「ル・コルビュジエの開放力」
i 八束はじめ、『ル・コルビュジェ』 岩波書店 1983.
ii 藤田純也・坂牛卓、「ル・コルビュジェ」、『a+u 』 8401 p.146-147
iii チャールズ・ジェンクス著、佐々木宏訳、『ル・コルビュジエ』sd選書(1973)1978
iv ニコラウス・ペヴスナー著、鈴木博之訳、『世界建築事典』鹿島出版会(1975)1984p.401
v アレグザンダー・ツォニス著、繁昌朗訳、『ル・コルビュジエ-機械とメタファーの詩学』
鹿島出版会(2001) 2007 p162-163
vi 坂本一成、奥山信一、坂牛卓「素材と建築デザイン」『華』vol.22 2001-2002 p.02-06
図1:
Le Corbusier:コンクリートのテクスチュア
図2:
坂本一成,水無瀬の町家 東京 1970:
ix アンドレ・ボジャンスキー著、白井秀和訳、『ル・コルビュジエの手』中央公論美術出版(1987) 2006 p.97
図3:
Le Corbusier, The Unite d`habitation in Marseille 1952:
図4:
Le Corbusier, Villa Savoye Poissy near Paris 1931: 人体形の浴槽側壁
x アレグザンダー・ツォニス、op.cit. p.157
xi ウィリー・ボジガー編、吉阪隆正訳、『ル・コルビュジエ全作品集』第一巻
xii 自作「リーテム東京工場」東京,2005(図5)はピロティ、屋上庭園、そして前節で示した、質料性なども多く考慮した作品である。
xiii 坂牛卓「窓そのメディア性」プロスペクター監修『現代住居コンセプション』INAX出版2005 p.108-109において窓の持つ意味を詳述した。
xiv 自作「連窓の家II」東京2000、「連窓の家II」長野2001では、窓が内外の新たな関係性を生み出していく装置として機能することを意図し、 コルビュジエの横長連続窓を基本に縦横無尽に展開する窓を考案した。
図5:
坂牛卓 リーテム東京工場 東京 2005
図6:
坂牛卓 連窓の家#2 東京2000
図7:
連窓の家#3 長野2001
図7: 藤森照信(上) タンポポハウス 東京 1995、(下)高過庵 茅野市2004
今から20年ほど前、私は八束はじめ氏の著書『ル・コルビュジエ』iを書評する機会に恵まれたii。
当時八束氏はモダニズムの建築家あるいは建築運動のもつ二重性(近代性と非近代性)を浮き彫りにしようと試みていた。チャールズ・ジェンクスが既に10年前に浮上させた一枚岩としてのモダニズムへの疑いiiiを氏は展開、提示してくれた。その内容は端的に言えば、モダニズム建築がそのテーゼと言われる合理性や機能性のみによって駆動した運動ではなく、およそモダニティという概念から逸脱するさまざまなベクトルの上に成り立っていたということであった。
この書が出版された頃、私は卒業論文でル・コルビュジエが描いた軸測図の建築的意義を検討していた。その内容は次のようなものだった。コルビュジエは3次元図法として当時機械製図で使用されていた軸測図を多用し、ルネサンス以来の透視図に縛られない新たな視点の獲得を意図した。しかしその使用法を同時代のヨーロッパの前衛であるデ・スティールの建築家たちと比較するなら、彼らの軸測図の方がより機械的、客観的描写となっていることが分かる。そうした諸点から、私はコルビュジエの前衛性の中に見られる相対的な保守性を導き出そうと試みていた。
その意味で卒論を書き終わった頃に出版された八束氏の著書に私は我が意を得たりという気持ちであった。つまりコルビュジエは一枚岩ではないということである。
1. コルビュジエの質料(形以前)
モダニズムの二重性議論が一段落し、90年代、コールハースによるミースのアノニミティを称揚するような時代の感性の中でコルビュジエは再度白い箱に還元された。ミニマルな直方体が量産される基盤としてモダニストの抽象性が前景化した。しかし21世紀にはいり、今再びコルビュジエの2重性が意味を持ち始めているように思われる。
1.1 べトン・ブリュット
後期コルビュジエの打放しコンクリートはコルビュジエ自らが「べトン・ブルートB?ton brut (生のコンクリート)」と呼び(図1)、1954年イギリスでブルータルリズムと称されることとなるiv。モダニズムの運動とは形や思想、すなわちアリストテレスの言葉で言えばその形相を尊重するイズムであり一方の極である質料を見放した。ところがその運動の終了寸前においてこの見放された質料を再考させるような批評の言葉が生まれた。それが「ブルータリズム」である。その意味でこの言葉の意味するところは大きい。 そしてコルビュジエは自らこの質料性の意味に自覚的であり、その点をアレグザンダー・ツォニスはこう述べている。
