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Mar 2006

稲葉君の展覧会

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by 卓 坂牛

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朝方お堀端を少し歩く。桜の下はすでにブルーシートが敷かれ夜の宴会に備えている。まだ寒いものの今日が桜咲く最後の金曜日。その昔ナカジと二人で凍えそうになりながらこのお堀端で紹興酒を飲んだことを思い出す。
家と事務所でいろいろ仕事。夕方大学の同級生である「稲葉なおと」の写真展へ。今日はオープニングレセプション。場所は銀座ハウス・オブ・資生堂。今や同級生の中では最も有名な人。会場を一回り。写真の腕に驚嘆する。何時の間にこんなにうまくなったのだろうか??尊敬。『まだ見ぬホテルへ』ではJTB紀行文学大賞激励賞も受賞し、週刊誌ではもうお馴染みかもしれない。昨年は週間新潮で「名建築に泊まる」という写真付き紀行文を連載していた。「写真も自分で撮っているの?」と聞くと「カメラマンを連れて行くと金がかかるからさあ」と謙遜していたが、いつの間にかプロのカメラマンにもなっていた。
今回は世界のアールデコを4ヶ月の旅行で撮ってきたそうだ。この展覧会のためであり、それにあわせて本も出版した。会場では、偶然だが、リーテムの彰良副社長、東工大のスチュワート夫妻、編集者の小巻さん、日建の西村、建築家の西村、などに会った。しかしさすが、銀座で資生堂のパーティという感じである。
因みに展覧会は「都市に生きるアール・デコ」と称して、4月1日~5月28日まで行われている。銀座に行った折には寄ってみたら?

アリカ・アート・サイト

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by 卓 坂牛

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昨日アリカ・アート・サイトという日本橋の新しいギャラリーに芝さんの絵を見に行った。この個展は2~3日前の毎日新聞の学芸欄で紹介されている。芝さんは10年くらい前からmaoシリーズといって不定形な雲のような形を追い求めている。とても綺麗な形だった。六本木ヒルズのゴールドマンサックスのレセプションにも彼の大きな絵が飾られている。
このアリカ・アート・サイトはディレクターのいるギャラリーである。ちょっと美術館のようだ。ディレクターは谷川渥さんである。さらに面白いのは、企業の受付のような位置に作られている点である。そして出来立てのこのギャラリーのトップバッターが芝さんである。素敵な個展。僕もここで個展をやるよう谷川さんや芝さんに言っていただいているのだが、何時どういう風にやるのがいいだろうか?思案中である。
今日は、本の整理。21世紀に入ってからデーターベース化している本のリストをプリントアウトしてこれから書く論文のために、先ず重要な本を150冊ほど選んだ。そしてそれを4種に分類した。哲学、美学、美術、建築史の基礎的文献。建築のモノサシに関係する文献。他のアートに関するもので現代の建築に深く関わる文献。社会学に関するもので現代の建築に深く関わる文献。それらを先ず本棚から全部出して、自分の机のすぐ脇の本棚に移動。そしてそこにあった本は別の場所に移動。さらに全書籍を再度分類し直しテプラで本棚に分類項目を貼った。なんとなく少し整理できたか?
夕刻クライアントと打ち合わせ。昨晩社内で打ち合わせをしていたので今日はそれに沿って進めた。少しづつだが進歩。とりあえず照明以外基本設計は終了してきた。

