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by 卓 坂牛
奨学金の推薦文を書く。この推薦書は毎年これでもかと言うほどたくさん書いている。希望者が多いのは僕等の頃に比べれば比較的とりやすいからなのかもしれない。
めまぐるしく変化しながら進展している九州プロジェクトの週末の進捗を聞きながら構造の打合せ。地形がフラットではない場所であ基礎のレベル設定が難しい。設計もさることながら現場での監理もやっかいである。
先日仙台からの帰り小川さんが「建築で詩学というようなことを言い出すともう前には進めないのでは?それはある種のエンドではなかいか?」と言っていたのだが、そのこととが気になっている。詩学というような説明不可能な状態は確かにその解読は極めて個人的領域に入っていく可能性がある。そう考えると、そこから先は議論のしようがなくなる可能性はある。ただ、だからと言って、それが理由に前に進めなくなるかというとそうでもないと思う。詩学が創作のエンドであるならば、詩人は創作できなくなってしまう。詩学と言いながらしかしそれを積極的に議論できる領域に引っ張り出すことは可能ではないかそれは詩学の方法論の問題なのだろうと思う。論理性を拒否する物としての詩学ではなく、想像力を生み出す装置としての詩学である。
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by 卓 坂牛
昨晩も眠りについたのは12時を回っていたのだが、今朝は爽快。朝食をとって東北工大へ。学生は徹夜で昨日の課題を作っており、結局模型とパネルが張り出されたのは12時少し前。講師陣とコメンテーターの計7人で14チームから5チームを選ぶ。採点が終り昼食をとりながらホワイトボード上で集計を行なう。議論の末5チームではなく7チームを1次審査通過として7チームをプレゼンへ。2時からプレゼンが始まる。7チームのプレゼン終了後堀口さんから票を入れる。二人目は中田さん、続いて小野田さん、槻橋さん、小川さん、寺内さん、僕、坂本先生。ここで票は若干割れたのが、議論の末、堀口さん、中田さんが票の変更を申請。その結果最後に3案が残る。ここでまた議論。そして最後に無記名投票をした結果二つの案が残り、同率首位とすることに決定。コンペ審査ほど、堅苦しくも無く、かといってナーナーではなく白熱した議論が展開されて、審査している我々にとっては実にエキサイティングであった。このワークショップを最も楽しんだのは先生方だったかもしれない。審査会場で少し懇親会が行なわれ、仙台駅へ。僕と小川さんは打ちあげに、小一時間学生と歓談後、小野田、槻橋両氏と学生らに別れを告げ駅へ。八戸発のハヤテは満員。行きはヤマビコで2時間以上かかったが、帰りは2時間かからなかった。電車の中では小川さんとワークショップを含めて建築論を。
仙台は今や東京に次ぐ建築のメッカである。複数の大学がしのぎを削り、デザインを議論できる多くのそして素敵な先生が集結している。羨ましい限りである。しかし人を羨んでも仕方ない。信州を第3の建築のメッカにするにはどんなが可能性あるのだろうか?
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by 卓 坂牛
昨晩は結局3時頃帰宅、古いパソコンでメールを確認するのだが、うまく動かない。30分ほど寝てから出かけるはめに。事務所によって書類を持って東京駅へ。車中ゆっくり寝ようと思ったのだが、1時間ほどすると目が覚める。どういうわけか眠れない。残り1時間ほど本を読んだり車窓から景色を眺めたり。霧の中に黄みがかった風景が広がる。仙台に着いて改札を出ようとすると小倉善明さんが向こうからはいって来る。その後ろに三栖さんもいる。立ち話。JIAの会合がメディアテークであったようだ。
寺内さん、曽我部さんと会い迎えの学生の車に乗り10時頃山の上の東北工大に着く。槻橋研でお茶。50人近い学生がこのワークショップに参加すべく集まっている。ワークショップの課題は坂本一成水無瀬の別棟別案である。既に14のグループに分かれスタディが進んでいる。1チーム(3人くらい)が10分ぐらいずついろいろな先生のエスキースを受ける。12時に終了。昼食を食べ終わるころ坂本先生が到着、その後東北大の小野田さん、堀口さん到着。二人は明日のコメンテーターである。2時から坂本先生のレクチャー。先日の東工大でのレクチャーと基本的には同じストーリー。集まった学生には少々難しいように聞こえたが的確な質問が続いた。レクチャー後芋煮鍋を皆で食べ、東工大から定年後移られた小野先生も合流し夕食を食べに山を降りる。僕と小野先生は帰り、他の面々はもう一軒。
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by 卓 坂牛
買ったばかりだというのに、、、、朝は快調に動いていたのに、10時半からの講義でさあパワポ開こうとしたら、画面は真っ青、stopx00000000deという画面、セーフモードで立ち上げてもstopx00000000edついにwindows起動せず。1時間真っ白になった頭で、ひたすら平静を装い、大学時代の学生生活の話をする。昼休み東芝に電話したら、しゃーしゃーとリカバリーcdでお直しくださいだって。それって、もしかしてデーターは消えるということですか?と聞くと、大変申し訳ございませんがその通りですとの答え。データーのバックアップは取られてないのですか?とさもこちらに落ち度があるかのような対応。どういう原因でこうなるのでしょうかと丁重に聞くと。様々な要素が重なり、原因は特定できませんと言う。
なんでコンピューターの世界だけ買って一ヶ月しかたたないうちに原因不明で壊れることが許されるのだ???おかしくないか???
