建築を作るのは敷地か建築家か?
1年間、建築の集中表現としての「住宅」と題して12個の建築家の自邸に伺い、最終回は拙宅に4名の建築家を招いて議論することになった。
そこに来られた4名(2名はチーム)は最後に見た3つの住宅の建築家たちである。それらの住宅はそれらが建つ京都、神戸、横浜の場所性を強く現していた。そこで東京の拙宅を含めてこの4つの場所性が建築の中にどのように結実したのかということについて記してみようと思う。というのもこれらの建築は、誤解を恐れずいえば、ほぼその敷地の特性に誘導されるがままにできているとさえ見えるような気がするからだ。もちろんそれらだけでできているわけではなく4名の建築家の強い個性が現れているのはいうまでもないが、もし敷地が違ったら同じ建築が建つかといえばそれはないだろうと思うのである。つまり建築は環境が作るのか建築家が作るのかということに対する一考察としてこの文章を書き始めた。
京都は4つの場所の中で、唯一グリッドで仕切られた条坊制の都市である。それによって他の都市とは異なる整然とした骨格を感じる。しかしそこに建つ住宅は通りに面して狭い間口と長い奥行きを持ついわゆる長屋形式となるものが多い。したがって整然とした通りから奥へ奥へと吸い込まれるような空間体験をすることになる。あたかもストローの中を進むような感覚である。魚谷さんの自邸「永倉町の住宅」もその長屋を改修したものだった。長屋というのは一般に複数の所有者で奥行き方向を分割してそれぞれを使うことになる。魚谷邸の長屋は4人で所有されていた(4分割されていた)。道路に面した一つは別の所有者で奥三つを購入してそこを改修して一つに繋いだのである。加えて一番奥の家はその裏庭を持っていた。よって魚谷邸の空間体験は通りから小路を通り奥の玄関に到着する。玄関は長い空間の脇腹についていて、そこから入り横に移動しながら、さらに90度左に折れて奥へと向かうとそこに庭が開ける。ストロー空間をくぐり抜けると外に出る感じがする。この体験はとても京都的である。
神戸西宮甲陽園は大正時代に開発された土地である。もともと山林を遊園地、温泉、宿泊施設として開発されたのだが、90年台のバブル崩壊とともに遊園地が閉園となり、跡地は高級住宅地へと変わった。甲山の南麓に位置し、自然環境が豊で、おおむね南向きの斜面である。畑さんの自邸「甲陽園の家」はそんな斜面に建っている。当然ながら京都の長屋の持つストローのような空間性とは全く異なる。空を取り込むような明るい敷地であり、そこに4つのヴォールト屋根が南西方向に向かってかけられる。建物横を、広がる斜面の側に回り込んだところから建物に入るので、建物に入るときにはすでに建物内から見える風景を知覚している。つまり空間体験としては広い大きな外部空間から建物の中に入ると、そこでの空間体験は建物に入る前と同質な外部を取り込んだ大きな空間なのである。
横浜市港北区菊名にある塩崎大伸、小林佐絵子の自邸「菊名貝塚の住宅」は横浜特有の丘陵地形の上にある。菊名駅から10分ほど丘を登る高台に建っている。築3年の住宅を購入してリノベした住宅だ。斜面地なのでアクセス道路からさらに2メートルほど上がったところに玄関がある。よって入ったところはすでに富士山まで見通せるような眺望を持っている。加えて基礎が高いので床下の基礎内空間を有効活用するべく建物の半分くらいの1階床を剥がして基礎内に降りていけるような断面構成とした。この横浜の土地は神戸同様に、玄関からすでに大きな眺望を持っており外部空間と内部空間の一体感が建物に入る前から感じられるものである。ただし、内部が床を剥がして垂直的に広がるので外部と内部では空間の質の差を感じる。ここでは神戸の空間体験と近いものを感じるものの内部に入って感じられる垂直性がこの建築を神戸とは異質のものにしている。
最後の拙宅は、東京の神楽坂の坂の上まで上がりそこからくだった崖の下の袋小路の行き止まりのところにある。行き止まりの向こうには先ほど降りてきた神楽坂の上と下を隔てるコンクリート擁壁の崖がある。建物に入るとそこは上に向かう階段と下に向かう階段の踊り場となっている。下に向かうと半地下の地下室で行き止まりである。上に向かうと渦巻きのように上昇しながら吹き抜けと階段が絡み合いながら2階にいきその先には水回りと小さな庭があるが庭は塀で囲まれている。広間に行くと南に開けた大窓があるが、さらに曲がって奥は小さなランドリー空間で行き止まる。つまり敷地も行き止まり、建築内も迷路的な空間が複雑に上下に向かいそこで行き止まる。東京の崖性が建築に投影されている。
こうして4つの住宅を敷地性から概観すると建築の空間性と敷地性の密接な繋がりが読み取れる。住宅は設計者の強い意志の表れであることは言うまでもないが、それ以前に敷地の特性が否応なくその建築を規定していることに気づく。ここで紹介した四つの住宅でいえば、京都の条坊性、神戸や横浜の丘性、そして東京の崖性である。もちろん東京の中でも様々な敷地性があり、ここでは紹介しきれないが、訪問した住宅全てにそうした繋がりがあったことは申し添えておきたい。