朝一で足のリハビリに行く。けがから2ヶ月たったが、まだ筋肉が硬いままでちょっと不安。しかし医者に言わせるとこんなものだと。毎日朝夕、壁に手を当ててかかと立ちをし、ふくらはぎの筋力を復元するように言われた。
事務所に戻り朝10時から夜10時までたっぷり査図。日建時代を思い出す。監理部長の査図は日建時代の宝。それを逆の立場でやっている。設計期間が短いこともあるが、なかなか図面のレベルを上げるのは大変である。そしてこう言う忙しい時に限って仕事の話しが舞い込み、業績リストや経歴を送れと言う。ありがたいことではあるが、、、、明日は長野なので、ナカジに頼む。そしてこう言うときに限って会計士から経理資料を送るように言われる。お腹は空くし、参ったなあ。
午前中事務所に行きk-projectの残りのディテールスケッチを描く。コンビニ弁当を食べながらロックやR&BのCDを大きな音でかけながら描き続ける。一通り終ったので帰宅。あっという間なのだが極度に集中していたからか帰ったらふらふら。風呂に入りながら『日本の黒幕』という変な本を読んでいたら思わず眠りに落ちお湯の中に本を落とすところだった。風呂と言えば、先日早稲田の生協に風呂の中で読む本と言うプラスチックの本が売っていた。ケースに入っていて中身が見れなかったが、、、。食後に昨日届いた多木浩二『森山大道論』淡交社2008を読んだ。と言うより眺めた?アマゾンに宣伝されていたのを見て、多木浩二の単著だと思い、それならと思って買ったのだが、森山論集であった。しかし二つほど写真と文章をみながら納得したり考えさせられたりしたり。一つは多木が森山の写真をリーグルの概念である「触視的」と形容したこと。そういわれて改めてこの本の中の森山の写真を見ると実に手触りが感じられる。ざらざらしてたりつるつるしてたりする。白黒だからということもあるのだが、彼は瞬間的に町のテクスチャーを感じられる人なのだと思った。二つ目は誰かが森山写真の廃墟性に言及していたこと。先日の早稲田の授業でアートをかなぐり捨て建築が固有な領域を切り開く時の一つの可能性は廃墟のようなものと言った。それは時間を感じることなのだが、森山の場合はそれが、既視感のようなもとと論じられていた。なるほどね。建築では既視感というのはなんだか人まねみたいなことで誉め言葉ではないけれど、懐かしさなら誉め言葉かもしれない。見たことがありそうでない。というのはなにかいいかもしれない。
6月30日
新宿で人と会い昼食を共にし、曙橋でコーヒーを飲みながら読みかけの小説『誘拐』を読んでいたらつい止められなくなって全部読んだ。町中に誘拐された義展ちゃんの写真が貼られていたこの事件、当時4歳だった僕の脳裏にもその犯行の怖さが伝わってきた。そして犯人は捕まらなかったとばかり思っていたが逮捕されていた。その決め手は犯人の声がラジオ、テレビに流されそれを聞いたかなり多くの人間が警察に申し出たからである。
カフェを後にして事務所へ。k-projectの部分詳細のスケッチを描く。全部で30箇所くらい必要だと目星をつけていた。いい調子で描いていたのだが夜になると流石に疲れた。半分くらいは終わったので帰宅。後は明日。帰宅するとかみさんは作品製作に没頭中。自分で食事を作って食べる。その後娘の試験勉強のつきあい。物理は電磁誘導、化学は分解、化合。なつかしの元素記号。覚えたねえ!「スイヘーリーベ、、、、」なんて。
午前中早稲田。講義は最終回。後は学生発表。今日はアート的⇔原初的というテーマ。そもそも造形芸術の一部だった建築はモダニズムの自律性、純粋性に則り芸術から分離独立。しかしポストモダニズム期の反省を契機にその純粋性に終止符を打ち、そしてもとの鞘に納まるべく現代はアートと建築の境界はもはや無いに等しい。しかし美術史は常にスパイラルしながら変容する。いずれまたこの曖昧な境界は確固としてものになるだろうと邪推する。そのとき建築を建築足らしめるものは何か?それが原初性だろう、、、、というのが今日の話しだった。本当だろうか?それはだれもわからない。
午後事務所でk-projectのディテールスケッチ。今回の建物では少しディテールへのこだわりがある。ディテールの納めは常に一定ではないだろう。建物の持っている特質と連動するはずである。ざっくりとした空間ならディテールも大雑把でよいし、繊細な空間はそれなりの緻密さが求められよう。土日もスケッチかな?
