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Feb 2006

正座は大変

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by 卓 坂牛

午後川崎のクライアントとの打ち合わせ。2時からはじめ終わったのは8時頃だった。何せ母屋と離れと2軒分なので時間はかかる。離れの住人はその昔お茶の先生だった。お茶をずっとやって正座をしていたためにひざを悪くされたとのこと。今ではイスでないと座れないのである。和室での打合せだが、彼女だけはイスである。しかしこちらも6時間和室というのは結構大変である。失礼は承知で足はあっち向いたりこっち向いたり、抱えたり。もちろん正座は不可である。
昔事務所の木島さんに連れられてお茶の場に臨んだことがあったが、1時間近くの正座で失神しそうになった。正座というのは体にいいものではない。昨今の若い子達のスタイルが良いのは座式生活からイス式への生活スタイルの変化が原因とも聞くし。
帰りの電車の中で今日の打ち合わせを確認し、僕はそのまま長野へ向かう。昼は比較的穏やかな天候だったのに夜はかなり寒い。車中小田部氏の『芸術の条件』を読む。小田部さんの文章は本当に良くできている。難しいが哲学者のジャーゴンではない。正確に伝わる文章である。

歴史のなぞ

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by 卓 坂牛

東大の東洋史に数学0点でもはいった友人のKが私の娘に勧めていたマンガ世界の歴史を娘から借りて読んでみた。へー面白い。つい昼から四巻ほど、メソポタミアから、ギリシア、ローマ、中世ヨーロッパ、ルネサンスまで読んでしまった。マンガは教科書では割愛されてしまうような登場人物の微妙な心理が表情に出てくるところが楽しい。
例えば、ミラノに行ったダヴィンチがフィレンツェに帰ってきたとき既に頭角を表していたミケランジェロの対抗意識とか、モナリザの微笑みを見て涙したラファエロの感動とか、文章より絵の方がその感情の機微は直接伝わるし、教科書にそんなことは書いていなかったようにも思う。いや、面白い。マンガ読んでたら夜になってしまった。夕食後小田部さんから頂いていた、『芸術の条件』を読み始めた。小田部さんにしては平易な文体で書いている。これならすぐ読めるかな?前著『芸術の逆説』が芸術に内在する問題系ー創造、独創性、芸術家、芸術作品、形式、-を扱ったのに対し、本著はー所有、先入見、国家、方位、歴史、ーという芸術に外在しながら芸術を形成してきた因子の解明ということのようである。それゆえ「語の正確な意味での姉妹本」だそうである。
ところで近代芸術関連の本はそのオリジンに触れようとするとどうしても18、19世紀のドイツに話が関係せざるを得ないのだが、マンガでもゴンブリッチでもこのあたりが手薄なのはどうしてなのだろうか?客観的に見れば(客観とはなんなのか分からないが)あまり重要ではない時期なのだろうか????

留守番

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by 卓 坂牛

ポートフォリオを送るのに久しぶりに英語の手紙を書いた。書こうと思うとスペルが出ない。かなり深刻である。記憶力の低下は娘を見ていると痛感する。うらやましい若い脳みそ。さてポートフォリオを送ろうと事務所に行ったら事務所に無い。ナカジがチェックするのに家に持って帰ってしまったようだ。一日なんとなく落ち着かない。あせっても仕方ない。昼間静かに本を読む。今日は留守番。家族は映画を見に行った。犬と私と二人だけ。誰も居ないので食卓を独り占めして年表やら辞書やら広げてゆったりと読書。犬は寝床で向こうを向いて寝ている。家族が居るときはこちらを向いているくせに、私一人だと反抗的にお尻をこちらに向けて寝ているのである。5歳になったおばさん犬をいただいてきたもので、この歳になってから人に慣れるのは大変なのである。

びっくりすることが多い一日

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by 卓 坂牛

早朝、日本最初で唯一と思われるオリンピック金メダルのパフォーマンスをライブで見た。優勝候補のアメリカのコーエンが転倒したことも手伝い、荒川が一位となった。昨晩アメリカの放送局のスポーツ担当ディレクターがコーエンがプレッシャーに弱いので失敗をして荒川が優勝すると予想していたのがその通りになった。あまりの予測の確度の高さにびっくりである。
テレビの興奮冷めやらぬうちにKプロジェクトの現場に到着。今日は宙に浮く鉄の箱の仮設柱8本を取り除く日である。構造の金箱さんも来て取り除いた後に床レベルが下がらないか確認をした。1ミリも下がらないのにはちょっとびっくりである。
その後、近くの川崎の家の敷地を見てもらう。そして事務所に戻った。ポートフォリオ完成間近である。結構時間もかかったが、なんと200ページのポートフォリオとなった。エディトリアルデザインをしたナカジの力はたいしたものだ。すごい。
夜、日建の皆に芦原賞の受賞お祝い会を開いていただいた。構造の小堀さん、顧問となった池西さん。同期の西村、後輩の田島さん、そして後輩で新入社員の佐藤さん。どうもありがとう。昨今の構造問題から、日建ゴシップまで尽きぬ話題に花が咲く。同期山梨が副代表になったと聞いてびっくり。もちろんなるべくしてなったのだが、もうそういう歳なのかと思うとちょっとがっくりでもある。

