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May 2006

日曜日

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by 卓 坂牛

一日家にいて、娘の試験勉強を見てやり、自分の論文書いて、夜は近くで焼肉食べた。山星という美味しい焼肉屋がある。やることが沢山あるとあれもこもしなければと思って気が滅入りとても非効率的にしか物事は進まないのだが、小さなことでもとにかくやってしまい数を減らすと、なんだかすっきりする。昨日新幹線の中で小さな原稿をとにかく二つ書いてしまった。スーパースタジオと藤森照信。いや本当に短いのだが、やってしまうと(完成して無くても)気分よく次の仕事に入れるものだ。
その意味で新幹線というのはうってつけ。時間は2時間無い。その時間でできることをとにかく片付けるしかない場所なのである。

土曜出勤

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by 卓 坂牛

建築学会の北陸支部総会なるものが信州大学で開かれるということで初めて参加。今年度から常議員なる役割を頂いた。しかし今のところ何をするものなのかよく理解していない。まあゆっくりと。総会の後に学会長の村上先生の講演があった。村上先生は日建時代横断道の換気塔の設計をしていた時に一年間かけて風洞実験をしていただいた先生である。久しぶりにお会いしてご挨拶した。
講演はヴァナキュラー建築のサスティナビリティというテーマでありとても興味深いものであった。講演には坂牛研の院生を初め多くの学生が参加。我が研究室のobである中根君も来校。一緒に夕食をとった。最終で東京へ。新幹線の中で日建の石川君にばったり会う。彼の証言によると、僕が信大に来た頃彼は市役所の街づくり課の課長に呼ばれ、坂牛は何者だ信用できる男かと聞かれたそうだ。おお恐ろしい。

会食

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by 卓 坂牛

現在工事中のkprojetの施工をしてくれいてる渡辺組の渡辺社長(彼は篠原研の後輩。house sa の施工者でもある)とみかん組の竹内氏と佐々木龍郎さんの4人で会食。渡辺さんの音頭で設計者と施工者の腹を割った話をしようという企画。しかしそんな話が出たのは分かれ際の15分くらい。後は何話していたのだろうか?佐々木さんが東海大の特認教授になった話とか(おめでとう!!)、渡辺さんの子供の話とか、竹内氏の切れる話などなど。
ところで、竹内氏のおかげで(彼は信大に特別講義に来てくれて、その上レポートの採点もしてくれた)授業が盛り上がったことに御礼。ついでにそうして盛り上がってやる気の出た学生のオープンデスクをお願いした。竹内賞の方は申し込んでみたら。
安田さんから留守電、東工大の講評会にゲストクリティークに来てくれとのこと。何とか日程やりくりできるか?明日大学で調整してみよう。土曜日だが学会長の村上先生がいらっしゃるとのことで出勤である。

欲求の再生産

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by 卓 坂牛

そう言えば昨日、御茶ノ水の駅でばったり佐藤光彦氏に会った「あれ事務所この辺でしたっけ?」と聞いたら「いや今日大に教えに来ているもので」と言う。そうか移ったんだ。名刺くださいと言ったらまだ無いとのこと。名古屋から東京に来られて楽になったろうなあとやや羨望の眼差し!!!
いや失言、長野もいい。本がゆっくり読める。今日は車中、ボードリヤールの『記号の経済学批判』を斜め読みした。ゼミで読んだ『物の体系』とともに前期の主要著書である。その中の第二章に相当する部分は「欲求のイデオロギー的生成」。欲求は僕の論文の中でも重要な概念なので少し丹念に読んで見た。その中にこんな一文がある。「欲求は、何であれ、もはや決して自然主義的/観念論的テーゼが言うような、生まれつきの天賦の力、自発的欲望、人間学的潜勢力ではなく、システムの内在的論理によって諸個人の内部に誘導された機能である。より正確に言えば、欲求は豊かな社会によって《解放された消費力ではなくて、システム自身の機能、システムの再生産と延命の過程が要求する生産力である。いいかえれば、欲求が存在するのは、システムがそれを必要とするというただそれだけの理由による。
欲求は社会システムの中で再生産されるイデオロギーに連動してシステムを動かす原動力として必要不可欠なものということである。
アルチュセール『再生産について』を彷彿させる。因みにボードリヤールのこの本は『再生産について』の2年後、1972年に出版されている。多くの影響があったのだろうなと勝手に想像している。

アルテポーヴェラとスーパースタジオ

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by 卓 坂牛

早朝のアサマで東京。家により朝食、午前中に事務所で様々打ち合わせ。午後リーテムで中国プロジェクトの打ち合わせ。3社の見積もりを見ながら、副社長の厳しい予算設定を聞く。うーんその額でできるのだろうか?今まで多くのクライアントトップの厳しい査定を聞いてきたが、今回はまた一段と厳しい。
昨日のゼミでアルテ・ポーヴェラとヘルツォーグの関係が話題になった。双方ともモノの質料性への執着が見られるのである。ヘルツォーグの植物拡大模様のようなことをバオリーニあたりが既にやっていたのではないかと盛り上がった。
さて数年前東現美で行われた20世紀イタリア美術展のカタログをめくって見るならアルテポーヴェラは1968年以後というところに分類されている。建築では時あたかもスーパースタジオやアーキズームが活躍しているころである。シングルデザインというグリッドの網をかぶせたようなテーブルやら住宅やら、あるいはコンティニュアスモニュメントと呼ぶ都市の幻想的コラージュを作成していた。建築や都市を概念で包みその質料性を除去するその姿はアルテポーヴェラとは対極を行くものだったに違いない。そしてその両者が4分の1世紀を経て再び浮上してくるのは面白い。
そのころをまた客観視できるようになったということか。

