「アートのような建築」
図01. 坂本一成 project KO
序
「最近の建築はまるでアートだ」とある建築家が言っていた。僕はその言葉を聞いて、理由を聞かずに納得していた。それは僕自身、建築とアートの境界が不明に思われてきたからである。そんなことを言っても建築はあくまでヒトを入れる器としてその最低限の機能を放棄したわけではないし、アートだって美術館が世の中から消失して路傍の石のごとくその辺に転がっているわけではない(そういうキワモノもあるにはあるのだが)。だからそうしたジャンル自体はなくなっていないし、きっと何時までもあると思うのだが、それでも両者は確実にその昔より近しい存在になったと僕には感じられる。
しかし建築がアートのようだという言い方はそもそもトートロジーである。建築も立派に造形芸術(アート)の末席を汚しているのだから。であるからこの接近はそれを前提とした微妙なものである、その証拠に戦後のアートおよび建築を俯瞰しても遠かったものが近づいてきたようには見えない。50年代のモダニズムに始まり、80年代のポストモダニズムをくぐりぬけイズムの見えない90年代そして現在へと繋がる。双方とも正確に線路の左右を歩調を合わせて進んでいるように見える。離れることもなければ近づくこともなく。
1. 日常性をめぐって
こうした大きなくくりを認識した上で、双方の戦後史を遡行してみよう。先ずはスタートであるモダニズムだが、これは芸術が各分野で各々の自律性と純粋性を獲得する努力の歴史であった。であるからこそ、アートと建築は同じ造形芸術という領域の中で各々のアイデンティティを保持していたのである。戦後モダニズムで言えば、アートにおいてはグリンバーグが言うところのメディウムへのこだわりとその視覚性がアートをアートたらしめていたであろうし[i]、建築で言えば、空間の発見とその視覚性がモダニズムのアイデンティティの主要な部分を形成していたのであった[ii]。そして重要なことは、双方のモダニズムからポストモダニズムへの流れとはこうしたアイデンティティの喪失であった点である。双方はモダニズム期には造形芸術という大きな箱の中で別々の引き出しにはいっていたのであるが、ポストモダニズム期には引き出しを失い一つの大きな箱の中を漂流する状態になってしまったのである。一見モダン、ポストモダンという流れの中で平行移動しているかの錯覚に陥るが実は漸近していたということである。
・ダントー、ハイデッガー
では双方はどこに向かって漸近したのだろうか?ごく簡単に駆け抜けるなら、アートにおいては1984年にアーサー・ダントーが「芸術の終焉」(the end of art)において60年代前半までのグリンバーグによって作り上げられていた、視覚性を軸においた「目的論的な芸術の物語」が終焉したことを宣言した[iii]。一方建築はそのアイデンティティである〝空間〟がハイデッガーの次の言葉でもろくも崩れ去った。「空間は『空間』よりも空間を占めているものからその本質的な存在を受け取る」[iv]つまり建築空間とは空間それ自体(つまりそれは床、壁、天井のことになるが)によって生まれるのではなく(いやもちろんそれからも生まれるのであろうが)むしろ重要なのは、そこにある〟モノや人〝であるというのがハイデッガーの言わんとした事である。この言葉は建築的には50~60年代後半にバシュラールやノベルグシュルツに言い換えられ、それによって空間の終焉が位置づけられた。
・ルフェーヴル、セルトー、多木浩二、フランプトン
さてダントーの指摘以降アートの流れをここで詳細に記すのは私の役目ではないのだが、建築との比較の上で、その後のメインストリームの一つとして日常性の発見への系譜に注目しておきたい[v]。つまり、シチュアショニストに端を発し、セルトーの『日常的実践のポイエティーク』[vi]に後押しされ、90年代のリクリットや小沢剛へと連なる系譜である。建築においてもハイデッガーの指摘は空間の〝設計者〟ではなく、そこで空間を経験する〝人〟、つまりは使用者側に関心を移動させ、それは必然的に〝日常生活〟へと建築の意識を拡大させた。そしてこの日常性へ連なる思想は既述バシュラール、ノベルグシュルツ、そして、フランスの社会学者であるアンリ・ルフェーヴルへと継承される。ルフェーヴルは日常性をメインにおいた思想展開を行い、特に建築家によって作られた空間の否定を行うのである[vii]。この流れは日本では多木浩二の『生きられた家』[viii]へ受け継がれ、建築家の作る〝作品〟と住人の生きる〝家〟の間の深い溝として主題化されていく、そしてかたやアメリカではフランプトンが『テクトニック・カルチャー』[ix]の思想的源流として位置づけるのである。
・ 日常性
