実践するコンクリート コンクリートの防水と補修について
防水コンクリートの可能性 タケイ工業に聞く
コンクリートの問題
コンクリートは困った材料だ。これだけ使い慣れた材料でありながら、未だにそれを安定的な品質で使いこなすことが出来ないからである。その理由は明らかである。昨今の建築材料の中では珍しく、「現場で作る」ものだからだ。つまり工場管理ができない原始性を残している。もちろん生コンは工場のコンピューター監理で仕様書に従い厳密に品質管理されている。それがミキサー車に乗せられて現場に到着するのであるから、コンクリートも半分は工場製品である。しかし現場に着いてから残り半分を作る作業が残っている。ここでいろいろなことがおこるから手に負えない。
よく言われていることだが、ポンプ車の発達とともに柔らかいコンクリートが求められるようになり、現場で水が加えられたり、バイブレーターの使い過ぎで、分離したり、型枠の精度が悪かったり……。ぼくが言うまでも無く読者の多くが様々な煮え湯を飲まされたことであろう。
つまり図面仕様書に書いてある内容が多くの場合、現場でその通りできないというのがコンクリートの宿命であるかのような状態になっている。その通り作ろうとするならば、建築家は死に物狂いで管理体制を作り上げ、施工者をその気にさせ、あるいは多少のコストに目をつぶり、家具の大工に型枠を作らせたりもするのである。とまあ、やれば出来ないことではないが、とにかく世界中見渡しても、図面仕様書通りにコンクリートを作るということ自体が大変なことのようである。
建築家木島千嘉氏から聞いた話では、父である故木島安史氏が安藤忠雄氏にコンクリートのノウハウを質問した返事の手紙にこう書いてあったそうである。「あまりこれといったものはありませんで、原点にもどって考えられたらと思います。」更にその手紙には、パネルの精度、鉄筋と型枠の関係について言及していたそうだ。しかしいずれも図面の内容をいかにして実行するかという点に重点が置かれている。つまり世界的に評価される安藤忠雄氏のコンクリートが何か特別なことをしているのではない。彼自身言うとおり、原点に立ち戻り、図面の内容を確実に実行することに主眼が置かれている。しかしそうした普通のことをすることが大変なわけで、諸外国ではコンクリートのANDO仕様というのがあるらしく、図面にそう記すだけでコストが2倍にも膨れ上がるという話を聞いたことがある。
また林昌二氏は「コンクリートはきちんと打てば防水性能だってあるものですよ。でも、このきちんとというのが大変だ」と言っていた。さて、コンクリートをきちんと打つことの方法論は別に譲るとして、林氏が言うように、きちんと打ってコンクリートが防水材料になるのかというのがここでの本題である。
素材に求められる機能について
コンクリートが防水材になるということはどういうことか? 先ずコンクリート屋根というものは一般的には構造材としての屋根スラブがあり、その上に何がしかの防水材が載せられる。それがコンクリートだけで防水機能をもつということはひとつがふたつの役目を果たすのだから、材料が「多機能化」したと言える。更に、一般的には防水材はその上に保護材を載せたり、また防水材の端部をカバーするために笠木をつける。しかしコンクリートに防水能力があればそれらの煩雑なデイテールは不要となる。つまり構成が「平明化」される。また既述のとおり保護材(一般的には押さえコンクリート)が不要になるのだから材料が「少量化」できる。さてコンクリートが防水性能を持つことで、こうした三つの変化が看取されるのだが、この三つの傾向は実は今まさに材料に求められていることなのである。
「多機能化」については、工業製品の部品構成について「オブジェクトを構成するパーツの数は減りつつある」と述べるエツィオ・マンツィーニや、90年代前半を「融合材料」の創始期と位置づけている柳田博明等の主張が示す通り、かなり一般的な材料の未来像と言える。また部材の多機能化は半ば自動的に構成の「平明化」を呼び寄せるし、リサイクル的視点からも望まれるところである。さらに広い意味での環境問題が材料の「少量化」を招来することも用意に了解できるのではなかろうか。
防水コンクリート