ウエッブ進化論

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by 卓 坂牛

突如雪が揺る長野を後にして東京へ。新幹線の中で『ウエッブ進化論』を読み始めてちょっと衝撃。目から鱗。いろいろな思いが錯綜する。全部読んだわけではないのだが、この本どうもグーグルの戦略を賛美している。そしてグーグルの10の戦略を示し、その一つであるウエッブ民主主義に注目する。それはグーグルの世界での使用者数億人の総意が物事を動かすというものである。簡単に言えば、金をかけずにマーケット調査をしているということなのだ。また別の見方をすると、単に人々の趣向だけでなく、物事の意味づけさえも総意で決められるということである。これはちょっと本当かとも思うかもしれないが、例えばウィキペディアのような辞書はそういう側面がある。そしてそれを結構使っている。今朝もそれで英語の哲学用語を引いていた。でも論文に書くなら、やはりOEDが必要かなあ?と思って、OEDのCDを買おうか迷った。しかしいつかウィキペディアの方が望まれる時代も来るのかも知れないと、この本を読みつつ感じた。人間の総意が瞬時にリアルタイムで集計されているということなのである。
でもやはりまだ割り切れないなあ。なぜかというと。ウエッブ上での民主主義と言うが、それは民主的主体が不在なただの数のようなものだけが動く可能性を感じるから。ぽんとボタンを押すだけな世界。ちょっと間違えて押してしまうような世界。アマゾンで本を注文するあの最後のエンターキーを押す世界である。アマゾンは明らかに僕の本の購入量を増加させている。あの簡単さ。それがネットのあっち側の戦略であると思うからかなあ。

ヴェントゥーリの『美術批評史』

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by 卓 坂牛

ヴェントゥーリの『美術批評史』をぺらぺらと新幹線の中で読んでみた。この本なかなか手に入らないものだと思う。かなり前古本屋で発見して買って我が家で積読状態だった。ふとゼルゲルの様式論に通ずる何かがありそうで読んでみたくなった。さわりだけだけどちょっと難しい。
序文にこう言うくだりがある。「もし私がドラクロワは芸術家であるということを直感するならば、私は彼の絵画の長所や短所を探るべきではない。ドラクロワの絵には長所もまた短所もない。そこにはドラクロワの様式以外の何物もないのである」つまり、ヴェントゥーリにとって批評史とは個々の芸術家に対する良し悪しの判断史ではなく、ある時代のある個人あるいはその時代に共有された様式の存立基盤を明確にすることのようである。ヴェントゥーリは(おっとこのヴェントゥーリはラスベガスのヴェントゥーリではありませんよ。スペルは同じですが)ギリシャから現代までこの様式の存立基盤を入念に提示した最初の人なのである。でもこれは美術史と何が根本的に違うのだろうか。ゼルゲルの概念を借りて推測するなら、これは様式論だということなのだろうか??

様式論

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by 卓 坂牛

ヘルマン・ゼルゲルとうい人の書いた『建築美学』なる本がある。ここでは建築の意匠的な記述には三つの方法があると説く。一つは歴史。これは言うまでも無く事実学。二つ目は美学。これは法則を発見する学。そして三つ目はこの両者の知識を下に行われる様式論。これは史実を法則的に解釈するというもの。この分類でいけば僕の興味は様式論である。それも現在論であろう。それは現在という事実の源泉を過去に見つけ、将来への流れ(法則)を見極めることにある。それは文章という形をとることもあるが、設計という作業も結局は様式論である。設計とは現在の様式への邂逅を彼岸とする行為なのである。
事務所で設計打ち合わせ。1時から始めた打ち合わせが気付くと5時。あっち行ったりこっち行ったりしながら、この流れを探している。くだらないエピソードなど話しながら、考えている。スタッフは「ああ早く終わらないかなあ」と思っているかもしれないが、頭なの中では様々な事実関係を結んだり離したりしながら、この流れの正当性を見極めているのである。結局今日の時点ではまだまだいろいろ積み残しである(そんことは当たり前だが)。
こうしてある結論は工事されるときまでには出さざるを得ないし、出した仮設はそれが竣工したときにはその妥当性を試されることになるのである。

