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Feb 2008

有賀さん

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by 卓 坂牛

2月28日
やっと午前中に校正原稿を返送。午後リノベーションのスタディを竹内君とする。コンセプチュアルモデルを一つ作る。家に帰ってイーグルトンの『美のイデオロギー』を読む。夕刻事務所に戻りそのまま有賀さんの送別会。彼女は長谷川逸子さんの所をやめてその後ofdaに来て2年半勤めて、家庭の事情で実家に帰ることになった。中華料理屋で送別。いろいろとofdaに貢献してくれたし、最後の一年に二つの竣工物件を完成させた。ofdaはスタッフを使い捨てにしたくない。その後立派に成長して欲しいと思っている。彼女なら今後きっと伸びる。2次会はブルースパブ。3次会は居酒屋。一人二人と帰ったものの最後まで10人くらいはいたようだ。有賀さんがお別れの言葉で「まだ住宅の仕事をしたかったけれど家庭の事情でやめざるを得ない」と泪を浮かべて語ったのには感無量。是非今後も自分の可能性を追い続けてください。

校正

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by 卓 坂牛

出版原稿の第2稿の校正。奥付の校正も郵送されてきた。これによると残念ながら出版日は5月20日である。今年度中の出版はやはり無理のようである。ここまできても生没年の分からない人がいる。『塔の思想』を書いたマグダ・レヴェッツ・アレクサンダー。建築批評家、リアンヌ・ルフェーブル、ガブリエル・ロイトハウザー、マーク・ウィグリー。ルフェーブルのように生存している女性だと年齢を公表しないケースが多く知る方法はもはやない。

八潮

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by 卓 坂牛

2月26日
午前中雑用。午後筑波エクスプレスに初めて乗り、そして初めて八潮という場所に行く。日工大の小川さん、茨城大の寺内さん、東北工大の槻橋さん、神大の曽我部さんに会い八潮市役所の方の案内で市内を視察。八潮市とは秋葉原から電車で19分のところにある市。筑波エクスプレスが開通したことで突如東京との距離が近くなり人口が急増している。そのためマンションが増加し、戸建住宅の乱開発などにより景観が崩れそうになっている。そこで市としては八潮市らしい街づくりを思案し小川君に相談したそうだ。小川君の研究室で1年くらい調査したようだが、2年目からはいくつかの研究室が集まり、ワークショップなどを開き、3年がかりくらいでモデル住宅を作るべく彼が計画を練ったようだ。今日は市長、副市長に会い、お話を聞いた。なんとも意欲的で素早い行動をとる行政があるものだ。やはり人口急増で潤っているからだろうか?
夜まで打合せ、北千住で夕食。ここに来ると遅くなる。

母性の喪失

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by 卓 坂牛

2月25日
後期日程の入試。朝から雪かき、というか構内歩道にへばりついた氷割り。昼から晴れてきて一安心。
夜、江藤淳『成熟と喪失』河出書房1967再読。「江藤淳」、本名、「江頭淳夫」だったと思うが、僕は大学時代この先生のゼミをとっていた。ゼミのタイトルは忘れたが内容は日本の近代化を当時の外交文章(アメリカのもの)を精読することで明らかにしようとするものだった。今でも頭に焼き付いているのはmodernization(近代化)=westernization(西洋化)というテーゼである。
『成熟と喪失』は子が母性にそむかれ、そしてそむく中で成熟する精神的な成長を、安岡章太郎、小林信夫らの小説を分析しながら跡付けたもの。しかしそのこと自体はむしろ比較的当然の事実であり、ポイントはそうした母性との決別を通して日本のアメリカ化が日本文学の中でどのように表出してきたかを明らかにしている点にある。と僕には読める。なんでこんな本を学生時代以来再度引っ張り出してきて読んでみたかと言うとこの母性との決別という江藤のテーゼを「建築の他者性」というゼミの1テーマの中で議論の中心に据えてパワポを作った学生がいたからである。しかし繰り返しになるが、僕の読む限り、子が母との葛藤のなかで成熟すること自体は別に江藤の専売特許でもなんでもない。そうではなくてそこにアメリカとの関係を持ち込んだことが彼の卓見である。昨日読んだ大衆消費社会との関係で言えば、戦後日本に怒涛の勢いで流入されたアメリカ的豊かさに敏感に反応し、消費の海の中で平衡感覚を失った日本人を察知したことが江藤の慧眼だったと言ってもいい。建築においてもし母性と言うような言葉使うのならば、こうしたコンテクストをどう関連させ得るのか?そここそが問題なのだと思う。さてそれではこのパワポをどう修理しら良いものやら??