さて、こうした時代の要請にどうも防水コンクリートは合致する。しかし、世の中に出回るディテール集というものの中にある鉄筋コンクリート造の陸屋根のパラペットの納まりは、アスファルト防水、あるいはシート防水を立ち上げて金属笠木で押さえるという構成であり、それ以外の納まりはあまり見たことがない。設計事務所に入所したてはそんな図を矩形図に一生懸命書くものであり、下手をすると、そういう納まりしか無いと思っている若い人はかなり多い。
しかしあまり普及してはいないが、コンクリートで防水する工法は世の中に存在している。もちろん林氏が指摘するとおり、きちんと打つことが前提であるから、きちんと打てる人が丁寧に(ということはそんなに沢山手がけることは出来ない)作る場合に限られる。だからフールプルーフの立場をとるゼネコンや大手設計事務所では使われない。多分2~3年前までは、ゼネコンの設計部では使用禁止、大手設計事務所では今でもその標準詳細図にはもちろん、標準仕様書にも載っていないというのが現状であろう。この理由は多分最初に記したとおり、このコンクリートはきちんと打たなければその性能を発揮できないということによるのであろう。つまり、大手ゼネコンも大手設計事務所もコンクリートをきちんと打つことに半ば諦観しているということである。小さな建物ならまだしもヘクタール規模の建物を作る人間にとって、その隅々までに監理の目を行き届かせることは、はっきり言えば不可能なのである。そうした現場を持つ人間にとって、きちんとしたコンクリートを打つということはやはり諦観せざるを得ないというのも分からないではない。しかし、沢山の材料を複雑に絡ませて、ある機能を得るという考え方は、やめる方策があるのならばそちらに進むべき時代になってきているのではないだろうか、その意味でこの防水コンクリートについて少し考えてみることに意義はあると思う。
そこで防水コンクリートにおいて多くの実績と長い歴史を持つタケイ工業(株)に話を聞いてみようと思う。
タケイコンクリートの力
Q1 タケイ工業の歴史と初代社長についてお話いただけますか。
A1 タケイコンクリートの創業は大正2年タケイ特殊コンクリート研究所の創設からですが、実は明治43年に初代社長の武居佐源次がタケイ化学研究所を創設したのがその源です。武居佐源次は日本学術会会員であり、コンクリート研究家でした。日本で最も早くコンクリート防水液の研究・実用化に成功し、わが国コンクリート防水の鼻祖と言えるでしょう。当時から、もちろん日本にはアスファルト・ルーフィングは存在し営業上好敵手と考えていたようです。その後、幾度か社名を変更し、現在のタケイ工業(株)の形になったのは昭和24年のことです。その間代理店制をとり全国展開もしましたが、タケイコンクリートの命は注入する混和材の力半分、そして現場での責任施工という技術半分という認識のもとに、関東一円を中心として手の届く範囲、目の届く範囲のみとしています。
Q2 タケイ式進化コンクリートの概略を教えていただけますか。
A2 非常に簡単に言いますと、コンクリートというのは、化学反応でして、この反応はもちろん水とセメントの間で行われるのですが、一般にこの化学反応は完全には行われません。反応しきれないセメントが未水和セメントとして残ります。ということは水も反応しきれずコンクリートの中に残ります。残った水はいずれ空気中に蒸発しますから水の出て行った部分は空隙として残るのです。タケイの混合液はこの未水和セメントを覆う膜を破り水和反応を促進することでコンクリート中に残る水を減らし、ひいては空隙を減少させる。つまり、密実なコンクリートを作り上げるということです。
Q3 タケイコンクリートの防水性能を裏付ける仕事として、その昔多くの土木構造物、特に大変防水性能を要求されるものを作ってきたようですね
A3 タケイコンクリートは昭和20~30年代までは主として、土木構造物(トンネル、給水塔)の発注を受けていました。建築の防水を請け負うようになったのは主としてその後のことです。それ以前の仕事の中で、防水性能を示す面白い仕事として、コンクリートの船というのがあります。当時、鉄の不足と軽量ということでコンクリート船というのは、かなり作られていたようです、また防水性能を物語る他の事例として、昭和8年九州若松港に作られた浮き桟橋があります。また昭和6年千葉県水道局によって作られた、栗山の給水塔は今でも給水稼動しています。その後、時代はコンクリートから鉄に移り、コンクリート船もコンクリート給水塔も無くなると同時に、タケイコンクリートの主流は建築のコンクリート防水へと移っていきます。特に昭和30年代にはコンクリート建造物による防火帯を作る政策に合致して、可燃材を使わない防水として広く普及したものと思われます。
