可能性の包容
3.
Kevin Lynch, THE IMAGE OF THE CITY, MIT, 1960. 『都市のイメージ』岩波書店(丹下健三・富田玲子訳、1968年)
4.
中村良夫は特定の社会集団あるいは特定の文化圏内で暮らしている人々の間にはある種の風景的イメージが共有されているのが普通であると述べそれを集団表象と呼んでいる。
中村良夫『風景学入門』中公新書、1982年
5.
Maggie Toy, Invention and reinvention in LA, ≪WORLD CITIES Los Angeles≫, Academy Edition, London, 1994, p127
6.
Edward Soja はこの単語を次のフォーラムの中で使用している。
Edward Soja with others, Academy International Forum Learning from Los Angeles ≪WORLD CITIES Los Angeles≫, Academy Edition, London, 1994, p48
7.
篠原一男『住宅建築』 紀伊国屋書店 1964年 p103
8.
篠原一男「建築へ」『新建築』1981年4月号 p140
9.
当時のテクスト論の総括は吉見俊哉の『都市のドラマトゥルギー』弘文堂(1987年 p6~p15)に詳しいが、その代表作として街の表層を読み込んだものとして、槇文彦ほか『見えがくれする都市』鹿島出版会(1980年)。江戸との関係を扱ったものとして、陣内秀信『東京の空間人類学』筑摩書房(1985年)。地図、文学、歌謡曲のなかから東京像を描こうとしたものとして、磯田光一『思想としての東京』国文社(1978年)等がある。
また現在ではこの当時のテクスト論が自らの読みたい方向へ誘導されるきらいがあったとしていくつかの批判が挙げられている。テクスト論批判は吉見俊哉前掲書以外にも内田隆三+若林幹夫「東京あるいは都市の地層を測量する」, 毛利嘉孝「東京はいまいかに記述されるべきなのか?」、中筋直哉「東京論の断層」(いずれも『10+1』vol.12 INAX出版1998年)等に異口同音に述べられている。
10.
ここでは東京の「現代性」「密度感」「集団表象」「アクティビティ」についてあえて言及しなかったが、集団表象については、サイデンステッカーが東京とロスアンジェルスを比較して東京には「驚くほど強力で持続性のある中心」があると述べている。
Edward Sidensticker, Tokyo Rising, 1990. 『立ち上がる東京』早川書房(安西徹雄訳、1992年 p249)。
現代性については東京のようなスクラップアンドビルトの街における開発されたてのアップトゥーデートな材料で街が更新されていく姿を見ればロスアンジェルスとの差は自明であろう。また東京における密度感、アクティビティの高さは論を待たないであろう。
11.
例えば、芦原義信『隠れた秩序』中央公論社(1986年)では、東京の街のカオス状態の裏にリダンダンシィ(いい加減さ)を内包した秩序があると指摘している。
「ロスアンジェルスというものをどんなに表象的に読みとろうとしたところで、そういう分析的偏愛からもたらされるのはこの都市の解釈ではなく、分析する当の本人のパラダイムにすぎない。ロスアンジェルスは非理論家の都市である。」
エリック・オーエン・モス *1
モスの謂いはロスアンジェルスが歴史的に築き上げられた、リジッドな実体を保持していないという一般的な指摘にとどまるものではない。また昨今のテクスト論への批判が示すように、都市をテクストとして読解するスタンスそのものに内在する陥穽を指摘しているだけのものではない。と言うのは私の見る限り、ロスアンジェルスには、ヨーロッパのような歴史的実体が存在しないとしても、後述するが、明らかに都市のモードが存在しそのモードが多かれ少なかれ都市の中で規範的に作用している。その意味においてはある緩やかなパラダイムは存在するのである。つまりモスの謂いで重要なのは、パラダイムが不在と言うことではなく、非論理という部分にある。仮にパラダイムらしきものが見え隠れしたとしても、それは論理的一貫性に貫かれてはいないと言うことだ。逆に言えば、いかなるパラダイムも瞬時に立ち現れては消える。あるいは並立する。言うなれば、変則的な事象を許容し非論理的に見えるパラダイムの存在を規定するメタパラダイムに言及している。
