建築家が写真を撮ること
建築家が写真を撮るのは創作のためである。いくら美しい風景があってもそれが創作につながる可能性を持たなければ建築家はそれを撮る必然性はない。もちろん記録として残すために撮ることがないわけではないが建築史家が事実を定着させる行為とは異なる。
最初に結論を書いてしまったがこれはもちろん多くの建築家にアンケートなどをした結果でもなければどこかの本に書いてあることでもない。私がそれほど多くない建築家と話して感じたことであり、以下に記す建築家たちの写真との関わりから思うことであり、そして私自身が建築家ならば撮ることに対してそう考えるべきだろうと思うところである。
光を掴む
だいぶ前のことだがGAの雑誌『素材空間』を創刊するころ、二川幸夫に編集協力を依頼された。氏から数時間にわたりレクチャーを受けた。驚かされる話はたくさんあったが写真を撮るのが速いというのもその一つで印象的だった。一般に建築写真家が建築を撮る場合、一日現場に張り付くものだが、二川は数時間で撮り終える。坂本一成も星田に二川がやってきてあっという間に撮り終えたのを驚きをもって語っていた。そんな二川がファンズワース邸には数回訪れ朝から晩まで目を凝らして撮影したという。曰くこの建物のガラスには底知れぬ輝きが太陽の動きとともに現れる。二川は創る人ではないが、創る人以上に創ることに精通している。建築家が創る上で必要なエッセンスを名建築から抉り出してくる。二川は言っていた「ガラスの厚みを耐風圧で決めるようなら建築家をやめた方がいい」。ガラスは透明な開口部ではなく、色も肌理もある物であると語っていた。
スケッチ&パブリシティ
建築家にはカメラ好き、写真好きが多い。視覚に訴える物を創るのが仕事だから自ら設計した物の視覚効果を確かめるためにも、あるいは他の建築家の作った物を学ぶ上でもカメラは建築家の必需品である。しかしそれをどのように使うかは様々である。例えばル・コルビュジエはどうだろうか?2013年にティム・ベントンは『LC PHOTO le Corubusier Secret Photographer』(Lars Mueller 2013)を著しル・コルビュジエが自ら多くの写真を(8ミリムービーも)撮っていたことを明らかにしこう述べている。
ル・コルビュジエが写真に対してどう思っていたかは推測の域を出ない。彼は生涯を通じて写真を使うことで自らの出版物の効果を最大限に上げてはいるのだが、それは芸術と呼べるようなものではないだろう。多くの彼の写真は芸術というよりは彼のスケッチに本質的に近い(p405)。
ここで「スケッチに本質的に近い」とは自らの創造のためのアイデアを記録する道具として使っているということであろう。普通建築家はル・コルビュジエも含め見たものをスケッチとして描き残す。しかし時間がなければ写真で残す。おそらくデントンの言うのはそういうことである。またル・コルビュジエの写真はスケッチのためだけではない。ビアトリス・コロミーナの記した『マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』(鹿島出版界1996)の中ではル・コルビュジエの自作写真へのこだわりが記されている。ル・コルビュジエはラ・ショー=ド=フォンの住宅をレスプリ・ヌーボー誌に掲載するとき写真にかなりの加工を施しパブリシティの道具として周到な作戦のもとに使用していたのである。
ゲシュタルトへの希求
『TANGE BY TANGE 1949-1959/丹下健三が見た丹下健三 』 (TOTO出版2015)の著者 豊川 斎赫 によれば丹下健三が自ら撮影した自作のコンタクトシートを見ると、コントラストを強調し黒はより黒く、白はより白く焼かれている。よってそのネガを普通に焼くとコンタクトシートには見えていない雑音が多く見えてくるのだそうだ。丹下はこうして建物の輪郭線を際立たせその内側、つまり素材自体をあまり問題としなかったようである。作品のゲシュタルトをややひいて瞬時に把握するというのはモダンアートの典型的な視覚であり丹下もやはりモダニストであったことが写真の焼き方からよくわかる。また丹下による写真の多くは外観であり内観は極めて少なく彼が外見にこだわる建築家であったことが本書の著者編者によって異口同音に語られていたとのことである。
