていうのを、すごく明確に持っていてだけど、それは絶対のものではなくて、ある時、自分の領域を一瞬変えて、インタヴューに応じたり、アーティストを起用した小冊子を作ったり、アートの展覧会を、店舗の内部でやるとか。自分の領域を少しずつ拡張して、でも一気に広げる様な事はしない。ファストファッションとも手を組むけれど、ある時、突然やって、それで驚かすみたいな。だからメディアというものを、すごく良く知っているんじゃないかなと。その中でファッションという領域を、しっかり持ったまま、ものすごいバランス感覚で40年間続けられてるんだなと、そこにあらためてびっくりします。そういう状況ってとんでもないな、という気が本当にします。
坂牛 社会の中のいろんなメカニズムのステレオタイプには、絶対迎合しないという様な。でも少し波が収まったら、乗る場合もあるみたいなところを感じますよね。
例えば照明の話ですが、洋服の店って照明もスポットライトを当てたり、少し柔らかめの光を使ったりしますよね。で、僕の経験的な話だから、正しいかどうかは解らないけど、蛍光灯をギラギラに光らせるっていうお店を最初に見たのは、コム・デ・ギャルソンのような気がする。青山の昔の店は蛍光灯がブワァーって並んでる天井でしたよね。あれは衝撃的でしたね。なんでこんな蛍光灯がギラギラしてるんだ、って。不快なくらい明るいっていうか。眼がチカチカするっていうか。今でこそ、あえて蛍光灯の寒々とした色を店で使うデザイナーもいるけれどその当時はないからね。それも、さっきのモルタルの亀裂と同じように衝撃的な事件だったなと、振り返ればそんな気がします。
ルネ・ブリ、ル・コルビュジェ
松田 そういえば、その青山の本店で、いまルネ・ブリっていう写真家と組んでいて、柱の一部や店内中のいろんなところにルネ・ブリの写真がありました。ルネ・ブリはル・コルビュジエの写真、特に後期の写真を撮った事で有名なんです。
坂牛 れは授業でもやっていますが、建築写真家には建築をフォトジェニックに撮るシュルマンみたいな人がいて、徹底的に映画のセットみたいに建築を作り上げて、ハリウッドのモデルかなんかを置いて撮ったりするのに対して、ルネ・ブリは、建築をショーアップするのではなくて、建築と人との関係を撮る。だから、ユニテ・ダビダシオンの屋上にブワーっと人が居るとか、ロンシャンの前に参拝者が沢山礼拝している写真などが有名です。僕は今コム・デ・ギャルソンでやっている写真展を見てないからわかんないんだけど、川久保さんがエクスクルーシブにものを売ったり、作ったりするのではなくて、インクルーシヴに人を受け入れるっていう姿勢が、ルネ・ブリの写真を選んだのではないかと感じました。
松田 単なる仮説なんですけれども、川久保さんは、ル・コルビュジエという人のことを、すごくよく知っていて、もしくは意識されていて、ある部分コルビュジェのやり方を踏襲したところがあるのかなと。先ほどの話もそうですけど、ルネ・ブリでまた思い出して、つながりを感じてしまったところです。
坂牛 さっきの先輩の建築家に「なぜコム・デ・ギャルソンを着たの?」って聞いてみたら、「着れると思ったから」って言うんですよ。着てみると、すごく着やすいって言う。最初はそんな風に思わないじゃないですか、少なくとも僕なんかは、アートだな、みたいな。そうじゃなくて、着やすいと。で、彼女が言ったのは、コムデギャルソンにはエキセントリックなデザインと日常的な感覚が共存しているっていうわけです。おそらくクリエイターが、長持ちするのは、そういうところかなとと思いますね。建築家もそうですコルビュジェなんかも、当時にしてみれば、あんな白い箱をパリにつくるなんていうのは、とてもエキセントリックな感覚なんだけれども、カップマルタンの自分のアトリエとか、レマン湖畔のお母さんの家とかは、すごく日常的なんですよね。そういう感覚があるんですよね、どっかにね。その共存の仕方が、やっぱりクリエイターの必要条件かな、という感じがします。
松田 それでは、今日はいろいろなお話をありがとうございました。コム・デ・ギャルソンについて、これだけ多方面の話をお聴きできて、とても楽しかったです。コム・デ・ギャルソンの場合は、必ず、次にまた新しいことがされていくと思うので、これからもすごく楽しみにしています。皆様、どうもありがとうございました。
初出 <座談会>「建築、設計、コムデギャルソン――デザインと構造分析からコムデギャルソンを解体する試み」、西谷真理子編『相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか』フィルムアート社2012所収