卒論発表会
今日は卒論発表会。僕の部屋は論文2名、設計3名。設計者は巨大模型とA1 15枚(ミニマム)のドローイングを朝から発表会場に搬入。小雪がちらついていたが、本降りではなく助かった。論文は写真論と装飾論。かたや新建築の1万枚近い写真を分析。かたや善光寺表参道の数百メートルの街路立面の線分数をすべて計測。両方とも気が遠くなるような作業だっただろう。しかしその甲斐あって最後は4年としてはそれなりなものに仕上がったと思う。設計は「私私」の境界に着目したもの。自然概念を導入したもの。空間と空間の連結空間に着目したもの。それぞれ意義深いテーマである。デザイン自体はもうひと頑張り。論文つき設計なので最後まで僕が論文にokしないので設計時間が短いことが原因である。でも最後の設計くらい、概念をしっかり固めてから設計するという訓練をさせたい。デザインに加えプレゼンももうひと頑張り欲しい。写真で簡単に逃げられる。意味の無い紙が多いように感じた。このコンピューター時代、15枚という数字になんの意味もなくなってきた感じがする。枚数減らして一枚一枚の意味づけを考えるように指導するべきなのかもしれない。また人前での発表はまだ練習不足。つっかえたり、口ごもったり、他の先生からの質問に今ひとつピントがずれる。代わりに答えたくなるようなことばかりだった。
発表会が終り、雑用、雑用。建築雑誌の原稿校正。読書。またあの分厚いコラージュ論の続きである。グリーンバーグのコラージュ論がとりあげられる。グリーンバーグにかかるとコラージュもその平面性とメディウムに価値が見いだれている。それゆえネオダダのアッサンブラージュには見向きもしないところが面白い。2月に入り建築棟は夜間の使用は申請制になり滞在者がぐっと減った。そのおかげで実に静かである。いいんだか悪いんだか?
卒論前日
7時半のアサマで長野。最近は本当に寒い。長野はもちろん寒いが東京も早朝は寒い。大学に着いて早速明日の卒論発表会のリハーサルを聞く。2日前に彼らの発表を最初に聞いたときは、すんなり頭に入ってこないからいろいろと修正するように指示した。それが完全に直っているわけでもないが皆よく短期間に修正してきていると感じた。しかし実は2回目だからこちらの理解力が高まっているだけなのかもしれない。あるいは発表は明日なのだからこの期に及んで四の五の言っても始まるまいという気持ちも作用しているのであろう。いやいや、そう否定的にならず、やはり学生の努力の賜物と思うことにしよう。
午後新三年生に研究室ガイダンス・就職ガイダンスをする。そして研究室の志望調査を行なう。僕の研究室志望は8人。丁度いい数字かもしれない。それでも5人に絞らなければならないと思うと可哀想である。できれば志望通りさせてあげたい気もする。本当は意匠の研究室がもう一つあればいいのだが。
修論の副査を4名から頼まれており歴史系、環境心理系の論文を読んだ。たまにこうした他の分野の論文を読むのは新鮮で楽しい。歴史の論文は書き方がしっかりしている。内容はピンキリ。読む側としては多少論証の危うさはあろうとも結論がスリリングなものの方が楽しい。
打ち合わせ
7時半の新幹線で9時に東京。秋葉原で朝食。歩いてリーテムへ。茶室と中国の見積りがいっぺんにあがり、今後の進め方を協議。概略の方針を素早く決定していただいた。また、水戸の擬洋風建築のリノベーションにおいてはこれを信大の卒論の教材にするべく、実測調査をさせてもらうことにした。現在敷地の測量中。そろそろ動き出すだろうか?終わって末広町で有名な親子丼を皆で食す。山本、中島はクライアントと引き続き打ち合わせ。僕と竹内は事務所に戻る。パートナー二人と今後の仕事と人の話をする。あと一人スタッフが要るか要らないか?微妙な選択である。夕刻pen編集部来社。3月に発売の建築間取り特集のインタビュー。木島と1時間ほどインタビューに応える。間取りなのか?町並みなのか?聞かれていることがやや不明な不思議なインタビューだった。3月の次にはまた10月ころに建築特集だそうだ。何かないですか?と聞くので、茶室の面白い素材と色サンプルを見せ、模型を披露。是非見に来たいとのこと。できたら連絡すると約束。見ごたえあるものになるかどうか。正念場である。