こうした日常性に基づく作品をここに紹介しておこう。日本における日常性建築に火をつけたのは既述多木浩二の『生きられた家』である。これは1976年に初版が出て、それから8年後の1984年に改訂版が出ている。多木自身言うように初版が出たとき、この本の意味を十分に理解できた人間は建築の世界にはごくわずかであったようである。しかしその後、改訂版の出るまでの8年の間にかなりの建築家はこの意味の重要性を汲み取った。中でも、伊東豊雄と坂本一成はその筆頭であり、奇しくもこの改訂版の出た84年に二人は重要なプロジェクトを発表している。(単なる偶然であるが、前掲、ダントーの「芸術の終焉」なる論考も84年に執筆されている。)伊東は自邸「シルバーハット」、坂本は「project KO」である。【図01. 坂本一成 project KO】二人は以前は非常に閉鎖的で濃密な内部空間を作っていたのが、このプロジェクトを契機に都市に開いた自由で開放的な建築を志向するようになるのである。つまりハイデッガーの言う、〝空間〟ではなく〝場、人、モノ〟に視線を移したということであり、ひいては住人のための〝生きられた家〟を目指し始めたのである。こうして建築はアートと日常性という点で近似し始める。[x]
2. ファッション性をめぐって
ここまでは歴史的にモダニズムからの離反が建築とアートを日常性へ導いたことを説明してきた。ここからはより今日的状況として、ファッション性をめぐる両者のあり方を考えてみたい。建築がファッションの相似形であり、アートもそうであることは、その時代が共有する美的感覚によって容易に了解されることであるが、このところ特にそうした状況への言及が多くなってきているように感ずる[xi]。例えば雑誌『diatxt』13号に[xii]特集された「建築・アート・ファッション 境界のゆらぎ」では三者がいくつかの特性を共有し始めたことが説明される。その内容を少々強引にまとめてみるならば、建築とアートは次の二点をファッションと共有しているとのことである。一つはインスタレーション性(場所性、束の間性)二つ目は被服性(身体性、表層性)である【図02. ヤン・ファーブル】。これらの信憑性をここで議論する余裕はないが[xiii]、この二つの概念は期せずして自らの近作においてもかなり意識していたものであり、それが作品にどのように生成されたかを以下に記すことで、建築とアートの第二の接近の例証としてみたい。
・インスタレーション性
本題に入る前に話しはやや脇道にそれるが、私の建築観の根本に横たわる懐疑をお話しておきたい。それは、設計者の思っているほど建築は長生きしないのではないかという疑念である。(もちろん物理的には長持ちするのだが)。建築家が願いを込めて創造した空間に使用者は半年もすれば慣れてしまい、ことさら心を動かされたりはしなくなるのではないか?彼等は自然に建築に慣れ親しみ、馴染み、建築は最早空気になるのである。空気でいいではないか、仲の良い夫婦のようなものである、と考えてみることもできるのだが、それなら私たちは空気を設計するのだろうか?という割り切れない気持ちになってくる。そんな空虚感が浮かんでは消えた後、いつしか私はこう考えるようになった。建築は動いたり変化したりしない固定的なものである。しかしその周囲は可変的である。つまり床、壁、天井、外壁といった固定的で変化しない部分がある一方で、建物の外部には窓から見える風景、ランドスケープ、隣地、ヒトといった、刻々と変化していくものがある。前者は動かない写真的で録画的部分であり、一方後者は映像的、ライブ的部分である。そして録画的部分に人は慣れ、ライブ的部分にひとは新鮮さを見出す。そこで、建築が空気になる前にリフレッシュすることを願うなら、この録画的建築部分にライブ的外部をどう取り込むかが大事であると思うようになってきたのである。
そこで近作「リーテム東京工場」では、建築は、働く人、大型機械、重機、ひいては空を飛ぶ飛行機、海を行く船それらを縁取るフレームだと考えた。そして普通屋内に隠蔽されてしまう機械や重機そして働く人までをも外部に点在させ、オープンにし、道路からでも風景の一部として見えてくるように構成した。そして逆に内部からもそうした風景がさまざまに切り取られて室内に取り込まれるように作っていったのである。こうした特性を一言で言うなら、インスタレーション性=場所性=束の間性(ライヴ性)でありこの建物の重要な属性となっているのである。
【図03・図04. 坂牛卓 リーテム東京工場 ピロティ、窓】
・被服性