早起きして昨日届いた出たばかりの新刊大岡敏昭『日本の住まいその源流探る』相模書房2008を読んでみた。日本建築史に属するこの手の研究書を余り読んだこともなかったし、西洋のものに比べてそれほど興味が沸かなかったのだが、DMが一昨日研究室に届きその内容に惹かれた。その理由は4月ころ早稲田で講義したジェンダーと建築の話しに関係する。そこで僕は日本の封建的住宅の間取りの解体を説明した。それはざっとこんなことだ、日本の近代住宅のプランは近世書院造りの伝統を受け継いでいる。そして書院は書斎と化して家父長の勉強部屋となり、それに連続する客間が住宅の南側の良好な環境を占める。そして主婦やその他家族の場である茶の間は北側の悪い環境に追いやられる。それが大正期に女性の地位向上とともに客間が消滅し、居間と呼ばれる家族の部屋が南側に進出する。
しかし、この本はそうした定説を覆し、近代住宅の源流は近世武家屋敷にあり、そこでは必ずしも客間に相当する座敷は南側の良好な環境にあるとは限らないというのである。座敷は道からアプローチする玄関の脇にあることを様々なプランを例示しながら検証する。つまり南入りなら座敷も南だが北入りなら座敷も北、東なら東、西なら西だと言うのである。そして近世武家屋敷はこうして道に面してパブリックスペースを配置することで道を重要なコミュニティの空間として作り上げていたと説明する。更に昭和にはいってもこうした伝統は地方都市において十分伝承されていたというのである。
うーん何が正しいのかにわかに判断できないが、著者が言うように、都市部においては西欧の影響をうけた啓蒙建築家が南信仰と女性解放を目指し南家族スペースのプランを作っていたのだろうが、地方では伝統的な武家空間が残り、それは必ずしもかつて考えられていたような南接客空間では無かったと言うことなのだろう。
まあこんな理解が浅学の私にはやっとのところ。しかし日本住宅の平面変化と言うのはなかなか住宅設計に示唆するところ大である。
夕刻k-projectのクライアントが来所。来週確認。時のたつのは早い。図面の進捗は???
一コマ目の大学院講義。終わって八潮市ワークショップの次回発表について学生と打合せ。研究室でお弁当を食べ終わったころ市役所の都市計画課の方が来られ某審議委員の依頼。オープンコンペ審査以外は基本的に地元のために頑張る方針。午後4年のエスキス。講評会前最後の発表。今日はプレゼン方法の発表と思っていたのだが、、、、プレゼンがありきたりなんだよなあ!全員同じ。A1、一枚目コンセプト、2枚目ダイアグラム、三枚目平面図、、、、パワポには空虚なコンテンツが並ぶだけ。どうしてどれもこれも同じなのだろうか?彼等にはcompetitiveな精神はないのかねえ?幾ら教えてもできないのなら、その原因はどちらかにしかない。こっちかあっち?根競べだ。
大学で夕食後帰宅。新幹線では疲れがたまりノンフィクション:本田靖春『誘拐』を読む。これは我々の世代は誰でも知っている吉展ちゃん誘拐事件の顛末が書かれたもの。帰宅すると鈴木成文さんから文文日記なる、彼のweb日記をまとめた本が届いていた。毎日一つのテーマでタイトルがついてほぼ正確に320字記されれている。お見事。ぺらぺらめくっていたら「民主党小沢一郎に喝采」というタイトルでテロ対策特別措置法の延長に反対する小沢一郎を賞賛。その4日前では「成蹊学園理事長・成蹊会長へ」と題して安部総理就任を祝おうとする成蹊理事長に異議申し立て。などなど他にも徹底して自民党批判が続く。計画学などやり東大教授が長ければさぞかしお上とのつながりが深いと想像されるのだが筋を通す方なのであろう。敬意を表したい。
