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by 卓 坂牛
昼に松本へキャンパス計画のミーティング。新しい施設課長が二人来られる。一人は東工大から、一人は文科省からである。そろそろ全体のまとめを睨んでこの手の会議では結構活発な議論が行なわれる。しかしたまに施設課は他力本願役人体質が出るときがある。いかんともしがたい。私としてはそういう時はひそかに切れている。密かにと抑制をかけつつ明らかに、顔に出ているようだが。私の大人気ないところである。しかしこれは本能なので仕方ない。まあとはいえ無口な「しゃんしゃん会議」よりかは遥かに意味のある会議である。
終了したら既に暗い。腹が減って学食で夕飯をとり駅へ。特急あずさは出たばかり。高速バスで東京へ。曙橋でスタッフの平井君とすれ違い。「事務所は無人ですよ」と声をかけられ、事務所に寄らず帰宅。
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by 卓 坂牛
夕方学生に連れられ小布施町の図書館コンペの公開審査会を覗いた。160名から選ばれた5名がプレゼンを行なうという。5人に残っているのは古谷、伊東、隈、新井、藤原というベテランの方々である。最初学生がこのヒアリングのことを知らせるために持ってきたネットからのプリントアウトを見て驚いた。田舎の1,000㎡の施設にしては凄い審査員の顔ぶれだと。しかしよくよく見れば選ばれた方々ではないか!!!プロポーザルの提出書類に実績表があったからだろうと帰りがけに会った某出版社の方が言っていた。そうかもしれない。皆さんこの手の施設実績は十分である。しかし巨大施設ではないだろうし、もう少し新人の可能性を評価できるシステムにしてはどうなのだろうか?国交省型のプロポ基準はもういい加減に止めたらと思わなくも無い。
しかし、プレゼンはとても面白かった、短期間であったろうが5名のプレゼンにはエネルギーを感じた。しかしコストが厳しいせいか皆抑えた提案だったように思う。僕なりの感想は次のとおりである。藤原さんの案は何の提案も見られないので建築家の審査員には評価されないだろう。隈さんの案は路地と分棟。小布施的なのかもしれないが、管理に難あり。新井さんの案は敷地段差をスロープ状の図書館とすることで逆手にとり面白い。しかし上がりきったところが普段あまり使われない隣接ホールに繋がっておりやや理不尽。古谷さんの案は一番きれいになりそう。しかし駅と結ぶと言うわりには結ばれているようには見えない。森を作るというわりには建築が敷地一杯に建っていて植樹スペースが足りない。こうした4人のデメリットに比べ、伊東さんの案は欠点が少ない。誰も質問しなかった構造とトップライトのあたりの謎を除けば、最も提案性が強く、分かりやすかった。戦い慣れている。
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by 卓 坂牛
10月28日
すっかり17世紀オランダ絵画のとりこになってしまった。発端は国立新美術館の展覧界だが、その後有吉さんのフェルメールを読み、マーティン・ジェイが17世紀オランダ美術の視覚を近代3大視覚の一つにとりあげていたからである。そしてこのジェイの主張を裏付けているのはは出版ともに美術史界に物議をかもしたスヴェトラーナ・アルパースの『描写の芸術ー17世紀のオランダ絵画』ありな書房1995(1983)である。残念ながらこの本は絶版で見つからないのだが、ありがたいことに四谷図書館にあり午後自転車で出かける。今日は台風が通り過ぎ穏やかないい日である。アルパースは17世紀オランダ美術をイタリア美術を評価する視点で見る過ちを説く。そして当時オランダの視覚特質をオランダ総督の秘書コンスタンティン・ハイヘンスの膨大な資料を読み解くことから始める。ハイヘンスはイタリア人文主義を擁護するかたわら、当時の科学的発明である顕微鏡、望遠鏡に夢中になり自らその収集家となる。アルパースは次にケプラーの発見に言及し、網膜上の像と視覚表象の差を明確にしたことをとりあげる。