Q4 コンクリート防水というのはぼくらが設計事務所に勤めている頃は教えてもらいませんでした。つまり知りませんでした。更に多分知っていても事務所の技術水準からして、使えなかったのではないでしょうか。しかし、多くの実績が在るだけではなく公の仕様書にも記されていますね。
A4 福島県の例を見ると、昭和53年度版の福島県建築工事工事仕様書では屋根の防水の一項目にコンクリート防水が示され、その工事業者としてタケイ工業が一社指定されています。当時は未だ独禁法が厳しくなかった時代であり、技術のある会社はこうした指定を受けられたのでしょう。50年代後半から、この一社指定は無くなったものの今でも福島の建築工事仕様書にはコンクリート防水が屋根防水の一形式として指定されています。ただし、タケイの一社指定ではなくなったからなのかどうか定かではありませんが、勾配については、一社指定の時には、百分の一でよかったものが、現在は三十分の一という仕様になっています。
また、建築学会の工事標準仕様書、JASS8(防水工事)にもコンクリート防水は昭和36年から謳われています。これが、昭和61年からJASS5(コンクリート工事)に移ったのは単に、分類の問題であり、コンクリート防水の性能が低いということではなかったと思います。
Q5 その後、現在に至るまでのニーズの変化はどのようになっていますか。
A5 70年代にコンクリートのニーズの増加とポンプ車の普及により、コンクリートの質が低下したというのはよく言われているところですが、この波に飲まれないように、代理店方式をやめ責任施工に切り替えたところでタケイの工事量は減少しました。また、学校教育、ひいては事務所での新入生教育の中に、コンクリート防水は登場しません。その昔登場していたかどうか知る由もありませんが、こうした中で、工事現場においてもアスファルト防水に大きく水を開けられ、現場も使わなくなり、その実体を把握するものが急激に減少したものと思われます。
しかし、タケイの責任施工が量は少量でも地道に実績を上げ、打放しを追求する建築家のデザイン的要求(笠木が不要である)や都心の厳しい法制限の中でパラペット寸法が十分取れないとか、ある規模以上(200平方メートル)でのアス防に比較したコスト減を求めたゼネコンからのVE案として引き合いがあります。また、最近の面白い受注としては、火力発電所の200メートルの連続煙突の屋上防水としてメンテフリーという評価から、採用されています。
Q6 コンクリート防水とは実は二つの意味があります。ひとつは屋根面の防水で、これはいわゆる建物内への水浸入を防ぐということ。もうひとつは壁面等でコンクリートの中性化を防止する意味での防水です。この意味でタケイのコンクリート防水が、コンクリートの中性化の防止にも役立つのではないでしょうか。
A6 既に述べたようにタケイコンクリートの原理は簡潔に言えば、打設後のコンクリート中に残る未水和セメントの膜を化学的に破り未水和セメントを減らしコンクリート中の空隙を減少させることでコンクリートを密実にして防水性能を高めることにあります。よって、コンクリートの中性化もある程度軽減できます。実際、二酸化炭素中での促進試験を見ると、タケイコンクリートの中性化はプレーンなものに比べて6ヶ月で約半分という結果が出ております。
