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Mar 2006

娘が哀れ

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by 卓 坂牛

昨日かみさんが「最近娘をどこにも連れて行ってないね」と言う。そうそう、研究室の学生と合宿しても家族で合宿してない。「何時からだっけねえ、去年の夏は?」「no」「春は?」「no」「冬は?」「no」「一昨年は」「一年間どこにも」「げ!」「二年前は?」「夏に文がシンガポールに行っただけ」。困った父親である。建築オタクのお父さんをもった娘が急に不憫に思えてきた。この春休みも今のところ無計画。小学生最後の春休みだというのに。そこでせめてもの罪滅ぼしに、お昼をoazoに食べに行こうと誘った。ついでに丸善で好きな本を買ってあげようと言ったら喜んだ。提案もせこいがそれで喜んでくれる娘も幼い。でもこちらとしては嬉しい。小学校時代音楽に明け暮れ本なんて読まなかった僕とは大違いで、成績は悪いが、読書だけは人一倍するようで、年間200冊以上読み学校から表彰されたそうだ。まあ僕ができなかったことをせいぜいしてください。成績はあまり高望みしません。母親は毎晩隠れて本を読んでいる娘と大喧嘩しているがまあ大目に見てあげたらどうだろうか?

クラス会の幹事

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by 卓 坂牛

来週末高校のクラス会のようなものをしようと突如、G大、T大、パリ大まで行って音楽評論をしているOさんから電話があった。彼女曰くT大の先生をしているA君がやろうと言い出したとのこと。このA君は所謂天才型の男だった。授業が終わればパチンコか麻雀試験前には教科書の目次を暗記しほぼ満点をとっており、物理学でノーベル賞をとらないかと期待していたが世界はそう甘くはないようだ。しかし長くNY大学にいて今でも共同研究で、年の半分はアメリカに出張しているとのこと。
わがクラスにはK大からS生命に進み、小説家をしているOという変わり者がいる。高校時代から机の中には原稿用紙しかはいっておらず、国語のレポートを原稿用紙に100枚以上書いて先生を困らせていて今後はレポートの上限を作ると先生に言わしめた男だ。売れっ子になっても会社を辞めずにいたが果たして今どうなっているのだろうか?
最近リニューアルされた名簿を見ると、留学した人が4人居た。そのうち先述のパリ大に行ったOさんは各美大で講師などしている。T大の建築からスタンフォードに行ったY君はM工大の先生になり私はS大学。と皆教えることに多少関わっているが、T大からD広告代理店に行って、スタンフォードに留学したK君はそのままその会社に居る。
T工大に進んだものは僕をふくめて4いた。一人は会社までいっしょになったN君。経営企画室長という要職につき経営者の見習い中である。同じ建築学科に現役ではいったH君はコールハースの事務所に行って福岡の仕事やオランダの劇場の担当をした後止めてオランダで事務所を開いている。T電気に行った女性のFさんはなんとT工大で卒業生総代だった。才女である。才女と言えば幹事の一人、IさんはK中央病院の放射線科の部長(だったと思う)。高校時代から迫力があった。
考え出すときりが無い。40人のうち果たして何人くらい来られるだろうか??因みに幹事の一人にさせられてお店の段取りをせよとのこと。筑波から来るやつ、新幹線で来るのもいるのかな?とはいえ西のベッドタウンから来るのもいる。そうすると場所は真ん中でうちのそば四谷あたりがいいかな(笑)いずれにしても、半分くらいの輩には会いたいものである。