ル・コルビュジエは木製型枠の痕跡を「しわや出産斑」とよび、美しい効果—「コントラスト」をもたらすために用いた。その「荒々しさ」、「強さ」、「自然さ」は近代的建設テクノロジーが可能にした精度、ディテール、完成度とは対極にある。表面の粗さ—「しわや出産斑」は美学上の問題をこえて、テクノロジーを応用する「人間」というクリエイティブな存在の手、思考へと回帰しようという姿勢の表明のように思えるv。
50年代前半コルビュジエが示したこの建築表皮への自覚はその後ニューブルータリズムという形でやや変容しながらスミッソンに受け継がれていくことになる。一方ブルータルという原初の意味合いを既に失ってはいるものの、こうした表皮への自覚が現代建築の重要なファクターであることはあえて説明するまでも無い。そして面白いことにこうした表皮への質料的自覚は20世紀に間歇泉のごとく断続的に噴出している。
僕自身が少し驚きを持ってこうした表皮への自覚に邂逅した例として坂本一成の水無瀬の町屋(図2)がある。この建物のコンクリートは荒っぽいというよりかはかなりグロテスクである。私はこのコンクリートの表層にコルビュジエ同様人体の表皮を感じ、(ただしそれは病のそれであるが)坂本との対談で「一般的なコンクリートの無機的なテクスチャはほぼ皆無で、むしろ有機的な生物のしかも病気の皮膚のような表情をしている」ⅵと述べたことがある。ユニテから20年近く後、モダニズムに対する相対的な視点が生まれたころ、コルビュジエが自省の上に生み出した質料的な視点が発露した一例である。
1.2.色と偶然性
前述ブルータリズムのイメージを色濃く示すマルセイユのユニテダビタシオンは表面の肌理に加え、別の質料性である「色」が強く表出した建物でもあった。本来モダニズム建築はハンス・ゼードルマイヤーが言うとおり白が基本であるvii。しかし昨今のコルビュジエ研究が示すとおりviii、コルビュジエはその建築人生の初期から一貫して色を有効な建築意匠上の武器として使用してきた。 そしてユニテではその多くの色の使用に加えその並べ方が特徴的である(図3)。20年間コルビュジエ事務所に勤めたアンドレ・ボジャンスキーはこう述べている。
彼(コルビュジエ)は自分のチームのメンバーを招集して・・・(中略)・・・視覚的に互いをつなぐさまざまな色の付いた線や模様でファサードに描くべきではない。色を偶然に割り当てれば、星座を描く星のようなものが生まれる。だから色は偶然に配されたように見えねばならないのだ。ix( )内筆者
この言葉が示すとおり、コルビュジエは「偶然」なる概念を設計過程の中に織り込もうとしていたことが伺える。モダニズムを支える規則性や「必然性」から逸脱し「偶然」に惹かれたコルビュジエの姿がここにある。
1.3.浴室のエロス
その昔恩師篠原一男はモダニズムの二人の建築家、ミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエをよく引き合いに出し、ミースにおいては硬質なモダニズムのハードエッジを、コルビュジエにおいてはモダニズム的ではないものを例に挙げて称えていた。そのひとつはサボア邸浴室の人体形をした浴槽側壁である(図4)。この形を「エロティック」と形容し賛美した。篠原は幾何学的ホワイトボックスに無脈絡的に現れる自由曲線にコルビュジエのエロスを感じたのであろう。 一方私はサボワ邸でこの浴槽を見たとき、エロスが漂う理由は単にこの曲線の形状のみに起因することではないと感じた。それはこの曲線が機能的に説明できないところにあるのではなかろうかと思うに至った。つまりそれは使用に適合した形として、形の完成形にたどり着く前の、つまりは形になる前の破片なのである。その意味でそれは未「形」として可能態としての質料の段階なのである。その質料性がエロスを助長しているのだろうと感じた。
さて、ここまでコルビュジエの反近代的側面として広い意味での質料性や偶然性を再考するコルビュジエの姿を示した。こうしたもの(肌理、色彩、断片、偶然)が現代建築の主要な視点の一角を形成していることは改めて説明するまでも無いだろうがその意味についてもう少し考えてみたい。
