座礁
11月16日
夕刻クライアントが3名来所。見積がやや高いために工事を見合わせることになりそうである。長い建築経験においてもこういうことは初めてなので僕自身どう対応していいものやら。しかし建築をつくることに切迫した理由がないクライアントなので仕方ないかもしれない。少し残念だがこれも建築である。模型をある時期きっちり作り直してプロジェクトとして保存しておこう。
設計者にとって竣工建物の引渡し時は娘を嫁にやるときの気持ちであると言われる(まだ嫁にやったことがないので分からないが)。となると設計の途中で座礁したプロジェクトは家出か流産か?これも経験したことがないので分からないが。
自壊の理屈
コラムにも書いた渡辺靖の『アフターアメリカ』を読み終わった。そこに登場するボストンブラーミンと呼ばれる富裕層は数世代の中で自らの習慣を崩しそこから脱皮しようとする現象が観察されるとのこと。それを著者はブルデューの文化的再生産の議論では軽んじられる事象であると記している。
そうかもしれない。ブルデューに限らず、世の中は習慣という慣性に乗っかって再生産の方向に向かうと思うのが常だが確かに自らを突き崩そうする力学もあるものだ。さてしかしその力は何処を震源とするのだろうか?社会への不満は革命的力の震源ではあるものの、富裕層における自壊の力学はそれとは異なる。それは一つの倫理であったり、向上心によるものだろうか?
時間割
来年度の講義予定をたてるために今年度の講義時間割を凝視しているうちに気が付いた。自分のコマがかなり多い。何も知らずにいわれた授業をしていたし、何も分からずに指定された曜日にやっていたがそれも少し間抜けである。他の先生は効率よくまとめてやっている。出張がうまくできるようになっている。もう3年目だし少し頭を使わねば。製図のやり方を少し変え、自分の時間割を考えないと設計ができなくなってしまう。来年は今年の借りを返さねばならない。設計の量を増やす。これが目標である。
午後リーテムの彰氏より電話。中国の人材派遣で図面の読める通訳が見つかりそうだとのこと。彰氏もとにかくプロジェクトをさっさと動かしたいとのこと。それはこちらも願うところである。長い仕事だが、中国だから仕方あるまい。
2年の製図の前半課題の住宅の講評会が近づいてきた。ゲストに若松均氏を呼ぶべく電話。快諾してもらった。今夏には内の部屋から二人ほどオープンデスクを引き受けて貰いまたお願いで恐縮であるがありがたい。
筑波
筑波大学の鵜沢教授から夕刻電話。鵜沢先生は拙訳『言葉と建築』を教科書に使ってくれている。院生の授業で4月からこのテキストを読み始め概ね読みきったそうである。そこで訳者を呼んで、何かさせようというこだそうだ。筑波とはちょっと遠いと思いつつも、長野に人を呼んでいる私としては、呼ばれた時にせっせと行って、いつかは来てもらうためにも貸しを方々に作っておかなければならない。ついでに筑波のキャンパス計画についてヒアリングして来ようと思う。
鵜沢先生と雑談してびっくりした。筑波はなんと前後期制ではなく小中学校のように3学期制だそうだ。更にびっくりしたのは午前中の授業は1コマメが8時半に始まり、2コマめは11時半に終ってしまうとのこと。「学生は大学に住んでいるから早くても大丈夫」というのだが、それならうちも同じである。でもこちらは朝は皆弱いようだが。とりあえず12月中ごろうかがう約束をした。筑波では高校の同級生が原子物理の教授をしている。ついでに会って来たいところだが、まあそんな時間が作れるか?
award
事務所に行くと、Chicago Museumuからinternational architectural awardsへの出品依頼のファックスが来ている。先日岡田氏も依頼が来ているようなことを言っていた。さほど大変な準備は要らないようだが出品料が250$である。世界中にこんなファクスを送っているのだろうか?1万人応募したら250万ドル儲かることになる。2億5千万円である。世界の建築家を相手にした詐欺ならすごいものだ。が、去年の受賞者を見ると日本ではヨコミゾさんの富弘が入っている。まあ信じて応募することにした。
金も時間もないのだけれど、借金してもこういうことはやり続けないといけないのかもしれない。リベスキンドの生き様を見ているとこんなこと(賞に応募するなど)朝飯を食うより普通のことなのかもしれないけれど。