午前中修了ゼミ。最近このゼミに興味深く没頭できる。去年までは工学的な基準が先にたち無事修了させることで頭が一杯だった。今年はそれを少し忘れることにした。まあ諦観だろうか、いや少し信念を持って工学部的でない基盤をも認めようと考えることにした。言い換えると、建築作品を作る場合に美学的思考の蓄積と分析をもとに作品を作るフィールドがあってもよいと考えるようになった。工学部的基準を少々切り崩すことに挑んでいる。そしてこの割り切りと、新ジャンルが、気持ちを楽にさせ、そのジャンルで語りあうことに意義と意味を感じている。しかし正直言えばこれでどこに着地するのか不安もないわけではない。
昼にキャンパス計画を手伝ってくれた春原さんが来研。昼食をとりながら近況を聞く。最近ご結婚をされたが、仕事は続けた方がよいとアドバイス。
午後三年生の製図。形はいろいろできている。しかし、スケールや色や材料など、とにかく作る術の重要性を言い過ぎたせいか、今度は着目点がありきたりになってきた。子供と言えば、○○○と、三流育児本に書いてあるようなありきたりの定説を説明されてもつまらない。子供育てたことないのだからしょうがないのだろうか?それなら幼稚園にでも行って一日観察してくれば?
夕食後、先日読み始めた『ファッションと身体』読み続ける。翻訳がいいのか原文がシンプルなのか、久しぶりに読みやすい翻訳本である。ところで読む度にどこかしら、ファッションと建築の共通性を感ずる部分を見つける。例えば今日はこんな件に出会う。「十八世紀中葉までは、外見は自分を表現するものとはみなされることなく、むしろ『自分とは隔離された』演出であるとみなされていた。(・・・)しかしロマン主義が力を持つにれて、偽装が攻撃され、『自然』で『偽装していない』人格が賞賛されるようになり、衣服や外見はその人の内面性と結びついているべきであるという感覚が生まれてきた。こうして近代的個人は(・・・)外見によって判断される存在であることを意識するようになる」。これはモダニズム建築において内部の機能が外観に発露する状態をよしとしたことと見事に対応している。
6月23日
作曲家や振付家同様、建築家という職能も最終の表現はその職能だけでは実現できない。作曲家には演奏家が振付家にはダンサーが、建築家には施工者がその最終表現のパートナーとして必要である。もちろん世の中には作曲家兼演奏家もいれば振付家兼ダンサーもいる(建築家兼施工者というのはなかなかいないのだが)にはいるが。当たり前の話だがこの最終表現者が見事な技を発揮すればその作品は充実したものになる。そして最初の計画者(作曲家、振付家、建築家)はその作品ととても親和的関係になれるだろう。一方その逆の場合はその作品から疎遠な位置におかれ、寂しい気持ちになるだろう。
マルクスは人間(労働者)が自己の作り出したものであるにもかかわらずそれが他の制度(資本や生産手段)を介在することで、その成果物と疎遠な関係になることを「疎外」と呼んだのだが、これと似たようなことがここでも起こる。因みに疎外は英語でalienation。つまりつくったものが「エイリアン」化するということである。自分が生み出した物が自分にとってエイリアンになることが疎外である。
マルクスは資本主義における労働者の立場にたってこの疎外を問題にしたのだが、現代社会では上記アートシーンだけではなく、様々な場所で、計画者と遂行者の分離をひきおこしているように思う。つまり知的労働という名のものとに汗をかかない仕事が多く生まれている。そしてそういう場では様々な形で意識的無意識的を問わず疎外が発生しているのではかなろうか?そして発生しているにもかかわらず、現代社会はここに規約的な一線をひいてそれぞれの権利義務を明確にしている。このことによってますます「疎外」は目に見えないかたちで社会を蝕んでいるように思われる。もちろんその発生の強度は経済的弱者の側に不利に働くのであろうが。
