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Dec 2005

大晦日

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by 卓 坂牛

大晦日。私の住まいは四谷。都心の中の都心だが、実に静かである。特に大晦日の今日は町が死んだかのようである。sayuriを見てから、両親、兄、甥等と食事をして都内某所に宿泊、明日は初詣に神宮に行く予定。今年は3回拝もう。コンペが取れるように。

東京は晴れ

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by 卓 坂牛

東京駅で前川國男展を覗いて(詳細はコラム参照)帰宅。amazonに頼んでいた高橋睦郎の『百人一首』が届いている。ぺらぺらページをめくる。2ページに一首という見やすい装丁である。林健太郎の『ワイマル共和国』が読み終わった。第一次大戦後のドイツのどん底の時代の話だが、敗戦で多額の賠償金を請求され払えず、ソヴィエトと手を結んだりしながらやっと難を逃れたのだが、その過程ではひどい屈辱感を味わうわけで、それがナチを生む一因だったのだろうか。
ナタリー・エニック著三浦篤訳の『ゴッホはなぜゴッホになったか』を読み始める。芸術社会学の分野に興味がある。でも少し重そうな本である。正直言ってゴッホは本物をあまり見たことがないので、ちょっと親近感が沸かない、、、、

仕事納め

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by 卓 坂牛

今日は一日研究室。4年と院生の梗概チェック。まだ全然駄目。卒計、修士設計の進捗チェック。製図室は年末で手伝いも無くなんとなく静か。
昨日同様『a』誌のデーターベース作り。1000件程度に膨れ上がる。プリントアウトするとa3 20枚くらいになっている。まだ作業は3割程度なのだが。いずれにしても休み返上で作業した院生は御苦労様。
今日は学食も休みにはいり、昼も夜も同じ中華料理屋で食事をした。おいしかったが、やや食傷気味。さて明日は晴れてお休みかな?東京に戻って。少しゆっくりすごしたい。2年ぶりの家族と過ごせる正月か?去年の今頃は事務所で翻訳合宿をしていたことを思い出す。あの頃東京も雪が降って、出前がこれず、近くのピザ屋に買出しに行って、帰りに転倒しピザを守って、ひじを思い切り地面にたたきつけて数日腫れが引かなかったのを思い出す。今日の帰りこけないように気をつけよう。

某建築一般誌「a」の研究予備調査を開始

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by 卓 坂牛

とりあえず70冊近くある雑誌を5人で手分けしてその中にある建築をリストアップする作業を開始。1時から始めた。「2冊くらい終わったらミーティングしよう」と言って始めたのだが、2時になっても3時になっても終わらない。もう夜中の12時である。もちろんリストアップとは言っても単に建物名を書き抜くだけでなく、重要キーワードの抜粋とか写真の部位とかチェック項目は10くらいはある。しかしそれはまあ予定内。だから思った以上に時間がかかるのは作業の煩雑さにあるのではなく圧倒的なその量にある。そしてそれはやってみて初めて分かった。平均するとどうも一冊に80軒くらいの建築が掲載されているのである。それは新建築が20くらいだから約4倍も載っているということになる。
さてここから何かが出てくるだろうか?分析の切断面が重要である。

アースダイバー

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by 卓 坂牛

午前中m邸のエスキス。2方向に開く×2だから4方向に開く可能性の摸索。午後から大掃除。15人がかりで1時から6時くらいまでたっぷりかかる。1年分の垢を取る。へとへとになったが徹夜明けに風呂に入るような快感でもある。皆様御苦労様。掃除後、ショートミーティングを行い。帰宅しシャワーを浴びて、夕食をとり、長野に。車中、中沢新一の『アースダイバー』を読む。
中沢新一という人の本はその昔『悪党的思考』を読んだのみでその後あまり興味が無かった。だからこの本も中沢氏だから読んだのではなく、「この本が面白い」と言う人がたまたまいたから読んだのでである。うわさその①は表象学会立ち上げのシンポジウムで司会の田中純がしきりに「やられた、なんでこれに気づかなかったのだろう」なんて大げさなリップサービスをしていた(シンポジウムの参加者に中沢氏がいた)。そこまで言うのなら騙されたと思って買ってみるかとそのシンポジウムの帰りに買って部屋に積んでおいた。そしてうわさその②、先日我が家に来た友人の小西が「最近中沢新一の『アースダイバー』と言う本が出て・・・・」と言うのである。あら?こんな人の口からも出るとは(こんな人の口と言っても彼は文学部の後輩でもあるのだから、工学をやっている僕が知っているより、自然なのかもしれないが)、そこで積んどくから取り出して、ぺらぺら眺めたのであった。
そしたらこれが結構東京ガイドとしてよくできているのだ。何を隠そう、僕が前住んでいた、上北沢の塚山公園の縄文の遺跡から始まり、新宿、そして今住んでいる四谷に話が進む。ここで先ずそのつながりに軽く驚く。そう、なんで上北沢と四谷なのか?なんでそんなところに関連があるのかと思うではないか。偶然二つの我が家を貫く視点に嬉しくなるが、要は東京を谷と丘で見るその昔から在る視点を徹底したところに凄みが在る。さらにその丘と谷の境目に現われる古墳、神社、と言う物理的環境と神話的ゲニウスロキを読み解く物語が心地よいのである。四谷と言えば四谷怪談だったり。
そんなことを考えつつ雪の長野に到着。しかし、思ったより寒くないなあ。

桜井さんに久しぶりにお会いする

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by 卓 坂牛

午前中日建設計に行き久しぶりに桜井さんにお会いする。元気そうではつらつとしている。信州大学のPRをして自分の最近の作品なども見せてくる。芦原賞受賞のお祝いの言葉をいただき恐縮した。事務所に戻り中国プロジェクト、川崎プロジェクトの打ち合わせをする。どうも進み具合が今ひとつ。学生じゃないんだからさっさとやらなければ。
今日は東京はかなり寒い。何度なのだろうか?長野も寒いのだろうなあ?研究室の輩は順調に進んでいるのだろうか?

