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Jan 2007

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by 卓 坂牛

1月11日 
午前中早稲田大学。静心先生の書のレクチャーを聞く。久しぶりに小田部氏と会う。ワープロの普及が字を書くという人間の身体感覚を喪失させるかもしれないと彼が言う。そうかもしれない。小田部氏も私もヴァイオリンをやっていたので音が流れてくると勝手に左手が動く。同様に日本人は漢字を見れば書き順というものにそって手が動くのだがいずれ手が動かない日本人が現われるかもしれない。
午後連続的に3つの打ち合わせ。

フー

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by 卓 坂牛

ゼミ授業ゼミ。年明けからはゼミはマンツーマンである。フー。去年より進捗は遅い。後は体力勝負。輪読はヴィドラーの『不気味な建築』。ここにもジェフリースコットが引用されていた。やはりヒューマニズム建築の基本文献のようである。

工信会

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by 卓 坂牛

1月9日
夕刻、工信会なる工学部の教職員の集まり(新年会)に出席。出席するつもりはなかったのだが、つい誘われて出たせいか、雑用がたまった。

スタバの椅子

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by 卓 坂牛

来年度の講義のヴァージョンアップを行うべく「大きい小さい」という講義用のパワポ作りをはじめた。更に順番やタイトルの見直しをした。1日で終わるとたかをくくっていたが無理そうである。諦めて昼頃スタバに出かける。そこでは朝から勉強に出かけているかみさんがいる。スタバでお勉強をするというのは不思議なものだが、スタバに行くと確かに半分くらいは勉強しているお客である。
規律社会に対する管理社会としてよく例にでるマクドナルドの硬い椅子の話がある。マックでは満面の笑みをたたえホスピタリティを示しつつ、回転を上げるために椅子を硬くしているとものの本には書いてある。それに対抗してスタバは高いコーヒーを柔らかい椅子で飲まそうと考えた。その結果がこうなっている。図書館代わりの喫茶店と化している。かみさんの話では4時間くらい長居している人たちが4~5人はいるという。そしてそれはこの店に限らないとのことである。果たしてスタバの戦略は思い通りなのか?はずれたのか?

晴天から曇天へ

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by 卓 坂牛

朝からいい天気である。長野は雪のようだが。日曜美術館を見ていたら宇都宮美術館の亀倉雄策展が紹介されていた。亀倉雄策もさることながらこの美術館(岡田新一)を見たくなり、さあ出かけようかと思い立ったがクライアントから電話があり、別案を作って欲しいと頼まれた。事務所でスケッチpdfで送っていたら、天気が悪くなってきた。その上寒い。遠出は中止し、今日届いたいくつかの古本を読み始めた。若宮信晴『西洋装飾文様の歴史』、ルカーチ『美学』(一番最後に装飾の章がある)。

大きいこと小さいこと

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by 卓 坂牛

去年僕の研究室を修了したF君が事務所を訪れた。仕事のことで相談ごとであった。大雨の中10時頃来て1時頃帰って行った。次の打合せが1時であることをすっかり失念し、飯を食いそびれた。打合せといってもスタッフといっしょに住宅のプランを練るというもの。気付いたら8時である。余りにお腹が減ってめまいがしてきた。帰宅して夕食をとったが体にエネルギーが広がらない。
キャンパス計画をするのに芦原義信の『外部空間の設計』を探していた。ないないと思っていたら、机のすぐ脇の本棚に発見した。良かった。その後書きに、バシュラールに啓発された芦原が大きい空間と小さい空間の対比について語っている部分を発見。そして小さい空間の本質として胎内性という言葉をあげ、これが大都市の荒廃に対抗する精神性であろうと結んでいる。大きさと小ささは僕の論文の一つの骨子でもあるし、その昔からずっと考えていることであるが30年前に既に触れられていることに普遍性を感じた。

カナダの建築家突如現われる

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by 卓 坂牛

突如事務所にカナダ人の建築家が現われた。日本人の友人といっしょなのだが、こちらは一体何が何だか分からない。友人曰く、事務所で働きたい旨メールしたとのこと。そしてそこにポートフォリオも添付したと言う。しかしまったくその記憶がない。しかしとにもかくにも本人が目の前にいて、ポートフォリオも持っていて見てくれという。カナダの大学院まで出て、カナダの事務所で三年働き日本で働きたいという。こちらは意地悪だから、日本で働きたいなら事務所は一杯あるよと教える。こちらは何故ofdaで働きたいかを聞いているのである。すると僕宛の手紙を出す。手紙はなかなか良く書けてある。しかしそう簡単にこの手の人を受け入れることは難しい。先ず日本語がまったくできない。これでは僕とコミュニケーションできても仕事はできない。デザイン力も飛びぬけてあるわけでもない。この手の人は何度か来るのだが、まあ難しい。日建設計あたりに聞いてみたらどうかとアドバイスする。午後打合せ。また長い打合せとなる。終ると10時。皆で食事をして解散。

80年代論

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by 卓 坂牛

大学の仕事始めである。工学部長の挨拶を聞く。去年はこの会には出席しなかったので、新年挨拶を聞くのは始めてである。その昔日建で社長挨拶を聞いたことを思い出す。若い頃はこの手の挨拶を聞くのは苦手だったし、そもそも面白くないし、興味も無かったのだが、ある時期から結構いいことを言っていると思うようになった(年嵩を増して社長の言わんとすることが理解可能になったということなのだろうが)。それ以来、この手の挨拶は興味深いし身に沁みることが多い。今日の話もすっと腑に落ちる内容であった。
昨日から読み始めた原宏之『バブル文化論』慶応大学出版会2006が面白い。バブル真っ只中を生きた僕のような人間にとっては、最も身近で肌身で感じられる話である。やっと80年代も語られる時期に来た。以前にも紹介した宮沢章夫の『80年代地下文化論講義』等と共にこれからますますこの手の分析は増えていくであろう。ただ僕としてはこれに続く90年代にも分析の手を伸ばして欲しいと願うところだが。

新年もそろそろ始動

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by 卓 坂牛

昔からそうだが、1月も3日になると、今年一年(と言えば大袈裟だが)今年度にどうけりをつけるかプレッシャーが襲いかかる。いろいろなことがうまく回転するか自分でも分からないことも多い。特に今年はいくつか先の見えにくい仕事も多く不安は多い。大学も2回目の卒業生をいかに送り出すか頭が痛い。毎晩4年や修士の学生の顔がちらちらする。更に来年度の新たな勉強テーマの開拓として装飾とヤマをどう発展させるか頭の中が錯綜する。
夕方事務所に雑務を処理しに行く。木島さんが仕事中。事務所も人数が少ないとひどく寒い。早々に切り上げ帰宅。1月のスケジュールを作り。かみさんのレクチャーのパワポを作り。そしてガウディの装飾論を読みながら就寝。

現代の装飾論

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by 卓 坂牛

2日というのは気が抜ける。元旦のような晴れがましさはないし、年賀状は来ないし、街は死んだように静かだし。午前中はゆっくりし、午後銀行に行ったり(今年は1日から銀行は開いている)雑用を片付け、装飾論の続きでガウディの装飾論を読み始める。ガウディがアラベスクを相当研究していたと言うのは面白い。そして装飾と構造を別個に考えるボザール流の考えを否定し、装飾と構造を一体化して考えていたという論点も面白い。そうした考えの行く末は構造イコール装飾である。僕はそうした視点から現代の装飾を位置づけ検討できないかと考えている。さてその方法はいかに??