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Mar 2006

長ーい打ち合わせ

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by 卓 坂牛

川崎のクライアント打ち合わせ。母屋と離れと2件分の打ち合わせ。それぞれの担当がそれぞれの住人と打ち合わせをはじめ僕は真ん中にいて両方の打ち合わせの様子を眺める。収納と設備と打ち合わせ項目が盛り沢山ということもあるが、1時にスタートして終わったら7時くらいだった。しかし順調に決めるべきことは大体決まってきた。3月末の基本設計終了はなんとかクリア。ただし、出窓や樋のディテールが勝負なのでそのあたりが決まらないとまだデザイン的には煮詰まらない。
東京駅で卒業生用に小さなメモ帳を買い、車中、それにちょこちょこ小さなスケッチを描いた。卒業式の後の謝恩会でお返しに皆にあげよう。

信大に東京の空気が

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by 卓 坂牛

こんなこともあるものだ。
僕は大学で4年生の担任というものをしている。その関係で4年の学生相談をいろいろ受ける。今日も3時にアポがあり、その学生と会うことになった。いろいろな相談事をひとしきり受けた後に、彼の出身を聞くと東京である。「えっ??」耳を疑う。この大学に来て初めて出会う東京出身者。「東京の何処?」「石神井公園」「えっ?」僕の実家大泉学園の隣の駅ではないか「石神井公園側?」「逆です」なんて会話。だいたい愛知県か静岡県が大半のこの大学で(というと大げさだが、半分くらいはそこ出身である。因みに僕の研究室は静岡3、愛知2、長野2、大阪1、宮崎1、札幌1、香川1、マレーシア1、ラオス1)東京人に出会うと、急にその周りの空気が信大ではなくなる。更に輪をかけて驚きが待っていた。石神井公園出身なら高校は石神井か大泉と思って、「高校は?」と聞く。なんとなく言いにくそうに、「石神井とかじゃなくて、、、」とためらいながら、で何処なんだよとこちらはじれる「筑波大附属というところなんです」と、きっと僕は知らないだろうと言うような口調で言う。「えっ?」またもや今日3回目の「えっ?」である。「僕もだよ、、、、なんだかなあ、附属(僕等は母校を附属と呼ぶ)かあ、、、、」こんなところで後輩に出会うとは。しかも聞いたら20下であった。もう急にそこの空気は文京区になっている。
「まあ、がんばれよ」なんて声かけて。「失礼します」と出て行きそうなところに「ところでクラブとか?」そして今日4回目の「えっ」である。「サッカー部でした」「オレもだよ」、、、、、

オープンハウス二つ

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by 卓 坂牛

10時頃、千葉学さんのオープンハウスに行く。千葉さんの本物を見たのは初めて。1階と地下1階が商業で2,3階が集合住居でメゾネット。このユニットがすごい。だって窓が無いんだもん。ここでばったり安田さんと会う。本当に久しぶり。早々に切り上げヨコミゾ氏のオープンハウスに行こうと思ったがつい二子玉のお店が楽しそうで春っぽいシャツなどすこし買い物。外苑前に11時半、ちょっと早いけれど誰かいるだろうと思ったが12時からという約束なので誰もいない。どこかで時間を潰そうかとも思ったが、メールに「テナントビルなので中身はごく普通です」とあったのでまあ外観みたからいいか。とあきらめる。サッシュレスなカンジの窓のディテールを中から見たかったのだが。東京駅へ。丸善で少し買い物。1時のアサマで長野。4時の会議に出席。
しなランバーコアと石膏ボードで研究室の院生部屋の大改造を行った。ランバーのテーブルに石膏ボードの側壁で個人が集中できるように。さらにcpu以外にドローイングできるスペースを取れるように。そして書いたドローイングを側壁の石膏ボードにピンナップできるようにした。ドローイング描かない人は学部生部屋に移動というのがいいかもしれない。

