今求められる建築の役割
本書は『記憶の形象』(1992)『漂うモダニズム』(2013)に続く槇文彦の3冊目の論考集である。二つのインタビュー記事を除いて2013年以降の論考23編が収録されている。三冊で1500ページ近い著述量は膨大である。谷口吉郎、吉坂隆正、磯崎新などと並び言葉を大事にする建築家である。そして書くことがつくることにとって不可欠なものであることは槇自身述懐する。『記憶の形象』の序文は「書くこと、つくること」という標題のもとこう始まる「建築について、都市について、あるいは現代社会について考えることから、書くことが始まり、つくることが始まる。書くこともつくることも、したがって同じ思考の原点を分かちあう」。本書の最終節も「書くこととつくること」という表題が付けられ書くことを通して良いテーマを発見し、それをつくる段階へとつないで建築を生むと記している。建築が言葉を通した思考、記述に始まる槇の方法論が読みとれる。
そうした膨大な言説に繰り返し現れる概念の一つが時間である。本書の最終章には「空間・時間・建築」という表題の節があり時の持つ力が語られている。また槇の代表作であるヒルサイドテラスは槙の時間概念を最もよく表す建築として度々説明される。この建物は時間をかけて都市と調停し時の経過の中で審判を受け次の期のデザインに生かされる。その結果として6期それぞれが時代を表す異なる表情を見せている。また時間による形の形成について槇は若いころの地中海集落の体験をあげそこには統一と自立が共存すると述べ、ヒルサイドにはその状態が具現化されているという。
全体を貫く時間という概念に対して前書に始まり本書で強く主張され始めた概念として「ヒューマニズム」をあげることができる。この言葉は前著『漂うモダニズム』における冒頭の論考で使われる。それによると槇の言うヒューマニズムはルネサンスを表すものではないし、ヒューマニタリアニズム(人道主義)を示すものでもない。「多くの人が共感を呼び起こすようなあるいはそうした人間性のあり方を求める姿勢がそこに存在するような状態」を指している。また本書では日本人のもつ「穏やかさ」「静かさ」に注目してそこから多くの人が喜びを分かち合える姿と記されている。本書では新国立競技場問題についての槇の論考も収録されているが、この問題が氏のヒューマニズムへの考えを加速させたようにも思われる。
今年7月に行われたEUNIC JAPAN (欧州連合文化機関)主催のEU vs 日本建築会議「サスティナビリティ建築、コンパクトシティを超えて−−都市空間のリヒューマニゼーション−−」において槇は上記主張を中心に基調講演を行い聴衆の深い共感を得た。その理由は先進国における経済のゆっくりとした成長に根ざしたスローで寛容な社会の創出を望む声と槇のヒューマニズムが響きあうからであろう。その意味でも21世紀建築の展開において槇の言うヒューマニズムが重要な役割を担うであろうことは論を俟たない。