ここまでしかまだ読んでいないのだが要するに、こうした当時オランダの文化的コンテクストは絵画というものの社会的位置づけをイタリアのそれとは大きく変更し、神学的、物語的なものから、日常的、観察的、写真的なものへ移行したというのである。
こうした芸術の社会構築的な説明のしかたは必ずしも100%正しいとは限らないのだが、しかし僕は個人的には興味があるし、きっとそうなのだろうと思っている。
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by 卓 坂牛
朝から自分の部屋に閉じこもり机の上の整理をはじめる。部屋を片付けるのにうってつけの天気(台風)である。読んでない本と読んだ本と読みかけの本を分ける。読んだ物は本棚へ、読んでないのものは脇に寄せ、読みかけは、どうでもよいものは本棚へ、残りが気になる物は読みきり、残りも重要そうなものは未読で脇に、そしてとりあえず床に移動。机の上を先ず空にして原稿書くのに必要そうな本だけ机に戻す。更に必要そうな本を本棚から引っ張り出して並べる。それらを眺めながらコンピューターに向かい筋を作る。
半分できたところで、少し休憩。先日スタバで買った紅茶を入れるようなコーヒーメーカーでコーヒーを入れる。これが結構美味しく出る。調子に乗ってたくさん作っていたら、豆が切れた。今日は台風だしとても豆を買いに外に出る気にはなれない。仕方なく紅茶を飲む。
コーヒー飲んでまた必要な本とにらめっこ、合間にアドルノの『美の理論』を眺める。そう読むのではなく眺める。この本はしばし絶版で古本屋にもなかったのだが新装で登場した。先日本屋に積んであったので眼を疑ったが本物。しかし1万2千円もするのには驚いた。しかしここでケチるわけにもいかず、買って飾ってあるのである。それでたまにこうして眺めている。何時読めるだろうか???
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by 卓 坂牛
アサマの最終に乗り東京へ。帰路マーティン・ジェイの「近代性における複数の『視の制度』」ハル・フォスター編『視覚論』平凡社2007所収を読む。マーティンによれば、近代を支配した視覚は主として3つある。一つはデカルト的遠近法主義。これはさもありなんである。二つ目を飛ばし、三つめはバロックである。これはヴェルフリンを引き合いに出して説明される。これは近代の視覚と言えばそうだが特にモダニズムの基盤となった視覚と一般には言われていないと思われる(マーティンの「近代」という言葉の射程が曖昧ではあるが)。90年代後半でこそバロック的なものが世に多く登場してはいるのだがこのテクストが書かれたのは1987年以前ということを考えると時代を先取りしていると言えなくも無い。しかしそれにしてもこの二つはよしとして、この二つにはさまれた二つ目の視覚は予想外である。それは主体性が強調されたデカルト的遠近法に対して、同じ遠近法ではあるが主体性が欠如して見られるものの物語性が喪失した17世紀のオランダ美術の視覚だと言うのである。その典型としてあげられるのがフェルメールである。マーティンはスヴェトラーナ・アルパースのフェルメールの描写術の説明を引用するのだが、要はフェルメールの描き方の特徴はルネッサンスに比べて構図がランダムであり、対象は多数、対象の輪郭よりかその表面の物質感が重要だとするのである。言われてみれば確かにそのとおりなのだがこれがモダニズムを支えていた視覚の典型かと言われるとこれもやや疑問であり、むしろこれまた恐ろしく今日的で87年という年代を考えると時代を先取りしていると思えるのである。面白い論考に興奮しているうちに東京。
東京は長野同様雨のようだがかなり気温が高い。行く時着ていたウールのジャケットは東京では着ていられない。この季節は当分着るものに苦労しそうである。
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by 卓 坂牛