この論考はこうしたメタパラダイムについてロスアンジェルスにとどまらず、その対極をいく東京と対照させながら、両都市の共通性として抽出しようとするものである。
I 希薄都市
(1)希薄な異質性/単調な表皮
ロスアンジェルスの夏は暑い。しかし湿度は低いので直射光さえ遮ればそれほど不快ではない。だからロスアンジェルスの住宅は一般に窓が小さい。壁は厚く熱容量が大きい。砂漠気候のこの地では、昼暑くとも夜は冷え込む。そこで昼間の熱を夜室内に放熱させる仕組みになっている。私のいたアパートも例外ではなく木造フレームの二階建てにスペイン瓦の乗った建物で外壁はスタッコ、内壁は石膏塗りである(図1、2)。このストリートの八割は少なくとも外壁はスタッコである。その理由は、おそらく窓の少ない壁主体の建物をつくる上で木造に塗り仕上げを施すのが、雨の少ないこの地ではメンテナンスも含めて経済的だからであろう。
実際ロスアンジェルスという都市の表層の多くは、スタッコ塗りあるいはそれに類するモルタルの化粧で覆われている。このスタッコ建築の発祥はロスアンジェルスが未だメキシコ領であった19世紀にスペインの伝統を受け継いだメキシコのバナキュラー建築の作り方としてこの地に根付いた。しかしその後20世紀に入りモダニズムが普及した時にも(図3)、この材料は捨て去られることがなかった。コンクリートの上にはモルタルペンキで、木造フレームの上にはスタッコでこの塗り材が受け継がれた。ノイトラ、シンドラー、そしてあのハイテクの元祖であるイームズ自邸にさえ鉄骨間に張られたパネルにスタッコが塗り込められている。そしてもちろんモダニズム以降の建築家達の作品についても例外ではない (図4、5)。
材料に反し建築の造形的表現は様々である。造形が異なると、建築としてそれらは異質なものである。しかし一方でそのテクスチャーの共通性が持つ視覚的な印象の連続性は明確に都市の性格を形成する。都市がある一つのテクスチャーで覆われていることは特異なことではない。西洋の伝統的な都市では、石造建築の歴史がそのまま都市を形作っている。しかしこうした都市でも歴史の様々な時点でクラシックとモダンの葛藤がありそこに新たな緊張が発生する。特にモダニズム以降のドラスティックな変化においては、新たにつくられる建築は過去のものと良くも悪しくも大きなコンフリクトを発生させることになる。一方、ロスアンジェルスで重要なのは、モダン、コンテンポラリーも含めて、この種の仕上げが施されることで、個々の建築があるモードの中に追いやられ、様々の時代と様式の間におこるコンフリクトが和らぎ都市全体がこのモードの中に安定していると見える点である。
(2)希薄な現代性/ウエットマテリアル
テクスチャーが単一であることに加えそれが前近代的なウエットマテリアル(湿式材料)であるという点も重要である。つまり、ロスアンジェルスがほとんど20世紀にはいってから爆発的に成長した都市であるにもかかわらず、そこを覆った表皮が、20世紀的なものではなかったところにこの街の持つ不思議なギャップがある。
更にその感を強くするのは、ロスアンジェルスの場合、このウエットマテリアルを木造の仕上げ材として使うことが多いことによる。木造の仕上げ材に使うということは、ラスの上にかなりの厚みで使う。よってどうしても出隅をピン角にしにくい。例えばシンドラー達の木造モダニズムの住宅では、出隅が面をとってソフトに収まっているものが散見される。このソフトな仕上がりが今日建設される建物でも見られる。その昔のミッションスタイルの時代に多用されたアビードと呼ばれる日干し煉瓦でつくられた建物は出隅が風化して自然と丸くなっているが、モダンな造形の現代の建物であってもこのソフトな出隅によって19世紀のイメージを彷彿させる。