近所の話

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by 卓 坂牛

昨日の最高気温が19度で今日は10度だそうだ。三寒四温とはいえ激しい。
我が家の道路を隔てた逆側に去年まで三井住友建設の本社があった。去年の夏その建物が解体された。そこに三井不動産の17階建ての高層マンションができるとのこと。建設会社は土地を系列不動産会社に売って、その工事の仕事をとって自らはどこかに引っ越したという話である。
ところがである。去年の暮れ頃行きつけのとんかつ屋の主人が「坂牛さん、あのマンション17階建てが10階建てになるようですよ」と言う。そんなことまさか反対運動があったってそんなことはあり得ないでしょう。と思っていたのだが、つい先日、ポストに一枚の手紙。三井不動産から。17階建てのマンションを10階建ての事務所にするので工事説明会をしたいという内容だ。とんかつ屋の主人が言っていたことは本当だったのだ。さて今日。そのとんかつ屋で飯を食っていたら、町内会のおじさんが入ってきた「僕等が新宿区区役所に掛け合い、高度地区の、、、、、で高さを7階小さくさせたのだ」と言っている。そんなことできるの???本当びっくり。さらに「今日は説明会ですよ」と言う。なるほど、これから説明会か?17階を10階にしても容積は使いきるので、鉛筆のようなビルが豆腐みたいになっただけだそうで逆に周辺の日影条件は悪くなったようだ。今まで文句を言わなかった人が文句を言い出し、「建物を高くしろ」と言いかねないようである。
この建物の東側に住んでいる僕は高見の見物状態なのだが、果たしてどういう結末になるのだろうか?さっさと作って売りぬくつもりだった三井不動産は誤算。もちろん工事できない建設会社も誤算。しかし最大の誤算に頭を痛めているのは建物を低くさせたことで勝利と思ったのも束の間で逆に日影が悪化したことに気付いた近隣反対派の方たちかもしれない。

初夏のような表参道

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by 卓 坂牛

東京はいきなり春を飛び越えて初夏のようだ。東京駅から千代田線で神宮前に行く。表参道はヒルズ人気(でかどうか知らないが)とても混んでいる。坂本先生の新作を見に行く。外からはあのイかのような姿のみでもちろん中の流動的な空間はしのばれるはずも無い。FRPの外装の汚れ具合とか樋なしのディテールとか技術的なところを拝み終わり。せっかくこのあたりまできたので安藤さんのhhstyleも拝んで行こう。こちらも考えてみれば樋なしディテール。かたや白かたや黒だが形はよく似ている。安藤さんの中でよいかどうか分からないが(安藤さんの建物で知っているのは住吉ぐらいなので)僕は好きな建物である。
長野仕様の服装が初夏の表参道ではひどく場違い。事務所に帰りいろいろ、雑務、などなど。その後川崎の打ち合わせ。二棟の仕上げと色でひどく悩む。3時間くらい模型を前に試行錯誤。ひたすら沈黙。9時頃帰宅。なんだか疲れた。

純粋理性批判

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by 卓 坂牛

そう言えば日課だったカントの『判断力批判』宇都宮訳が終わって今引き続き『純粋理性批判』上巻宇都宮訳をちょっとずつ読んでいる。もうカントはいいやと思っていたが、判断力批判を読むと、こちらを読まないわけには行かないのである。この本8500円もするのだが古本ネットで5000円で買った。5000円だって充分高い本だが、文庫本を2回読む気になれないので敢えて買ってみた。
さて少しずつ読んでいくとあの有名な一節に序論で出会う「私は、対象にかかわるのではなく、対象についての我々の認識の仕方に、しかもこの認識の仕方がア・プリオリに可能である限りにおいてかかわるすべての認識を、超越論的と名づける」
批判という言葉の語源はギリシャ語で「分ける」という意味だったそうだ。つまり純粋理性批判とは経験としてではなく(純粋に)原理として理性に可能なことを分ける作業だったのである。それが上述の序論を生み彼はその分ける作業の末得られるものに超越論的と名づけたわけである。
どうして僕が性懲りもなくカントに惹かれるかというと、建築を見るときに人は何に感動するのか、十人十色と言わず、超越論的に感得されるものがありやしないかといつも思っているからである。これは思ってないことの裏返しなのだが、つまり十人十色だとずっと思っていたし思っている。でもそれを実証するためには、共有する感性があることを先ず否定したい衝動に駆られるのである。
なんともひねくれものである。本心はどこにあるのか自分でも分からない始末である。

大学行政

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by 卓 坂牛

教室会議、学科会議、会議の連続。極秘事項があるのでここでは書けないが、学科の運営なるものは会社の運営と変わらない。利益追求団体ではなく、価値追求集団を標榜しつつも、生存をかけた競争がある。それは大学間だけではなく大学内でも起こるものである。民間の会社でも社内部署間での戦いがあるのとまったく同じである。民間の社内の戦いはひとえに利益の多寡によって決着がつく。話はとてもシンプルに定量的である。一方大学というものは、そう簡単ではないはずである。
その昔元名工大の学長であった柳田博明氏にインタビューをしたとき、日本の大学行政の見識の低さを嘆いていた。柳田氏が留学していたイギリスでは、研究とは目先の利益につながることではなく100年のタームで必要と思われることに金をかけるものだという通念があったという。一方それに比べ日本は目先のことしか考えない。コンピューターが流行ればパブロフの犬の如く、コンピューター関連には目を瞑っても予算が付く。馬鹿げていると嘆いていた。大学行政を司る人間には長いいビジョンにたった深い見識が問われるはずなのである。それがひどく欠けているのかどうか正確には知らないが、現在の溺死寸前の大学の生存競争、学内の生存競争というのはなんとも嘆かわしいものである。
午後、須坂のレクチャ、大学内パンフレットのデザイン、その他こまごま雑務をこなしているうちに夜。