午後は製図。が、夕刻学科の技術職員の親族のお葬式に、喪服は学生に借りる。長野で人に会う約束になっていたのだが駅のカフェで30分。、タクシーで葬儀場へ。ぎりぎり焼香に間に合う。駅へとんぼ返り。同僚の先生に喪服を学生に返してもらうように頼み、アサマへ飛び乗る。車中kang sang-jungの『悩む力』講談社2008を読む。今日の気分にぴったりだ。事務所に戻り九州プロジェクトの図面チェック。担当は忌引き。サブスタッフと延々打合せ。2時を回る。帰ろうと思ってまた不幸な事態に気付く。最近携帯が壊れて修理に出していて現在代替機なのだが、その充電器を研究室に置いてきたことに気付く。明日は6時半の新幹線で東北工大にワークショップに出かけるのだがその待ち合わせでなんとしても携帯必携の日なのである。あああ、明日まで電池は持たないだろうなあ??泣きっ面に蜂が100匹くらいたかっている。
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by 卓 坂牛
7時台のアサマで長野へ、少々寝不足だが、目は冴えている。イアン・ボーデンのスケートボーディングの本を読み終えた。内容は読み始める前に予期した通りの分かりやすい本なのだが、ひとつだけ気になる言葉があった。それはスケートボーディングが交換価値よりも使用価値を重んじる行為だという言葉である。アダムスミスのこの用語から使用価値が機能主義に引っ張られそうなところだし、拙著でも、建築において計画学は使用価値を作り意匠学は交換価値を作ると記しているのだが、確かにこの視点は正しいだろうし、新鮮でもある。デザインは消費社会の中では消費される運命にあるし、消費されるからこそ交換価値を生む。そしてスケーター達が求めるあるいは確かめているものは決してデザインではない、あるいは消費される何かではない。それは町の中で彼らにとって使える何かなのである。滑れる地面であり飛び跳ねる台なのだろう。そしてそういう使えるものを確認していく作業こそが建築なのだというのがボーデンの思想なのだと理解した。
長野はひどく寒い。東京ではうまくことは運んでいるのだろうか?心配しても仕方ないのだが、、、10時からゼミ。終わったのは夕方。そしてコンペの打ち合わせ、飯を食って、書類作り。久しぶりに兄貴から長文のメールが届く。内容はかなりまじめ。こちらもまじめに長文のメールを返す。
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by 卓 坂牛
朝一で金箱事務所を訪問。長い付き合いだが、事務所に行ったのは初めて。雅叙園のちょっと上。ドレメの建物が密集しているなかにある。9時前だと言うのに既に仕事をしているスタッフがいた。この事務所夜は遅く朝は早い。目黒は遠いようでうちの事務所から南北線で一本。k-projectの現場に寄ろうかと思ったが、ちょっと遅い。事務所に戻りコンペのスケッチ。k-projectの週例からもどったt君に様子を聞いたら今日のアンカー検査は延期になったとのこと。どうして?アンカーが半分も入ってないとか。どうしてそういうことを所長は事前に伝えないのだろうか?怠慢である。
午後一、リーテムで打ち合わせ。2時間ほど現場の進捗、設計変更、増額工事の承認など。中座し事務所に戻り、九電工との打ち合わせ、確認設備図が概ね上がってきた。久し振りに見る設備屋さんの設備図。われわれの描く設備図と違って見やすい。一安心。も、束の間。スタッフの親族に不幸の知らせ。バックアップ体制を作るべく、他のスタッフに電話やメール。
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by 卓 坂牛
今日は一日事務所。1週間ぶりに帰国したナカジに中国の様子を聞く。ついに建物は2階までコンクリ打ちが終わっているのだが、サッシュの増額のけりがつかず、未だにサッシュ図はあるのだが製作できない状態。そろそろ話しをつけないと工期が遅れる。
コンペの申込書をまとめる。先日の質疑で協力事務所は担当が異なれば事務所は重複しても可ということなので再度設備、構造へお願をする。最初は協力事務所なしで行こうかとも思っていたが、やはりそれなりのアドバイスは欲しい。早くアドバイスをもらえるところまで行きたいのだが、、、、なかなか進まない。
