「スーパースタジオを語る―60年代への視座―」
僕が建築を学び始めた当時、建築の師と言えば篠原一男と磯崎新であった。大学に入学した1979年には『SD』の篠原一男特集が、その4年前の1975年には磯崎新の『建築の解体』がそれぞれ出版されていた。この2冊は我々にとってバイブルであった。2冊に納められたテキストは一見対極を行くような建築論を展開していたかもしれないがモダニズムを脱構築するという点では同じベクトルを共有していた。そして大学の設計製図ではそうしたディレクションを共有する建築家が非常勤講師としてやって来た。伊東、香山、倉俣、大高、そして磯崎であった。
我々はこの磯崎の『建築の解体』の中に世界のスーパースターを発見した。中でも、スーパースタジオには目を瞠った。「シングルデザイン」という名のグリッドパターンの家具や住宅、「コンティニュアスモニュメント」と呼ばれる都市スケールのエアーブラシと写真のコラージュには驚愕した。モダニズムが世界を抽象化する努力であったとするならば、彼等はそんな抽象化された世界をあざ笑っているかのようであった。更にその名「スーパースタジオ」にはマイッタ。建築、都市、設計、デザイン、およそデザイナーチーム名に付けられていそうな単語のどれ一つとして入っていない。その代わりに使われている言葉は「スーパー」である。スーパーとは一体何を意味するものやら?よく分からないが建築を超越した何かに近づこうとする彼等のディレクションをそのチーム名とデザインから感受した。
『建築の解体』はサブタイトルが示すように68年の5月革命に結実する若者のエネルギーに支えられた世界のデザイン潮流の紹介であるが、60年代のエネルギーの噴出は国外に限らない。磯崎も篠原も彼等のデザインの根幹を形成するのは60年代と言っても良い。60年代のエネルギーは確実にあった(はずだ)。その時代を小学生として過ごした我々にとってその時代は兄貴からの伝言であった。気が付くとちょっと昔におこっていた。だからこそひどく気になる歴史の一ページなのである。
先日ニューヨークの友人からロンドンに出張したときの土産と称してテートギャラリーの展覧会カタログが送られてきた。「ART&THE 60`S THIS WAS TOMMOROW(2004)」というもの。海の向こうでも60年代への眼差しは熱い。もちろん日本でも去年のアーキグラムを初め60年代は建築に限らずなにやら地殻変動をおこしている。半世紀の時間が60年代を歴史に位置づけたとも言えるのだが、僕はもっと積極的にこの時代を捉えたいと思っている。デザインに限らず、当時の思想的背景には現在を凌駕する熱い血脈の鼓動が感じられるからである(兄貴達に対する嫉妬も半分あるのだが)。
2006年11月スーパースタジオ来日記念で作成されたweb site「テアトロ・スーパースタジオ」への寄稿記事
http://www008.upp.so-net.ne.jp/jiseki_archives/page/TSS/109sakaushi.html2006