話をいろいろ聞いて、実際の現場も見せてもらい、自分でも使ってみた。率直に言ってかなり信頼できるなという感じがある。これが大幅に使われない原因は、やはりコンクリートをきちんと打つということの難しさに起因するのだろうという気がした。ぼくは別にコンクリート防水の信奉者でもなければアスファルト防水や塗膜防水を卑下するものでもない。どの防水も使ったことはある、それぞれに利点も欠点もあると思っている。もちろん研究者ではないからその材料の詳細に立ち入り、すべての防水材料の分析をしてきたわけではない。ただ、最初に記したとおり、建築を材料の体系化されたものと見る時に素材を多機能化、少量化しながら体系を平明化できる方向に進めるのであれば、それに越したことはないと思っているだけのことである。更に言うと、コンクリートという困ったものがもう少し困ったものでなく皆でもう少し「きちんとコンクリートを打つ」ということを実践していくことが時代の要請ではないかと思っている。それは建築のコンクリートだけではなく、問題視されている、土木のコンクリートも根は同じである。そして「きちんとしたコンクリート」が打てるようになれば、また防水の方法にも新たな展開が生まれるのだろうと感じた。
コンクリートの表面仕上げについて ニチエー吉田に聞く
打放しコンクリートの宿命
打放しコンクリートをきれいにつくるためには様々なノウハウがある。生コンの調合に始まり、型枠の精度、上手な打設と続く。これらはその手のノウハウ本に書かれているのでそちらに譲るとして、その手の本にはあまり丁寧には紹介されていないコンクリートの打設脱型後の状態から行わなければならない二つの作業について記してみたい。
脱型後の作業とは? そのひとつは補修作業である。完璧を期したコンクリートの打設にもかかわらず、脱型後にジャンカやコールドジョイント等の補修を必要とする部分をゼロにはできない。そんなことは百も承知だから打つまでが勝負ではないかという話もある。しかし、きちんと打てたと思っているのは設計者だけというのはあるゼネコンの人から聞いた話。不具合は設計者が来るまでに補修するか、できない時は上手に隠しておくのだそうだ。果たしてその実体はよく分からない。打設までに全精力を傾けるというのも正しい。一方で現代の建築生産の施工管理体制の標準的レベルからすると、補修も打放しコンクリートの仕上げ工程のひとつというのもどうも正しい。
林昌二氏はこの辺のコンクリート施工に対する設計者と現場のずれについてこう言う。「どうもコンクリートというのは不思議なことが多いですね。見積もりの中に頼んでもいないのに補修工事とかはつり工事とかが入っている。クライアントはどうしてそれにお金を払わなければならないのか疑問を感じますよねえ」。しかし見積もりに入っていればまだ良心的である。設計のスペックにもない、見積もり項目にもない。でも実際はそのお金が入っていて人知れず(設計者もクライアントも知らぬ内に)その工事が行われるというケースはよくある。
さてそれでは補修が一体どれほどの仕上げの差を生むのかという点だが、打放しコンクリートは本実型枠はもとより、昨今一般的な塗装合板の型枠を用いても打ちあがりの表面には微妙な型枠のテクスチャーが刻印されていく。よって、その表面に補修箇所が発生し、そこをモルタルで塗りこんでいくとこのテクスチャーが失われてしまうのである。もしテクスチャーの一貫性にこだわるとすれば、このテクスチャーを復刻する必要が出てくる。この技術の高低が打放し仕上げの優劣を左右する。第二国立劇場の工事中に現場見学をした人の話ではあの美しい杉本実型枠の柱が何人もの職人の筆によって描かれていたとのことである。
さて脱型後に行う2番目の作業とは? それはコンクリートの躯体としての性能を維持していくための防水剤の塗布である(ここで防水剤とは、撥水剤から耐侯性塗料を含め打放しコンクリート面の保護として塗るものすべての総称として用いる)。防水剤はコンクリート寿命を示す一般的な指標であるコンクリートの中性化を食い止めるために必要欠くベからざるものであり、建築家は何がしかの防水剤を選び打放しに塗布せざるを得ない。設計者は言うかもしれない。「それでは性能の良いものをご自由にお塗り下さい」と。しかしことはそう簡単ではない。それはこの防水剤の選択が打放しの表面の質感を大きく変化させるからである。
