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Oct 2006

80年代

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by 卓 坂牛

10月21日
宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』を読む。いきなり80年代に原宿にできたクラブ ピテカントロプス・エレクトゥスが登場し、「かっこいい」という価値観で語られる。ピテカンは行ったこと無いけれど確かに当時話題だった。そのころあのあたりや骨董どおりのtokioや霞町のred shoesはなんとなく大人の空気がむんむんしていて、学生の僕は背伸びしてそういう場所に出入りしていた。懐かしい話である。

金曜日

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by 卓 坂牛

午前中デザイン論の講義、午後は同じ2年生を相手に製図のエスキス。何度か顔をあわせていくうちに意匠を目指す人とそうでは無さそうな人がなんとなく分かってくる。持ってくる内容が全然違う。まあこうやって専門が分かれていくのは今も昔も変らない。製図が終わり東京に電話、JIAのアーキテクツギャラリーの搬入が終ったかどうか確認を入れる。案の定まだ終っていないようである。ポートフォリオもまだできていないとのこと。今日はそのままオープニングだそうだが出席できない。同時に展示する安田さんから電話、僕が来られないのが不満のようである。とは言っても仕方ない。
山形のエスキス。もう時間がないから方針決定。でもまだうまく行くかどうか。とにかく粘ってやるしかない。A3一枚だから。夜『ポストムラカミの日本文学』を読む。90年代の前半の「渋谷系」というくくりの新たな作家として阿倍和重と保坂和志をあげている。阿倍は僕も好きな作家だが保坂は読んだことが無い。今度気にしておこう。

80年代論の意味

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by 卓 坂牛

10月19日
そう言えば僕がロサンゼルスから帰国した年、1ドル250円が一気に100円台へ下降した。プラザ合意があり、日本の内需拡大に伴い時代はポストモダン円熟期とも言えるバブルに突入し、グローバル化に向かった。その年に僕は大学を出て社会人の仲間入りをした。時代の境目に自分史の境目も重なるとその社会の変貌がよく見えない。今だからこんな客観的に見えるのだが、当時は全くそんなことに気づかなかった。
建築も90年代というよりはやはり80年代後半に変ったのだと思う。その変貌を今こそ詳細に考えてみたい。

ゼミ

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by 卓 坂牛

午前中は空間論の講義。午後は延々とゼミ。4年生はまだまだ。基本的に日本語ができていない。去年もこの頃から卒論修論は佳境にはいった。学生も先生も必死だ。でもここで僕が怒らず誰が怒る。悪気は無いけれど学生生活で最初で最後の真剣勝負のようなものだ。頑張って欲しい。コンペのゼミは今ひとつ。コンセプトを形に昇華するロジックが無い。
8時半のアサマで帰宅。昨日の寝不足がたたり珍しく車中は睡眠。大宮で目覚めルーマンのメディア論を読む。複雑性の縮減というルーマン特有の話に突入。

めまぐるしい

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by 卓 坂牛

10月17日
朝から事務所。図面のチェック。工事の進捗を確認。めまぐるしい。淡々と情報整理と指示。夕刻日建設計のOB会「日建会」に出席。日本全国から300人ほど集まる。鬼の管理部長と言われた三宅さんに現場監理の様々な質問。未だに頼りになる。副社長の桜井さんに挨拶。jiaの審査委員だそうで新人賞に応募しているのを知っていた。やはり副社長の岡本さんと雑談。社長の中村さんから激励される。「日建の足元にも及びませんよ」と言うと「住んでいる世界が違うのだから」とクールなお言葉。同期の陶器さんとお話。彼は現在滋賀県立大学の教授。学生が住宅メーカーに就職すると嘆いていた。小堀さんは東工大客員教授だそうでおめでとうございます。理科大の教授になられた構造の寺本さんが「横断道路の仕事をした人はみんなやめたね」と言う。そう言えば、設備の近藤さんは武蔵工大の教授になっている。
早々に引き上げ事務所にもどり仕事の続き。12時頃帰宅すると待ち構えていた娘に捕まる。中間試験勉強のお付き合い。でも家族との時間はほっとする。