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by 卓 坂牛
今日は朝から大学の仕事。今日がそろそろデッドライン。一つ目は授業のパワポづくり。今年から教養的課程にある1年生に専門の基礎を教えることになり各先生で分担することになった。僕は図学的な講義の一部として、軸測図を教えることになっている。そこで図学の教科書をスキャンしながらパワポを作った。その作業をしながら自分が大きな誤解をしていたことに気がついた。僕はコルビュジエがよく使うようなミリタリー投象とかカバリエ投象は軸測図の一部だとばかり思っていたが、これは用語法の完全なる誤解。軸測図とは正投象(画面に垂直な光線が生み出す図)でありアイソメなどがその一つである。一方ミリタリー、カバリエなどは画面に斜めに入る光線によって生み出されるものでこれは斜投象と呼ばれるものだった。ああ恥ずかしい。講義のパワポは何とか午前中に作り上げた。午後は二つ目の科研の応募書類作成。テーマに関する過去の論文をひたすら読む。量が多くなかなか大変な上に知らぬことが多い。やっと夕方読み終わる。自分の興味のある分野は結構いろいろな人がそれなりにやっていることが分かる。もちろんそれでも今自分の研究室でやっていることのオリジナリティが崩れるわけではないのだが、既往研究との差についてその意義の書き方が難しい。
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by 卓 坂牛
昨日は級友たちと夕食をとり、最後に10人以上我が家にやってきた。そして酒豪でならしたNが最初に眠りに落ちたそうで、その脇で僕も寝ていたとのこと。Nは独りで焼酎を一升以上あけたようなのだが今朝起きるとけろりとした顔をしていた。「二日酔いじゃない?」と聞くと「僕は二日酔いにはならない」と言う。彼は琉球大学から台湾に留学して、現在は中国語ぺらぺらでシルクロードを中心とした一か月程度の旅を企画しガイドする旅行代理店兼ガイドである。中学一年の時から180近い身長と80キロくらいの体重。当時は化け物に見えた。そして、今でも結構化け物である。「朝食食べられる?」と聞くと「うん」と答える。「僕らはヨーグルトとオレンジにするけれど」と言うと「じゃあおれも」と言うので本気かと思ったらそれは遠慮だということが後で分かる。かみさんがやっぱりちゃんと作ろうかと卵など焼き始めたら食べる食べる。パンも3枚食べたのには驚き。
午後浦和まで書道の展覧会をかみさんと見に行く。この先生は去年まで信州大学の教育学部の教授だった。数十年前は僕らの中学の書道の教師だった。そして日本の両手には入る巨匠の域に入る人である。その人とその門下生の展覧会である。浦和のホールは前川國男の設計した有名な建物。なかなか素敵な場所。そして書自体も見ごたえのあるものだった。
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by 卓 坂牛
10月11日
母校(中高)の120周年行事としてホームカミングディという日が作られた。なんのことはない「卒業生学校においで下さい」というものだ。同窓会館を作るという話がありobの建築家たちの作品が展示されてもいる。僕は出してないがパートナーの木島さんや先輩たちの案が展示中。馬術部の馬がいたり、obのジャズピアニストの演奏やら、いろいろ盛りだくさんだったようである。僕は建築展示のdvdを回収しに閉会30分前に行った。数十年ぶりに行って、中学校の昔の教室に入ってみた。高校にも行って暗い廊下を歩いてみた。地学教室の標本箱も昔のまま、うっすらと埃をかぶっている様子も変わってない。今は同級生がこの地学の先生となっている。そこで昔の級友やらクラブの仲間にあった。医学をやっているSはノーベル賞をとったクラゲの研究が医学界の研究を画期的に変化させたことを教えてくれた、物理をやっているAはその昔、益川さんと一緒に研究したと言っていた。ノーベル賞とれる?と聞いたらもうひとつ画期的発見をしたらね。とすごいことを言っていた。