例えば、槇事務所の例をOBの高田典男氏は当時を振り返りこう言う。「横浜市立並木第一小学校の場合は、打放し用の塗装合板を型枠に使い、型枠をはずした後直接アクリルクリアを塗布しました。見てわかるとおり、コンクリートの打放しの程度がもろに仕上げの程度に表れます。若干でも補修をした部分はアクリルクリアの吸収が変わってしまうため色違いが極端に出ます。また、コンクリート面自体の吸収も大きいため、全体が濡れ色となり、しかも表面は光沢があります。しかしアクリルクリアの耐侯性が良くないので、表面の光沢は比較的早い時期になくなってしまいます。そこで、岩崎美術館、槇自邸、横浜市立川和中学校、東京体育館などでは、打放し面の濡れ色を回避するための方法をとりました。本実型枠(荒鉋仕上げ)または打放し用塗装合板を型枠に使い、型枠をはずした後に白色のシーラー(浸透調整用)を塗り、それが半乾きの時にウェスで拭き取ります。このときに、打放しの目に白色の塗料が残ります。それが乾燥してから、アクリルクリアを塗布します。コンクリート面の濡れ色はまったくなくなり非常にきれいな仕上がりとなります。また、補修した部分もあまり目立ちません。ただし、最終のコーティングはやはりアクリルクリアですので耐侯性は変わりません」。その後高田氏自身は中野坂上の再開発で耐侯性を考慮してフッ素を選択している。このように打放しを美しく仕上げている事務所は防水剤についてそれなりの試行錯誤を重ねているということである。
また宮崎浩氏の仕上げは撥水材しか施していないようである。これはぼくの経験から言えば撥水剤だけという仕様が打放しを最も美しく見せるからであろう。耐侯性の皮膜を作らないからコンクリートが最もコンクリートらしくさらりと見えるのである。もちろん撥水剤だけの場合は耐侯性の持続力が弱いのでメンテナンスを確実に行っていかなければならないのは言うまでも無いが、美しいコンクリートへのこだわりは、クライアントをも説得する力となっているのであろう。
このような実例を見ると分かる。これら二つの作業は打放しコンクリートの本質論とはなりにくいが、必然的な作業として考えざるを得ないということである。言ってみれば打放しコンクリートの仕上げ工程として位置付けざるを得ないのであろう。
さて打放しに付きまとうこれら二つの宿命、補修と防水剤、こうしたコンクリートの表面の美しさを左右する問題に40年間こだわり続けてきた人がいる。吉田晃67歳。ニチエー吉田(株)の社長を勤める。
打放しの病を経験した人ならば少なからず、この医者の厄介になっているか厄介にならずともその名前ぐらいは皆知っているものと思う。ぼくもそんな一人だった。興味を持って社長にお電話してみると、「幾らか書いたものがあるので送りましょう」と言ってくれた。次の日に1969年から1995年までに『建築技術』『建築知識』などに書かれた記事24編の抜き刷りのコピーがファイルして送られてきた。そしてその全編を一気に読んでみた。実に地道に一歩一歩という堅実さである。というのは時代順に読んでいくと、書いてある内容が殆ど変わらないのである。正確に言うと、少しずつ改良が加えられ変化しているのだが、ドラスティックに変化していることは無いのである。それまでやってきたことを繰り返しながら、うまくいかないことを少しずつ改良して現在に至っているということがよく分かる。
さて再度言うまでもないかもしれないが、打放しコンクリートに関する吉田工法の特筆すべきことは打ち上がりの不具合であるジャンカやコールドジョイント等を消す技術と耐侯性防水材をむらなく塗る技術である。
吉田の名声
話は長くなるが、この吉田氏の職人ぶりを示す話を紹介したい。私事になるが、ある打放し建物の防水剤として最近一般化されてきたアクリルシリコンのクリア塗装を使うこととした。その塗装はフッ素樹脂塗装とともに耐侯性にかけては勝るとも劣らないものでありコストは三分のニ程度という優れたものである。この塗装は、しかし少し前まで塗布すると打放しコンクリートが濡れ色に変色するという欠点を持っており、その後改良され、三層構成になり、下塗りは撥水剤、中塗りはこのアクリルシリコンの浸透止め色調整、そして上塗りが耐侯性の膜を作るアクリルシリコンなのである。しかしぼくは現場で試供体にこのアクリルシリコンを塗布してみて部分的に濡れ色のむらとなる状態に遭遇した。
中塗りの調整でこのむらが消えるという謳い文句はどこへいってしまっただろうか。その辺が分からずこの塗装メーカー(これはかなり大手のメーカーである)に聞いてみたのである。その返事は、今の技術ではこの三度塗りのシステムを使ってもどうしてもむらは残る場合があるということであった。そしてこのむらを消す技術を持っているのがニチエー吉田であると教えてくれたのである。ということは現在、打放し仕上げの耐侯性塗装(フッ素樹脂またはアクリルシリコン樹脂)を施そうとするなら、吉田工法なしではむらなしには仕上がらないのだ。