日記っぽくない日記

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by 卓 坂牛

日記の内容は何時考えているのですか?とある人に聞かれた。答えは、こうして打ち始めてそれからである。と言って打ち始めてからしばし打つのを止めて考えにふけっているわけではない。なんとなく書くことが頭に湧いてそれを手が勝手に打っている。
実はその昔日記を最初に書き始めた頃は日記というつもりで書いていたのではなかった。中学の頃だったと思う。梅棹忠夫の『知的生産の技術』という岩波新書を読んでその中に出てくるダヴィンチの手帳という話に感動して自分もダヴィンチのように常に手帳を持ち歩き気になること発見したことをメモっておこうと思ったのである。であるから、その手帳に書くことは毎日の日常の備忘録的なものであってはならず、ある画期的発見でなければならなかった。それは結構自分にとってプレッシャーであり、何らかの発見をしなければならないと朝から晩までモノを上から下から左から右から見るようになった。だから書こうと思っても毎日書けるものではなかった。その後就職して、もう発見ノートでなくともいいと思い、日記をつけようと始めたのだが、やはり癖が抜けない。所謂日記というものにならない。つい発見テーマについての文章という形式に知らず知らずになってしまう。すると逆に一日中今晩何を書くか考えるようになり、考えがまとまらないで夜を迎えると書くのに時間がかかっていた。
それがこのブログになったらあら不思議。別に朝から夜書くことを考えているわけではないのだが、時間がかからなくなった。ワープロなんだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。数倍早く文章を記せ、かつ消せ、かつ入れ替えられるという安心感。何も考えずに書き始めても怖くないということだからかもしれない。
さてそうやって書く内容はやはりどこか日記ではなく30年前の癖を未だにひきづっている。何か題をつけないと文章を書いた気にならなくなってしまった(ダヴィンチとは言いませんが)。題のついた日記なんてあまりない。

裁量労働制

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by 卓 坂牛

大学から裁量労働制運用指針(案)なるものが来る。裁量労働制とは大学の先生の仕事柄、一日の仕事の時間配分、仕事場所について個人の裁量権をある程度認めるというものである。つまり一般社会じゃフレックスと言っているものの更なる拡大版と言える。
大学に来る前は、大学なるものは、決められた授業と会議をこなせば後は全て自由な世界かと思っていたがそうではないことが分かった。問題は二つあって、一つは、まったく大学に来ない自宅研究型の先生への批判。もう一つは、一日24時間研究室にこもって働く先生の健康問題。この両極端を解消するには、自己裁量でやってもらうしかないというところなのだろう。しかし、そのためについにタイムカードの自己申告版も送られてきた。私のように民間に居た人間にはあまり抵抗がないのだが、ずっと大学で育ってきた先生(特に文系の人)は猛烈に抵抗するのだろうなあ。
大学の自治、教員の自由を束縛するものである。なんていう風に。昔、私の先輩で東大の文学部の助教授がぼやいていた「法学部なんてタイムカードがあるんだよ、変だよねえ」と。
難しい問題だけど、本当に優秀な人材を時間で縛るのはなんとも馬鹿馬鹿しい。一方でもうわけの分からん研究を野放しにしておくほど予算がない。とするなら、やはり、少数精鋭の自由な学問領域を作るしかないのかもしれない、入試倍率も激減してきているのだから、大学も淘汰されて、残ったところは自由な領域であるべきではないか。

斜めの床

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by 卓 坂牛

大学内の就職相談コーナーを作るというので少しお手伝いすることになる。30㎡くらいの部屋を個人相談コーナーとして、100㎡くらいの談話室を多くの方に来てもらえるようなスペースにしようというもの。と言っても予算はほとんどないので、肝心要の家具も学内にあるものを探してくるところから始まる。そこで倉庫化している、使われていない旧い講堂に始めて入った。使われなくなった椅子やら机やらソファが並べられている。そこで発見したのだがこの講堂の床が斜めなのである。腐って床が落ちたかと思ったのだがそうではない。ステージから見て後ろ側の床がステージを見やすいように上がっているのである。講堂は後ろから入るから入ると前方に向かって下がっていることになる。なんとも愉快なつくりである。写真ではこんな講堂を見たことがあったような気がしたが、本物を見たのははじめてである。