大雪
2月4日
朝方事務所に行き雑用を終わらせ、大雪の中かみさんと近所に買い物。よりによってこんな日に買い物しなくてもと思うのだが、重いものを買うので僕が家にいるときでなければだめなのだそうだ。余りの寒さに帰宅して風呂につかり新聞を読む。夕刻、早めの夕食をとって長野へ。車中、コラージュ論は一休みして、岩淵功一『文化の対話力』日本経済新聞出版社2007を読む。文化のグローバリズムは「文化力」という名のもとに政治戦略の武器となっている。国境を超え、様々な共同体が文化発信や受信をしている一方で、文化の流動化が人々に国を意識させる。あるいは帰属先を欲求させると著者は言う。それを利用し、あるいはそれとは一見無関係に現代社会は世界的に国家の境界を堅固なものとしてナショナリズムへ向かう傾向があると言う。なるほどそうかもしれない。ブッシュはカリフォルニアとメキシコの国境に更なる強固な壁を建造中だそうだ。
車窓から外を見ると絶え間なく雪である。長野も雪。しかし、雪のときのほうが気温は高いようだ。
篠原パーティー
2月2日
六本木でロートレックを見てから南北線で東工大へ。2時から篠原先生の『住宅図面』彰国社2008の出版記念パーティー。司会なので1時頃行きスピーチの方の名前、肩書きなどを確認。130名くらいの方が百周年記念館に集まられた。スピーチは長谷川さん、に始まり、八束さん、北山さん、萩原さんなどなど皆さん篠原一男にまつわるとても楽しい話をしてくれた。また今村君、田路さん、など東工大ではない、他大学の多く方にお会いした。
2次会、3次会と宴は続く。造形大の学長である白澤さん、坂本先生、からかつての篠原一男の話が聞けた。もののついでに、「篠原一男という建築家は、器用かそうでないかと2分するならどちらですか」と聞いてみた。お二人ともあの人は器用なひとではないとおっしゃっていた。もしかすると上手さを殺していたのかもしれないと思っていたがそうではなかった。湯村の分類で言えばやはり「へたへた」な建築家なのだろう。それにしても器用なことを良しとしない建築教育をしていた(る)のは世の中広しといえども東工大くらいかもしれない。
中国の価格
2月1日
今日は敗北感だなあ。自分の研究室の学生が某設計事務所の社長面接まで行って落ちてしまった。相手の話では最後に常務が反対したそうだ。曰く「何をやりたいのかまだはっきりしていない」ということだそうだ。まあそう言われて反論はできないところが弱い。つまり自分の一番好きなものが建築で、建築と心中しますというくらいでないとダメなんだよな。それでそういうことは相手にはすぐ分かるのだよ。こればっかりは教えられないし、それはすぐに表れる。それで別に建築が一番ではないということが自分の性だとすれば、設計事務所に行くべきではないということなのかもしれない。僕の研究室でおまえ「三度の飯より建築好きか」と聞いて何人yesと答えられるのだろうか?yesでなければ建築は続けられないだろうなあ。建築というのは職業ではなくて生き方だから。
今日は夕方の大学の会議を終えて急いで東京に戻り打ち合わせ。昨日の茶室の見積りに続けて、中国の工場の積算があがってきた。当初の提示額に比べて3割アップ。ちょっと高い。もちろん振れ幅はあるだろうが、その振幅の一番高い数字であり、ちょっと怪しい。帰りの電車で田代秀敏『中国に人民元はない』文春新書2007を読んでいたので、どうも中国のこうした価格に対して疑心暗鬼である。一体中国におけ価格というものにどれだけ意味があるのだろうか?