つまり、このウエットマテリアルで建物が覆われることで都市が前近代的なイメージの中に送り返されているかに見えてくるのである。
(3)希薄な密度感/空
ロスアンジェルスの代名詞のように言われる青い空は年間を通じた暖かさと、雨の少なさに起因するのであるが、それだけではない。絶対的な天空率の高さによるところが大きい。
局所的に存在するスカイスクレーパーを除きこの都市には高い建物が少ない。そして都市の中を歩くことのないこの街では、そんな場所でさえも車で瞬時に通り過ぎてしまう。だから空が狭小に見えることがほとんどない。そもそもこの地では、50年代半ばまで150フィート(約45メートル)を超える建物は28階建ての市庁舎以外許可されていなかった*2。
そして一般にロスアンジェルスの道は路上パーキングが可能なように歩道側の両側二車線はパーキングスペースでありその内側に通行用の車線がある。よって二車線の道でも四車線分の幅がある。そして歩道がありパームツリーの並木がありその上普通は6~7メートルのフロントヤードがある。車で住宅街を通り抜ければ、建物のファサードは見えにくい。見えるのは、道と車とパームツリーと空である(図6、7)。
更に空に向かって視界を広げる重要な要素がある。ロスアンジェルスを空から見るとよく分かる。至る所に巨大な駐車場が見える。象徴的なのはドジャーススタジアムである。スタジアムの周囲直径約700メートルが駐車場である。スタジアムの直径が約200メートルであるから、スタジアム面積の10倍以上が駐車場である。これは野球場という特殊な施設に発生した特異な現象ではない。この都市にある殆どのスーパーマーケットの周囲は同様の状態にある。もちろんこれほど大きな駐車場ではないものの100台200台収容できる平面駐車場がここかしこにある。もちろん過密地帯では、立体駐車場もなくはない。しかし、それはダウンタウンや、サンタモニカ、センチュリーシティーといったごくわずかな場所に限られる。そしてそうした過密地帯にも5~60台収容できる青空駐車場がある。
建物の低さと、道の広さ、車という道の真ん中を通る装置及びそれを停める駐車場という都市のファブリックを虫食い状に食い荒らす施設によって空は圧倒的に視界を埋めていく要素となる。
(4)希薄な集団表象/骨格
いささか古い調査であるが、ケビン・リンチの名著『都市のイメージ』 に登場するロスアンジェルスは「広がりきった」「広々とした」「形がはっきりしない」「中心になるものがない」という形容をされている。*3
こうした形容をされるのはリンチ的に言えば、ランドマーク、エッジ、ノードといった都市の集団表象*4を築く要素が不足していることに起因するのであろうが、ロスアンジェルスに即して言えば、人々の移動手段がほぼ車に頼っているところにあると思われる。すなわち、そうしたリンチ的要素があったとしてもあるスピードの中では、認知され得ないからである。街の印象を構成するものはリンチ的スケールのものではない、それより遙かに巨大な何かである。例えば海岸線であるとかハリウッドの丘であるとか、ダウンタウンのスカイラインといった類のものである。建物のファサードや街並みの雰囲気というスケールのものに特別な印象を持つということはあまりない。
この都市においては、都市に象徴的な意味を形成する骨格というものは人工的なスケールではない。自然的スケールのある巨大さが必要なのである(図8、9)。それを端的に示す例が、映画『ブレードランナー』でのイントロのシーンである。ここに登場するロスアンジェルスはハリウッドの丘の上から見下ろした無限に広がるグリッド状の夜景である。これこそが唯一ロスアンジェルスにおいて人工的と呼びうる骨格、ロスアンジェルスに住む人々が共有する人工物の集団表象なのかもしれない。しかしこの眺めは、日常の風景として都市の中に現れるものではない。