3 events

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by 卓 坂牛

 娘の卒業式があった。娘の学校は僕の卒業した学校と運動の定期戦をしていたのでその昔よくこの学校の校歌を歌ったものである(エールの交換のために)。今日30年ぶりに歌った。懐かしかった。校長先生がいいことを言っていた。「人間は20までに基礎ができる。それまでに自分なりの理念を持って生きて欲しい」その通りだと思う。
 午後から現場に行く。工務店の社長が工期の遅れを謝罪した。とにかく今後遅れることのないように頑張ってください。
現場から夜のレクチャーまでちょっと時間があったので渋谷でブックファーストに寄る。「10+1」の次号原稿のための資料を少し買う。大学でのちょっとした研究とテーマがかぶっているので好都合である。
 6時10分前に高円寺のパラグローブに到着。東京アートスピークのゲストにお招きいただいた。『言葉と建築』についてお話をした。といったって監訳した本についてなにを語ればいいの?ということで、私にとって言葉と建築と題して、篠原、坂本から学んだ言葉と建築、そして翻訳、更には現代における言葉と建築の面白さについて語る。例としてモードの体系におけるバルトの手法を用いたカーサブルータス分析。これからの僕の研究のさわりである。レクチャーのあと30分くらい今村さんに乗せられて、ついつい軽口をたたいてしまった。あの会でのお話はオフレコですので(なんて、もう遅い)
スピーチが終わってパーティーではいろいろな人に会えて面白い。なんと信大のレクチャーのネットに侵入してきた、早稲田の立川創平君。こんなところで実物に会えるなんて。不思議。そして、吉松さんのところにいる前田さん。パリ大でバルト研究をしている桑田さんは戸田君や星野君を知っているという。世の中狭いね。
TASの小倉さん、原さん、今村さんありがとうございました。面白い会でした。

設計を目指すなら

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by 卓 坂牛

さすがに一週間分の打ち合わせをやったらちょっと参った。明日の現場、来週の川崎、中国の見積もり図、そしてとある相談事。
大学でも事務所でもこう言う質問はよくある。「僕は、私は建築家になる力を備えているでしょうか?」この質問に限らないけれど将来の予測には自分の経験の範囲でしか答えることはできない。だからいつもこう言う「自分のやっていることが、面白い、面白いとずっと思っていられるかどうかということではないだろうか?馬鹿みたいに、ああ、面白いなあと思えていられそうなら建築家向き。それは大学の製図の点数とはあまり関係しない。その辺の雑誌の切り張りが上手でも設計の点はよくなったりする。自分が本当に好きなものを作れた末のいい点でないのなら、やはり設計に向いてないのかもしれない」

須坂でのレクチャーも終えて久しぶりに家へ

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by 卓 坂牛

一週間ぶりの東京。8時半の電車があるはずだったのに長野駅に着いたら次の電車は9時。しょうがないちょっと平安堂に寄って帰りの電車で読む本を買おう。かばんの中には山のように本が入っているのだが、バルトやカントじゃこの疲れた頭では歯が立たない。思わず立花隆の『政治と情念』を買う。うーん政治はその辺のドラマよりはるかに面白い。と半分ほど読んだところで東京。
今日は6時から須坂で講演会をさせていただいた。地元の方と信大の学生君たちと100人くらいいただろうか?市長さんもいらっしゃって1時間半ほどお話をした。新旧の共存する街・建築ということで、僕の訪れた世界中の街ロサンゼルス、スイス、北アフリカなど、そして京都でやった茶室保存プロジェクトなどを紹介し、最後は東北芸工大の先生をしている同級生の山畑氏からお借りした、山形の蔵プロジェクトを紹介した。反響があったね。この部分には特に。
信大にレクチャーに来てくれたみかん組の竹内氏がレクチャで話してくれたのでこのプロジェクトを知ったわけで「竹内ありがとう」感謝感謝である。あっもちろん山畑ありがとう。
ところで須坂と言えばやはり同級生の坂田の出身地である。彼は今東工大の構造の先生だが、同級生で教職は結構多い。横山はやはり東工大の材料の先生。安藤は法政の意匠の先生。上述山畑、僕と5人先生をしている。

夜中の奇行

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by 卓 坂牛

昨晩4時ごろ目が覚めた、頭が妙にさえている。夢で論文を書いているではないか。かなりきているねこれは!と思ったものの、これを忘れたらまずいと思い、筆記具を探す。しかし昨夜に限って全ての荷物を研究室に置いて手ぶらで帰ってきていた。僕の部屋は本当にベッドと小さな机しかない。文房具も何も無い。困った。シャツのポケットにボールペンがささっているのを思い出した。ところが、ノートが無い。しょうがない読み終わった文庫本のカバーの紙に書き始めた。4行書いたところで、さあ寝ようと思って枕元の電気のスイッチを切った。ところが3分後にまた頭の中に一行分の考えが浮かんだ。枕元の電気のスイッチを入れて一行書いた。と繰り返すこと3回。今朝研究室に来て読み返してみる。なんだかどこかで読んだような言葉が並んでいる。
このところ来年度のゼミで『モードの体系』を読みたいという学生がいるので、未だ読んだことの無いこの本を(お恥ずかしい)精読している。この本ではシニフィアン、シニフィエを記号作用部と記号意味部と訳しているのだが、先ほどのメモに建築作用部と建築意味部という言葉が並んでいるのだった。思わず笑った。
明日は学会主催須坂市共催の講演会。皆様ありがとうございます。演題は『新旧共存の街・建築』。今晩は夢でリハーサル。

