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Sep 2006

真夏復活

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by 卓 坂牛

今日は真夏並みに暑い。35度くらいありそうだ。かみさんは朝から国博に書道の稽古に行った。藤原行成(と言っても伝だそうだが)と良寛の本物を見てきたと興奮気味。マスクして直に見られるそうだ。午後からA0勉強会。夕方までじっくり読む。出版の目処はついたようで、そうなるとさっさとやるしかないが、、、、、帰宅後、読書。明日はjtで対談。少し予習しようと思ったが、寝ながらしよう。

本探し

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by 卓 坂牛

パレンとヴィリリオの『斜線の機能』がどうしもみつからない。それから林美佐さんのコルビュジエのカラーキーボードもみつからない。書斎の三段スライド本棚を100回は動かしただろうか?他にも探している本が30冊くらいあり、それらは順調に発見したのだが、どうしてもこの2つが見つからない。とても重要なものなのだが、大学の可能性も高い。来週待ち。
夜久しぶりに明日の勉強会に備え英語の本を読む。英語は本当に読んでないと忘れてしまう。悲しいかな最近の英語力は中学生並みである。
視覚の文法を読みながら寝よう。

大野一雄

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by 卓 坂牛

朝から事務所で図版リスト作っていた。だいたいできたのだが出典が分からないものが結構ある。そういうものは仕方ない作り直すしかない。出典の分からない図を入れるわけにもいかない。夜友人と会食。帰宅すると未だかみさんの稽古が続いていた。お弟子さんの一人は僕の授業の受講生だった人で美学の博士課程。稽古後、かみさんが大野一雄の写真展の宣伝をしていたら、彼は大野一雄の本物のパフォーマンスを数年前に見たことがあると言う。羨ましい。
写真展を前にすでに写真集が出来上がっている。数十名の写真家によってとられたこの写真集は被写体の強烈な個性で引っ張られている。被写体の強さが写真家に物を言わせないという感じである。義兄もその写真家の一人として登場している。ミノルタのギャラリーで行われる展覧会には是非行こう。
ドナルド・D・ホフマン『視覚の文法』を読み始めた。昨日読んだ『脳は絵をどのように理解するか』と同様認知科学の書であり、視覚的知覚は単純な受容刺激だけから成立しているのではなく、脳みそが作り上げているという分析のようである。

いろいろ

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by 卓 坂牛

午前中某物件の見積施工社と打ち合わせ、本当に高い見積だが、自らそう言っているのには嬉しいやら悲しいやら、そんなものチェックしてから出して欲しい、すくなくとも出す数字に納得して出すものではないのだろうか?午後jtの富井さんと天内君が来て来週の対談の打ち合わせ、他の4人は米田さん、鈴木了ニさん、難波さん、阿倍さんだそうだ。それぞれ楽しみである。つい対談前の下打ち合わせで対談してしまい富井さんが「録音しておけば良かった」とつぶやいていた。時間を忘れてしゃべっていた、3時からリーテムで打ち合わせ。珍しく社長以下3兄弟がそろった。しかし結論は出なかった。本当にややこしい。しかし安い方にほぼ決まりそうである。リーテムからは一人中国に常駐させろと、冗談とも本気とも付かぬ言葉が飛び出た。
帰宅後久しぶりに読書『脳は絵をどのように理解するか』を読みはじめる。人間の視覚はかなり脳が作り上げているという話である。

On
by 卓 坂牛

今日は雨。仙田先生から電話。JIAの展覧会に協力要請。げげ、この秋はちょっとと思ったがまあやりましょう。でも場所がJIA会館というのが今ひとつだよねえ。だいたいあの建物借り物だとは知らなかった。なんということだ。なんか体のいい資金集めに乗せられたのかも??
ナカジ中国より帰国。写真を見せて貰ったが確かに2社の実力はいい勝負という感じ。結構分からないな。これだけ調べてもまだ決定的なものは無い。こうなればやはり安いというのが大きな要素だろうか。安い分しっかり設計料ください。と明日の打ち合わせで言おうかしらん?
明日施工者とネゴが10時からだが、どうも向こうは乗り気ではないようだ。無理にとは言いません。無理に頼んで上手くいく試がない。
ついに論文第8章までとりあえず図版まで入った。内容はちょっとまだだけど少しほっとした。まあこれからじっくり読もう。これで少し読書再開できるだろうか?