(5)希薄なアクティビティ/ヴァーチャルストリート
骨格が希薄なのは、骨格を骨格と思うような意味を人々がそこに産み落とせないことにも起因する。そしてそうした意味の欠如は、人々が車で移動することによるところが大きい。自分の足で都市を感じ、人と出会い、会話するというような行為がこの都市の中ではおこり得ない。
こうした人々のアクティビティと出会えない事実を象徴しているのが、ロスアンジェルス北部ユニバーサルスタジオにジョン・ジャーディーが設計したシティーウォークというハリウッドを模した街並みである(図10、11)。その名が如実に示すとおりこの施設は正に都市での散歩を実現するためのものである。逆に言えばこうした施設を作りそこにアミューズメント施設を併設しなければ人が集まってアクティビティが生み出せないということを証明している。現実のハリウッドの街並みでは、ロスアンジェルスの他の場所に比べ、観光名所であり人々も多い。しかしその量はこのシティーウォークで実現されている量に比べれば、取るに足らない。人の賑わう夕方から夜半にかけてハリウッドブルバードに行けば大量の車がヘッドライトをこうこうと照らし渋滞しているが歩道を歩く人間の数は少ない。夜のハリウッドを歩くのは気持ちの良いものではない。何かしら身の危険が漂う。車社会の現実がそこにはある。交通事故はイコールその後の犯罪を招くといわれる*5とおり、車というシェルターがいつしか利便性を生む道具としてだけではなく、身を守るシェルターとして機能するようになっている。こうした街では都市体験がシティーウォークの如く、ヴァーチャルに作り上げられざるを得ないし、そうした施設に人がこぞってやってくるほど、この街の人間にとって、都市のアクテビィティ体験がもの珍しいものなのである。
ロスアンジェルスにおいては都市といわれるもの一般に備わっている属性が希薄である。すなわちこの都市は都市と今まで言われてきたものが持つべき要素をある部分で失っている。にもかかわらず、経済的、政治的には都市と呼ばれるものに分類されている。しかし言うまでもなくこの「希薄な都市の空気」が帰結するものは古典的な都市の対概念である、農村ではないし、最も表層的に近似している点からよくそう呼ばれるところの「郊外」という概念ともどこか異なる。なぜならこの都市には周縁としての郊外に対する中心がないからである。こうした都市を敢えて何らかの名で呼ぶとするならばエドワード・ソージャの言葉を借りれば、CITY-WITHOUT-A-CITY*6〈希薄都市〉ということかもしれない。
ここでロスアンジェルスを立体的に投影する意味で東京との対比を試みたい。と言うのはロスアンジェルスに欠如するものを逆に過剰に内在させる都市が東京だからである。そしてその内容は世界的に見てもその対極にある都市と言って過言ではない。
II 過剰都市
(1)中心の異質性/エネルギーの衝突#1
東京のヘテロジニティを異種のぶつかり合いという形で最初に注目したのは篠原一男である。氏は1964年の論文の中で、東京の混乱にいち早く眼を向けこう述べた。「現代の集落が表現するものは、しかし、調和した美ではなく、混乱した美であっていいのである」*7。また1981年には再び東京の混乱を参照しながらこう述べる「無計画主義の結果についてこれほど寛容な国は珍しい。……これを混乱として否定するのは容易である。しかし、ここまで到達した〈文化〉には正当な位置を与えられない」*8。
この二つの言説に篠原一男の先見性が示されているのは論を待たないが、一方この17年の時間経過の過程において篠原は混乱を美と断定する確かな手応えを感じ取っている。つまり前者において、断定的な予見を行い、そして後者において客観的に歴史を振り返りことの真偽を計っている。そこにはその正当性に対する直感から確信への推移が読みとれる。(念のため付け加えておくが後者の論文が発表された時点で混乱が一般に認知されるようになったということではない。そのころの東京論はもっぱらテクスト論*9であり都市の実体から混乱を評価したような言説を私は知らない。)
