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Mar 2007

2冊の本続き

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by 卓 坂牛

3月21日
『クオリア降臨』の続きを読む。数日前にこの本のビジュアルな展開が鼻につくようなことを書いたがやや修正である。クオリア(質感)という言葉は僕にとっては建築を考えるうえでとても重要な事柄であるせいか、その言葉が上手に解説されている本と勝手に決め込んで読み始めたのが鼻についた原因だった。しかし内容はさにあらず。とてつもなく広範囲な文化評論である。ただそのキーワードとしてクオリアがあるだけである。とにかくその知識量には圧倒される。しかしやはり最終的にクオリアの核心には迫れていないような気がする。それは僕の読解能力のせいだろうか?
続いて『書物の運命』の続きを読む。この本も著者のとてつもない活字読破量という点では共通するものを感じる。しかしその筆致はまるで異なる。前作が様々な話題に突如展開していくのに比してこちらは同じシーンがゆっくりと展開するような書き方である。この本は中東研究家の著者の読書の歴史のような本なのだが、その中には当然だが中東関係の本に対する書評なども含まれている。サイードやその論敵バーナード・ルイスを含むイスラム問題への視座を解きほぐしてくれるあたりはなるほどなるほどとただただ感心しながら読んだ。イスラム入門書でもないのにイスラム問題に関心を持たせてくれる本だった。

今日の読書

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by 卓 坂牛

行きの電車で読もうと思った本があったのだが、さすがに5時起きで電車に乗ると読んでいるそばから寝ている自分がいる。気が付いたら終点である。朝昼と会議があり、5時の電車に飛び乗る。帰りはゆっくり本が読めた、ゲーリーのMITでのステイタセンターの記録である。室内構成をスタディするのにオラウータンの巣作りを参考にしているというのは面白い話だった。どこまで本当かは別としても素人には分かりやすいスタディの見せ方である。それからMITでは先端の科学者たちが建設委員会のメンバーのようであり、こういう人たちには逆にゲーリーの形が理解されやすいのだろうと感じた。大宮あたりでこの本を読み終わりもう一冊鞄に入れておいた池内恵の『書物の運命』を読み始める。小さいときからテレビ無しで書物の山の中で育った人の書物との付き合いの話である。感じることが多々ある作品。この感想はまた明日。

卒計展

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by 卓 坂牛

レモン画翠の卒計展も30周年ということで過去の展示をまとめて展示するそうだ。と言うわけで今から25年くらい前に展示された僕の卒計を物置から探して引っ張り出してきた。今から見るとひどく古臭いけれどまあ仕方ない。展示の後はシンポジウムもするそうだが、この卒計をネタにやるのはちょっと気が引ける。週末に学生さんがとりに来てくれるそうだ。
ある雑誌からコルビュジエ特集をするのでコルビュジエの現代的価値について書いて欲しいと頼まれた。2ページで何が書けるか分からないが引き受けた。
夕方奥山が来所、某本の企画のブラッシュアップをする。少しずつだが進んでいるかどうか?9時ごろ終えて二人で夕食。明日が早いので早めに切り上げ帰宅。

無為な一日

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by 卓 坂牛

今日は一日休養。一日何もしない日。こんなことが可能なのは一年に一日だ(と言ってもあながち大袈裟ではない)。天気もいいし空を見ているだけで気持ちがいい。しかしそう思っていたのだが、明日奥山が事務所に来てこれからはじめるインタビューの骨格を練る話をしなければならない。そのための資料が事務所にある。仕方なく夕方事務所に行き本をとって家に帰る。ぺらぺらめくっていたらスチュワート先生の巻頭論文が載っていた。そういえばスチュワート研の新年会をやらなければ。

夕食

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by 卓 坂牛

3月17日
午前中事務所で雑務。午後A0勉強会。Geofry ScottのArchitecture of Humanism翻訳読み合わせ。2班に分かれて少しずつ進む。3ページくらいかな?夕刻タワープロジェクト室に。ofdaチームと夕食。ここにはナカジをはじめ芸大卒の人間が4人もいる。二人はofdaのメンバーであり、一人は元青木事務所、一人は芸大から慶応の藤幡正樹のところに行き現在はインタラクティブアートの研究をしている藤村君。今日は彼らのうち3人とと信大からバイトに来ている山田君、信大卒の深沢君そして僕の6人で食事。芸大の講評会には1年から4年まで通しの合同講評会というのがあるそうで、これは気合が入り先輩と勝負という意気込なのだという話を聞いた。それは面白い。信大でもやろうかしらん?

International Architecture Awards

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by 卓 坂牛

去年の秋ごろTHE CHICAGO ATHENAEUM: Museum of Architecture and Design というところからメールが来た。内容は2007年のInternational Architecture Awards に応募してくださいというようなものだった。うーん出品料はしっかり取るし、、、と思ったがまあこういうものには出すべきだろうと思って出したら、先日congratulationsというファックスが送られてきた。まあ50くらい選ばれるので世界版学会選集のようなものだと思う(そんな価値があるのかよく分からないが)。2006年の例を見るとhttp://www.chi-athenaeum.org/intarch/2006/index.html日本からは国立新美術館や内藤さんの島根アートセンター、富弘美術館などが選ばれていた。まあ出品料は無駄にはならなかったと思おう。
帰宅のバスでクオリアを読み始めた。評判の書なのだろうが書き出しのあたりが「好かん」。内容はまだ分からないけれど、序で、ペンギンの進化論と漱石の哲学を並べて語り、次に松林屏風図や鳥獣花木図屏風を2時間見たとか毎週見たとか。テレビの特集番組のようなビジュアルイメージの展開が臭い。なんてきちんと読まずにいい加減な感想を書いてはいけないかもしれないが、だいたい最初の印象はあたるもの。