もちろん、こうしたむらをよしとした荒々しい仕上げも意図的に行われることもあるだろう。安藤氏のコンクリートなどはそういう荒々しい仕上げをあえて施しているようにも見える。
さて、大手塗装メーカーの技術開発の人間に吉田しか無いと言わしめるその吉田の打放しにかけた40年の営為とはいかなるものなのだろうか? その技術の開発過程は実に紆余曲折があったようである。時代は1959年に遡る、日本に打放しコンクリートの建物が大量に生まれたときである。何処でもその補修に頭を悩ませていたときに、吉田は補修が仕事になると思った。そして一目散にその業界へ突進した。左官経験も、建築の専門教育も受けていない吉田がそれは自殺行為であったと当時を回想している。最初の仕事は補修した部分が時間の経過とともにひび割れ、変色し大失敗に終わったそうである。
コンクリートは一品生産
悶々の日々を送っていた時に公園の擬木を見てこの技術を得たいとその左官屋を訪ねたが、左官職50年の技術は秘中の秘ということで教えてくれなかったそうである。また先述したとおり、コンクリートは極端に言えば一品一品色が違う訳であるから、それを補修したあとでは地の色とテクスチュアに復元するために補修面に周囲のコンクリート同じテクスチャーの絵を描かなければいけないのである。この描く画材に悶々の日々が続いたそうだ。その時左官屋の食べ残しの弁当の蓋に注いであった醤油を不用意に床に撒き捨てそれが打放しの柱に飛び散った。ところがその醤油のしみがたまたま打放しの木目模様の色合いに合致し、悩んでいる問題を解決するヒントになったようである。
コンクリートの色についてはこんな話を聞いた。一般的にコンクリートはグレーなものだが。それは多く骨材、特に砂の色で決まる。吉田の地元浜松では天竜川の砂が使われ、これは一般的なグレーの砂。しかし名古屋の仕事をした時に非常に茶色いコンクリートに遭遇した。これはもとを辿ると、そのコンクリートの砂が愛知県の矢作川から採取されたもので、茶色っぽい珪砂を多く含んでいるということが分かり合点がいったそうだ。また関西では海砂が多く使われそれは白っぽい。沖縄は珊瑚が砕けた砂が多く大変白い。しかしコンクリートの色を決めるのは骨材だけではなくセメントの色によるところも大きくこの点で大失敗をしたそうだ。補修用の樹脂モルタルは現場でそのコンクリートに合わせて顔料を混ぜて調合をするのだが当時まだ駆け出しの頃は地元の仕事が多く地元のセメントを使って補修モルタルの調合をしていた。県外の仕事もするようになった時、運送費を減らすためセメントは現地調達することにした。しかし、ある完成した現場を見てまったく色が合っていないのを発見した。その原因はそれまで県内の地元のセメントで色調合することに慣れていた職人が県外の違う場所の違う色のセメントでの調合に眼が効かなかったということだったそうだ。それほど産地の違うセメントは色が違うということだ。それ以来、県外の仕事でも、セメントは地元から輸送するということにしたと言う。
既成概念に囚われない
また素人であるという意識から左官業界、塗装業界のタブーということも幾つも破りながら現在の技術を生み出したようだ。例えば、シリコン撥水剤を塗布した箇所に塗装剤を重ね塗りするなど、1年生でも知っているしてはならないことをなんのためらいも無くやった。
異分野の技術を積極的に取り込むというのも社長の信条である。地元浜松と言えば、ヤマハ、ホンダ、スズキといったモーター産業で有名だが、これらの工場補修の仕事で出かける機会が度々あり、そこで先ずオートメーションで作られていく合理性とともに、車が使われる過酷な状況の中での耐久性に学べるものがあると常々思っていた。実際には、例えば、コンクリート補修の初期段階でコンクリートに樹脂を混ぜることを考えたとき、ヤマハがピアノの接着に使っていた酢酸ビニルを混ぜてみた。それは室内では完璧であったが、外部で水が多量にかかるところではうまくいかず、その後やはり自動車に使われていたエポキシを使いそれは十分な硬度を持ち、うまくいくと思われたが、紫外線に弱く、表面からぼろぼろ落ちてきたことがあった。そうした経緯を経て現在の弾性アクリル樹脂にたどり着いたとのことである。