次にこのプロジェクトにおける被服性(表層性)を瞥見するがその前に昨今の表層フェティシズムに触れておこう。それは構造と表層を一体化させることで、今まで単なる外装としてはありえなかった造形を構造的視点から生産している。そしてそれを合理を超えたアンチモダニズムの装飾論として提示しているのである。しかし私のここでの意図は構造的ではなく表面的であり、その表面は人体皮膚のメタファーとして細胞を意図した小割りの温室サッシュガラスで構成されている。さらに肌色の四色ペイントされたセメント板の上でそのガラスは透明不透明をランダムに組み合わすことで細胞のヘテロジニティを生み出している。建築を皮膚化しようとする意図は人との親近性を生むことと、工場地帯に見られるダーティリアル[xiv]なテクスチュアで生まれる工場の表象を批判し、再生の場としての生命感を表出し、周囲の空間に環境を提示することを意図している。つまり海辺の野原に対してその延長として自然的な皮膚が工場地帯の〝身近〟な環境の創出として考察されている。【図05. 坂牛卓 リーテム東京工場 外装】
3. 視覚性をめぐって
昨今建築は視覚的に派手になってきている。あるいはこう言うべきだろうか。現在建築は派手とストイックミニマルに二極分化している。去年私の事務所に来たウィーンの研修生曰く御当地ではヒンメルブラウに代表される派手建築とストイックなボックス建築の二つに表現のストリームは分化しているという[xv]。そして派手建築の流れを語るなら、ビルバオグッゲンハイム美術館(1997)がその嚆矢であるが、それは10年前の1988年にMOMAで行われた「Deconstructivist architecture」展においてすでにスタートは切られていた。そして10年かけてビルバオで花開き、誰もがああいう建築を作ってよいことになったのである。そしてデコン展に出品したゲーリー、リベスキンド、コールハース、ザッハ、ヒンメルブラウ、チュミ、アイゼンマン等がいまや世界の巨匠としてメジャーとして世を席巻しているのである。派手建築は力を持っているのである。しかし私は単なる形態的、視覚的なエキセントリシティに興味はない。見ているのは痛快だが、それ以上の関心をもつことはできない。ただ何か新たな視覚性の発露には共感するものがある。それは建築が放棄できない最低限の視覚性への責任を取るという消極的なものではない。そして視覚に訴えることは一見視覚性への不信に根差すハイデッガー的な日常建築の流れに齟齬をきたすようにも思えるが、ある種の視覚性は日常性をうまく表現してくれる。事実アートの中には既にそうした表現が垣間見られる。そして建築はそこに近づくことが可能だろうという私の期待を最後に論じてみたい。
・瞬間の瑞々しさを求めて
例えばウォルター・ニーダーマイヤー【図06. ウォルター・ニーダーマイヤー】や川内倫子に見られる日常的で、瞬間的だが、リアルで永遠性も秘めているような美しさ、それをなんのてらいも無く直裁にあらわすその素直さのようなものが好きである。去年早稲田大学で「感性の問いの現在」というレクチャーを行った時私は迷わず川内さんの写真を皆に見せて「その生命感を建築で表現したい。そうした素朴な日常の瞬間の切りとりを建築でできないだろうか」と述べた。その切り取り方は建築的には様々あろうかと思うが、インスタレーション性のところでも指摘したように窓もそのひとつである。そしてそれは既述のとおりライブ的な変化と新しさが特徴的であるのは言うまでも無いが、意外性という要素もある。ライブは常に予想を超えた何かがそこに入ってくる可能性を持っているのである。窓の無い部屋に入る時はそこにある風景は昨日見たものと変わりようが無い。しかし窓を持った部屋に入る時は昨日と異なる何かに偶然触れる可能性があるのである。偶然そこに見たことも無い動物が現れるかもしれないし、隣人が登場するかもしれない。それは常に期待する風景(例えば、庭の緑とか、遠くの山と空のように)を超えた驚きであり、バルトが写真に見た偶有性である[xvi]。窓には常にそういう偶有的瞬間の瑞々しさがある。【図07. 坂牛卓 連窓の家 #2】
・インデックス性
また偶有性とともに重要なのはその直裁性である。ニーダーマイヤーや川内の作品には、構図の瞬間性やコンテンツの日常性が無媒介的な直裁性を強く感じさせるのである。そしてそうした直裁性を考えていく上で、アメリカの美術評論家ロザリンド・クラウスが70年代以降の美術が写真的論理に支えられていることを指摘した「指標論」は示唆的である[xvii]。クラウスはルツィオ・ポッチやゴードン・マッター・クラーク等の作品がアートのコードを介して提示されているのではなく、コードを介さずに現前される「コードなきメッセージ」であるところが、パースの言う指標的インデックス的であると指摘するのである。インデックスとは対象と記号の関係が隣接性、あるいは因果関係で関係付けられていることを言う。例えば、山の中の一本の木の皮を鹿が食べたとする。それを見た登山者は鹿がそばにいると類推する。この時このかじられた木は鹿がいたことを示す〝指標=インデックス〟と呼ぶのである。クラウスが20年前に指摘したこのインデックス性という概念は写真の本質的属性として剔出されたものであり、その意味でニーダーマイヤーや川内の作品をインデックス的と呼ぶのはトートロジーだが、敢えてそう呼んでみたい。それは両者の写真の持つ直裁的な表現性は操作的な写真表現が多く流通するなかで、よりインデックス的であるからである。そしてこの素朴な直裁性=インデックス性は建築の中にも浸透しうる余地があるように感じている。そしてそれが建築に導かれるとき、外部性の痕跡の入り口として開口は一つのヒントであるが、更にそれを介しあるいはそれを超えた新たなインデックスのあり方があるのではないかと模索している。