いろいろ気になる

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by 卓 坂牛

長野東京の往復回数を減らそうとしている。その方がうまくやれば時間もお金も節約できるのではと思うからだ。そうしてできた時間で論文書こうと思うのだが、そうもいかないので困ってしまう。まあ東京から来る図面のチェックはよい。それはあまり胃にたまらない。ボディーブローのように効くのは、現場の遅れと進歩しない梗概と遠くいるというだけで気になる細かな事務所のこと。この手のことは本を読んでいても、字を書いていても、ワープロ打っていても、10分に一度くらい頭の中に登場し、思考の継続をちょきちょきちょん切ってくれるのである。何かこう、外界と精神的に遮断してくれる部屋か薬が欲しいものである。なんてちょっと危ない。去年の春は信大医学部の精神科の先生に新任の先生はすぐうつ病になるから気をつけなさいと言われ、本当にそうだと思ったものだったがそれに近い。

仙台の話聞きかじり

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by 卓 坂牛

学食で昼ごはんを食べながら、仙台から帰ってきたY君と話をした。仙台とはもちろん「学生日本一卒製」の話だ「どうだった」「駄目でした」「印象的なのは?」「穴掘っただけという案」。そうかそういう案が上位にあるのか、ふむ。
学生の設計のリアリティがよく問われる。昨日も少しコメントしたのだが、東大の講評会で思った。面白い。先ずは、しかし壮大なるフィクションの世界を見せられてもなんだかうんざりする気分をぬぐいきれない。SFロマン小説だと思えばいいのだろうが根っからSFが嫌いな僕としては息苦しい。そもそも建築はフィクションではないと思っているし、やはりロマンチストでは無いからかな?彼等の案は面白いけれど、クリアすべきいろいろな問題を抱え、そうした問題の上で自分たちの案をどこまで本気で真剣にリアルに考えているのかが見えない。卒業しても本気でそういう精神を継続させようとしているのかが分からない。そんな思考の遊戯は遊戯であって、卒業したらそこまでの遊戯とは断絶して手のひらを返すように違うことをするならやらなければいいと、そんな風に思いは募るのであった。つまり僕が言うリアリティとはあくまでその人にとっての、実現へ向けての真剣度みたいなものである(いやもちろん彼等に真剣味があるかどうかそんなことは本人と話したわけでもないしこちらの想像の域を出ないのだが)。技術的な問題では決してない。
さてそう考えると、穴掘ったというのは妙にリアリティが伝わってくるのである。なんでだろう?、実際やったから?そうではない。きっと。実際に掘って無くても僕は賛同すると思う。なんで?身の丈にあった真剣味がありそうだから。
まあドローイングとか見てないし、コンセプトをきちんと聞いたわけでもないし、勝手なこといえないけれどね。Y君の話を聞いていら勝手に自分の中の想像でそんな気持ちになっただけだけど。

卒製コンクール

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by 卓 坂牛

入試の面接官を幾度か経験すると分かることがある。建築を学びたい人のきっかけは地震か安藤忠雄である。これには僕以外の試験官の先生も驚いている。そして建築の人気は高い。姉歯事件は建築人気を落とすどころか拍車をかけ、建築正義なる妙な倫理観を生み出している。
さて今日は長野県のjiaが主催する学生卒製コンクールである。といっても出すのは信大だけなので卒製の公開学外審査というところで、東大のそれのようなものである(そんなに人は来てない様だが)。私は入試で行かれなかたっが、金、銀、銅が選出されたようである。
人数が少ないこともあり、7人くらいの建築家の方に(委員長は宮本忠長氏である)丁寧に見てもらえたようである。選出された根拠の詳細は分からないが多くの人に批判されるのはとにかくいいことである。4年はもとより手伝いの下級生にはいい勉強になったのではなかろうか。こう言う審査はちょっとしたきっかけで票が流れることもあり、その順位に余り拘泥しない方が良い。しかし各建築家の意見には謙虚に耳を傾けるべきであり、それを逆に批判する精神を養って欲しい。