東京オリンピックの年1964年。高度経済成長にのっかった日本が爆発的に成長していく真っただ中にあり、東京では限られた空地の上に首都高速道路が都市のコンテクストとは何の脈絡もなく建設された。正に規制する側にある官が率先して無計画主義を実行した象徴すべき混乱の年であった。それから17年後1981年。バブル経済を前方に控え安定した経済成長の時代であり一方建築では安定したポストモダンの幕間時代であった。日本における歴史主義的ポストモダンは日本文化とは何の関係もなく、異化作用に則った商業主義と容易に接続しやはり規制のない日本のなかで一層の混乱を生み出していった。主として都心の商業地域でおこったこの混乱は自然発生的なものに加え無規制に乗じた意図的な商業的異化作用によるところが大きい。そしてこの混乱は単なる無計画的無秩序という度合いを遙かに超え良くも悪しくも新奇を標榜する個の群となり爆発的なエネルギーの衝突として我々に現象した。
(2)周縁の異質性/エネルギーの衝突#2
また東京はロスアンジェルスと異なり、典型的なスプロール化を経て都心と郊外という構成を持った都市として成長してきた。
この郊外には東京で繁殖する莫大な数の人間を収容する巨大施設が例外なく存在する。中高層集合住宅の群である。これらの建物群が作る風景はどこへ行っても恐ろしいぐらいステレオタイプ化している。その理由はこれらの施設の開発論理が経済活動の一端でしかなく、環境を構成するアーティファクトという視点が稀薄だからである。粗っぽく言えばこれらの施設は、売れる値段で四つぐらいにグレード分けされて、その設計マニュアルに則って作られていく。マニュアルは法律の範囲内で、最も大きく、最も効率よく、また取得可能な建設材の範囲で最もグレードに適合しかつ安いという方針によって作られる。だからある郊外の土地に行けば、その土地の持つグレード(つまりは土地の値段)に合わせて、それに見合ったグレードのマンションがオンパレードしている。
その建物の成立はその「土地」によるのではなく、その「土地の値段がいくら」による。つまり東京地図は土地の値段で松竹梅に色分けされて、松には松、竹には竹という風に整然と経済の論理に則って街は作られていく。郊外と呼ばれる場所はたいていは土地の値段が比較的安い所であり、ここに建つマンションは大方梅である。梅と呼ばれるそれは、究極の経済原理によって作られており、容積率に入らない吹きさらしの廊下とそれに接続するエレベーターと階段がある。そして全体の形状は単純な板状か、L型であり吹きさらしの廊下が北側にくる。南側はリビングルームが面しており二方向避難を確立するために連続したバルコニーがついており、屋根は陸屋根、外装は概ね吹き付けタイルである。
篠原が混乱を最初に指摘した1964年東京の民間マンション供給は第一次マンションブームと呼ばれ1883万戸を記録しその後うなぎ登りで増加する。マンションと呼ばれるこの巨大人口収容施設を訪れた時に強烈に見えてくるものはこうした施設自体の持つ恐ろしく単調な風景ももちろんあるのだがそれよりもむしろこうした一群の建築とその周囲(戸建て住宅群、あるいは造成された自然)の環境の間にできるギャップである。こうしたギャップは明らかに都心でおこっているエネルギーの衝突とは異なった様相を呈しているし、都市論の中でも郊外論という形で別に取り扱われてもいるのであるが、私の見るところ、都心も郊外も、自己と他の間にある関係の持ち方として根底に流れているものは同質なものである。つまり、自己の原理のみに従って作られるという点であり、郊外に発生するこの「ギャップ」にも都心に発生する「異化」にも私は共通した異種のエネルギーの衝突を感じる。