手も足も出ず

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by 卓 坂牛

私の勤める大学の同じ学科の先輩の先生の中に、とても子供思いの方がいる。鋭い論文を数多く書かれ、大学運営の要職も数多くこなし、学外での様々な役職もこなしながら、家には6時に帰り子供と時間を共有していると聞く。その理由は自分の親が同じように自分と過ごしてくれ、それによって今の自分があるからだという。
自らを振り返ると、自分は幼少の頃父親と時間を共有し、それによって自分が成長したという実感がない。細かく考えると父親が夜家にいなかったわけではないのだが、一家団欒というい状態ではなかった。お互いに忙しすぎてゆっくり語るなどと言うことにはならなかった。めいめいが好きな時間に食事をし、好きな時間に退席し、自分の仕事、勉強をしていたように思う。そして恐ろしいことに、今の自分はその頃の親父とまったく同じことをしている。
別に親父と過ごす時間が短いから僕は不良になったわけでもないし、つらい思いをしたわけでもない。それはしかしたまたま僕がそうだっただけのような気がする。子供思いの某先生のように子供と共有する時間がある程度確保されていることは重要なはずである。しかるに、私の現状では、それは望むべくもなく、手も足ももがれたハエのような気持ちである。

心配、気遣い、悩み

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by 卓 坂牛

未だに外から響く学生の歓声。元気炸裂である。建築の学生2年から大学院まで全員のパーティーである。東工大にはこういう風習はなかったので新鮮である。しかし明日は朝からゼミ、皆遅刻するなよ。心配。
今日も某市の方が3人で研究室におい出になりコンペの打ち合わせであった。既に業界新聞には報道されてしまったのでコンペ自体は知る人は知るところとなったようである。しかしこういう仕事はそれなりに大変なものである。人事の調整というのは気を遣う。
長野東京往復で母子家庭は続き、思春期の娘を抱える私はそれなりに心が痛む。娘と過ごす時間を長くするにはどうしたらよいのだろうか?ちょっと悩む。

すっぽかし

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by 卓 坂牛

3時半ごろ来訪者。井上君ではないか。一体何事かと思ったのだが、とっさに手帳を見ると、なんと今日はA0の集まりだった。しまった。こんなことは初めてである。事務所には鍵がかかっているし、携帯は返事がないし家まで来たとのこと。なんとも申し訳が無い。一緒に事務所に行き、次の勉強本の検討。いろいろ議論の上、コロミーナか、ヴィドラーを読もうという結論。とりあえず、中身を推測する意味でも、皆で少しづつ読んできて次回感触を話合おうということにする。

桐建会

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by 卓 坂牛

桐建会と称する高校の建築家同窓会があり、本日はそれをリーテム東京工場で行った。バスをチャーターし5時にリーテム到着。操業中の工場を見学するのは実は僕も初めてだった。建物の説明を私がして、ライトアップの説明を近田さん。7時には真っ暗になり光もとてもきれいに工場を照らし出していた。再びチャーターバスで懇親会場のクリスタルヨットクラブへ。鈴木成文先生の乾杯。私も一言。近田さんも一言。学会選奨に選ばれたアーキテクトファイブの川村さんの一言。学会論文賞をとられた野城先生の一言。渡辺武信さんの一言は最高に傑作。さすがうまい。同級生だった木島安史さんに仕事を盗られた話は笑った。急遽こられなくなった林昌二さんからは祝電が届き励ましの言葉をいただいた。最後は長老岡田信一。いや重みのあるお言葉。その後2次会で居酒屋に若い人だけ移動。と思ったのだが、鈴木先生もいらっしゃった。なんとお元気なことか。話は尽きず、2時にお開き。
準備をしてくださった関係者の皆様ご苦労様でした。ありがとうございます。

空白の20年

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by 卓 坂牛

『物の体系』のAとBが次回のゼミ範囲。再読しているのだが、読みずらい日本語である。原書があるわけではないので、正確にはわからないが、うわさでは英訳の方がはるかに読みやすいという。まあそれはよしとして、一作日話題にしたスーパースタジオ同様、『物の体系』も五月革命と同時期の出版である。やはりあの時期世界の知は権力をめぐりとてもラディカルになったのであり、その後の20年は世界は死んでいたのかもしれない。なんと言うことだろうか?僕等にしてみれば高等教育を受け始める頃から就職退職するまで世界はまったくクリエィティブではなかったということである。であれば、しかしこれから本当の時代が訪れるのだろうか?磯崎さんの『建築の解体』の復刻版への前書きで彼はフランシスフクヤマの歴史の終わり1989にはまったく賛同できない、歴史はこれから始まると書いてあるがそれは喜ぶべきことか悲しむべきことか?僕にしてみれば複雑な心境である。