桐建会の打ち合わせ

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by 卓 坂牛

桐建会の打ち合わせで石橋さん、谷さん、吉田さんが事務所に、5月13日にリーテム東京工場でやることに決定。夕方見学を行い近田さんのライティングも堪能し(日が長くなるのでできるか??)チャーターバスでクリスタルヨットハーバーで食事。ここの社長は先輩であることを思い出し、即予約。何名くらい来られるだろうか?しかし桐建会の会場に使って頂く建築が作れるのは何年後のことだろうかと数年前の会で思っていたのだが、芦原賞を受賞したことでお声をかけていただけた。光栄である。諸先輩の御高覧、御批評を賜りたいものである。
午後家族+お犬で表参道に散歩。すごーい人であった。表参道ヒルズにはオープンしてから何度かその前には来ているのだが、取り付く島が無いこのファサードの表情は好きになれない。そのためか一度もこの中に入ったことがない。今日もなんだかうんざり。この馬鹿みたいな人の多さが滅入る気分を助長しているのは分かっているし、殆ど感情的な問題なのでもう少しゆっくり考えないといけないのだろうが、、、、
お犬とキャットストリートを行ったり来たり。とある屋上のカフェで佇む。3階の屋上から見える原宿の風景は鉄骨や木造のアパートが密集した旧い住宅街のカオスそのもの。将来の棲家を探す。

クラス会

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by 卓 坂牛

朝一でプラド美術館展を覗く(内容はコラムをご覧くださいhttp://ofda.jp/column/)プラドには20年前に行ったのだが、ゴヤしか記憶がない。上野公園の桜はまだ2部咲きというところだが、既に木の下にはブルーシートが。しかし今日は暖かく気持ちが良い。帰宅後、家でいろいろ仕事。
夕方高校のクラス会に出かける。
A君:T大教授(素粒子理論で学術振興会の賞を受賞)。
K君:D広告代理店(予算を作る会社の中枢の部長だが仕事はつまらないとぼやく)。
N君:N設計(こちらは経営の中枢を担う企画の室長。都市開発をしていたのに買ったマンションで3000万の損害で皆に笑われる)。
O君:Tフォレックス(高校時代とまったく変わらぬそのしゃべり、不動産の仕事をしている)。
Wさん:K病院部長(放射線科の部長おー相変わらずの迫力)。
Oさん:G大講師(今回の発起人。今度アメリカ人とけんかするのでけんか用語を勉強中)。
Mさん:主婦(娘の受験で体重が10キロ増えたので次回は痩せると宣言)。
Kさん:D出版(大卒後入社した児童書向け出版社http://www.doshinsha.co.jp/main.htmlに勤続20年以上。すごい。女性は皆二児の母だったりするのに仕事止めてないところが本当に偉い)。
Nさん:塾先生(二児の母で子供を公立の学校で育て、教育が悪いと自ら学研の塾をつくる)。
Fさん:T中学教師(昨年病気にかかりその病気を押して学校い通い続け、病気の痛さをこらえ歯が折れたという忍耐の人。高校時代からバスケ部キャプテンでそういう性格だったなあ)。
Fさん:T研究所(半導体の研究一筋。東工大の総代でした。才女。最近子供ができたという快挙)。
Sさん:G務省(内閣官房に出向中。大陸棚問題を調査中。なんかすごいことを言っていたがここで書いてはいけないような内容だった。その昔はスペインにいましたね)。
あまり人集めしないで来られる人だけ来ようということでやったが僕を入れて13人来た。多彩である。しかし基本的なその人の人となりというものは変わらないということがよく分かった。良くも悪しくも変わらないのだ。いいのやら悪いのやら。とにかく面白かった。誰かが「消息分からない人はネットで引くときちんと出てくるのがすごいね」と言っていたが、確かにそうだ。皆さんそれぞれの分野で活躍しているのが嬉しいものだ。1次会は神楽坂、2次会は我が家で。11時頃解散。