私が篠原をして都市の混乱にある建築的な確信を持つに至らしめたエレメントはこの飽くことなく続くエネルギーの衝突を許容するシステムを東京の中に見いだしたことに加え、このエネルギーが美へ向かう可能性を持ちうることを読みとったからであろうと思う。
以上ロスアンジェルスに希薄な都市の属性の中でも、東京において最も濃厚に表出される部分を記した*10。 そして過激に突出するこれらの属性において東京は東京たり得ている。この都市らしい都市、都市の属性を過剰に持ち合わせた都市をロスアンジェルスとの対比で敢えて呼べば、CITY-FULL-OF-CITIES〈過剰都市〉とでもなろう。
III包容力
都市の持つ属性はその善し悪しを別にして多かれ少なかれその都市が展開していく上でのある規範(パラダイム)とならざるを得ない。その意味で両都市は相反するパラダイムを保持している。
しかしパラダイムは常に一定でそこに連続的進歩が約束されているわけではない。科学においては、変則事象によってパラダイム危機がおこり断続的転換がおこる。一方、都市においては既存の実体に制限され、瞬時の転換がおこることはあり得ない。そこでは進歩という言葉が適切かどうかは別にしても、連続的な展開にならざるを得ない。しかし科学同様この展開の過程において、都市の場合も多くの変則事象が生まれる。その時その変則事象に対して既存のパラダイムのあり方を規定するメタパラダイムがどの都市にも備わっている。それはその都市における建築的実体はもとより、政治、経済、歴史、国民性、風土、といった多くの要素の結合によって醸造される。例えば、イタリアの歴史都市のようなところでは、既存のパラダイムを変容させないメタパラダイムが働いている。また、歴史的意味が豊富な場所でも、その認識が希薄な場合は変則事象によって既存のパラダイムは崩壊への道を歩むこととなる。
ではロスアンジェルス、東京という二つの都市はどうなのか?
既に見たように東京では異質の混在する高密度空間において変則事象は衝突となって現象する。しかしその衝突は新たな秩序レベルを獲得する。そこでは周囲が巻き込まれながら新しい全体へと組み変わるようなメタレベルでの包容力を持っている。(篠原の指摘以後、無計画の混乱の中に新たなる都市のあり方が模索され始めている。つまり様々な異質な表現の衝突の中で、新たなる秩序が構成される予感を持ち始めている*11。 )
一方ロスアンジェルスではそもそも、変則的な新たな投入物が周囲の環境から異常なまでに突出して見えることは希である。それは既述のとおり、単調な表皮で覆われることが多く一定の調和が保たれるためである。またたとえこの表皮を纏わない時でも建築的な密度感が希薄なために隣接建物との連続感が少ない。更に車での移動が支配的なこの地では、車窓の景観から消えかかる建物のファサードは都市の実体とは緊密な関係を持ち得ない。希薄な都市性の中で変則が変則足り得ない構造をもっているのである。
つまり両都市において既存のパラダイムは変則的な新たな事象(可能性)に対してそれを否定するのではなくまたそれによって崩壊するのでもない。いずれも変則事象を包容していくのである。両都市は「世界の中枢的な役割を担った都市」として存在するにも関わらず都市の一般的属性を逸脱し、さらにそのことによって「可能性の包容」という共通なメタパラダイムをもつ。そしてこのメタパラダイムに規定されるパラダイムは都市が展開する上で論理的な一貫性を欠き多くの可能性を飲み込んでいくという意味において冒頭モスが指摘するとおり非論理的なのである。
ロスアンジェルスと東京がリドリー・スコット描く未来世界『ブレードランナー』の舞台に取り上げられたのは、単にエキゾティシズムとフューチャーをすり替えるために選ばれた東京ではなかったろうし、撮影の都合上選ばれた地元ロスアンジェルスでは無かったろうと推測される。それは未知の世界を、未来の可能性を包容できる場として必然的に選ばれた都市であったのではないだろうか。
『GA JAPAN 38』1999年5月号 初出
『篠原一男経由 東京発東京論』、鹿島出版会、2001 所収