大衆消費社会

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by 卓 坂牛

2月24日
午後からA0勉強会1年半ぶりにロンドン留学中だった光岡君が復帰。彼にロンドンから送ってもらった「倫理的誤謬」の章をまだ読み合わせているのだからこの本はなかなか面倒臭い内容である。『言葉と建築』より難しいのではと僕が問うと、彼も実例が出てこない観念的な話なのでなかなか内容が掴みにくいと同意していた。勉強会終了後帰宅。風呂に入ってリラックスして飯を食い大学へ出かける。東京駅で初めて気付いたのだが、長野新幹線は強風で大幅に遅れているようである。9時半なのに出発する電車は7時半の遅れた電車である。そのせいか社内は満員。車中、犬田充『大衆消費社会の終焉』中公新書1977という古い新書を読む。地球上に消費を美徳とするような文化が生じたのはこの数世紀のことであり、こうして生まれたホモ・コンスメンスのヘドニズム(快楽主義)から人類は決別しなければいけないという問いを著者は投げかけている。今から30年前僕が高校3年のときにそういう発言があったということを再認識。長野は雪。明日の入試が心配である。北大は既に一日延期を決めいている。

今日は寒い

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by 卓 坂牛

朝、明日の勉強会の予習。その後事務所で打合せ。ナカジと青山のヴォリュームスタディ。小倉君は黙々と中国の模型を作っている。今日が最終日。ご苦労様。3人で昼食。午後また明日の勉強会の本を読む。その後早稲田のパワポのためのスキャン。出版社から第二稿が速達で届く。またもや原稿280ページの殆ど全ページに赤が入ってきた。前回の初稿も真っ赤でそれを校正して次は確認程度かとおもいきやさにあらず。その上「第三稿では索引を入れます」という手紙も入っている。この出版社は丁寧に本を作ると以前東大の西村先生が言っていたがその意味がやっと分かった。文字の大きさから図版の位置まで本当にそのチェックの密度は衰えない。4時頃かみさんと家を出て「赤の家」に向かう。夕食に招待された。日建の先輩後輩が10名ほど集まった。今度信大の建築学科分離独立の際に外部評価委員になっていただく亀井さんもいらっしゃった。構造の小堀さん、そして奥様。後輩の中村さん、同期の西村。などなど。自分の設計した建物に他の建築家がくるのは少し赤面だがまあ仕方ない。クライアントが日建の人なのだから。
10時頃全員でおいとま。今日は風が強く本当に寒い。

リノベーション

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by 卓 坂牛

午後上田の繊維学部でcmpの説明を行い。上田から夕刻のアサマに乗る。五十嵐太郎編『リノベーションスタディーズ』INAX出版2003を読む。水戸のリノベーションの参考にと思って研究室にあるその方面の本を鞄に突っ込んだ。その中の一冊である。連続シンポジウムの記録なので、さまざまな体験談が記されている。なかでも青木淳のコメントは面白い。曰く、リノヴェーションでよくありがちな材料へのフェティッシュな思い入れは意味が無い。それは受容者側に発生している意味作用に過ぎず、建築の形式が持つ価値では無い。もちろんそういう言い方も可能かもしれないが、そうとも言えないだろう。建築の素材が持つ絶対的価値だってある。
事務所で茶室色彩検討。少しづついい線に近づいている。その後水戸のリノベーションブレスト。スタッフ4人とバイトの工藤さんを入れて意見を出しあう。まだまだ形にはならない概念的な話。10時には終える。