松本

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by 卓 坂牛

午前中ゼミ、午後松本の本部まで出かけてキャンパス会議に出席。普通列車で行くと1時間ちょっと途中姨捨(おばすて)というとても景色のいい場所を通る。ここを通いなれた人には普通の風景だろうがたまに行く僕にはちょっとした旅行である。松本はそう言えば先々週くらい家族できた。その時は純然たる旅行であったが今は仕事。大学までバスに揺られて行く。松本は長野と違って風景がいろいろあって楽しい。
夜長野に戻りコンペの打ち合わせ。狙いが複雑で案の内容よりも先ずスタディの方法を考えていた。結局地道に模型を作ろうということになる。
中国からナカジの電話。二社に絞られたCMの作品を見たら予想に反していい勝負だそうだ。これはちょっと予想外、スキッと方針が出ると思ったのがそうでもなくなってしまった。明日打ち合わせだが決着が付かないか?
メールで前から相談にのっていたアパートつき住宅の話始めたいとのこと。また超ローコスト。それなら今度は最初からその気でやる。ミニマルでやるしかない。

いい建築

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by 卓 坂牛

この数日とても天気がいい。東京で一つ、長野で一つ補修工事しているのだが、天気がいいとほっとする。補修工事ほど気を揉むものはない。だいたい非がこちらにあるからこう言う工事は発生している。しかしこちらと言っても設計にあるわけでもない工事にある。しかしあちらの人は(クライアント)はこちらとしてまとめてみるからつらい。こちらは2つに分かれているのである。何かそういうことをきちんと明確にするようにこれからしていかねば。建築は3者でつくるものである。昔モノの本にいいことが書いてあった。いい建築ができる確立は千分の一だと。いいクライアントがいるのは十分の一、いい施工者がいるのも十分の一、そしていい建築家がいるのも十分の一。そして三者が偶然幸運にも出会えた時いい建築ができると。だからその確立は千分の一。まったくその通りである。

非力

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by 卓 坂牛

いい天気の日曜日である。しかし大学には学生が結構いるもので、卒論やら修論やらやっている。朝から論文の再構成。9月に入るとコンペの審査が2つあるし、学内キャンパス計画なるちょっと気が重い仕事があったり、引き続きのネゴたあったり、中国の仕事が本格的に動きそうだったり、jtの対談があったり、いろいろと忙しそうなのである。その前に論文にけりをつけたいと思うのだが、何度読んでも読むそばから駄目なところばかり目につく。書きたいことの半分くらいしか書けていない。なんとも文章力の無さを痛感するばかり。

On
by 卓 坂牛

信州大学には山を研究する研究所がある。いろいろな学科がそれぞれの分野から山を研究する。建築も景観という立場からこの山と対峙するのである。山みたいな建築を作った僕としてはちょっと気になる分野である。最近動物建築は流行りだが、山建築もいけてると思っている。川建築とか海建築というのもありだと思うのだが。では具体的に建築は山や川から何を貰えるのだろうか?というあたりを研究しようということである。そんなプロジェクトのプロジェクト長にいつの間にかなっていたのでそのプレゼンppを作っていたら昼になってしまった。学食はやっていないので近くの中華で麻婆豆腐を食べ、午後は論文読んでいたら夜になり、また同じ中華に行って焼肉定食を食べた。今日は秋晴れで爽やかな一日である。山並みがきれいに見える。

大学は楽しい

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by 卓 坂牛

大学で会議があるのを思い出し、急遽長野に(委任状出しておけばよかったのだが忘れていた)。ついでに週末は長野で論文書くことにする。まあその方がはかどりそうか?と一瞬思うがそうでもない。
研究室には本が無い。(そんな研究室あるのか?)
疲れたからって床でごろごろするわけにはいかない。(やはりソファーベッドが欲しい。ミースの)
ちょっとのどが渇いたからといって「アイスコーヒー」と叫んで誰かが持ってきてはくれない。(家なら奥さんの機嫌の良さそうなときを見計らって叫べば持ってきてくれる)
論文に飽きても遊び相手はいない(家なら家族がいなくても犬がいる)
気分転換に風呂に入ったり、草木に水をやったりすることはできない(大学だからしかたない。まあ菅平でも見て目の疲れをとるくらいはできるが)
夕飯は毎度学食か中華くらい(家の食事は美味しいなあ当たり前だけれど)
というわけで家にいるほうが圧倒的に楽しくて楽である。でもそんなこと言っていても始まらないのでこうして研究室に11時までいてさあ帰ろう。