日曜日

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by 卓 坂牛

事務所に行って少々仕事。帰宅後須坂での講演会のパワポづくり。昔のロサンゼルスのスライドをスキャン。懐かしい。再来週はこの講演会の後に今村君に頼まれたTASでのレクチャーもあって頭があっち行ったりこっち行ったりする。一夜漬けができないタイプなのでこのくらい前からちょっとづつ準備しないと話すことがまとまらない。夕食後少し早めだが秋葉原でデジカメを見たいので家を出る。コダックから出たワイドレンズと望遠ズームレンズが付いた2眼カメラを試す。これがなかなか優れものだ。2眼で無理がないせいかいこれだけのレンズ性能なのに薄くて軽い。でもちょっと高い。東京駅丸善による。taschenの本が安い。2冊組みのsculputureという彫刻史のビジュアル本とDavid Adjaeの作品集(以前housesは購入したが、public buildingsが新しく出ていた)を購入大学に届けてもらう。
9時半のアサマで長野へ。車中『クリスティーズの内幕―華麗なる美術オークションの世界』を読む。クリスティーズ対サザビーズの熾烈な戦いの内幕を記したものでテレビドラマを見ているような面白さである。

打ち合わせ・打ち合わせ

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by 卓 坂牛

朝10時kプロジェクト現場定例。少し遅刻。現場進捗状況を木島がクライアントに説明中。外壁塗装色を最終決定。定例後、木島・加藤は佐藤淳さんのオープンハウスに、僕は東大の公開講評会に行く。信大の学生にも宣伝しておいた手前少し見ておかないわけにはいかない。会場で松永君、芦田君、山田君に会う。3年生も数名来ているとのこと。12名の発表のうち半分くらい聞いた。ずば抜けたものは無いが、そこそこ考えられているように感じた。しかし4年生としては立派なものではなかろうか。講評の先生たちは立場上厳しく批評していたが。4時に事務所にもどり、川崎の家の打ち合わせを加藤、大武とする。外装の材料のあり方を議論していたら7時になった。その後、ナカジと中国の話をする。4月まで動かない予定が、ちょぼちょぼと仕事が発生するのである。8時半頃帰宅。どうも未だ合宿の疲れが残っている。

お疲れ

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by 卓 坂牛

昨晩から坂牛研の合宿。学生のパワーはたいしたものだ。今まで大学内ではあまり感じたことのない力が見えてくる。彼等の多くの側面に触れることができたのは貴重な体験であると同時にとても嬉しいものである。まだまだ若いつもりのこちらもくたくたである。帰りの新幹線ではぐったりと深い眠りに入ってしまった。

ヤマ

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by 卓 坂牛

朝学部生の部屋から密かに頂いてきたガスファンヒーター無しにはこの時間までとてもいられない。しかしヒーターも力尽きたか寒い。帰ろうかなあと外を見ると雪。帰るのも寒い。帰らないのも寒い。
信州大学には山岳科学研究所というものがある。山を科学する研究所など信大にしかない。信大が誇れるものの一つらしい。そこで僕等も少し何かしようと歴史の先生と山岳景観をちょっと考えることとした。歴史の先生はタイポロジーが得意なので形態分析。僕は得意なものがないのでとりあえず、色彩分析をしたらどうかと思っている。山は一年間でどう色を変えるかということを調べる。そして山は何色に社会の集団表象として捉えられているかということを小説、絵画、写真などから分析する。例えば赤富士という言い方がある。富士山が真っ赤に現象することを指している。というように、長野の山もある色を持って現象することもあるはずである。もちろん四季で色が変わるかもしれないし変わらないかもしれない。その差は何によるだろうか?
さてヤマという建物を作った僕にとって山はとても面白い対象である。そのカタチも面白いしイロも面白い。果たして何が得られるだろうか?ヤマ#2のアイデアに出会えることを願っている。