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May 2007

学会選奨授賞式

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by 卓 坂牛

午前中大学で雑務をこなし午後一で学会へ。今日は学会大賞、学会賞、学会文化賞、学会技術賞、学会教育賞、そして作品選奨の授賞式である。夫婦で出席。個別に写真撮影などあり、3時から一人一人村上会長から賞を受け取る。いろいろな方にお会いした。そもそも会長とは昔1年くらい一緒に仕事をしたことがある。賞を渡された時にっこり微笑んだのが印象的。受賞式の座席は隣が小泉雅夫さん。彼は住宅で受賞。逆隣りは竹中の菅さん。本社ビルで受賞である。学会技術賞を取られた小野さんは僕の大学時代の先生だ。梅干野晃さんも技術賞である。業績賞で国際文化会館の保存に貢献したチームの中には明治の小林さんがいらっしゃった。日建の桜井さん、小倉さんからお祝いの言葉をいただいた。東工大の横山先生(同級生)、シーラカンスの赤松さん、信大の中込先生、などなどいろいろな方にお会いしご挨拶させていただいた。
いただいた賞牌は素的な彫刻。坂牛、中島、金箱の名が刻印されていた。また建築物につけるステンレス製のすばらしい銘板も送られるそうである。クライアントへのお土産である。

講評会

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by 卓 坂牛

5月29日
午前中ゼミ、午後は製図第三の講評会。課題は蔵春閣といういかつい名前のついた長野市内のモダニズム建築のリノヴェーションである。新たな機能でそれ自体を改造しながら増築させるものである。ゲストに岩岡竜夫氏をお呼びしショートレクチャーをしていただきそして講評会。最後に講師それぞれが審査員賞を決めた。今回は女性陣ががんばり5人中3人である。皆、次の課題はまた新たな気持ちで力を注いで欲しい。講評会後はゲストを囲んで研究室の食事会。岩岡氏のヴェンチューリオマージュを久しぶりに聞いた。

月曜日

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by 卓 坂牛

午前中は来週の学科会議の事前会議。授業とゼミの合間に事務所経理の質問が会計事務所からメールされる。社長に聞いてい欲しいところだが、社長はメールが出来ない。なんとも今時メールを使えない人って何?と言う感じだが、書道の先生は死ぬまでメールはしないそうだ。夕刻ゼミを終わらせ、事務所からのメールに答え、ファックスでやり取りし、夕食をとり、明日の講評会の発表者を選ぶ。1時間かけて30人。研究室の学生にも一人1つずつ選ばせる。前回の課題よりぐっと力が上がったか。しかし図面のプレゼンテーションが今1つのようである。研究室の学生に選ばせると、その学生の志向が見えてきて面白い。終わったら10時。ここに来て、いろいろな原稿やら出版やらの話が重なり、あちらこちらへの返事に追われる。本の図版はぐっと減らさないと話にならないようで、その選択はそう簡単には終わらない。今日は今日のうちに帰ろう。

負けない話術

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by 卓 坂牛

森美術館に行った帰りに六本木の青山ブックセンターに寄る。売り場がかなり変わり美術系の本がますます増えたように感じる。ほとんど美術専門の本屋さんである。ついついいろいろ買った本の中に『負けない交渉術』というアメリカで働く日本人弁護士の書いた本がある。別に僕は話術で人をやりこめるのは仕事じゃないし、話術は必要だろうけれど勝ち負けを考えて話す必要に迫られることも無ければそうした欲求も無い。なのだが、ちょっとこういう人たちの戦略と言うものも覗いてみたいと思い買ってみた。ところが、読んでみると、実はわれわれはこうした負けない話術を日ごろ使っている。それは工事費見積書に対するネゴの時である。その時僕らはしっかりハードネゴーシエーターとなっているのである。だからここに書いてある負けない交渉術の「いろは」はしっかり実践している。建築の実践とは幅が広いものである。

A0

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by 卓 坂牛

午後からA0勉強会。architecture of humanismのbiological fallacyの翻訳読み合わせが半分まで終了。ドボルシャックのルネサンス美術を読んだせいか、話の内容がすんなり入るようになる。ルネサンス建築が発生、熟成、衰退という生物の一生にたとえられるのはfallacyであるというのが章半ばにおける結論である。1917年というこの書の出版時点ではルネサンス後期=バロック期を衰退と考えるのが一般的だったのだろうか?勉強会の後東京駅で用事があり、新丸ビルを覗く。なんと古典的なデザイン。地所の伝統を示すためか?再開発ラッシュの中で他と差異化するためにはこれが残っていたということか?

