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Apr 2006

sleepy

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by 卓 坂牛

初夏のような暖かい日。夕方ゆっくりと風呂にはいって、風呂で本を読んでいたら眠くなってしまい、しばし風呂で寝る。去年パーティーの景品でもらったお風呂用枕というのがあって、これを首にあてて寝ると快眠できるのである。何の本?結構ぶっそうな本である『警視庁捜査一課特殊部隊』。なんでこんな本読んでいるか?たまにテレビの『潜入警視庁24時間』なんて番組見たくなるようなそういう気分で東京駅のキオスクで買ってしまうのである。
食後部屋で本読んでいたのだが、また眠くなってきた。いつでも寝られるようにと思いベッドに本を持っていった。『マルクスの●●』『ポストモダンの●●』。1ページ読んだら深い眠りにはいってしまった。気が付いたら12時。
眠いというのは余裕のあるときなので、体が楽になっている証拠。

いい加減な制御

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by 卓 坂牛

いい加減な制御ということを考えているそれは「良い」「加減」の制御ということで出鱈目ということではない。たくさんの、複雑な、ことをコントロールするのにどうしたらよいかという疑問に答えるための概念である。
例えば、街づくりというようなものを制御していくときに、制御する人(役所の人、建築家、街づくりnpo)がいて、制御される側の人(住人、企業、お店の人など)がいたとする。そういう場合、しっかりとしたルールはきっとうまくいかないもの。最初から30%はうまくいかないと考えておくべきである。そこで「しっかりとした」の反対である「いい加減」を持ち出す。いい加減とは何か?制御する側とされる側の柵をなくすことではないか?つまり、役人も住人も一緒に考えるということである。それでは制御ではないではないか?と思わず考えてしまう。しかし自分で自分を制御することだって世の中にはたくさんある。ただそういう制御は甘くなるから制御ではないと思っているだけである。甘くなるのはたくさんいることである程度カバーする。そして、とりあえず第三者もいることで制御の公共性は保たれる。だからこれも立派に制御であろう。
最初から失敗を組み込むことが重要。失敗と不適合が30%までなら、それは失敗でも不適合でもないとするのがいい加減ということである。

私営図書館

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by 卓 坂牛

最近大学の図書館に本が見つからず(工学部の図書館だから仕方ないのだが)東京に来たときに丸善によったり紀伊国屋に寄ったりする。そこで2時間くらい本を読んでいる。まるでここは僕の私営図書館である。そこで気が付くことがあるのだが、一つはやはり本は実物を見て読んでみてまた違うのを読んでみて、そしてまた違うのを読んでみて、そうすると一つ問題について書いてある本でも、著者がよく分かって書いているものと、全然分かってないで書いているものがあるということが分かる。また翻訳本だと経験したばかりかもしれないが、ああこの人理解してないな、と思う本がある(よく出版したなあと感心してしまう)。今日ちらっと眺めたルーマンの本も基本文献だし、訳者も有名だから買おうかなと思ったのだが、やめた。何かいているか理解できなかったから。事務所に着てネットで見たら、この訳はひどいと書いてあったのでああやっぱりと思った。だから本はネットで買うのは余り小難しい本でなく定評のあるものに限った方がいいのかもしれない。さて次に感じたどうでもいいことは、紀伊国屋はうるさい本屋だということ。館内放送が耳障りなのに加えカウンターでけたたましく鳴る電話の音がひどい。やはり古いビルだからなと感じた。立ち読みしているとまるで電車の中で本読んでいるようだ。それに比べると丸善は図書館である。今度は新宿行ったらジュンクだな。

祝優勝

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by 卓 坂牛

イヤー今回は厳しい。書き直しても書き直しても穴がある。昨日のアイデアはいけてると思ったのだが、まだ弱い??
坂本先生のコンペ優勝案がドイツの新聞に大きく載りました。
素晴らしい案です。今後うまく進むことを期待しましょう。
Werkbundsiedlung Wiesenfeld, München(工作連盟ジードルンク、ヴィーセンフェルド・ミュンヘン)
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丸善は朝早くから開いてます

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by 卓 坂牛

東京駅に9時に着いた。どうしても欲しい本がある。僕の読みたい本は往々にして文系なので工学部図書館にはない。直ぐ読みたいので、松本の総合図書館から出前してもらっている暇はない。そこで丸善へいく。6時57分の新幹線に乗ると、これは各駅停車で時間がかかり9時頃東京駅につく。しかし丸善は9時からやっているので、丸善(図書館)で必要本を読む。買うかどうかしばし迷った本を読んでいたら11時になってしまった。社会学書コーナーの脇にはガラス張りの読書コーナーがあり暖かな日の光が差し込んでいた。読んでいたのは『法理論のルーマン』。読んだ結果購入。そしてブルデューの新著『住宅市場の社会経済学』も購入。ベイトソンは買おうかどうか迷ったが、やめ。
夕方金箱事務所から3名来所。打ち合わせ。今回はそれほど難しいことはない。階段は少し面白くできそうだが、果たして本当に面白いか模型を作る。