施工者の実力

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by 卓 坂牛

現在見積もり中の仕事がある、数社の合い見積。設計者としては当然どの程度の力があるか調べなければならない。経歴書はもちろん見ている。どんな建物を作っているかもわかっている。名だたる建築家の仕事をしている。それでもそこから分かることには限度がある。だから経歴書に載っている建築家にメールしてその力を聞く。いろいろな情報が集まってくる。良いと言う人もいれば駄目と言う方もいる。本当に悩ましい。施工者の力を判定する会社というものがあればきっと流行ると思うのだが。昨今施工者の力が落ちている。それは施工者自身が言っているのだから間違いない。職人も同様だろう。つまりは後継者がいないのである。匠の心を持った人たちがいなくなっていくのである。施工図を書けない所長と鉋をかけられない大工が集まって建物ができるのだろうか?日本の由々しき問題である。

仕事力

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by 卓 坂牛

午前中某工務店の社長と会い打ち合わせ。日比谷でお会いしたので、その足で六本木ヒルズに行きビル・ヴィオラのヴィデオインスタレーションを覗く。museum shopで佐々木敦の新刊購入。内容は、池田亮治、高橋悠治、オヴァル。午後家で仕事。論文の修正。
風呂で『仕事力』という新刊をぺらぺらめくる。各界の一流の方々の仕事について書いた本だ。建築では安藤さんが書いていたり、京セラの稲盛さん、など14名。読んでいて思うのだが、とにかくこう言う方は人の倍は働いていると思う。しかも質の高い時間を倍働く。つまり一般の人の4倍の仕事をしてきたという感じがする。素晴らしい。見習いたいものである。

いろいろ

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by 卓 坂牛

朝一で現場。クライアントと対話。その足でコニカミノルタプラザの「大野一雄写真展」へ、オープニングで上杉満代の踊りを見る。この展覧会は大野一雄100年祭と銘うって47人の写真家によって撮られた大野の写真並べられている。65年の土方と大野がうっぷした細江の写真や2002年の荒木の写真をはじめ義兄であるダイトウノウケンの写真も展示される。その後紀伊国屋に寄る。社会のところに80年代論の棚がある。80年代論というのは最近流行りなのだろうか?スーパースタジオが来るということでhttp://www008.upp.so-net.ne.jp/jiseki_archives/page/TSS/main.html昨年のアーキグラムに引き続き今年も60年代論が盛んだと思っていたのも束の間。80年代のバブル、ポストモダンへの再考がそろそろ客観視できる時代になってきている。
帰宅すると小田部さんから長野順子・小田部胤久編著『交響するロマン主義』晃洋書房, 2006が届いている。先日のゼミで扱ったカリネスクによれば、モダンには二つの相反する概念があり、その一つがブルジョア的モダン、もう一つが美的モダンとなる。そして美的モダンのスタートはロマン主義による急進的反ブルジョア主義である。こうなるとロマン主義は昔の話と言って横において置く事もできない。目を通しておかざるを得ない。夜木島と打ち合わせを兼ねて食事。

思考と実践

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by 卓 坂牛

10月14日
ヤマとリーテム双方が学会選集に選ばれたという連絡が事務所に送られてきていた。喜ばしい。1度に2つというのはその昔SDレヴュー88年に2個選ばれたことがあるがそれ以来である。この間の大吉がそろそろ効いてきたかもしれない。
日建をやめて8年たつ、日建時代は闇雲に設計していた、もちろん自分なりの建築観を育もうと努力していたが、忙しさはそうした思考の継続を許さない。独立してそうした細切れの思考の断片を繋ぎ合わせる時間ができ、やっと自分の創りたいものが分かってきた。そしてそれを実践していく中でその思考の実体化の方法が分かってきた。つまり概念としての建築と実体としての建築の接続の仕方がやっと分かってきたのだと思う。思考と実践。建築の基本である。