そもそも質料とは建築においてその最終形に至る以前の姿であるから未完である。それに加え色彩や肌理とは光や視点位置との関係でその見え方は大きく変化する。つまり受容者が存在して初めてその視覚効果が特定できる(完結する)ものである。つまり質料性を契機とした建築の現れ方は受容者も含めた系を生み出しその系の中で意味を生産していると言えるだろう。 この系は建築という単一の系の中に閉じていないという意味において「開放系」と呼びうるものであり、この開放性が質料性を現代に位置づけていると考えられる。
ところでコルビュジエにおいて建築の現われ方を多様にさせ、解放させるファクターはその質料性だけではない。モダニズム的な形式性の中に未だ衰えず有効な形式があることに気付く。次にその点について検討してみたい。
2.コルビュジエの形式
2.1.環境言語としての五原則
コルビュジエは1926年に近代建築の五原則を発表した。①ピロティ、②屋上庭園、③自由な間取り、④横長の窓、⑤自由な立面の五つである。 この5つのうち、⑤の自由な立面は横長窓の言い換えでもある。また③の自由な間取りは新たな構造においてはもはや主張というよりは結果とも言える。 よって確固たる主張としては①②④の3つと考えてもよいだろう。そしてそれら3つはすべて現在でも色褪せず、いやむしろ更に現代的な意義を獲得し重要度を増しているように思われる。
ピロティ発想の起源はスイス太古の水上住居、ローマの水道橋などと言われるx。そこには自然と共存する人工物の姿がある。 そして建物を地表面から浮かせる意図は湿度を免れ光と空気を取り入れるという工学的な合理性もさることながら、建物によって土地をつぶさない、 あるいは土地の連続性を維持することが意図されているxi。それはすこぶる環境配慮的な発想であるxii。
一方屋上庭園は構造革命によって生まれた平らな屋根の利用がその発想の根源だが、こちらも現代においては、ヒートアイランド現象などの環境問題が屋上緑化を推進しているだけではなく、都市の貴重な土地としての屋上は半自動的に緑化へと向かう運命にあると言っても過言ではない。
横長連続窓はラーメン構造が産んだ帳壁によって可能となった形態である。コルビュジエがこの窓の利点と考えた明るさに加え視界の広がりがこの窓を爆発的に普及させた。 開口部は建築内外を結ぶ広い意味での環境的価値を担うものであるxiii。加えて連続窓における外部との連続性は現代において様々な可能性がありそうである。 私自身連続窓を基点として新たな視覚の可能性を連窓の家シリーズで模索したxiv。
2.2.五原則の射程
ところでピロティや屋上庭園に驚かされるのはこれらが環境に対する一つの技術的な回答であるにとどまらず、およそコルビュジエとは対極的な建築家の手法をもカバーしてしまう射程の広がりである。 たとえば藤森照信のタンポポハウスや高過庵(図7)がコルビュジエの引用とは言わないまでも、期せずして両者の射程に重なるところがある点がモダニストコルビュジエの懐の深さを感じさせる ところである。つまりモダニズム構造革命が技術的に可能にした五原則の射程は、モダニズムの遥か遠方にあったということではないだろうか。 別の言い方をすると五原則はどれもが建築をその系の中に完結させないよう作用する。それらは建築をその周辺環境とつなぎとめるツールとなっているのである。
3. コルビュジエとモス
アンソニー・ヴィドラーがエリック・オウエン・モスについて「バロックを超えて」というタイトルの短い論考を記しているxv。そこでヴィドラーはモスの建築においてヴォリュームが慣入する特徴に注目し、ギーディオンのコルビュジエ解釈であるところの内外空間の相互慣入と関連付ける。
これは、先ほどの五原則同様コルビュジエにおける建築の外部との関係性の持ち方の現代的意義を示唆している。そしてその意義とは5原則同様、建築を建築という一つの系の中に閉じることなく、その外部環境との連続した系の中に位置づける装置であるというところにあるだろう。
本論考はコルビュジエの2重性を契機に反近代としての質料再考に始まった。ここでは建築が建築という系に閉じずに受容者との系の中に開いていることを指摘した。そして次に形式としての五原則に光を当て、最後にヴィドラーの示唆する相互慣入を垣間見た。ここでは建築が建築という系に閉じず環境との系の中に連続していることを指摘した。 つまりこれら全体に通底するのは建築を閉塞させない開放力とでも言いうるものである。そしてその開放力にこそコルビュジエがいまだ秘めている可能性があるのではないだろうか。
初出:『DETAIL JAPAN』 vol.15 2007