ひきこもり

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by 卓 坂牛

ひどい。免許の書き換えをせよとの葉書が送られてきたので、東陽町くんだりまで行ったのに、「受付は誕生日一ヶ月まえからなので26日からです」だって。「もう少し大きい字で書いてくれよ」。悔しいので東西線沿線美術館(現代美術館、近代美術館)に寄ってこうかと企画の内容を電話で聞いたがいまいち。すごすご帰る。自宅にひきこもり資料整理。再読。一体これらの本は大学に置くべきか、自宅においておくべきか?悩ましい。
7月末締め切りの原稿を引き受けてしまった。まあ1万字くらいだから量は普通だが、とある都市に関する翻訳書の解題を高名な社会学者と一本ずつ書くと言うもの。社会学者の方は「都市と国家」僕は「都市と建築」である。社会学者が高名だというのに圧され、本だと言うのでちょっと重く、そして何より夏休み中には仕上げたい論文とバッティングするのが息苦しいのだが、論文一章のつもりで頑張ろう。
さて、3ヶ月も先の心配より4月末締め切りの景観法についての論考にさっさと着手しなければいけない。基礎資料は先日一通り丸善で集め今頃大学に届いているはず。

谷川渥を送る会

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by 卓 坂牛

谷川さんがローマに行くお別れ会。宮下誠さんが司会。すごいノリなんだこの人。最近の光文社新書で『20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す』という面白い本をだしている。
谷川氏はダンスへの造詣が深い(そこが僕の好きなところである。ダンスを知らずして身体性とかいう人を僕は信用しないのだが谷川さんは違う)。今日もダンサーが大勢こられいてた。その中から、和栗由紀夫が踊った。土方直系のその踊りは円熟の境地でユーモラスな振り付けと衣装。それに競演した関という女性(情報があまり正確に分からず恐縮ですが)がとても素晴らしかった。現在御茶ノ水女子大の博士課程にいてダンスをしながら研究もしているとのこと。幼少の頃からクラシックをやっていただけあって手の表情がその辺のダンサーとはちがった。
大野一雄舞踏研究所からも2名来られて踊った。ちょっとユーモラスな踊りだった。
藤枝先生とご挨拶、少々お話、とある本の相談。東京画廊の山本社長とご挨拶。先日のレクチャーシリーズのテープおこしが終わるとのこと。画家の山田さん、芝さん、山田さんの御茶ノ水時代の同級生の細江さんとご挨拶。細江さんはただ一人建築家。坂倉に17年もいたとのこと。そしてなんとあの福田和也の同級生でバンド仲間だったそうな。成績は分からないけれど、iQはすごく高かったそうだ。
谷川さんの新著『芸術をめぐる言葉Ⅱ』にサインをいただき退散。「先生頑張ってください」と言ったら「その辺で飲んでるかも」とうそぶいておられた。2次会もあったが谷川、藤枝ラインにつかまると朝までになるので行きたいのだが、退散。飲むようになったら付き合います。

贈る言葉

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by 卓 坂牛

昨日冷蔵庫をプレゼントしてもらいました。しかもお菓子とジュースで満杯になったもの。ビールじゃなくてお菓子。「ありがとう研究室の卒業生たち」。
贈る言葉
「前にも書いたけれど、僕の先生であるディビッド・スチュワートは僕の卒論を(梗概ではなく)3回最初の頁から最後のページまで真っ赤にしてくれました。考え方、言い回し、単語の選び方まで、直されました。本当にしつこく時間のある限りそうされました。その赤が今の僕の励みです。
社会に出るとテストまで全力で走ってそれで終わりという行動パターンは終わります。特に建築ならば何年間も同じことを考え続ける持久戦です。はっきり言って自分との戦いのようなものです。どこまで前に進むかは自分次第です。学歴とか持って生まれた才能はもう関係ないと思ったほうがよいと思います。事務所のスタッフを見ていてもそう思います。半歩でも前に進むしつこさと自分のスケッチに時間のある限り赤を入れられる人が何かを達成できるのだと思っています。もちろん自分にもそう言い聞かせています。そんな時スチュワート先生の赤を思い出すのです。君たちの梗概を僕のできる範囲で赤を入れながら『分からない』を連発していたのは意地悪からではありません。社会に巣立つ君たちへの贈り物だったと思ってください。苦しくなったら僕を思い出して頑張ってください(研究室の集まりを年に一回くらいやりたいね)」