概念の種
篠原一男はその昔アフリカ旅行で自ら撮ったコダックのカーセル2巻分くらいのスライドを30分くらいでほとんど説明なしに無声映画のように連続的に映し出して見せてくれたことがあった。それらは建築の写真というよりは街の風景で、都市部の近代的な建物の隙間に残るトタン板で囲われた掘っ立て小屋の連続だったように記憶する。もちろん写真はもっと多くのものを含んでいただろうが私の記憶に残っているのはそれだけである。篠原は1977年の新建築1月号に「第3の様式」を寄稿している。その中でアフリカ旅行前にアフリカから連想される「熱帯樹林」「野生」という概念が建築を啓発していたと記している。しかし野生はまだ生まれたばかりの概念で「ひとつの住宅のための作業と西アフリカの町の横断がかさなったとき生まれた気まぐれな記号なのかもしれない」と述べている。この論考には篠原が撮影したアフリカそして上原通りの住宅の工事中の躯体写真がそれぞれ1頁大で続きの頁に載せてあるが双方の写真に造形的な直接的な関連性があるようには見えない。しかし並べてレイアウトしている以上そこにコンセプチャルな繋がりがあることを示唆している。つまり篠原が写真として切り取ったアフリカのイメージは一度概念化され「野生」ということばへと置き換わる。それが彼の建築へ再度翻訳されたと見ることができる。これは篠原建築の常套手段である。篠原はあまり自分の建築の発生源を視覚的なものに求めず言葉の強度に頼ることが多いがこのような強いイメージに出会ったときはそれを概念に昇華するべく写真として切りだしてくる。篠原は自分の建築の種をこのようにして人に見せることは多くないが実はかなりの量の写真を保持していると思われる。というのも篠原は「何か建築の種になりそうなものを見たらそれは誰にも言わずに大事に持っていなさい」とよく我々に言っていたからである。
物との対峙
鈴木了二は名建築と格闘してその建築への疑問を晴らすような写真を撮る。一昨年鈴木が上梓した『ユートピアへのシークエンス』(lixil 出版2016)は建築家が撮った写真とことばとしては珠玉の一冊である。建築のエッセンスを抉り出すという意味では二川幸夫のようでもあるが鈴木の写真は一日がかりの格闘である。カメラ好きの建築家の中には鈴木のような写真を撮る(撮れる)人はいるかもしれない。しかし鈴木がそういう建築家とおそらく異なるのは、鈴木はその画像を解読する能力も持ち合わせている点である。そして鈴木の思考は篠原とは異なりそれを概念化するというよりは徹底して物として対峙し、物を社会につなげて解読する。それはこちらをうならす説得力を持つ。そしてこのレンズを通して物と対峙する姿勢が自らの建築へのスタンスに現れる。あたかも自らの作る物を再度カメラのレンズを通して分析し直しているかのようである。鈴木の建物には鈴木の厳しい視線がべたべたとへばりついている。
質料を撮る
さて最後に私の「撮る」ということについて少しだけ記しておこう。もちろん自分はここで挙げた諸先輩たちの撮る行為に少しずつ見習うところはあるのだが、もともと私は写真をあまり信じておらず、学生時代に初めて海外に行ったときにカメラを持って行かなかったような人間である。もとよりカメラを持ってなく卒業設計の模型も人に撮影してもらったくらいである。なので3ヶ月にわたるヨーロッパでの研修と旅行の視覚的蓄積はすべてスケッチとなって貯められた。その後アメリカに留学するとき初めて一眼レフカメラを買ったのだがここでもあまり写真を撮らなかった。時間は学生だから十分あり可能な限りスケッチを描いていた。しかしスケッチではどうしても定着できないものがある。それは光や色である。私に印象派の画家たちの技術があれば別だがそれは望むべくもない。あのカリフォルニアの空気とその空気の中での光と色は残念ながらスケッチには残せない。そこでこれだけは写真に頼ることにした。それが表紙の写真である。
その後留学から10年以上経て建築における「形式と質料」という講義を東大で行いその内容をもとに博士論文を書き『建築の規則』として上梓することとなった。モダニズムはカントの美学に先導され形式を重視したが質料を置き忘れたのである。つまり僕が写真でしか残せないというのがこの質料である。そして質料が僕の建築表現のなかで基本的な一部となっていることは言うまでもない。