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by 卓 坂牛
長野市には景観賞という賞が制定されている。毎年数件を選出するのだが今年は市制110周年ということで今までの景観賞受賞作品を対象に大賞と部門賞を選出することになった。私も選定委員の一人として今日は朝から市民投票の上位16作品を現地審査した。長野は本日快晴で暑かったが朝8時半から夕方5時までみっちり見て回った。見たことがあるものからはじめてみるものまで様々。住宅もあるところが長野らしい。つまり、歴史的町並みに考慮したものとしての住宅が選出されているのである。寺社仏閣があるところも長野らしい。善光寺に限らず、戸隠の神社もある。最後は選定委員の投票で大賞1つ、部門賞5つが選出された。来週早々に市長に答申する予定である。
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by 卓 坂牛
夏休みはコンペに時間をかけゼミが少し歯抜けになっている。意匠系の論考とは特にその方法が確立されているわけではないので工学のそれのように実験やってまとめてと言う風には行かない。ということはつまり卒論レベルの程度というものもない。もちろん僕の頭にはあるレベルというものがおぼろげにあるものの、個人の力量というものもあるだろうから後はその人に応じてということになる。尻をたたいて良いものにするのは教師冥利に尽きるのだが、それはそれで体力(精神的)勝負。まあこんなもんでいいかというのは自分の人生においても人の教育においても頭をもたげそれをひっぱたいて追い出すのは結構また体力がいる。その昔篠原先生も特にテーマを決めて論文をやっていたわけでなかったし割り切っておられたが、そうできるものならそうしたいと言う気持ちもまた頭をもたげるものである。
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by 卓 坂牛
9月18日
先日サイードの自伝のごときインタビュー本を読んで改めて中東の話は難しいと思っていた。そんな訳でふと本屋に並ぶ山本七平、イザヤ・ベンダサンの昔の論考をまとめた単行本が目に付いて購入していた。『中学生でも分かるアラブ史教科書』なるもの。しかしこれは中学生でも分かるというほど簡単な本ではない。半年ほど前にイスラムに関する本をいろいろ読み基礎知識が増えているのだがやはり分からないことが多い。それはそうかもしれない。主として3つの宗教と数多の宗派が入り乱れるこの地域の話は戦争ひとつ、国際会議ひとつとっても余りに複雑。サイードの本には訳者大橋洋一郎氏の懇切丁寧な註が全てのページに亘って付加されておりそれを参考に理解は深まるのだが、註が多過ぎてこれはこれで読み進むと前の註を忘れる。文体はインタビューだから気軽な会話なので騙されるが、内容は複雑な前提が多々あるわけである。山本のこの本も同様である。
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by 卓 坂牛
9月17日
富山コンペの打ち合わせ昼から夜までレイアウトを決定し、コンテンツをほぼ決める。とは言ってもデザインできていないところは多々あり、それらを埋めていかなければならないのだが、、、景観デザインなので何をすべきかは建築のように簡単にはいなかない。敷地を見ていないので直感的にこうあるべきという判断ができない。敷地を見ずに景観コンペをやるというのもなかなか大胆である。研究室の4年生に富山出身者がおり写真を送ってもらった。やはり立山は駅から見えそうだ。しかし台風の影響で天候が悪く山に雲がかかっている。
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by 卓 坂牛
9月16日
朝一で植南先生に勧められた南禅寺金地院に行って見る。一般に塔頭(金地院)とは山内(南禅寺境内)にあるものと思うが、金地院は山門をくぐる手前右横にあるので南禅寺に来たついでに寄ることは少ないだろう。というわけで来訪者も少なくお勧めですよと言われた。確かにその内容を考えると殆ど人がいないと言うのがウソのようである。金地院を出てもう少し何か見ようかとも思ったがきりがないので午前中に東京に戻る。事務所で一仕事して帰宅。一週間ほど℡がかからないのでnttにきてもらったらルーターが壊れているとのこと。こんなもの壊れるものなのだろうか?夕刻河合準雄の本を風呂で読む。この人の文章は実にうまい。
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by 卓 坂牛
京都への車中で読んだ鷲尾清一『京都の平熱』は市営バス206番の行き先順にガイドされる。この206番は東大路、北大路、西大路の順に京都を一周するバスである。そこで僕も始めてこの市営バスに乗ってみることとした。連休のせいか道は渋滞。先ずは目的もなく一周しようかと思ったが東大路3条の手前知恩院で下車。昼食をとることに。これも鷲尾氏の勧めに従いラーメンを食す。京都はラーメンの町だとか。そして知恩院の山門をくぐる。京都には修学旅行をあわせれば6~7回来ていると思うがこの寺には初めて。大きな寺である。山門をくぐり大階段をあがり本殿がある。こう言うスタイルはもちろん京都には多くあると思われるが、結界のプロセスとして階段を上がらせる効果は大きい。知恩院を出てホテルへ。講演まで時間があるので三条にあるホテルの周辺を散策。なんと偶然高校時代の修学旅行で泊まった旅館日昇別荘に遭遇。そばにこの修学旅行で入った覚えのあるイナダコーヒーもあった。周囲には辰野金吾設計の日本銀行、町屋を改装したブティック、もちろん古い町屋も多くある。この新旧の混在が京都である。と鷲田の本には書いてあった。
夕刻京都造形芸大に行く。三条から車で15分くらい。山裾に広がるキャンパスである。なかなか壮大なキャンパスである。私を呼んでくれた植南先生にお会いする。6時半から8時半くらいまで90分の予定が2時間近くなってしまった。多少長引いたがそこそこ言いたいことはいえただろうか?終了後先生たちと夕食。ここの小野先生はなんと篠原アトリエに2年もいたとのこと。驚き。
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by 卓 坂牛
9月14日
明日の講演のパワポをいじくる。ここで使おうとしている材料は2年前に考えたこととこの春書き上げた博論である。博論はともかく、2年前から考えている内容は今ひとつ進化してない。結局建物があまりできていないからなのだが、やはり物ができないと思考は深まらないことがよくわかる。午後の大学の会議を終えてアサマに飛び乗る。丸善に立ち寄りめぼしい本を購入して宅配を依頼。京都に行くにあたってかっこうの本を発見。鷲田清一『京都の平熱ー哲学者の都市案内ー』講談社2007。この本だけ持参し電車で読もう。講演は夜だが、せっかくだから昼頃までには行こうかな?