建築と階級

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by 卓 坂牛

昼の電車で松本へ。松本地区のcmp説明会。40分ほど説明を行い、質問も比較的建設的で前向きなものが多くほっとする。残りは明日の繊維学部。大学に戻り雑用を済ませ内田さんの『近代日本住宅史』の残りを読み終える。なんでこんな本読んでいるかというと、建築表現と社会の階級制度との相関を見るためである。もとはと言えばファッションの表現が階級性の表現であるというヴェブレンの指摘に始まり、ファッションの一般化、大衆化が市民社会の成立と大衆消費社会に後押しされたことを読み、その類比として建築を語れるだろうと考えたのがきっかけである。近代住宅も明治初期は階級制度の表現として上流社会の住宅と中流住宅ははっきり異なる様式で作られ始めた。そして上流階級の住宅は洋風か和風かそのオーセンティックな表現だった。ところが上流階級のそうした表現はそれ以上の発展を見なかった。それは上流階級が減少し、日本にも近代市民社会が徐々に成立したからだと思われる。圧倒的なニーズは中流階級の住宅であり、更に戦後日本においては住宅の大量供給に大半の建築家は従事せざるを得なかった。ここにおいてもはや上流階級の建築の表現はテーマとなる資格も意味も失ってしまった。もちろん現在であろうと豪邸は存在するし、誰かはそうした建築を作っているのだが、それは極めて特殊解として議論の対象になりずらくなったということであろう。更にいえばこうした上流階級の住宅が上流階級を記号化して表示する動機を失い、またそうした記号としての様式が消滅したことにより、もはや建築が階級を示す記号ではなくなってしまったのである。というのが内田さんの本を通読した範囲で分かった建築と階級の相関関係である。
しかし話は続きがある。それは昨今の格差社会と建築の関係である。格差社会の上のほうにいる人たちは実は建築好きが多い。しかし彼らはもちろんもはや過去のものとなってしまった上流社会建築の記号を振り回すこともできないし興味も無い。彼等が欲しいのは記号ではなく実体としての上質な生活であろうと思われる。そしてそれはある程度の差異化も求めている。しかしそれが何かとネーミングできるほど僕には分かってはいない。またそうしたリクエストが新たな表現に繋がるかも目下不明である。

セイムスケール

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by 卓 坂牛

午前中のアサマで大学へ。車中、内田青蔵他による『近代日本住宅史』鹿島出版会2001を通読。午後二つの会議。学生と夕食。夕食後学生に頼んでいたセームスケールを眺める。これは春休みの研究室の宿題で20個のプランを暗記しようというもの。
①サボア邸、②落水荘、③ファンズワース邸、④レイクショアドライブ、⑤シュレーダー邸、⑥小篠邸、⑦白の家、⑧代田の町屋、⑨シルバーハット、⑩角窓の家、⑪ユニテ、⑫東京ミッドタウンギャラリー、⑬岩崎美術館、⑭浮世絵美術館、⑮ギャラリートム、⑯アトリウム、⑰パレスサイドビル、⑱日建本社、⑲メディアテーク、⑳青森美術館
これらのプランを見ているとその大きさの差に驚く。例えば白の家は10メートルの正方形。サボアは20メートルの正方形。面積は4倍である。レイクショアドライブのワンユニットは12×20くらい。ファンズワースの屋根のある部分は9×23くらいでレイクショアのワンユニットと似たようなスケールである。白の家が二つ入る。メディアテークは一辺50メートル。白の家が25個きれいに並ぶ。ギャラリートムは13×10白の家と同じ。パレスサイドは巨大。構造的に平面が25×25弱の正方形で11に分割されている。サボワ邸が11個並んでいるような物。ということは白の家が50個くらい入る。
セイムスケールは日建時代からよく作った。しかし大体何かプロジェクトをするときにそのビルディングタイプの類似事例で作ることが多かった。今回のように住宅からオフィスまでやってみるとスケールの差が如実にわかって不思議な発見があるものだ。

打合せ

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by 卓 坂牛

2月19日
午前中は早稲田講義のパワポ作り。ヴェブレンの『有閑階級の理論』ちくま学芸文庫1998を読む。お昼前、事務所に。3時から茶室の打合せ。信大工藤さんの作った1/20の模型に着せ替え人形のように内壁の5パターンの色を貼り付けながら最終的な色彩の検討。黄色系か緑系か、そしてどの程度の色の差を作るのか、さらにそのパターンがポイント。色の問題は様々な知覚要素が絡むので1/20の模型でも分からない。しかし直感的に黄色系を選択。そして色の差をもう少しつけること。さらにあまり細かなパターンにしないことを確認。細かな判断は担当山本さんに一任。色は合議制で決めると失敗するというのが僕の自論。目がくらくらすような打合せ終了。次に信大小倉君の作った1/200の中国工場の模型と竹内君の作った矩計図、平詳図を検討。図面が大きくなると気にしたくなることが様々出てくる。終わって8時だが勢い青山のヴォリュームスタディの打合せ。等価交換してデベが参入したくなるモーティヴェーションの閾値はどこにあるのか???分からないことは沢山あるのだが、とにかく可能性を検討する。こうした検討の最初はいつもひどくプラクティカルなもの。形が見えてくるまでは仕方ないとはいえども、、、、、、
終わって10時。信大の学生、事務所の面々と夕食を。そして夜の荒木町でジャズ・ロックめぐり。