On February 7, 2006
by 卓 坂牛
朝、修論発表会のリハーサル。一人2回ずつ発表してもらう。高々12分の発表なのだから、しゃべることくらい暗記する。そしてスクリーンを見ずに聞いている人の顔を見て話せるところまでいけばたいしたものなのだが(とはいえ多分大方の発表は棒読み、スクリーン釘付けだろうが)。
先日信大のノーベル賞候補である遠藤教授の公開レクチャーがあったが、やはり見事なものである。何度僕は目が合ったことか。つまりスクリーンの方などあまり見ない。見るのは、スクリーンに注意を集めたい時だけ。残りの時間はずっとこちらを見て話されていた。更にしゃべりがすごい。言葉が淀みなくあふれ出るのである。話しの極意を見た気がした。
昨日の大雪と寒さが嘘のようである。今日は8度まで上がったし。僕の部屋も寒くない。僕の部屋のエアコンは外気温が下がると止まり、上がると動きだす。
さあそろそろ東京へ帰ろう。
On February 6, 2006
by 卓 坂牛
朝一から会議。この時期(修論、卒論前)の先生たちは気が立っていて怖い。(自分もそう思われているかもしれないが)気をつけよう。人のふり見てなんとやらである。
午後雑誌『a』のゼミ。M1の諸君は論文書くか、修士設計やるか、迷走中なせいかゼミの進捗もイマイチ。どこかでキチンと組み分けして今後のゼミのやり方を確立しないといけないだろう。夕刻、事務所から送られる図面をエスキス。外は吹雪。エアコンはあまりの寒さに止まる。シャープペンと消しゴムと三スケ片手にガスファンヒーターのある学生部屋に避難してエスキスを継続。
さて今日は嬉しいニュースがひとつ。拙共訳『言葉と建築』鹿島出版会2006が昨日の読売新聞朝刊書評に取り上げられていた。評者は上智大学助教授 林道郎氏。西洋美術史が専門。建築ではない人に取り上げられたのが嬉しい。谷川先生に推薦して頂いたのが効いたかもしれない。これ以外でもいたって評判は悪くない。先日もTOTO広報部の方にいきなり「『言葉と建築』大変評判よいですねえ」とお褒めの言葉を頂いた。何を根拠におっしゃっているのかあずかり知らぬところであるが、ありがたいことである。共訳者皆さんの努力の賜物と思わざるを得ない。
On February 5, 2006
by 卓 坂牛
昼まで自宅。積読状態の本の整理、引越しの時に京都から取り寄せた3段スライド本棚が少しずつ一杯になってきた、恐怖である。しかしここが一杯になるのも時間の問題であろう。どうしよう?大学に送るという手もあるのだが、いずれ戻ってくることを考えるとそれも躊躇してしまう。
午後事務所、一人で静かにエスキスをする。気持ちがいい。新たな案ができた。スタッフに模型を作る指示を残して帰宅。昨日から宮島喬『現代社会学』有斐閣1995、改訂2005を読んでいる。多分このての本は大学の教科書にするようなものである。それゆえ、広く浅く体系的な説明がされる。自分の断片的な知識を整理統合するにはもってこいである。ちょっと前に原佑 他『西洋哲学史』東大出版会1955、第三版2000を読んだ。これも教科書でありとてもよくできている。やはり長年使われている概論はきちんとしているということだろうか。そう思うと自分の授業でもいわゆる教科書を使ってみようかという気にもなる。僕が大学時代使っていた、藤岡先生の『建築史』は未だ売られている。学生には全体を見渡せる視点を示す必要もあるのかな?