大学へ向かう車中竹井隆人『集合住宅と日本人ー新たな共同性を求めて』平凡社2007を読む。著者は建築畑ではなく法律を専門とする。とはいっても弁護士だとか法学者というわけではなく、あくまで集合住宅やコーポラティブハウジングの研究や建設の実践の場に加わっている方である。彼の主張は一言で言えば、現代のコミュニテイとは強い絆で結ばれた古典的な村社会のようなももではなく弱い絆に組織された統治体であるというものである。そもそも集合住宅が生まれるような都市部において古典的なコミュニティは望むべくも無く自由を謳歌しながら発生すべきコミュニティにおいては他人を尊重するweak tie(弱い絆)が重要である。そしてそれを実現するのは極めてシステマティックな住民熟議の場の設定であると言う。
信州大学にいるからか?当世学生気質か分からないけれど、昨今、コミュニティを渇望する学生をよく見かける。建築家として良いか悪いか分からないけれど僕は個人的には村的な暑苦しい人間関係は好みではない。よってこの手のコミュニティ渇望者に弱い。そもそもコミュニティは建築の問題とは考えにくいと思っている方である。だからと言って公共空間とか集合住宅における中間領域のようなものをデザインすることに意味を見出せないと思っているわけではない。それはそれで建築の空間としての意味を持っている。しかしそうした空間がコミュニティを創出するとは思っていない。それは別の問題だと思ってきたし思っているのである。
そうした自分の苛立ちがこの本を読むと少し解消される。僕の気持ちを多少代弁してくれている。もちろん、では、竹井氏のやり方で100%コミュニティができるのかどうか僕には確信はないし、未だにコミュニティを作ることが集合住宅にとって常に最良のことかどうかは分からない。しかし、少なくとも建築プロパーの人間たちが持つコミュニティ幻想に対してかなり的確な批判を与える良書であるように思う。
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by 卓 坂牛
日中、某出版社からの℡である雑誌の廃刊を知る。驚くとともに残念だ。理由は分からないのだが建築界にとってはとても重要な雑誌であると僕は思っていた。少なくとも編集方針が不明な写真だけ綺麗な専門誌よりか僕は好きだった。最後の号への寄稿依頼を快諾した。こういう雑誌が廃刊に追い込まれる日本と言う国はとても悲しい国なのかもしれない。一日出ずっぱりであちらこちらで打ち合わせ。移動の合間に村上春樹の新しい単行本を読んでいた。『走ることについて語るときに僕の語ること』このまどろこっしいタイトルはともかく、読みながらつくづくこの人と僕はフィジカルにもメンタルにもよく似ていると感じた(感じてきた)。彼は小説家になるために必要なことは、才能と集中力と持続力だと言う。そして彼が走るという行為は(彼はフルマラソンを20回以上走り、コンスタントに3時間半で走る)この小説家としての持続力を培う上でプラスに働いてきたのであろう。とにかく週6日欠かさずコンスタントに10キロ週に60キロ月に250キロ走るのだそうだ。これは並大抵のことではない。凄いのはその距離ではなく週に6日欠かさず走るその持続力である。そのためには誘惑を断ち切り、人間関係を狭め、仕事を効率よくこなさなければならない。そうしたビジネスライクと言えるような律儀さがなければこの数字は達成できるものではない。
でも結局才能が溢れている人で無い以上は(村上は自分は凡庸、シェイクスピア、バルザックなどが能力に溢れた人だと言う)そうした方法をとらない限り成長しないのだと思う。と村上が言うことを僕はよく分かる。自分が正にそうだからである。きちんと毎日ちょっとずつでもいいから前に進むために何をしたのか言えることしか自分を支えるものは無い。
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by 卓 坂牛
T邸のスツールと事務椅子と絨毯をショールームでチェックするために新宿、五反田と回る。新宿アクタスを見た後で昼食。このあたりには餃子屋が多い。餃子を食べながら有吉さんのフェルメールを読む。小さい頃に両親が離婚したので父親を知らずに育った有吉さんは25年ぶりに会った父親にフェルメールの話をしたそうだ。日本で初めてピカソ展をやり、ボリショイオペラを呼んだ昭和の嵐と呼ばれた父親はフェルメールを熱く語る娘に静かに聞き入った後で一言こう言ったそうだ「なぜ芸術を説明しようとするのか」。その言葉の余りの正しさに餃子を食べながら涙が出た。僕と言う生き物は恐ろしく単純である。