島田明日香の踊り

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by 卓 坂牛

5月25日
朝一東大講義、今日はひどい雨である。雨は憂鬱である。午後エクスノレッジの窓特集があり取材を受ける。インタビューに答えるのはその情報量を文章にするより遥かに楽である。カメラマンも来てインタビュー風景から写真とりまくりなのにはまいった。その上何か模型を、と言われ、たまたまその辺にあった「三窓」の模型が入念に撮影された。夕刻歯医者。未だブリッジはつかない。相変わらず痛い。夜、谷川渥氏がディレクターを勤めるギャラリーが閉鎖される記念イベントとして和栗由紀夫の舞踏が行なわれた。和栗の舞踏は1年前も見たのだが今日は弟子の島田明日香との競演であった。1年前の和栗の踊りと今日の踊りが重なっている。島田はもと日本舞踊を学び和栗の好善社に入った。今日も和服で狐面をつけて登場した。体の動きが繊細である。扇子を持つ手が360度回転しているように見える。そうかなんと、よくよく見ると背中側をこちらに向けて踊っている。お見事である。

今日の本

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by 卓 坂牛

明日の講義は何を話そうかなどと思い、明日のパワポを開いたら、ななんと作ってあったつもりのパワポがほとんどできていない。自分の記憶の不確かさがいやになってしまった。あわてていろいろ手持ちのデーターを貼り付けてみた。大筋の話はもちろんできているのだが、どうもパンチに欠ける。
事務所には注文していた和書、洋書がごっそり到着していた。その中でも面白かったのは1位建築やアート、ファッションにおけるパターンのヴィジュアル本。2位は建築のサーフェイスという本。これはまじめにサーフェイスの歴史的意義を書いている。きちんと読めるかな???3位は新しいコンクリート建築の本。コンクリートが石のようになったというタイトルがそそる。しかし要は、流動形建築のことなのだが、、、、

パブリシティ

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by 卓 坂牛

とある出版の企画を検討していただいていた出版社から内諾をいただいた。とても嬉しい。単著で本は書いたことが無いのでどう展開するのかよくわからないが、編集者との楽しい制作への期待が膨らむ。しかし内容のクオリティと定価と出版部数は相関関係にあることは前回の『言葉と建築』で痛いほど思いしらされた。1200部の初版では600ページ近い本の定価は5000円を超える。今回それはどうしても避けたい。もっと気軽な本にしないとそもそも本の主旨にそぐわない。そう思いつつもカラーも入れたいなどとわがまま気持ちが頭をもたげる。なんとも困った。
編集中のディテールジャパンの原稿では使いたい写真が版権の関係で使えないとメールが入る、金曜日に取材を受けるエクスノレッジもどこまで写真が使えるのか分からない。主旨と値段とデザインの帳尻を合わせるのは本当に難しいことだ。

レモン展

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by 卓 坂牛

午前中のゼミを終えて御茶ノ水に。去年から東京では恒例のレモンの卒業設計展が明治大学で行なわれるようになった。駿河台の立派な校舎で行なわれている。今年は第30回ということで今までにここで展示された人の作品を展示するというイベントが行なわれ第6回の時に出品した僕の卒計も展示された。更にここに展示された人たちが集まってシンポジウムを行なうということで呼ばれた。パネラーは司会の田路さん、米田明さん、竹内昌義さん、五十嵐太郎さん、手塚由比さん、そして僕。皆そうだったろうが200人からはいる明治大学の大ホールの巨大スクリーンに自分たちの数十年前の卒計を説明するというなんとも恥ずかしいことを行なった。そして卒計の教育をどうしているかというような話。皆異口同音にその昔自分たちはなにも教育された覚えはないというようなことを言っていた。そりゃそうだろうなあ。それに比べると今はとてつもなく手厚い看護をしているようにも思う。しかしそれが時代なのかもしれない。
終わって皆で会食。懐かしのレモンのカフェで行なわれた。米田さんは僕の1つ上だったとは知らなかった。そうして話してみるといかに時代状況を共有していたかがよく分かった。五十嵐さんに日本のポストモダニズムの嚆矢はなんですかと聞いたらまだそれは言明できないと言っていた。手塚さんは先に帰ってしまったのであまり話しが出来なかった。竹内の卒計が渋谷のポストモダンスカイスクレーパーとは知らなかった。でも楽しそうで今と気分は変わらないようである。

運命共同体

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by 卓 坂牛

大学の会議に出ると「暗い話」と言われる話題が連続する。そしてそれに元気よく反論する人はいない。民間企業もそうだったなあと昔が懐かしい。バブルのころ団交といえば組合は勇ましく何ヶ月ボーナスを勝ち取る!と息巻いたし、それを実行することで社員のヒーローだったような気がする。だからこそ、くそ忙しい中、執行部を引き受け、そして団交に望んだ。私事だが、団交のため大阪入りし、打ち合わせ中に長女が生まれるかもしれないということで最終の飛行機で東京に戻り、一晩付き添い、少し先ですねと医者に言われ朝一の飛行機で団交に戻った覚えがある。それほど賃金交渉は一つのゲームとしてお互い燃えるものがあった。それが、バブル崩壊とともに、組合は本当に御用組合になった。いや正確に言えば運命共同体として二人三脚状態になった。まあ昨今の会議はその状況を彷彿させる。職員がマネージャーに四の五の言える状態ではない。運命共同体として最善を尽くすしかない状態にまで来ているようである。