さてこれから夕食をとって秋葉原のブリッジ渡ってから長野へ行こう。
On February 5, 2006
by 卓 坂牛
午前中 k project現場定例。コンクリート躯体が打ちあがった。塗装色をクライアントと決める。リーテムでやったように墨色をうっすらとかける方向で決定。リーテムはアクリルシリコンに顔料を混ぜたが、今回はランデックスに顔料を混ぜた。ヤマの白い塗装と同じ方法で谷内田さんがよく使っているものである。現場はトップライトサッシュの製作遅れが全体工程に響きそうである。住宅の現場でビル用サッシュを使うと絶対遅れる。遅れなかったことが無い。
帰りはそのまま帰宅しようと思ったが、乗り換え駅の神保町でつい古本屋に寄りたく地上に出てしまったのが運の尽き、ぶらぶらすること3時間。しかしいろいろ掘り出し物もあった。ケネスクラークの『風景画論』が1500円。ラスキン『建築の七燈』2000円。また和田伸一郎の新刊を発見。などなど、南洋堂にもつい行ってしまう。3冊ほど購入。mvrdvの新刊はとてもよくできた本で面白い。
On February 3, 2006
by 卓 坂牛
午前中一月の雑用、銀行、郵便局。午後はエスキス。年明けからの大学でのハードワーク(というか心労)の疲れがたまったか?今日はまったく力が出ない。弱った。
一年間かけて修士と4年と卒業に向けて勉強した。たった一年でどこまで教えられようか?一生懸命作った彼等の作品はそれなりのものだと思う。しかしどうしたって、一年では限界がある。来年の4年生は3年の最初から教えているから卒業の時は2年のつきあいだ。今の2年は卒業の時は3年教えたことになる。一歩一歩進歩していくことを夢見ている。いや夢ではなく、そうならなかったら僕の教育手腕が無いということで辞表である。僕はそのくらいの気持ちでこの仕事をしている。そのことを学生諸君にわかって欲しい。ふー。
On February 3, 2006
by 卓 坂牛
2年生の製図第二後半課題オフィスの講評会を1時から6時半まで行った。ゲストは山本想太郎氏である。坂倉の入社最初の担当がサザンタワーだっただけあり、オフィス経験豊富。その上やはり最前線の話題をいろいろつかんでいるだけあって、コメントが的確である。日建の誰かを呼ぼうか山本さんにしようか迷って山本さんにしてよかった。ありがとうございます。
2年生の前半の課題の講評会は時間のたつのが遅く感じられて、早く終わらないかなあと思いながらやっていたのだが、今回はあっという間に時間がたち、もう終わりか残念という感じだった。何故なのかと考えてみたが、やはり総じて面白かったということなのだろうか?表現がまだまだ稚拙なのはおいておくとしてもそれなりに思考の形跡が見えていたように思う。嬉しいことである。3年生の松田君や武智君が去年よりよくできていると思うと言っていたのはそれほど大げさなお世辞ではなかったのかもしれない。
講評会が終わって山本氏は「突出したアイデアやプレゼンがあるわけではないが、あるレベルのきちんとした図面を全員よくかけていた」と本気で言っていことをお伝えしておこう。ただ意匠系に進もうという人はもっともっと人より上を目指す向上心と貪欲さを忘れずに春休みを過ごして欲しい。
講評会終了後、研究室の院生と山本氏を囲み食事をして、最終の浅間で東京へ。車中建築の話題に花が咲く。山本さんありがとう。
On February 1, 2006
by 卓 坂牛
不眠不休のわが研究室の中根君、深沢君の論文がやっと完成。まあよく頑張った。内容の細かい所はまだまだだけど、とりあえず格好はついただろうか。とにかく卒計と同じレベルにならなくて良かった。(まあそんなことは当たり前か?本人たちに失礼か?でもそんな心配を人知れずしていた時もあったわけで)。信州大学初の修士設計として、それなりの論理的な主張のあるものになったかな?後は発表会でしっかりとアピールして人を惹きつけること。それも建築力である。
歴史にロマンを求めて昨日頂いた日本建築史の6篇の論文と建築心理学の一遍の論文の梗概を一気に読んだ。なかなか悪戦苦闘(こちらがです)である。分からない専門用語が多くていちいちネットで調べていると結構時間がかかる。なんとか読み終わった。それぞれ面白かった。本当によく調べてあって感心。ロマンとかそういうことにはちょっと遠いかもしれないけれど、中途半端な調査で勝手な想像をするよりか気持ちがよい。
昼ごろ川崎の家の修正図がメールされてくる。図面がメールできる時代は本当に便利である。なんだか多角形の双生児の繭のようなカタチの平面である。
その昔、機械論と目的論という哲学的対立があった。機械論とはもちろんあらゆる現象には因果があるというものだ。一方目的論とは自然的存在者には自己自身のうちに自己自身のあり方を規定する原理を持っているという考えである。
この二つの論理に頼るなら、この繭のようなカタチを僕は目的論的に扱いたいと思っているのである。つまりこの300㎡近い土地の中に大小二つの生物が肩を寄せ合って、うまくはまっているそういう姿を想像しているのである。それは、こちらがこうだからこちらがこうという関係ではなく、無限の連鎖反応の中で、両者の自律的な目的意識が、双方の位置関係と形状を生成するような関係である。二つの関係が今回のポイント。目的論的繭関係を今のところ模索している。