ブログ病

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by 卓 坂牛

30歳少し前から15年くらい手書きの日記帳をつけていたのだが、去年からブログに書くようになってしまった。なぜかというと、東京長野往復生活をし始め、日記帳を持ち歩くのが苦痛となったからである。というのが理由の一つ。二つ目の理由はブログをやっている他の大勢の方と同様に自分の感動を誰でもいいからお伝えしたいというもの。そして3つ目は教育にも幾ばくか関わっているものとして、教育的な一般的情報を流したいからである。
などという理由でブログをやっているのだが、どうも電子情報は心もとないものだ。ぼくの本棚の奥のほうには日記帳の棚があり、15年分の丸善の布張りノートが並んでいる。その頃から日記だけは万年筆でつけていた。当時はb5版で大きいものを使っていた。一日一頁の日課、するとだいたい1500字くらいは書けてしまう。それが何時の頃からかもう一まわり小さい版に換えた。書くのが大変というよりかは出張などにもち歩きが便利なようにというためだった。過去を懐かしんでいる時間はあまり無いが、年に一度くらいそれらを見ることがある。そうすると、良くも悪しくも昔の自分に出会う。もちろんブログの情報もいつかまとめてcdにでも焼いて保存しておけばよいのかもしれないが、なんか忘れそうである。そのうちに知らぬ間にこのサーバーの会社が倒産したりしたらどうなるのだろうか?倒産しなくとも、僕のデーターをなくしてしまうなんていうことが起こらない保障はあるのだろうか?実際かつてサーバーに保存されていた僕の貴重なデーターがある事故から回復不可能になったことがある。これは大変悲しいことだった。この頃からどうもデーターへの信頼性がない。日記帳なら、火事にあうか捨てない限りなくなることはない。目に見えるモノの強さである。更にデーターの信頼性に加えて、手で書かれたものとしての「字」というもの現前性は大きい。数年前の自分は単に思考回路だけではなく、その時使っていた万年筆やら、そのインクの色やら、それこそ字体にもそこはかとなく現われているのである。
手で書くということの価値はどこかに残しておきたいのだが。一度このブログの便利さにはまるとなかなか抜け出られるものではない。

萌える男と燃える男

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by 卓 坂牛

久しぶりに日曜日の夜に自宅にいる。家にいるのもいいものだなあ。犬とじゃれたり、娘とじゃれたり(はしないが、無駄口たたいたり)、かみさんとあほ言ったり、ぶらぶらしているのはいいものだ。昼はラグビー見たけど大差で早稲田は負けちゃった。やはり体が違うなあ、フィットネスで勝てないねえあれでは、前半はいらいらしていたが後半はもう諦めだ。
竹内先生からレポートの採点結果竹内賞がメールで送られてきた。ありがとうございます。竹内にしてはとても丁寧な解説つきでびっくり。さすがやるときはやるねえ。竹内賞はやはり三年生だった。名前はまだ明かしません。坂牛賞とともに近日中に授業のネットに載せます。
ゴンブリッチの歴史の本読んだらパレスチナの話ができてきて思わず聖書なるものの解説書を読んでみた。旧約と新約の差のようなものが少し理解できた。風呂に入って『萌える男』を読んだら面白いことが書いてある。萌える男の反対語は燃える男だそうで萌える男はもてないが燃える男はもてるのだそうだ。そうかそうだったんだ。でもやはり萌える人が沢山いるのは別に今も昔もあまり変わらないのではなかろうか?たまたま萌える男がネットという社会の活断層に露出しているだけで、それがとても生産的な何かになっているとは思わないのだが、電車男も早稲田のラガーも昔からいて明日もいる。騒ぐほどのことではない。違うかな??
もう眠いのでベットでゴンブリッチの続きを読もう。

レイアウト教本

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by 卓 坂牛

六本木ヒルズでランチを食べてぶらぶらしてから(このあたりこのとはコラムに書いたので読んでください)青山ブックセンターに寄った。この本屋は東京じゃあちょっと楽しい本屋の一つ。デザイン系が充実している。そのデザイン系の真ん中の平積みコーナーの台(ということは注目書や売れ筋が置かれている台)のさらに真ん中に平積みかつプラスチックの書見台のようなもので立ててもある、つまりこの店の最も大事な一押しの本の場所に『言葉と建築』が置かれていた。思わず口元が緩んでしまった。因みに『言葉と建築』は重版が決定した。こんな高い本買っていただきありがとうございます。誰かが『ウンコな議論』は面白いというので買って読んだがその面白さが僕には分からなかった。残念。それから研究室の四年生が萌える男になったので『萌える男』というちくま新書を買った(でも未だ読んでない)。それから建築デザイン系洋書が30%offになっていたので、レイアウト系の本ばかり8冊買って大学に送った。平面構成の概念がまったく欠如しているわが大学の学生の参考書にしようと考えた。新学期最初の課題はこのレイアウト教本に則り自らのコンセプトをA3のポスターにするというのを一週間で提出させよう。
そのレイアウト本の中でも単に美しいレイアウトの事例集ではなく、原理を説明したとてもよい安い本があった。レイアウトを学びたい人にはお勧めです。
Kimberly Elam ‘Grid System‘ Princeton Architectural Press 2004
amazonで新品ユーズドで2000円くらいで買えます。僕は2500円で買ったからアマゾンの方が安い(アマゾンは本当に安い)。一つの情報(下記)を延々100ページくらいそのレイアウトヴァリエーションとヴァリエーションの原理そしてその原理に基づく他の事例を載せている。レイアウトは直感に頼りがちだが、これはその意味では抑えるべきポイントが身につくと思う。うちの学生には是非買わせよう。
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