コンテキスト作り

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by 卓 坂牛

昨日の情報の続きである。差異を生む差異が情報である。というのは建築の設計にとてもよくあてはまる。クライアントが差異と感じて始めて情報となるのだが、多くの建築家はそこまで行かない(クラインとが分からない)差異を一生懸命作って終わるのである。どうしてそういう悲しい状況が生まれるかというと三つの理由がある。一つはクライアントが鈍い場合。二つ目は建築家が盲目な場合。三つ目はこれが一番多いのだが、クライアントが差異を感じ取るコンテキストがない場合である。およそコンテキストとは教育と先入見で生まれるのであり、建築のそうした教育は一生に一度建築家に出会うまではあり得ないしそれ故先入見の発生の余地はないのである。それ故僕等は一生懸命いろいろとコンテキストを作る。多分コンテキストを複雑に作り続けるのが僕等の仕事なのかもしれない。それなしには仕事を進めることが不可能なのだから。

うやむや力

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by 卓 坂牛

ベイトソンによる情報の定義は「違いを生む違い」A differnce which makes A difference と言うもの。細かいことは分からないけれど、例えば赤いポスターと青いポスターがあるとする。書かれていることは同じ。字面はまったく一緒である。しかしこのポスターから受けとる情報(イメージ)は異なる。つまりあるモノの物理的な差は、受け取られた差になることで初めて情報となるということだ。そうなると情報は生き物であり、人があるモノからどのような差異を受け取るかは無限の可能性を持つということになってしまうのである。同じ「坂」という漢字が印刷された2枚の紙があるとする。肉眼で見ると両方とも確かに同じ字だが、印刷会社が違うせいか200倍に拡大すると最早まるで異なるモノであるかもしれない。あなたはその場合どちらの状況からこの坂を理解するだろうか?それによってこの情報はまるで異なるモノになってしまうのである。
しかし社会はそんな差をうやむやにするように動いている。このうやむやがないと社会は止まってしまうから。しかし難しいのはこのうやむやを使っていい場合といけない場合が暗黙に決まっているということであり、それを探り当て行使する力ーうやむや力が世の中にはある。そしてそれを使える人間が賢いと言われるのである(いいか悪いか知らないが)。

岡本はエリートでした

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by 卓 坂牛

今日は友人に引かれて岡本太郎美術館に行った。「一体岡本みたいなアヴァンギャルドがなんで太陽の塔なんていう国家プロジェクトをまかされたんだろうねえ?」と道すがら話していたのだが、美術館で年譜を見てびっくり。岡本太郎は慶応、芸大、パリという超エリートコースだったのでした。とても「芸術は爆発」する人の経歴としては似つかわしくない。友人は芸大卒だが岡本が芸大などとは知らず、驚いていた。母、岡本かの子がまたとてもハイソである。「太陽の塔のコミッションははまったく不思議ではない」と、友人とともに納得した。
ところでなんで昨今岡本ブームなのだろうか不思議に思って友人に聞くと、「あの単純なしゃべりが若い世代の気を引くのでは」という。ああ「小泉ね」と僕。「そうそう」と友人。

いろいろと

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by 卓 坂牛

朝から一挙に原稿を書きあげる。とりあえず使う図版を仮スキャンして貼り付け、大体の内容は詰め込んだ。しかし明らかにつながりの悪いところがいくつかあり、それらをつなぐために何冊か本にあたらなければならない。
夕方アトリエワンの新居にお邪魔。塚本、貝島夫婦おそろい。武田さん、ワークステーションの高橋夫妻、坂本先生夫妻に会う。外断熱のALC露出の内壁と桐の仕上げが心地よい。斜線で細くなる上部に行くに従ってスケールダウンする。そしてそれにつれて空間が私的になっていく。その関係がうまく合っているように感じられた。
夜A0のメンバーが事務所に来る。天内君に中国スライドを披露してもらった。青島のドイツ建築という面白い内容。その後ワインを飲みながら、A0でこれから何をするかという議論をする。しかしメンバーのテリトリーが広いだけに、なかなか興味は収束しない。まあ次回ですね。

スチュワート研の食事会

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by 卓 坂牛

朝一のアサマで東京。原稿書き。どうしても確認したい本が、、、研究室。拠点が二つあると本当に精神分裂になりそう。川崎の家。ブラインド色を変えた模型チェック、地味。もう少し差をつけよう。
夜はスチュワート研の集まり。全員集合。小沢も北大から東京へ、秋葉udxでハンバーガーを食べる予定だったのだが、巣鴨に藤田の新しい建物ができたということで、ハンバーガー屋で飲み物一杯飲んで巣鴨へ移動。シンケルのような宗教施設の外観を拝み、フレンチを食す。鹿島岩下も日本に慣れ(笑)、辺見は休日海外出張の愚痴、竹中藤田の次の建物は蒲田だそうで山手線のマイナー駅を転戦するそうだ。小沢は北大で教鞭をとりながら銀座のステーキハウスの内装を手がける。夏に子供をスイスティッチーノのインターナショナルスクールのサマースクールに入れるという。「いくらかかるの?」と聞くと一人45の二人だから90で母親の帯同費を入れると軽く100は超す。こちらが目を回していると辺見は「うちも去年イングランドに子供二人行かせた」とのたまう。
スチュワート研だから国際的なのは分かるけれど、どうしてそうハイソなことができるんでしょうねえ?しっかり夫婦で稼いでいるからでしょうかねえ?