本当のことに弱い。大学の教員等になる前から、そういうものごとの原理をなんとか言葉で説明しようと一生懸命なのだが、そんなことの空しさも一番分かっている。でも原理は好きなのだ。だから哲学的にあるいは科学的に、物事の原理を知りたいと思う。しかし原理を超えた、あるいは原理から逸脱したところに常に美やそれにかかわる物があることが多い。ということもよく知っている。それゆえに自分の原理探求はどこかで常に壁に突き当たるのである。そんなことを見越している人たちが世の中にはいてそういう人たちの素朴な言葉に出会うともう勝ち目が無いという気持ちになるのである。しかしまた舌の根も乾かぬうちに同じ愚行を繰り返すことも分かっているのである。
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by 卓 坂牛
10月23日
サーバーを変えたらとんでもない量のspamメールが入るようになった。内容は全部同じ英語の宣伝。コンピューターがゴミ箱と化している。辺見からジョフリースコット『ヒューマニズムの建築』英語版の序文が届く(我々が翻訳している原本はアメリカ版であるし初版ではない)。この序文はディビッド・ワトキンが書いている。ワトキンは有名な『モラリティと建築』(SD選書)の著者だが彼がこの本で言いたかったことは次のようなことである。モダニズムが純粋性と自律性を標榜したがために、その正当化のために建築は建築の外から様々な論理を借用してきた。その主要な一つがモラリティであったということだ。もちろんこうした論理の端緒はスコットによって切られていたのである。そのスコットの本をワトキンはどう分析しているのだろうか?興味深いところである。
昨日読み始めた有吉さんのフェルメール。とても面白い。彼女はフェルメールの存在感をこう言う。フェルメールの絵はどれもが少しおかしい、パースが狂っていたり、影が整合してなかったり。でもその狂いが狂いとは見えない。そのときそうとしか見えないだろうというその迫力だと言う。うーん分かるような気がする。もう一つ。彼女はある時東武トラベルの「フェルメールとゴッホに会う旅」というツアーに出かけた。そのツアーのパンフレットに「たった一枚の絵のために出かける旅があってもいい」というコピーが記されていたそうだ。なかなか素敵である。たった一つの建築のために出かける旅というのもたまにはある。
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by 卓 坂牛
朝からまた英語漬け。昼からA0勉強会。一生懸命読んでいるつもりなのだが進まない。本当に骨の折れる英文である。二人で5時間かけて2ページ進んだだろうか?それもラフな訳は既にあってのことである。それを前にしてこのざまなのだから情けない。聖書からの引用と思しき言葉やシェイクスピアからの引用やら、その意味合いが掴みきれない。でもこうして建築を忘れる時間(もちろん建築の本を読んでいるので建築の世界の中にはいるのだが、建築を相手にしていると言うよりは英語を相手にしているという感じである)は言ってみれば汗を流して無心に運動しているようなもの。終わったときは疲れるが清清しい。
夕食後先日買った『恋するフェルメール36作品への旅』白水社2007を読む。著者は有吉佐和子の娘、有吉玉青。僕より5つ若く既に著書はたくさんある。東大美学で学者の道を志すも自分には向かないと感じ、物書きに転向したよなことが書かれていた。夫の留学に同行しボストン、ニューヨークと住み換えた。世界に36ある作品のおよそ半分はアメリカにあり、そのうち7つはメトロポリタンにあるそうだ。ここでフェルメールに出会った有吉の旅はヨーロッパへ移り、アムステルダムで牛乳を注ぐ女に出逢う。もちろんその絵を写真では見ていたそうだが、本物を見たときにガツンときたと書いてある。そして全てを見る前に、彼女はこれが彼女のベストオブフェルメールだと感じたそうだ。
牛乳を注ぐ女は先日国立新美術館で見たものではないか。ほー。確かにネットでフェルメールの全ての作品を眺めてみても確かにこれは一番素敵に見える。そうか有吉のベストオブフェルメールを最初に見れた僕はラッキーだったのかもしれない。