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by 卓 坂牛
朝コンペの図面をチェック。研究室は皆徹夜。ご苦労さん。10時からキャンパス計画の会議。新たに二つのキャンパスの提案を行なう。半年くらいいろいろ進めてやっと4つの計画が発表され、それでもまだ本部松本が残っている。まあ蛸足大学というのは大変である。午後会議が終了し、再びコンペ図面チェック。一昨年初めて研究室を持ち院生とともに最初のコンペを行い、そして昨年やり、3回目である。確実に年々いいものになっていると思う。今回は一番難しい課題だったかもしれない。是非とも最初のインタビューに残りたい。プリンターが回り続ける中こちらは明後日の京都造形大での特別講演の内容を考える。だいたいできているのだが、自分の中ではどこかで話したことのつぎはぎであり、少々飽きている。何かもう1つ自分にとって新鮮な内容を加えたいのだがすでにパワポで60枚。90分の講演では多過ぎで減らさなければならないのに何か加えたいというのは大いに矛盾。20時に郵便局に持ち込む予定が、、、点線がプリントされない、室名が抜けている。レトラを貼ったり、インキングしたり、郵便局は諦め、ちょっと遠くの黒猫まで持ち込むことに。締め切りは21時。間に合うか?
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by 卓 坂牛
朝雨。よく降る。某クライアントのアフタケアに行きながら彼のプロジェクトの相談。彼はアーティストインレジデンスのような別荘を作りたがっている。場所は海のそば。「坂牛さんのやる気が出るたらやろう」と言われる。ありがたい話である。やる気はあるのだが今のところ体がついていかない。長岡のコンペが終わったら考え始めたいところだ。午後事務所に戻り富山のコンペの打ち合わせ。ほぼ方向性は決まる。なかなか行けそうな気がしてきた。ヘンリケが関西旅行から帰ってきた。広島に痛く感動したという話を聞きながら、きちんと広島を見たことがない私は赤面。なんやかんやと雑用を片付け夕食を近くのとんかつ屋に食べに行き安部退陣を知る。驚きである。ブッシュの感想を聞いてみたい。笑い話のような本当の話である。夜のアサマに飛び乗る。車中エドワード・サイード+タリク・アリ大橋洋一訳『サイードが語るサイード』紀伊国屋書店2006を読む。厳格な親父と包容力ある母に育てられ、父からは厳しさを、母からは文化を学んだと言う。自分の境遇に結構近く親近感が湧く。しかも母の勧めでピアノを学びプロになろうか悩み学問を捨てきれず音楽家を断念したと言う。このあたりも自分に似ている。僕の場合は学問が捨てきれずではなくサッカーが捨てきれなかったのだが。10時半研究室に到着。長岡コンペのラスト一歩手前のパースが到着している。模型はなかなかのできである。よくなってきている。だいたいのレイアウトが完成、模型写真の取り直し中。写真の色み、レイアウト、文章のチェック。後ひと踏ん張り。明日の昼くらいに最終のパースも来るだろう。
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by 卓 坂牛
8月12日
中国の設計事務所との打ち合わせ。ローカルアーキテクトの仕事というものは自分自身もやったことがあるのでなんとなく分かるのだがあまりやる気の出るものではない。海の向こうから建築家がやってきて好き勝手なこと言ってそれを実施設計しろというのは言われる方からすればあまり気持ちのいいものではない。彼らの顔にはそんな雰囲気がにじみ出ている。この障壁を先ずは取り除くことからしなければならない。なかなか難しい。大倉を昼に出て上海市内を通りkpfの超高層を眺めそして空港へ。東京は大雨。機内放送は東京の気温は22度と言っていたがとんでもなく蒸し暑い。