モルタルに樹脂を混入するという左官業界ではあり得ないような発想も、工場生産の流れ作業に象徴される多くの職種の統合というものを目の当たりしたところから出て来たものと言えよう。また、コンクリート補修に使うモルタルは周囲のコンクリートの色に合わせて顔料をいれて調合するのだが、その塗料も自動車に使用しているものなどを参考に世界から集めているそうである。インタビュー後、オフィス脇にある小さな工場を見せて頂いた。そこには世界中から集めているという塗料や樹脂が並べてあった。また暴露試験のパネルが所狭しと並べてあり、職人の技術を高めるためにはつって作られたジャンカがパネル化されて並んでいた。また補修部分を打放しのように見せるためのピンホールを作る器具とか本実型枠を補修したときの本実の模様を作る器具、合板型枠用の模様を作る器具などが並んでいた。実に小さな工場の中に吉田のアイデアが満ち溢れているのに驚かされた。
吉田の仕事
ニチエー吉田の会社周辺には幾つもの施工実績がある。そのうちの幾つかを一緒に見せてもらうことにした。先ずは打設の補修と防水剤を塗布した最近の建物。そして経年劣化を補修したもの。各々二つずつ見せて頂いた。まず補修と防水剤を塗布したものとして、坂倉事務所が設計した静岡県文化芸術大学、そして浜松の駅前に建っている日本設計が設計したアクトシティである。
文化芸術大学は街の二ブロック程度にまたがる都市型大学であり、外装は九割方打放しである。表面はよくよく見ると補修後が分かるが型枠のテクスチャーを再現する技術によって殆どその姿は消えている。そして防水剤はフッ素樹脂で、そのフッ素にかなりの白が混ざられている。「白を混ぜるのは反対なんです」と吉田は言う。打放しはあくまでコンクリートの色であるほうが良いというのが吉田の持論である。「色をつけると撥水剤がきちんと染み込んでいるかどうか分からなくなる」。撥水剤がきちんと染み込んでいないと、雨が降るとピンホール部分が黒いほくろのようになってすぐに分かるという。
一方、アクトシティは防水剤にクリアのフッ素樹脂を使っている。こちらは打放し本来の色みが出ている。多くの補修を見てきたせいか、この打放しはかなりの部分が復刻ではないかと思って吉田に聞いてみた。「ここはかなり補修してますね」という答えが返ってきた。しかし素人目にはまずその差は分からない。
次に経年劣化による打放しの補修である浜松市民ホールの外壁を見た。これには少し驚いた。コンクリートが青いのである。「この時の補修用のセメントが青かったんですよ、打放しにうるさい所長だったら、普通の色にするよう指示があったと思いますが」と、本実型枠のこのコンクリートはものの見事に吉田の技術で再現されていた。工場でその再現用の版を見せてもらっていたので「ああ、あれでやったのか」と分かるものの、見ていなければ分からない。そして、もうひとつ同じ本実型枠の市役所の外壁の補修も見せてもらった。こちらも傍目では気付かないレベルに再現されていた。お見事としか言いようがない。
補修と防水剤という視点から色々記してみた。そして吉田晃という職人に会い、その40年の営為に触れることができた。そして脇に追いやられている打放し表面仕上げ技術の奥の深さに驚きもした。彼のアイデアは留まるところを知らず、乾式パネルの表面でさえ打放しにしてしまう技術さえも持ち合わせているとのことである。既にそうした技術で出来上がっている建物もある。これを是とするか非とするか私の決めることではないが、打放しがある意味で表層の記号と化して一人歩きさえし始めてしまった。練り付けの木の技術が出来た時それは邪道であったであろう。しかし、今や建築家でこれを根本から疑ってかかる人は少ない。少なくともこれを認めていかないと法律の網の目の中で木を使用できない場面も出てきてしまう。木も表層の記号と化しているのである。打放しというのもそうした表層の記号と化して建築仕上げの主流となるかどうかは分からない。しかし、職人が人知れず生み出す技術の中に建築を変える力が秘められていることも、確かであるような気がする。
初出:『GA 素材空間』2000年12月