クリスマスパーティ

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by 卓 坂牛

一ヶ月前から約束していたホームパーティー。この3日間パーティが続く。日建時代は12月と言えば、クライアント、会社、友達、と忘年会でスケジュール表が埋まっていたのだが、独立してから、無意味な酒席はなくなった。しかし独立して不要となった付き合いとは別に新たに生まれた人間関係やら、四谷に引っ越して人を呼びやすくなったことなどから、今までの不義理をお返しするために酒宴が増えた(と言っても私は飲みませんが)。
今日は高校時代の友人2家族を招待。例によって4時からスタート。
ka君の作ってきたチキンの丸焼きは食べこたえあり。ka君の息子は中学受験とのことで家に来ても受験クイズで場を盛り上げてくれた。ka君はGEの子会社で風力発電機を日本で売る会社の社長である。その風車の羽(frp製)が落雷でひび割れ裂けて飛んだと嘆いていた。社長はつらいね。気持ちはよく分かる。頑張ろうね。

藤枝先生と会う

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by 卓 坂牛

今日は銀座アートフィールド第四回目で詩人の高橋睦郎さんのレクチャー。レクチャー内容はコラムに書きましょう。レクチャーの後、例によって、谷川先生と画家の芝さん、山田宴三さん、山田ちさとさん、勝谷さん等と銀座ライオンで食事をしてから新宿のとあるバーに、そこで新建築の高木さんにばったり会う。その後、あの藤枝晃雄先生が吉祥寺で飲もうという電話があり吉祥寺のバーで待ち合わせ、ひとしきり飲んでさあ帰ろうと思ったが次は歌を歌おうということになる。谷川先生の美声に酔いしれ、さあ今度こそ帰ろうと思ったら谷川先生は元気満々、藤枝先生も満更ではないということ。僕も明日が無ければお付き合いしたところだが、辞して他のメンバーと帰る。すでに4時を回っているし。
藤枝先生が「僕がペンに行ったときにはカーンが居たよ」と言うのにはびっくり。更には、「坂本先生は知っているか?」と聞くので「私の先生です」とこたえると「坂本君はムサビにいたよ、いい人なんだ」とおっしゃっていました。そう言えばそうですね。しかしなんと元気なひとたちだろうか???

出版慰労会

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by 卓 坂牛

『言葉と建築』出版慰労会+スチュワート研究室忘年会を我が家で行いました。
①三浦先生の秘蔵っ子、安藤さんはプーシキン展の疲れがでたのか、勉強しすぎなのか風邪。
②鈴木博之研の戸田君は在パリ勉強中。
③竹中工務店の藤田は昨日からスペインで遊んでます。
④小沢は北大の先生になったせいか昨日からキロロでスキー。
その他のメンバーは全員集合。
⑤表象の星野君は学会立ち上げで大変だったもよう。
⑥よりよき社会を目指す天野君は美学やってIT企業で活躍中。
⑦天内君は翻訳一番の功労者。現在美学の博士で日本近代建築の研究中。
⑧井上君は久しぶりに会いました。元気そうでなにより。日本の知性としてがんばってください。
⑨光岡君はミューゼオロジーの研究者。これからも芸術社会学の先生となってください。
⑩入江君はsetenvの代表でリーテムの展来会の企画から我らのホームページづくりからなんでもできる人。いろいろと一年間ありがとうございました。本当に感謝してます。
⑪邊見とはもう20年のつきあいですが、こういうものが形にできてうれしい限りです。ありがとう。
⑫スチュワート先生は私の仲人でもある。皆に仲人と言っても、何それ?という顔をする。時代のギャップを感じました。私の恩師であります。23年前の卒論の赤原稿を見つけました。最初のページから最後のページまで真っ赤。こんな丁寧な指導をしてくれる先生はもういません。
⑬岩下はハワイから帰って、現在日本でリハビリ中、独立したくなったらいつでも相談にのりますよ。
⑭そして鹿島出版会の打海さんありがとうございます。4月からは設計部ですね、またよろしく。
このメンバーで4時頃から10時くらいまで、盛り上がりました。今までこのメンバーでゆっくり食事さえしたことが無かったので、こちらとしてはとことん飲ませてみたいという悪だくみもありました。果たして、結果は、よく飲む、よく飲む。シャンペン1本、ワインが7本、そしてウィスキーと、イヤー気持ちいい。最近の若い人はぜんぜん飲まないのでつまらないと思っていたのだが、期待に応えて用意したワインは全部売り切れ、もっと用意しておけばよかった。飲み足りなかった人はごめんなさい。
また飲みましょう。次は何の勉強会にしましょうか?意見を募ります。それから、初期収入の使い方も考えましょう。

大きいこと多いことの力

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by 卓 坂牛

Photo.JPG
Andreas Gursky Greeley 2003 204×254 cm
これは少し前の日記にも書いた「ドイツ写真の現在」という国立近代美術館で行われている展覧会に展示されているグルスキーのグリーリーというタイトルの写真である、本物は畳一畳より大きい。この写真は典型的な数学的崇高さが示されている。
コラムで書いたが、カントは判断力で判定される4つの感情の中で、美、と善の伝達可能性は○、崇高性は条件付○、快適性は×としたが、この写真の前で心動かされぬものはいないという気になる。この展覧会を一回りして、美で確信の持てるものは一つも無い。一方崇高であれば数点思い浮かぶ。18世紀ならいざ知らず、21世紀においてはもはや崇高の方が普遍妥当性を持っているのではなかろうか?