今、建築を考える時に、アートと言われているものは社会や経済や人間や科学と言ったものより遥かに私にとっては重要なものかもしれない。それは一言で言えばアートがこれら全てのことを包含しているような気がするからである。つまりアートは建築同様にますます社会を写す鏡になっているのである。それは冒頭記したように、アートは死んだからである。アートがアートの殻を破って流出したからである。そしてその意味では建築も死んだのである。そして死んだものどうしが今墓場から同時に起き上がってまだ見えぬ光を求めて暗闇の中を彷徨っているのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
[i] クレメント・グリーンバーグ(川田都樹子・藤枝晃雄訳)「モダニズムの絵画」『批評空間』臨時増刊 1995(1960)
[ii] Adrian Forty “Words and Buildings”� Thames & Hudson 2000 によれば「空間」という言葉はゼンパーによって始めて建築用語として使われ始め、リーグル、フランクルへとその語の使用が受け継がれ、モダニズム建築の主要な概念として使用されてきた。
[iii] 谷川渥「イズムからアートへー覚え書きー」谷川渥編『20世紀の美術と思想』美術出版社 2002、松井みどり『Art in a New World』朝日出版社 2002 による
[iv] Adrian forty op. cit� p271
[v] 松井みどりop. cit p196-197
[vi] ミッシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』国文社 1987(1980)
[vii] アンリ・ルフェーヴル(斎藤日出治訳)『空間の生産』青木書店 2000(1974)
[viii] 多木浩二『生きられた家』田畑書店 1976/【改訂版】青土社 1984
[ix] ケネス・フランプトン(松畑強・山本想太郎訳)『テクトニック・カルチャー ―19-20世紀建築の構法の詩学』TOTO出版 2002(1995)
[x] しかし建築は人を入れる容器という概念規定だけは変更できないのであり、アートほどコンセプチュアルにはなれない。建築は形あるものを作らなければならないし、できたものは視覚的対象をやめることはできないのである。その意味でアートのほうがより自由で意味や関係性をもとに作品となることが可能なのである。しかしそれを差し引いても建築とアートは以前に比べてより近傍に位置し始めた。
[xi] 建築とファッション、アートとファッションという言葉でネット検索すれば多くの話題に出会うであろう。
[xii] 『diatxt』13, 2004,9 京都芸術センター
[xiii] ここで提示されていた実例を踏まえこの二点を説明しておく。アートのインスタレーションについては、60年代後半のミニマリズムのロバートモリスあたりから、彫刻の設置場所全体をアートの一部と考えるような作品形成の方法が生まれ、それが所謂、インスタレーションへと発展した。また被服性に関しては、ヤン・ファーブルやヤナ・スターバック等の作品が極めて身体的(被服的)な特徴を示している。一方建築については後藤武氏による被服論が展開され、構造と被服というモダニズム期に分離した概念が昨今、プラダに見られるような、構造、被服が一体化した建築の登場を契機に、表皮に表現が集中している傾向が挙げられ、またインスタレーション性に関しては多木浩二がその束の間的な性質についていち早く伊東豊雄が敏感に反応していたことを指摘していた。総じて建築とアート(とファッション)は二つの概念を共有することで接近しているということである。
[xiv] その昔、ツォーニス&ルフェーヴルがヌーベル、ゲーリーの初期作品を評して使用した言葉である。
[xv] この研修生は現在リンツのリープル・リープルで働いているが、この事務所は典型的なストイックボックスの事務所である。
[xvi] ロラン・バルト(花輪光訳)『明るい部屋―写真についての覚書』みすず書房 1997
[xvii] ロザリンド・クラウス「指標論 part2」『オリジナリティと反復』リブロポート 1994(1985)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
初出:『SD 2005』(鹿島出版会)