生きようとする意志

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by 卓 坂牛

3月15日
製本した論文が60冊届いた。わーすごい量。中を見ると二ヶ所間違い発見。中表紙が入っていないのとカラーページが1ページだけ白黒になっている。時間がないのでどうしようかとコピー屋さんに聞いたら直すのにそれほど時間がかからないようなので全部持ち帰ってもらった。
打ち合わせやら雑用やら学会関係の連絡メールやらやっているうちに夕方。最終バス満席のためひとつ前に乗る。急に睡魔に襲われ横になって寝る。気がついたら横川。頭がすっきりしたので読書。保坂和志『世界を肯定する哲学』ちくま新書2001。半年くらい前に誰から聞いたのか忘れたがこの人の本をたくさん読んだ。これもそのとき買って放っておいたのだが今日鞄の中につっこんで出てきた。人間は言葉によって考えが制御されているので言葉になる前の「考え」をどうしたら掬い取ることができるかということを懇切丁寧に説明している。そう聞くと普通なのだがその説明はいろいろと「なるほど」と感ずるところが多い。たとえばリアリティのくだりはこうである。
リアリティとは何らかの事態に直面したときに「私」の中で起こっている、言語による処理能力を超えた事態という。つまりこれもこの本の大きな趣旨につながるけれど、言葉で言い表せるような事態というのは言葉という抽象性に絡めとられ「私」にとっての実感とならないということである。そこで彼にとって生きていくことの充実感とはこのリアリティの蓄積であるということになる。そしてそうした蓄積への人間の本能を「生きようとする意志」と呼ぶ。
これを一言で人間は好奇心の塊だからなあなどと言ってしまうともともこもない。この生きようとする意志のようなところをうろうろすることが大事なのだろう。少し時間をかけないとこういうことは腑に落ちないのだが。

金沢

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by 卓 坂牛

早朝から金沢の街を歩き回る。金沢はその昔卒論を学会で発表するときに来て以来である。あれは25年以上も前で、とてつもなく時間がかかりその上梗概をどこかに無くすというドジを踏み発表したら鈴木博之先生になぜ今コルビュジェの研究をするのですか?という質問を受た。あの時は谷口さんの図書館を見て兼六園に行った記憶がある。今朝は主計(かずえ)町という風流な街を散策。兼六園を通り抜け、元の金沢美大を改装した歴史博物館を見る。そこからバスにのり21世紀美術館に行った。できてからずっと行かないでいたが、やっと行った。やっぱり良かった。これは一言では言いづらい。本当にいろいろなことがよくできていると思った。その後竪町という現代的なショッピングストリートを通り抜け香林坊を通りホテルに戻り荷物をとって学会の役員会に出席。終わり北陸線で福井を回り米原に出て新幹線で東京に戻る。北陸の遠さを実感した。

静山先生

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by 卓 坂牛

3月11日
信州大学の教育学部の教授に私の中学時代の書の授業の先生だった方がいらっしゃる。雅号を市沢静山という。実は家内の師匠でもある。今年で退官ということで退官記念書展が信濃教育会館で行われており、午後拝見しに行った。上条信山の弟子であり、信山ばりという独特の書風の後継者である。実に味のある作品が50点近くあり久々に感じるものがあった。2年前に私がこの大学に赴任したのに一度も挨拶にいけずその非礼を詫びた。「設計の仕事もあるから大変でしょうと言われた」先生も東京でも指導していたので私と同じ行ったりきたりの生活を24年続けていた。それゆえ私の境遇もよく分かるようだった。
夕刻の電車で金沢に向かう。ホテルでメールなどしようと思ったらバッテリーを忘れていた。携帯のメールで対応。m2の中尾君から東京建築コレクションで塚本の審査員賞をもらったとのメールが入る。うれしいことである。

ちょっと気になるビジネス書

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by 卓 坂牛

どうもビジネス書という類の本は好きではないのだがついネット広告に惑わされて買ってしまった。ダニエル・ピンク著 大前研一訳『ハイコンセプト-新しいことを考え出す人の時代』三笠書房2005という本である。これからの時代は次の6つのセンスが必要であると説いている。この辺の妙な分かりやすさがどうも怪しいのだが、1)機能だけではなくデザイン、2)議論よりは物語、3)個別よりも全体の調和、4)論理ではなく共感、5)まじめだけではなく遊び心、6)モノよりも生きがい
生活が豊かになり、知的労働がアジアの低賃金知的階層へグローバールにアウトソーシングされ、さまざまなことがネット上で解決される現在、今までの左脳的知性はビジネス上有効ではないというのが著者の分析であり、そこで求められるのがうえの6つということである。なるほど分からないではない、しかしその手の議論はすでに終わっているという気がしないでもない。まあそんなに気をせいてもいけないか?今まさに進行しているところかもしれない。もちろん著者はこの対比の前者が不要だと説いているのではなく、前者のうえに後者が必要だと述べている。2項対立を避けて中庸を探る議論はここにもあるというところだ。
ところで今日の長野は久しぶりの雪であった。ついに入試の日に雪が降った。しかしたいした混乱も無く終わった。ほっとした。