午後から雨の予報。それを聞いて午前中に若松のオープンハウスにでかける。久しぶりに見たいと思った建物。研究室obの片岡君が受付をしていた。なかなか勉強するところの多い建物だった。http://ofda.jp/column/流石にコンペで勝った建物だけあって見学者が多い。渡辺真理さんが夫婦で、新建築の四方さんなどなど。少し立ち話。研究室obが昼に来るので昼食をどうかと片岡君に誘われる。12時頃明大前で松永、中尾、深沢という懐かしいメンバーに会いランチ。
帰宅後ジョアン・エントウィスル鈴木信雄監訳『ファッションと身体』日本経済評論社2005を読む。ファッションの生産的側面と文化的側面の双方に光を当てようという視点が新しい。文化的側面においては、フーコーの社会性、ポンティの身体性、そしてブルデューのハビトゥスという3つの柱で分析されているようである。分かりやすい組み立てだし、ファッション分析で20世紀の主要な哲学概念を網羅的に検討したものは今までなかったのではなかろうか?マークポスターが『情報様式論』で行なったことをこの著者ははファッションの分野で行なったわけである。
風呂に入りながら、鷲田清一と永江朗の哲学言説をめぐる対談を読む。ベンヤミンのアウラの話からファッションのそれに話しが飛ぶ。プレタポルテにアウラはないのだが、鷲田は服は複製されていても着られた時に個人のアウラが出るのではないかと言う。なるほどそうかもね。さらにコムデギャルソン(川久保)の自己模倣禁止に話しが展開。川久保のこの姿勢はアウラ創出のためではなく他のファッションデザイナーとの差異化を図るものだろうが、少し反省させられる。その昔、連窓の家#1,2,3とかやって篠原先生に怒られて、もううやめたけれど、作品の精神的コンシステンシーは連続させても技法的にあるいは表現的には自己模倣を禁止しないとやはり人間は成長しないのかもしれない。
梅雨空。先日送られてきた柳澤田実編『ディスポジション』現代企画社2008のいくつかの論考を読んだ。なかなか興味深い話が載っている。人間は主体的に環境を認識するという近代的(デカルト的)な考え方に対して、むしろ人間は環境の要素の布置(disposition)から多くの影響を受けながらその影響要素の合計値として環境をむしろ受動的に認識するというようなことが書かれている。まあその例としてギブソンが出ていたりする。まあ人間と言うのはパチンコ玉のようなものであり釘の布置の中である傾向性を獲得して大当たりしやすい状態になったりスカになったりするというわけである。
午後原広司の講演会を聞きに国士舘大学に行った。宇野求さにお会いした。そうか宇野さんは原研である。原さんの話しっぷりはわざとかどうか知らないがdiscreteしていた。建築においていかに数学が不可欠かという話しをされていた。最初のうちはその真意を計りかねたのだが、最後に話されたことが数学の必要性を納得させるものだった。ちょっと説明が難しいのだが、数学上のある概念はものの軌跡の無限の可能性を保証するというようなことだった(ように勝手に解釈した)。原さんはこう言う概念がこれからの計画学の基礎になるだろうという。そうかもしれない。不確かなことを確かに語るためにはやはり数学が大きな役割を果たすのかもしれない。というような話しを聞き、朝読んだdispositionなる概念を思い起こした。dispositionはまさに建築的な概念である。しかしこうした行動主義的概念は間違って使うとひどく時代遅れになってしまう。つまり建築とはまさにものの布置でありその布置で人の行動や心理にある傾向性をあたえる作業なのだが、原さんが言うように、建築家の布置など使う側はいとも簡単にのりこえていってしまう。彼等の動きは無限の可能性を持ち、想定外なのである。かといってそれでは我々の布置の作業はまったく無意味かと言えばそうでもない。それは確率の問題なのかもしれない。釘師という仕事が意味を持つ程度に建築家の布置は意味を持っているのだろう。